第46話 エピローグ①
土師君はばつの悪い顔をした。
「それは申し訳ないと思ってます。でも、止められますから」
「実際、賢者殿は止めに来てるね。そちらのお仲間を連れていくのがお気に召さないのだろう。だが、うちのクソ上司たちはなんで止めるんだい」
土師君は肩をすくめた。
「わかりません。知識の拡散を好まないのかも知れませんね」
ふむ。異界人に内緒にしているあたり、碌でもない理由じゃないかな。
「賢者殿はその辺何かご存知かな」
「あやつらは、それをよくない事としておるのだ。それだけに過ぎぬ」
吐いて捨てるようなコメント。おそらく賢者と魔法使い一族の対立に関わることなのだろう。
「理解できないのはあなたも同じです。大叔父様。もはや残った穴は封印されたものも含めて最盛期の二割くらいしかないと言われています。ここでは過去の栄光を取り戻すことはできないのですよ。新天地になぜいらっしゃらないのかしら」
金朱の言葉に無言ながら同意の空気が他の三人に流れる。
「ここには最も古い記録と知識が眠っている。お主らが奪ったものなど、その極一部に過ぎぬ。それを捨てて去るなど言語道断だ。それに、穴はここでは確かにこれ以上開けることはできないが」
賢者は息を吸い込んだ、
「だが、数光年距離を置けばそこでは開けることができるはずだ。こんな宇宙の片隅のほぼ点のような場所で宇宙全体に影響を与えることはできんのだよ」
「その数光年を踏破することが今はできないでしょう」
土師君の冷静な指摘。数光年の距離のイメージは掴めないが、太陽系よりずっと遠い場所なのは間違いないし。太陽系の広さはテレビで見て知っている。
「だから、未来に繋ぐのだ。そのためにもここに留まってほしい」
この言葉に知らない三人に少し動揺があった。彼らは額を寄せてひそひそ相談を始めた、
「もし、賢者殿の元に戻るのなら構いませんよ」
土師君の言葉は、自分の決意は変わらないという意味だった。
「では、私だけ戻ることにします」
三人の中では年長の、四十手前くらいの男が手をあげた。残り二人の決心は変わらないらしい。
土師君はにっこり微笑んで受け入れた。
「最後まで迷っておられましたしね」
「土壇場で申し訳ない。わずかでも希望があるなら、こちらもなんとかしたいと思います」
土師君よりだいぶ年長なのに、物腰穏やかな人物だった。
「賢者殿」
俺は止めてくれと目で縋ってくる老人に苦笑を禁じ得なかった。
「麻黄社長は帰還後、自分の故郷のためにできることを見つけたから帰るつもりです。土師君もしたいことがあるようです。俺がこっちに留まったのは、俺にできることはもうないからです。思いとどまらせるのは無理です。金朱君は好きな人についていくだけだと思うので、野暮なことは言えないですね」
無理だよ、と宣言すると賢者は唇を噛み、手の中で何かを折った。
ちりん、と音がする。ここにいる全員を裏世界に巻き込む気なのか。
廃ビルの周囲を明るくしていたものが消えた、
最後の最後でとんだ強行策に出たものだ。
「大丈夫だ、穴もついてきている」
声を上げたのは残る決意をしたあの男だった。
徘徊型だから、アンカーについてきたんだろう。
その一方で、賢者の背後から何かがやってくる気配があった。まだ遠いが非常に不吉な気配だ。賢者は実力行使の準備もしていたようだ。
「さ、今のうちに」
土師君たちと行くつもりの若い男女が一瞬だけ躊躇ってから穴に飛び込んだ。金朱と土師君は手を繋いだ。
「それでは、楯野さん、それに鈴木さん」
鈴木というのが残る男の名前のようだ。
二人は穴に飛び込んだ。その瞬間、突風が穴に吹き込んで穴は小さくなり、消えた。鈴をへしゃげたようなくぐもった音がして、迫り来る魔物の気配がきえ、周辺に町のあかりが戻ってきた。
俺と、鈴木と賢者だけがそこにいたし、もう魔力は感じなかった。穴は消えたのだ。
いつもなら、俺に視線を向けるクソ上司に銀朱が理不尽にも俺を睨みつけているところだろう。
だが、流石の彼も妹に二度と会えないという事実に俯いていた。
