第6話 八百比丘尼 終

「それはわたしから話すよ」

 依頼人、桃山沙織が流れをひきとってくれた。ヤマブキとなのったおそらくは異世界人の女は「ほう、成長したね」といいたそうな顔。

「そうかエ。ちょっと腰を据えねばならん話のようだエ。どうぞあがっておくれ。お茶でも出すとしよう。お客様があるとわかったら牡丹餅でもついておいたのに」

「だって、電話がもう通じないんだよ」

「電話がだめでも他に方法があるでないかエ」

 他の方法ってなんだ? 依頼人は気がすすまないという顔だ。

 線香のにおいのしみついた座敷で僕たちはお茶のもてなしを受けた。藍色地の水玉模様の茶碗で丁寧に扱われているが結構古いものだ。

 お茶は普通のもののように見えたが、ここは異界と現世のはざまだ。ここで出されたものは口にしないほうがいい。

 桃山沙織とヤマブキばあさんとの話は、想像通りで退屈なものだった。といっても勝手なことをするわけにもいかない。あくびを噛み殺しながら聞いているしかなかった。

 二人の会話は押し問答に近かった。心配と家族の負担を盾にここを離れるよう懇願する孫と長年まもってきた家と墓を捨てられない祖母。

 あーうん、こういうの見たわ。魔王軍(当時)がせまってるから避難を促す若者とここで死ぬという老人。あの時は三人くらいで抵抗するのかついで急いで逃げたっけ。あの時のことがありあり目に浮かぶ。

 懐かしいね、と思った俺はおかしいと思った。退屈でも眠い話でも、さすがにこんな白昼夢を見るまで意識が遠ざかるのはおかしい。

 がちゃんと音がした。隣の新人がくずおれている。意識がないようだ。彼の前のお茶は半分に減っていた。畜生、もっとちゃんといっとくんだった。

 ぱあんとはじける音がして、桃山沙織の手首にはめた拘束具がはじけている。その背中になにか薄く半透明のきらきらしたものが見える。ゆっくりゆっくり羽ばたいているそれは、蝶の羽根のようにも、たなびく天女の羽衣のようにも見えた。

「ばあさん、この茶はなんだ」

「ただのドクダミ茶だヨ」

 絶対嘘だ。

「香りだけで意識が飛びそうになるドクダミ茶なんか知らないぞ。一服もったのか」

「とんでもない。滋養強壮にいい薬草茶だヨ」

 体にいい、は解釈次第だな。

「沙織、すまないがこのお兄さんを奥に連れてって寝かしておやり」

「わかった」

 彼女が土師の体を担ぎ上げて運んでいくのは脅威だった。本人が意識してるかどうかわからないが、魔力で膂力を引き上げている。あと、重心の使い方がうまい。こういう力技に慣れているな。

