第5話 八百比丘尼④

 A型バリケードを並べただけの封鎖を抜けるのは簡単だった。

 ずらして通してまた元に戻すだけ。通行止めをしめす札がさがっていたようだが、もうとっくに落ちて道端で乾いた泥にまみれている。

 人の手のはいらなくなった道路には落ち葉や枯れ枝がばらばらと落ちていて、ちょっとした落石跡まであった。少し崩れただけなので手でのけられる程度の石がばらついていただけで今は問題がない。そのうちどうにもならないほど大きな岩が落ちる時がくるだろう。

 道を進むと違和感が増してきた。いや、違和感ではないな。忘れていた感覚だ。

 こいつは魔力だ。ごくごくうっすらとだけど、魔力が戻ってる。

 ためしに車の前方に薄いシールドをだしてみた。団扇くらいの面積の、軽い木くずくらいしか防げないものだとすぐにわかった。ほとんど役にはたたない。

 後部座席で新人君がほお、と感心するのが聞こえた。

「これ、見えるのか」

「「はい」」

 返事がかぶった。新人君だけかと思ったら依頼人まで。

 よくない傾向だ。魔力に感性があるということは引き込まれやすい。

 ポケットの中で拘束具がふれあって小さくしゃらんと音を立てる。依頼人にこれをつけさせておいたほうがいいだろう。

「前! 」

 警告の声であやうく倒木に突っ込むのを避けることができた。すまんすまんと謝りながら降りて倒木と車の状態を確かめた。人のほうは依頼人をかばった新人君が頭をぶつけたくらい。むちうちになってなければいいんだが。

 台風かなにかの影響だろう。上のほうの立ち木がまとまって倒れていて、その一本が勢い余ってここまですべってきたようだ。

 勢いがつくだけあって太く立派な木。社長がジャッキを積んでくれているが車用でこの倒木をのけるのにはいろいろ足らない。

 これは困った。

「あの、楯野さん」

 遠慮がちに新人が声をかけてきた。

「何か考えが? 」

「ちょっとした手品が使えそうですのでやってみていいですか」

 手品、ねえ。

「やってみな」

 そこからの眺めは魔力を感じることのできる俺にはびっくりするようなできごとだった。

 新人君が倒木に触れると、魔力でできた格子が全体を覆った。魔力量だけいえば俺のもともとに到底およばないが、今の俺や『社長』や伍堂には絶対だせない出力だ。しかも、彼はそれだけしかだしてない、というわけではないようだ。

