キャットウォーク

 チェシャ猫が休業期間に入って、九日が経過した。

 学校の昼休み、クラスの友達と過ごしていた愛莉は、廊下を歩く絵里香の姿を見つけた。友人たちの輪を離れ、絵里香に駆け寄る。


「絵里香! あの……」


 しかし絵里香は、愛莉をちらりと見ただけで、返事もせずに行ってしまった。愛莉は教室の戸の前で、絵里香の後ろ姿を見送る。

 絵里香とこうなったのは、先日の、わらび餅アラモードの約束が流れた日以来だった。


 *


 あのあと、チェシャ猫の散歩に同行していた愛莉の携帯には、絵里香からのメッセージが十件以上溜まっていた。『どこにいる?』『なんで返事くれないの?』といった内容で、愛莉が気づいて電話をした頃には絵里香はすっかり呆れ返っていた。


「愛莉って大雑把でテキトーなとこあるけど、ここまで酷いとは思わなかった」


 絵里香の嘆息に、愛莉もカッとなった。


「絵里香の方こそ、あたしとの約束すっぽかしたじゃん!」


 絵里香の方から愛莉の傍を離れて行ったのに、絵里香が連絡を取りたいときに反応できなかったら、この態度だ。これまで呑み込んでいた愛莉も、耐えられなくなった。

 しかし絵里香は、まるで自分だけが被害者かのように言い返した。


「は!? なに? そっちが無視したんでしょ!」


「メッセージに気づかなかったのは悪かったよ。でも絵里香だって、あたしを蔑ろにしたよ。あんな酷いことしておいて、メッセージの返事遅れたくらいで、そこまで怒る!?」


 感情が昂って、声が大きくなる。絵里香がなにか言っていても、もう愛莉は聞く耳を持たなかった。


「もういい。絵里香は禎輔くんとか、他の人と仲良くすればいいよ。あたしはあたしで他にも友達いるし」


 それぞれに新しい人間関係が生まれているのだ。合わなくなってきた人と、無理に一緒にいる必要はない。

 愛莉は感情に任せて、電話を切ってしまった。


 *


 今となっては、反省している。愛莉は絵里香に謝りたかった。

 絵里香の行動はあまりに身勝手だ。彼氏や新しい友達を優先したいために、愛莉を切り捨てようとしているようにすら思えた。

 だが、本人が話そうとしているのに、愛莉は話を聞かなかった。翌日になって冷静になったのだが、もう遅い。学校で顔を合わせても、絵里香は愛莉と話してくれなくなった。

 立ち竦む愛莉に、新しいクラスの友達が声をかける。


「愛莉ちゃーん! どうしたー?」


「……ん、なんでもない!」


 なんでもなくはないけれど、絵里香と面識のないこの友達たちに、相談することでもない。愛莉は後悔を抱えながら、教室の友達の輪に戻った。

 友達と話している中で、SNS投稿の話題になった。互いの投稿を見せ合う中、ふいに画面に流れてきた投稿が愛莉の目に留まる。絵里香のアカウントの投稿だ。

 今までなら気軽にコメントできたが、この状況では、こうして見えているのすら悪いことをしている気持ちになる。

 絵里香の最新の投稿は、恋人とのツーショット写真である。


『獅子角神社に来た!』


 添えられた文言どおり、写真の背景には朱塗りの鳥居が写っている。そしてともに目に入ったコメント欄に、愛莉はえっ、と口をついた。


『別れるやつ』『挑戦的すぎる』


「別れ……え?」


 愛莉がきょとんとしていると、横から覗き込んだ友達が言った。


「獅子角神社? この人ここでデートしたんだ。もしかして、噂を知らなかったのかな」


「なになに? 噂?」


 話が見えない愛莉が尋ねると、彼女を囲う友人たちは、話し出した。


「ここでデートするカップルは絶対別れる、って噂があるんだよ!」


「そうそう。でも本来は縁結びの神社だから、知らずに来ちゃうカップルも多いみたい」


「知ってる上で、『自分たちは絶対別れない』ってジンクスにも打ち勝つ想いを証明しに挑むカップルも多いらしいよ。でもそんなカップルでも、別れちゃうの。部活の先輩がここに行った二日後に破局してたよ」