兄妹仲はそれほど良かったとは思えないが、それでもやはりきつかったのだろう。
あのあと、俺は見覚えのない黒服たちに回収された。路地裏の賢者はいつの間にか姿を消しており、鈴木氏も一緒に行ったらしく姿はなかった。寝巻きで拉致された俺は廃ビルの屋上に置き去りにされて途方に暮れていたのだ。
なにしろ、いきなり寝床からで携帯電話でも持ってくれば良かったのだけど、財布すら持ってない状態で廃ビルの場所もわからない。
何か筋書きを考えて警察に保護してもらうしかないかと思っていたところなので、黒服たちがどかどか踏み込んできた時は何者であれ助かったと思った。
彼らの身分については分からずじまいだった。聞かないほうがいい。俺を元の別荘まで車で連れて行くまでの何時間か、会話らしい会話もなかった。俺の身分確認と連れ帰ることだけ宣言してそれっきりだ。後部座席の俺の横に一人、運転席と助手席に一人づつ座って余計なことは一言も話さない。俺の方から話しかけても無視だ。横のやつはレスリングでもやってそうな体格なので、魔力の消えてる俺では暴れてもすぐ取り押さえられただろう。
彼らのことで分かったのは最初に助手席に座ってるのは女だということくらい。それも休憩時に運転を変わった時に体つきでやっと分かった程度。声も聞いていない。俺に質問し、答えたのは隣のレスラーだけだ。
彼らに補足されていたら、土師君も仲間たちも有無を言わせず拘束されていただろう。訓練された動きから、彼らは公安関係か、軍人あたりだと思うが、比べて見たわけでもない俺にはどれかまでは分からなかった。
この移動で別荘がどの辺にあるのか分かったが、もうあんまり意味はなかった。
翌日、クソ上司、銀朱の乗った車、社長と荷運び用の軽トラが到着したのだ。
「その顔でちゃんと会うのは初めてになるね」
クソ上司の声は弾んでいた。銀朱はびっくりしたようだが、それどころではないという様子。社長は淡々と田中さんと打ち合わせて引き上げのための片付けを始めた。
「中身はいつもの俺だよ」
がっかりして変なことを言うのをやめてくれるといいな。
「そうだね。いつもの楯野君とわかるよ」
喜んでいるようなので当ては外れた。それはともかく、俺は昨晩の出来事を話すことになった。
「あの野郎」
銀朱はそう言って俯いてしまう。この野郎は多分土師君のことだろう。妹をたぶらかし、連れ去った悪い男。彼らの交際については銀朱も彼らの両親も許していただけに裏切られたと強く感じると憤っていた。
それを実感するのはクソ上司の熱のこもった視線を浴びているからだ、よほどこの顔が気に入っているらしい。俺にとっては人生を散々狂わせてくれたものなんだが。
この母ゆずりの女顔出なければ生き延びなかったとしても、生きるためにあんなことをせざるを得なかった。そして今、クソ上司に懐かれている。
視線はともかく、そんな彼女の口調はいつも通りで相変わらず辛辣だった。
俺のほうの話は終わったので、今度は俺の方から彼らに聞いた。俺が寝たり起きたりしてる間に何があったのかと。
土師君はずっと悩んでいたらしい。魔法の使えない便利な世界か、トップクラスの魔法使いとして活躍できるあちらの世界か。彼が戻ってきたのは家族がいたからだが、再会してみるともう自分の居場所はないと感じていたらしい。
金朱と彼の何が合ったのか分からないが、彼女は最初、彼を引き留めようとしていたそうだ。そのために社長は知っていた穴の閉じた後に何が起こるかという話を彼にしてしまったらしい。戻っても魔法がなくなるんだから、こっちで一緒に暮らしましょ、と懇願したらしい。
「あのクールなのがびっくりするくらいベタ惚れでね。二人の間に何があったのか知らないけど、随分波長があったんだろう。こういうもんに理屈はあんまり通らないものだ」
金朱が文献をせっせと調べ出したのがその少しあと、俺が帰化の決断をした頃より少し前からだった。
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