「よっと、さすがに重いな」

 彼は倒木の山側の端のほうに手をかけると力いっぱい持ち上げた。

 いくら彼が力持ちでも、生身の人間なら持ち上がるわけがない。

 だが、ゆっくり、じりじりと倒木の根本のほうが持ち上がったのだ。

 そのまま上のほうにつきあげると、倒木は重力に従って戻ってくることもなくゆっくり回転して沢のほうへ転がった。

 覆った魔力が消え、重い音をたてて倒木は沢に落ちた。

 シールドの専門家だからわかる。これは遮蔽の魔術だ。今回は重力を遮蔽している。だから自由落下状態になった倒木は押されたままに動いた。

 うん、本調子なら俺にもできることだよ。四天王だし。

「土師さん、いまのなんです? 」

 驚いた女子高生の目は好奇心に輝き、そして見知らぬものへの警戒心も宿っていた。

「手品です。種はあかさないよ」

 その手首に俺は拘束具をかけた。

「これは? 」

「お守りだ。助けてもらってなんだが、その力は制限しておいたほうがいい。わけはあとで話す」

「いいですけど、必要なときははずしてくださいよ」

「必要ならな」

 こんな倒木はそうそうはないだろう。たぶん。

 …結局二回はずして二回はめなおした。最後には苦笑いされてたな。

 それでも、まだ日の高いうちに村には到着できた。

「あんまり荒れてないな」

 廃村になって長くないせいなのかも知れないが、山肌にうねる道路にそってぽつぽつある家屋はどれも、ただ留守なだけのように見えた。

 廃村らしいと言えるのは落ち葉などのゴミの散った道路と、草ぼうぼうの段畑と、びっくりして逃げていく鹿。

「おばあさんの家はどれだい」

「言う通り進んで。指さすより確実につけるから」

 それだけ道を間違えやすいということらしい。

「了解、ナビよろ」

 右にいけ、そこは左、そっちじゃない。そんな感じでうねうね砂利道をあがっていくと、急に目の前がひらけた。

 なだらかな谷間がひろがって、少し高いところに大き目の農家が見える。

 ありえないものが聞こえたのはその時だった。

 数人の子供が笑い声をあげながら車の横を走り抜けていった。

 見慣れない簡素な服装の子供二人が棒きれを手に彼らを追ってすれちがっていく。その来たほう、先ほどまでは緑深い緩やかな谷あったところには時代めいたかやぶき屋根の家屋と、満開の桜が見えた。

「二人とも、目をぎゅっとつぶれ」

 俺もこういうのは二回目だ。その時はクソ上司と一緒だった。こういう時はどうするのか、教わったことは忘れていなかった。全員でやらないといけないので俺も目をぎゅっとつぶる。

「開け」

 目を開くと谷間は元の姿を取り戻していたし、子供の声は聞こえず蝉の声だけがもどってきた。

「今のは? 」

「端的にいって、神隠しにあいかけてた」

 二人とも目をぱちくりさせていたが、それ以上は突っ込んではこなかった。

 前の時よりはっきりしてたし、規模も大きい。ここはかなりやばいぞ。

 とにかく、さっさと片付けてしまおう。

「おばあさんの家につけるよ」

 その家がかやぶき屋根というのは前庭に乗り込もうとする直前に気付いた。よく手入れされている。ふきかえは屈強な男でも一人でできることではないだろう。ましてやここには孫のいる老人が一人で住んでいるはずなのだ。

 車を前庭にいれると、放し飼いの鶏がびっくりして威嚇するように翼を広げたり走って逃げ惑ったりする。

「おばあちゃん、いる? 沙織だよ」

 依頼人が降りて呼びかけたけど、大きな農家の建物は静まり返り、落ち着きを取り戻しだした鶏たちの静かな声だけが聞こえた。

「蔵かな」

 横を回り込んで裏にまわると、とどまらぬ水音と日陰の湿り気を含んだ涼しさにひやりとする。

 胸ほどの高さのある水槽になみなみと水が溜まって一か所低く刻んだところから滔々と流れている。湧き水を引いているらしい。水のおちるところにはポリバケツがおいてあり、やはり水があふれている。ひしゃくや洗って干した古い鍋がおかれている。そこを挟んだ向かい側には年月と自重で少し潰れた古い蔵が二軒ならんでいた。片方は扉を固く閉じているが、もう一つは長らくあけっぱなしのようで中には裸電球とおぼしい光に漬物の樽などがならんでいるのが見える。

 依頼人の少女はもう一度呼びかけた。今度はのんびりした返事が遠く聞こえた。

 とても女子高生の孫がいるとは思えない女だった。

 キツネ系の顔は血のつながりを感じるが、肌はたるんでおらず皺もほとんどない。目じりにうっすら鳥の足がみえているくらいだ。腰も曲がってないし声にも弾みがある。染めているのか白髪もなく、赤銅色の髪はあまり見ない結い方で農協のロゴのはいった手ぬぐいで覆っている。もんぺの上から白い割烹着を着た姿は、依頼人の祖母とは思えず、せいぜい母親くらいの世代とみるのが関の山。

「あれま、お客さんカエ」

 俺と新人を見て見ると驚き微笑む。なんというか、表情が豊かで愛嬌があるな。

「嬉しいことダエ。さあさああがっていって頂戴な」

 髪をつつむ手ぬぐいをほどきながら彼女は上機嫌に先にたった。

「お客様があるとわかったら牡丹餅でもついておいたのに」

「だって、電話がもう通じないんだよ」

「電話がだめでも他に方法があるでしょう」

 依頼人と「おばあさん」はそんな会話をしている。

 線香のにおいのしみついた座敷で僕たちはお茶のもてなしを受けた。藍色地の水玉模様の茶碗で丁寧に扱われているが結構古いものだ。

「楯野優作です」

「土師道雄です」

 名乗って会釈すると「おばあさん」は目を丸くした。

「男らしくってよいお名前ダエ。あたくしはヤマブキともうします。沙織とはどのような御関係でございますカエ? 」

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