第42話 過疎地の異世界人⑦

 冴えない男が二人、サービスエリアの片隅で貧乏くさい飯をつつきながらする話じゃあない。だが、俺はそんなことはしばらく忘れていた、

 俺には伍堂のようなまっすぐさもないし、社長ほど覚悟も思慮もない。

 そう思わず呟くと、社長はポンと腕を叩いた。

「そんなに気にすんな。何かしなくっちゃなんねぇなんて決め事はねぇ。おめぇの気持ち次第だ。おいらに迷いがなかったなんてそんな筈はねえ。納得できるまで迷え迷え」

 迷え、か。

 今の俺にはびっくりするほど何もない。養うべき家族も非モテで愛する女もいない。必要としてくれたボスにもどうやら持て余される未来が見えている。

 帰るものだと思っていたが、そこに水をさされたような気持ちだった。

 クソ上司の歪んだ好意にも戸惑っている。しかし、そう思えば理解できる心当たりが多い。彼女は嘘は言っているわけではないようだ。

 だが、それを受け入れるのにも強い抵抗はあった。今もだが絶対頭が上がらない。尻の下にがっちり抑えこまれるのは確実だ。女を征服して悦ぶ趣味はないが、クソ上司だけは別だ。一回でいいから目に物見せてやりたい。

 今の生活は嫌いではないが、元のだとはいえ顔が変わるのだからこれまでと生活は確実に変わるだろう。あちらに帰って日陰ものになるのもあまり嬉しくはない。

「迷え迷え」

 カツ丼の最後の一口はひどくしょっぱく感じられた。


 二ヶ月ほど経った。

 この間に数えきれないほど何でも屋案件をこなし、穴については極めて不安定なものを一つ閉ざすという仕事をした。

 不安定というのはアンカーとなる人間もおらず、魔術的なシステムで支持されているだけのものだったからだ。アンカーがいない理由は単純で、その穴の向こうには一般的な意味での人間はいなかった。だからこちら側に紛れ込んで故郷への想いを持つようなものは存在しようがない。

 ただし、住人がいないというわけではない。人間を辞めた存在が有象無象いる悪夢のようなところだった。不老不死の彼らは一つの肉体にこだわらないいくつかの群体で、群れの末端は大した知性もなく自律的に働くロボットのような連中だった。

 この魔物ロボットが迷い込んでトラブルを起こすようになったので発見に至ったというわけだ。

 あなの閉鎖作業は俺と土師君と銀朱。クソ上司の判断と助言で現場指揮を銀朱が取り、その判断で俺と土師君が選ばれた。俺を選ぶことに彼はこの上なく不機嫌だったが、冷静な判断ができたと大好きな従姉に褒められてすぐ上機嫌になった。

 作業は俺が防壁を張って時々穴から出てこようとする魔物ロボットどもを押し留め、穴の外から中まで壁一面に施された術式を銀朱と土師君で解析し、解体方針を決めて土師君得意の遮断の魔法で分解するというものだった。

 銀朱はおそらく何らかの古文書を電子化したのだと思う電子文献を持参し、二人でタブレット上で共有していた。今時なやり方だ。

 穴の向こうの魔法が衰えるなら、人間を辞めたあそこの住民が今後どうなるかは考えたくもない。滅びるならそれも潔いが。歪みを大きくして生き延びると地獄になりそうな気がする。

 この間に一つ変化があった。

 伍堂の代わりの召喚者がやってきたのだ。

 関西支部の欠員も補充したとのことなので二人続けてということになる。クソ上司は後継を銀朱にするつもりらしく、関西の方のは彼女が主で銀朱が補助、そして伍堂のかわりは銀朱が主でクソ上司が補助で召喚したそうだ。関西の方は心技体揃った強そうな男戦士が出たそうで、なんかいきなりびっくりするほど適応して支部の連中が喜びで泣いていると聞いた。そして関東の補充に召喚されたのは女だった。どこかのお姫様らしく育ちの良さがあって、適応力も高い。何があったか知らないが、銀朱が苦手そうにしているのをクソ上司の事務所で見た。俺のようにフリーターかなんかになるのかと思ったら、ちょうど佐奈子が西日本の方に行ってしまったのに入れ替わるようにクソ上司の秘書に収まってしまった。今は新築のワンルームに住んでいるそうで、俺とは雲泥の差だ。本名は舌を噛みそうな長い名前なので、クソ上司と決めた通名の佐々木玻璃はるで呼ぶことにする。背丈は女としては高めだが、魔法使いタイプらしく手首などは細い。元の容姿は不明だが、こっちの基準では地味なびじんという感じだ。伍堂の補充なのに。彼とは全然違う。

