鏡よ鏡

 その頃、家で午後の時間を過ごす愛莉の元に、一本のメッセージが入っていた。


『ハートの女王様、今日マーヒー? 俺ちゃんと遊んでちょ』


 奇人にして天才、近所の大学生、羽鳥からである。愛莉の今日の予定は、夕方からバイトがあるくらいで、あとの時間は空いている。彼女はふたつ返事で、家を飛び出した。


 *


「ハローハロー! 愛莉お嬢、ウェルカム!」


 待ち合わせた駅で、羽鳥は愛莉を見つけるなり大仰に両手を振った。脱色した髪にトレードマークのキャップ、白地にカラフルな色を乗せたパーカーの彼は、人混みの中でもよく目立つ。

 彼に駆け寄った愛莉は、彼を真似して挨拶した。


「ハローハロー! 珍しいね、羽鳥さん。急に呼び出すなんて」


「ふふふ。俺ちゃん、今日は愛莉お嬢に、お買い物に付き合ってほしいんだよね」


 合流するなり、羽鳥は行き先も言わずに歩き出した。彼がマイペースなのは分かっているので、愛莉も戸惑わずについていく。羽鳥は空中に指でくるくる、円を描いた。


「現役高校生、愛莉お嬢の力を借りたいってわけさ」


「おおー! なんだか分からないけど、あたしにできることがあれば、なんでも言って!」


 それからふたりは、駅に併設されたショッピングモールへと入った。羽鳥が進んでいく先にあったのは、雑貨店のテナントである。かわいらしい小物が並ぶ店内では、彩り豊かな羽鳥の姿はやけに馴染みがいい。

 羽鳥はくるっと愛莉を振り返ると、楽しそうに両腕を広げた。


「さあ愛莉お嬢! この店から、いやこの店以外でもなんでもいい。好きな鏡を選ぶさ!」


「鏡?」


 愛莉はきょとんとし、店内を見渡した。自分が立っている周辺には、コスメ雑貨の什器がある。手のひらに収まるほどのコンパクトミラーや、卓上タイプや折りたたみなど種類が多い。店の奥の方のインテリアコーナーには、愛莉の身長ほどもある姿見もある。

 愛莉はしばし目を丸くして、店の中を眺め、羽鳥に向き直った。


「なになに? あたしの好みの鏡を選んでいいの?」


「概ねそう。というのも、俺ちゃんは見てのとおりハイカラなお洒落さんだけど、一周回って最近の流行りが分かんなくって。お嬢みたいなイマドキ高校生のセンスを知りたいのだ」


 羽鳥は大仰な身振りで肩を竦め、什器から手鏡を手に取った。


「君みたいな女の子が喜んで持ち歩いてくれそうなもの、俺ちゃん目線だといかんせんディフィカルト」


 羽鳥のそれを聞いて、愛莉は数秒考えた。

 もしや羽鳥は、好きな女性にプレゼントを贈ろうとしているのではないか?

 そしてその相手は、お洒落好きな女性なのだ。だから、プレゼントに鏡を選んだ。しかし実際にどんな形状や大きさ、デザインのものが喜ばれるのかが分からず、感性の近そうな愛莉を連れてきたというわけだ。

 そこまで考え至ると、愛莉はぱっと目を輝かせた。


「そういうことねー! 承知した! 一緒に選ぼ!」


「協力センキュー! じゃあ早速、いちばんサイッコーにハッピーでキュートな鏡を選んでけろ!」


 羽鳥に促され、愛莉は陳列された鏡を眺めはじめる。

 彼女はコンパクトミラーと卓上タイプを、それぞれ手に持ち見比べた。

 ポケットに入れて持ち歩くならコンパクト、立てておけるタイプは、メイクをするときに両手が使える。どちらもそれぞれ便利だが、プレゼントならば、常に身につけていられる方が傍にいる感じがする。と、愛莉は思った。


