女王様をお送りして

 狩人たちの作戦会議は、とうとう結論らしい結論が出ずに終わった。愛莉のバイトの定時がきて、帰り支度をして店を出ると、外には深月が待っていた。


「お疲れ様。ちょうど俺も帰るとこだから、おうちまで送っていくよ」


「ありがと。チャラ男はスマートだね」


 愛莉は可笑しそうに笑いつつも、深月の隣へ駆け寄った。

 三月の夕暮れが街を包んでいる。風の冷たさは和らいではきているが、暗くなるとまだ少し肌寒かった。

 深月が歩きながら嘆息を洩らす。


「あーあ。チェシャ猫は付き合い悪いな。そんなんだから彼女できないのに……」


「深月さん、チェシャくんを合コンに誘うのやめてよ。あたしがチェシャくん好きなの知ってるでしょ」


 愛莉が怒ると、深月はふはっと笑った。愛莉がチェシャ猫に懐いているのは深月も知っているが、チェシャ猫は相手にしていない。チェシャ猫もシロも深月も、愛莉のチェシャ猫に対する感情は、若さ故の一過性のものだろうと考えている。


「ごめんごめん。早く振り向いてもらえるといいね。でも、あの朴念仁のどこがいいの? シロちゃんみたいに美人でも、俺みたいに女の子の扱いが上手いわけでもないよ。金もないし、かっこつけてくれないぞ?」


 茶化し半分に聞くと、愛莉は深月を横目に、即答した。


「知ってるよ。それでも、あたしがチェシャくんに求めてるのはそういうのじゃないから、いいの」


「ははは。愛莉ちゃんが大人になってもまだその気持ちがあったら、本人にそう言ってやりな」


「絶対ずっと好きだもん! 子供扱いされて相手にしてもらえないなら、大人なるまで付きまとうまで。あたしは移り気な深月さんとは違うんだよ」


 終わりにチクリと刺してから、愛莉は話題を変えた。


「チェシャくんたち、申請書? を出すために、今回の事件がレイシーの仕業だっていう根拠を掴もうとしてるんだよね。申請書出さないで勝手にやっちゃ、だめなの?」


「基本的には、狩人が申請書を出したのを役所が許可するか、役所が調査依頼を出して狩人に調査させて、確定したら役所が許可するっていうのが決まりだな。けど、急を要する場合は、事後申請も受け付けるよ」


 まさにその許可の仕事をしている深月としては、事後申請より、正規のルートを通ってほしいものである。


「例えば、レイシーかもしれないけど根拠が弱い奴がいたとする。狩人がそれを殺したら、実は人間だった、となったら、困るだろ」


「もしも狩人が、レイシーと間違えて人間を殺しちゃったら……どうなるの?」


 愛莉が尋ねると、深月は白い月を仰いだ。


「もちろんそんなことはあっちゃならないんだけど、可能性としてゼロじゃないから、狩人向けの保険が適用されるよ」


「保険……」


「行動が不可解そのもので、周囲にも影響があって、レイシーであると疑われてもやむを得ない状況の場合に限り、実は人間だったのを間違えて殺してしまっても、狩人は罪にならない、或いは罪が軽くなる」


 深月は眼鏡の奥の瞳を、ちらりと愛莉に向けた。


「というのも、もちろん役所のお墨付きだったのに、ってのが第一条件。狩人個人の勝手な判断で間違えたら、単なる殺人になる」


「そっかあ。だからあんなに、レイシーである根拠が欲しいんだ」


 レイシーは人に紛れ込むから、一見、人との見分けがつきにくい。しかし絶対に、人かそうでないか、間違えてはいけない。

 彼らが時間をかけて丁寧に調査するのは、そういう事情だからなのだ。

 深月が腕を組む。


「あいつら、じっくり調査しちゃ会議しちゃしてるから、店で話を詰めきれてないときあるもんな。そうなると、シロちゃんちでごはんしながら話し合いを続けてるんだと」


「あっ、チェシャ猫くんがシロちゃんちにごはん食べに行ってるのって、そういうことだったんだ」


 愛莉は、店で会話の流れから聞いた、その話を思い出した。彼らと付き合いの長い深月は、その辺りの事情も漠然と知っている。


「しょっちゅうだぞ。遅くまでかかると、チェシャ猫が帰るの面倒になってそのまま泊まってったりもしてるらしい」


「楽しそう」


 仕事の話をしているのだから楽しいお泊り会ではないのだろうが、彼らを大好きな愛莉には羨ましかった。


「シロちゃんが作るお夕飯、おいしいんだろうなあ。お店の軽食すっごくおいしいもん」


「なー。チェシャ猫が寄り付くのも分かる」


 深月は歩きながら、夕空を見上げた。


「あいつらが出会ったばかり頃は、ビギナー狩人のチェシャ猫が勉強しなきゃならんことが多いからか、泊りがけの頻度も高かった印象があるな」


「合宿免許的な?」


「そんな感じかなあ。それにチェシャ猫、今より金がなかったから、飯食べさせてもらえるのはありがたかったんだろうな」


 チェシャ猫はある日突然シロに捕まり、狩人になった。まっさらな状態の彼は、レイシーについてや、武器の取り扱いなど、学ばなくてはならないことがたくさんある。


「逆にシロちゃんがチェシャ猫のとこに行く日もあって……そういやこんなこともあったぞ! チェシャ猫が急にシロちゃん宅に寄り付かなくなっちゃって、店にも顔出さなくなってな」


 深月は人差し指を立て、いたずらっぽく話した。


「シロちゃんが鍋ごと肉じゃが持ってチェシャ猫の家に突撃して、なぜか解決したっていう」


「なにそれー! 喧嘩して、肉じゃがで和解したのかな」


 愛莉がキャッキャと笑う。深月は一年と半年ほど前の、当時を思い浮かべた。


「なんでそうなったのか、本人らから聞いたわけじゃないから知らないけど。あの頃のチェシャ猫、シロちゃんに勉強漬けにされてたからな。嫌すぎて脱走したのかもな」


「分からなくもない!」


「だよなー。俺なら肉じゃが出されても、我慢できないかも。遊びたいもん」


 深月のスーツの裾が、冷えた春風に揺れる。

 愛莉は自分の知らない彼らの過去に、思いを馳せた。今度、この話を本人たちからも聞いてみようと、楽しみを増やす。


 やがて、愛莉の自宅が見えてきた。春先の夕焼けの中、愛莉は深月にお礼を言って、彼と別れた。

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