 ただ、観察眼は驚くべきものがあり、どう見ても下町の小さな町工場の工場長という外見のうちの社長を一角の人物と見抜いたり、事務所の仁さんを油断ならない人物と警戒したり。

 俺はというと、なぜか親しみを持って接しられて、そのくせ警戒線は何本も引かれているという感じだった。舐められてんのか評価されてんのか。

 この佐々木が伍堂の埋め合わせに不十分だったかというととんでもなかった。彼女の魔法は探知と分析に優れていて、加えて本人も頭のキレがいいためクソ上司は下調べには必ず彼女と誰かを派遣し、必要な処置がわかれば俺なり社長なりに声がかけられるという仕組みになった。彼女と一緒に派遣される人は決まってはいなかった。土師君、金朱、銀朱、桃山沙織と出かけたこともある。一番多かったのが銀朱だ。なんとか毅然と対応しようとしているものの、あのスカした青年はこの男でも見透かす女が苦手らしい。知識も豊富で魔法使いとしても優秀で、いいように使えるので重宝されてるなというのが傍目にもよくわかった。

 下調べはほとんどが空振りだってことは俺のことを目の敵にしていることもわすれてクソ上司の事務所でぐったりしていた彼が愚痴ったおかげでわかったこと。

 佐々木が来てから最初になる穴塞ぎは彼女と社長で出向いてすぐに済ませて戻ってきた。氏神様、と祀られて何百年も奥座敷で眠っていた異形のアンカーを叩き起こし、穴の向こうに退去させたらしい。氏神様に依存する経済にずっと頼っていた旧家がそれに同意するのにかなりえぐい交渉があったとか何とか。交渉の矢面には社長が立ったが、外堀もクソ上司が手配した士業数人によりがっつり埋められていたそうだ。

「ああゆう交渉に楯野は向かねえな」

 そういう交渉もできる社長はすごいけどね。

 この頃から、穴関係の対応で俺が呼ばれることが少なくなったと思う。


 電動一輪車で俺は出身世界を走っていた。

 貰い物で、最初は盛大に転んでいたが、今はなかなかの膝捌きで障害物を飛び越えたりできている。もっとも、魔法が使える環境では少しだけ魔法でズルをしてこけにくくしたりしているのだけど。

 歩いて移動するのは大変だし、自分のものではない車を持ち込んで破損すると目も当てられない。どこかの戦場で使ってるのを見て、これだと思ったのだ。

 かなり楽しい。使ってるのは寂れた街道で、人は途中でおいこした荷物用の牛車くらいだが、腰を抜かさんばかりに驚いていたあの農夫にはちょっと悪いことをしたかも知れない。

 海を望む崖っぷちに、半分が海に崩落した危険な廃墟がある。それが約束の場所だ。門のところには柵が設けられ、色褪せた文字で立ち入り禁止とある。

 大きな廃墟で、年々崩落が進んでいるが、柵を乗り越えて入ったところには十分広い前庭があった。そこに騎乗用の飛龍が翼を休め、簡易天幕が張られている。そして黒衣の偉丈夫が自分で入れたお茶を優雅に飲んでいた。

 少しやつれたか。その偉丈夫の懐かしい顔に俺は胸がきゅうっとなった。こんなところに一人で来るのは危険なことだ。だが、彼は俺に会うために来てくれた。

「久しぶりだな。随分男前になったじゃないか」

「いきなりなご挨拶ですね。前の顔でも好きだという物好きだっているんですよ」

「さすが異世界、常識では図れんな」

「ところでまだ名乗ってないのによく分かりましたね」

 タネはわかっている。土師君に面会を申し込む手紙を持っていってもらったのだけど、その時に今の俺の写真を見せたと聞いていたのだ。

 この時には俺も知らない移動の便利魔法を彼は使ったらしい。なぜか金朱もついていったというから、かなり便利なもののようだ。

「そうだな、かなり弱ってるがなじみのある魔力だからな」

 面会に選んだこの場所は、うちの勢力の立ち上げ前の集会に使っていた隠れ場所だ。知っているのは四天王や初期の三十人のうちのわずかな生き残りくらいだろう。

 最初の街を乗っ取るための作戦をたて、必要な武器や物資を蓄積した部屋は見たところまだ崩落に巻き込まれていないようだ。

 なんだか嬉しくなった俺はボスの腕を軽く叩いた。すぐに親愛のこもった叩き返しがある。そして俺たちはハグも交わした。

 それから腰を下ろして俺たちは少し長く話し込んだ。

 召喚の状況と帰還の条件。穴のこと。穴の彼方のこと。そして俺の暮らしぶり。

 貧乏暮らしと聞いてボスはびっくりしていた。辛くないか、少し金を持っていかないか、と田舎の親のように気を使ってくれるのはありがたい。

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