「こういう、持ち歩ける小さいのがいいと思う」


「ほう。やっぱり、携帯できるというのがポイントなのかにゃ」


 羽鳥が次々に別の鏡を手に取って、愛莉の前に掲げてみせる。コンパクトミラーひとつとっても、折りたたみタイプもあれば缶ミラーもあり、柄も様々だ。

 愛莉が一枚一枚見ていると、ふいに、羽鳥がひとつ、鏡を差し出してきた。ハート型の折りたたみ式で、表面は赤い。


「これ、お嬢っぽい。熱く燃える情熱のパッションハート!」


「わ、かわいい。そういえば羽鳥さん、時々あたしのこと『ハートの女王』って言うよね」


「名前に『姫』と『愛』が入ってるから」


 自分のつけたあだ名を本人の口から聞いて、羽鳥は満足げに口角を上げた。


「いつか定着させたいじぇ。『チェシャ猫』並みに」


「チェシャくんの『チェシャ猫』って、羽鳥さんがつけたの?」


「うんにゃ。つけたっつーか、言い出したのは役所の担当者。いるんだかいねーんだか分かんなくて、本名までスケルトンだから、『チェシャ猫みたいだな』って」


 羽鳥は候補の赤いハートのコンパクトを愛莉に手渡し、別の鏡と比べはじめた。


「で、それをシロちゃんから聞いて、俺ちゃんが呼び続けてたら、いつの間にかみんな、そう呼んでたー」


 愛莉はまた自分の知らない時期の話を知り、嬉しくなった。チェシャ猫のふたつ名については、シロからは「いつの間にかついていた」とだけ聞かされていて、誰が発祥なのかは謎だったのである。


「へえー。チェシャくんの本名、なんていうの?」


 と、愛莉が聞くやいなや、羽鳥はあっと声を上げた。


「こっちの白地に赤いハート柄もお嬢っぽい。こっちの黒猫がいるのはチェシャ猫っぽくもある!」


「あっ、かわいー!」


 愛莉の関心が鏡に逸れる。羽鳥の手から鏡を手渡され、それから彼女はハッとした。


「じゃなくて! 羽鳥さん、あたしに似合うの選んでどうするの!? プレゼントしたい相手に喜んでもらえるのを選ぶんだから、あたしに合わせてもしょうがないじゃん」


 愛莉が手に持った鏡を陳列什器に戻す。羽鳥は目をぱちくりさせ、並んだ鏡に顔を向けた。


「たしかにー。お嬢に持たせようとしたわけじゃなかった」


「でしょ。ほら、本当にあげたい人はどんな人? 羽鳥さんくらいの大人? かわいい服ときれいな服、どっちが好きな人?」


 相手の好みを聞き出そうとした愛莉だったが、羽鳥は、うーんと唸って小首を傾げた。


「そこまで具体的に考えてなーい」


「えっ? 考えてないって……プレゼントする相手のこと、まだあんまり知らない……とか?」


 愛莉が不思議そうに聞くと、羽鳥はより、首を深く傾けた。


「そもそも、プレゼントってなんの話だっけー?」


「待って待って、プレゼント選びじゃなかったの!? これ、なんで選んでたの?」


 変わり者の羽鳥の行動は、なかなか予測できるものではない。目を白黒させる愛莉に、羽鳥はぱっと笑顔を見せた。


「俺ちゃん、鏡というアイテムを知りたくて勉強中! で、若い女の子が好きそうな、流行りを意識したデザイン、どんなんなのか知りたかっただけだにー」


「えええ! なんだあ……てっきり恋が始まったのかと。応援する気でいたのに」


 肩透かしを食らった愛莉は、つまらなそうに唇を尖らせた。そしてそれから、羽鳥の言葉を反芻する。


「ん? 鏡の勉強ってなに? なんで鏡を調べてるの? むしろそっちの方が面白い話かもしれない」


「おっ、興味ある? 流石は狩人とつるむだけはあって、好奇心旺盛ちゃんだねえ」


 羽鳥はいたずらっぽく笑い、再び、什器に並んだ鏡に手を伸ばした。


「俺ちゃん、ずっと不思議だったんだよ。ジャバウォックはどうして、鏡を使って移動するのか」


 ジャバウォック。愛莉も聞いている、レイシーの名前だ。かつて狩人たちを翻弄した厄介者で、当時の狩人たちも捕らえ損なったという、大物である。

 かねてから狩人たちと交流を持つ羽鳥にも、その情報は共有されていた。


「ジャバウォックは鏡に映った人間の姿になって、鏡から出てくる。そんでご本家の人間の意思と関係ない、身勝手な行動を取る。つまり基本的には、鏡の中に住み着いている……らしいけどー」