 彼女たちの話を聞き、愛莉は言葉を呑んだ。絵里香は禎輔と、そんな噂のある神社に行ったというのか。

 友人らの間では有名な話らしく、盛り上がっていた。


「別れ話を切り出すときに、それとなく察してもらうためにわざとここでデートする人もいるらしいよ」


「でも本当は縁結びの神社なんでしょ?」


 楽しげに語る彼女らの中で、愛莉は興味とともに、そこはかとなく不安を覚えていた。


 *


 その頃、『和心茶房ありす』では、チェシャ猫とシロがテーブルで将棋を差していた。

 シロが駒を動かす。


「君ねえ。大人しく散歩してると思ったら、『散歩』とのたまってレイシー探しをしてたの?」


 チェシャ猫も、シロの一手を受けて駒を移動する。


「探して見つかるものじゃない。歩いてたら偶然見つけてしまっただけだ」


 これはチェシャ猫自身も、意図したものではなかった。

 巡の病室への訪問と体力作りを兼ねて、連日長距離を散歩していたチェシャ猫は、とある妙な女を見つけた。一見なんの変哲もないのだが、その女の足元には、影がなかった。

 あとをつけてみたら、女は人けのない場所へと進んでいき、そして自らの背中に蛾の翅を生やして、飛んでいったのだ。


「もはや化け物であるのは確実だ。申請すればすぐ駆除の許可が下りる」


「いやいやいや、休業期間中に仕事をするな。バレたら手当金貰えなくなるよ」


 休業期間が終わるまで、あと五日。まだ働いてはいけない期間だというのに、チェシャ猫は図らずとも、レイシーを見つけてしまった。

 堂々と報告する彼に、シロは呆れ顔で首を横に振った。チェシャ猫は眉を寄せる。


「でも見つけた以上、放ってはおけない。早くあれを俺の金にしたい」


「まあ、看過できないよね。でもあと五日の辛抱だよ。もう少しだけ野放しにしよう」


 休業期間である以上、チェシャ猫に駆除はさせられない。しかしチェシャ猫としては、折角レイシーという玩具を見つけたのに五日も動けないのはもどかしかった。


「あんなにあからさまなのに、放っておけと? 休業中だから銃を持ってなかっただけで、その場で殺して事後申請でもいいくらい確実だったのに」


 チェシャ猫が不服そうに、将棋の駒を動かす。


「傷は殆ど治ってる。充分動ける」


「そんなわけあるか。まだ抜糸したばっかりでしょ。大人しくしててよ」


 とはいえ、思った以上に傷の治りが速い。レイシーにつけられた傷だからだろうか、愛莉が傍にいると、回復が速まるようだ。

 シロはまた駒を動かして、唸った。


「うーん。休業期間の補償をしてもらってるのに……できれば見つけないでほしかったなあ」


 チェシャ猫も、仕事の賞金は逃したくないが手当金も失いたくない。どうにかできないかと考えていた。


「じゃあ、残りの五日であれの調査をしたい。どんな動きをするのか、なにを目的としてるレイシーなのか、追跡して調べる。調査段階は狩人の勝手だから、役所への申請はいらない」


 チェシャ猫が駒の位置をずらす。シロはすぐに、次の手を打った。


「まあ……そうなんだよね。申請が必要になる駆除行為は、チェシャくんが自由の身になってから実行すれば、書面上はなんの問題もない」


 店内にはふたりしかいないのに、悪巧みの自覚がある彼らは、無意識に小声になっていく。


「そう、これからするのは調査ではない。散歩だ。俺の散歩コースとレイシーの行動ルートがたまたま同じだっただけ」


「屁理屈だけど、そう言われたらそうじゃない証拠なんかないよね」


「なら……」


 やってもいいか、と言おうとしたが、その前にチェシャ猫は将棋盤に釘付けになった。じっくりと考えたのち、頭を下げる。


「参りました」


 チェシャ猫は、将棋でシロに勝てたことがない。

 勝ち誇った笑みのシロは、椅子から立ち上がった。


「万が一役所からなにか言われてもいいように、一連の書類は僕名義にしておこうか」


 将棋では負けたが、チェシャ猫は久々の仕事を勝ち取った。負けた盤面を眺めるチェシャ猫に、シロが問う。


「それで、巡ちゃんはどう?」


「……ん」


 チェシャ猫は短く喉を鳴らし、数秒押し黙った。続きを待つシロに、ぽつりぽつりと返す。


「あんま体調、よくないな。行くたびに寝てる日が多い」


「そう……」


 シロがそれしか言えずにいると、チェシャ猫は続けた。


「ああ、シロさんのクッキーは喜んでた。お礼したいから、シロさんにも会いに来てほしいって」


「それはよかった。近々会いにいくね」


 無理やりに微笑んで、シロはカウンターへと戻った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る