 羽鳥が手鏡をひとつ、手に取る。真っ赤な縁に花の飾りがついた、派手なデザインのものだ。


「鏡って、銀とガラスでできてんのよ」


「そうなんだ」


 愛莉が素直に感嘆する。羽鳥は手に取った鏡を、愛莉に向けた。


「レイシーって、銀、嫌いじゃんな?」


「……あ!」


 赤い鏡に映った愛莉が、驚いた顔をした。

 そうだ。銀は魔除けであり、大半のレイシーは銀を嫌う。銀で作られた武器で攻撃を食らえば、彼らはたちまち、灰と化すのだ。だからチェシャ猫の拳銃の弾丸は銀製であり、予備に持っている仕込みナイフも銀でできている。

 しかし同じくレイシーであるジャバウォックは、銀の加工品である鏡を経由して移動する。銀を利用してさえいるのだ。

 羽鳥が鏡面を自分に向けた。


「妊婦さんがお葬式に行くときなんか、服の中に鏡を入れてベビーを悪しきものから守る、的なのも昔っからあるくらい。だから俺ちゃん、銀、というか、魔除けたる魔除けである鏡を我が庭のように使うジャバウォックが、インタレスティングでたまらないんだよねー」


 羽鳥の顔が、鏡に映る。


「実際当時の狩人たちは、ジャバウォックに銀の武器で攻撃しても、倒せなかった」


「そうなの? それもあって、当時の狩人さんたち、ジャバウォックに苦労したんだ」


 単に逃げ惑われ、生身の人間を巻き込むだけでなく、効果のある攻撃手段も謎だというのだ。

 羽鳥が鏡の中の自身の顔を見つめる。


「そもそも突き詰めると、ジャバウォックの住む『鏡』の定義すら分からん。水面の反射とか、携帯のインカメラとか、そういう条件でも入り込めるのか?」


「そういえばそうだね。基準が分からない」


 愛莉は、チェシャ猫とシロがジャバウォックについて議論する場に居合わせてはいるが、「鏡」の定義については聞いたことがない。


「だから俺ちゃん、鏡の研究始めた。ジャバウォック被害に遭った人の持ち物を中心に情報集めて、条件を炙り出してる真っ最中。被害者はカワヨイおんにゃのこが多くて、カワヨイ鏡を持ってる人に偏ってるんのよね」


 羽鳥が手に持った鏡に向かって笑う。


「もしかしたらジャバウォックはお洒落さんで、デザインにもこだわりがあるのかも。そこで、イマドキ高校生のお嬢の趣味を知りたかったわけさー」


 事情を知った愛莉は、流石は羽鳥と目を見開いた。


「すっごーい! そんなの考えつくだけでもすごい! あたし、ジャバウォックの話は聞いてても、鏡の大きさとかデザインとか、全然気にしてなかった」


「んふふ! ジャバウォックホイホイになる超絶最高な鏡の条件が分かったら、お嬢にも教えてあげるね」


 したり顔をする羽鳥に、愛莉はこれまで以上に目をきらきらさせた。


「やったあ! じゃあしっかり協力しなきゃ。えっとね、持ち歩くならこういう小さいので、出かける前にしっかりメイクする人なら、こういう自立するの使っててー。それと、ファンデーションのケースにも鏡がついてるのもあってね……」


 キャッキャと盛り上がって鏡を選ぶふたりは、遠目に見ていた店員の目には、仲良しな兄妹に映っていた。

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