「さて、とお話しようかエ」

 ヤマブキばあさんはよいしょっと立ち上がった。

「あんたの用事のあるもの、見せてあげるヨ」

 ついておいで、と言う。俺はポケットの拘束具をいじりながら後に続いた。 

 靴をひっかけ、ついていった先は蔵の前だった。

「のぞいてごらんヨ」

 指さす先は蔵の中。薄暗い中に漬物の樽などが見えている。

 どれくらい離れているのだろう。その先にぽつんと明るいところが見えた。

 「穴」だ。ここにあるのか。

「しまった」

 ふいに小さなが手がいくつもおれにすがってきた。目を閉じて開いても消えない。ここは異界の影響が強すぎる。ほぼ異界だ。

 来るときみかけたあの子供たちが俺にすがりついていた。みんなにこにこしている。全員、さっき桃山沙織がしょってたような妖精の羽根つきだ。

「一緒にいこう! 」

「ねえねえ、おねがいだから」

 そう言ってる間に蔵の中にも異変がおきていた。

 遠かった向こう側の穴がずいぶん近くにきていて、蔵の反対側にも出口があるようになっている。その向こうには見慣れぬ植え込みとこの国では絶対にない村が見えていた。

「どうだエ。あたしの婿にならんかエ? この村の復興を手伝ってほしいのサ」

 ヤマブキばあさんはよいしょっと腰をかけた。

 異界の気配が強くなるにつれ、もともと老婆とは思えなかった風貌がどんどん若返っている。孫の女子高生とよく似た顔だが、ずっと明るく華のある顔だ。

 やべぇ、これ魅了が働いている。

 何か勝算があったわけじゃあない。ただ、俺の中に彼女の魅了で惹起された魔力が暴れ始めているのをなんとかしたかった。

 俺は拘束具を自分の手首にかけた。

 一呼吸しかもたなかった。拘束具は沙織につけたのと同じようにはじけた。だが、十分な時間だったと言える。

 俺は再度湧いてきた魔力を整え、全身を覆うシールドをはった。これくらいのものでも実に久しぶりの感覚だ。子供たちは縋りついて今でも魅了を助ける声をあげているので、これ以上何もできないので本当にしのいだだけというところなんだが。

「あれま、つれねえことだエ」

「あんた、こうやって時々、誰かを連れ込んでいたのかい」

「気にいった男だけサ」

 そいつはどうも遠慮するけど光栄なこって。

「桃山沙織さんは孫じゃないな」

「ひ孫だヨ。最後の旦那との子の孫サ。どっちもとっくに墓の中サ。みんな先に死んでしまうのは悲しいことだけど、ちゃあんとみんなことは覚えているヨ」

 彼女がアンカーなのは間違いない。だが、何がここにつなぎとめているのかなんとなくわかってきた。

「あんたいったいここで何年すごしたんだ」

「忘れたヨ」

「異界とつながっていると、どっちにもよくないってわかってるのか」

「知ったことじゃないサ。なに、たいしたことにはならないヨ」

 クソ上司、クソ上司、あいつが言ったことが本当かはわからない。だが、このままではまずい。

「あっちでは、悪そのものがはびこってないか。わかりやすい圧制者や、邪悪な魔物を兵士に使う征服欲の強い魔法使いや」

「あるね、こっちも一緒だロ? 」

「それが悪影響だ。ここをふさげば時間はかかるが平和になる」

 もともとあちらにあるものはなくならない。が、相乗効果で起きてる被害はなくなる。どういう根拠があるのか、クソ上司は確信をこめてそんなことを言っていた。

「知らないヨ。あたしは愛するもののためにここに居続けるんダ」

 もう、そこにいるのは薄汚れた農婦ではない。絶世の美女が輝く羽根をしょって俺に蠱惑的な笑みを向けている。

「だからこっちにおいでヨ」

 このままでは時間の問題だぞ。くっそここで堕ちて後で回収されることにでもなったらクソ上司と五虎将崩れの伍堂に何を言われるか。

「おばあちゃん、これはいったい」

 桃山沙織の声がした。相変わらず羽根しょってるが、それを自覚してないのかいつも通りの感じだ。

 その後ろに意識を取り戻したらしい土師がいる。俺の様子にちょっとおろおろしてるのがわかった。

「沙織、この子たちは遠い親戚だエ。怖がることはないサ」

 ヤマブキは俺から目を離す気はないようだ。蔵の中から魔力の太い光が彼女につながり、それがさらに家の中の何かにつながっているのがはっきり見えた。

「道雄、蔵の中からの流れが見えるか」

 それまでは「土師君」とか呼んでたのに、名前呼びしてしまった。われながらヤクザの兄貴分風味のある呼び方だった。

「見えます」

 彼の手首の拘束具もはじけている。

「つながってる先を確かめろ。家の中だ。見つけたら、遮断しろ」

 できるだろう?

「承知」

 彼は家の中に駆け込んでいった。

「おばあちゃん。ここを出よう。うちに来て」

 沙織は子供のように懇願している。

「すまないね。それはできないヨ」

「お願い」

 涙声で懇願するひ孫にヤマブキは「まいったね」と悲しそうに微笑んだ。

「沙織、気づいていると思うけどあたしはよそ者サ。ほだされてここにいるけれど、ここにしか居場所はないし、いつかは帰らなきゃぁいけないのサ。聞き分けておくれヨ」

「おばあちゃん。みんな待ってるのよ」

「みんなのことは気になるサ。でも住む世界が違うんだヨ。これまでも子供たちを何人も送ってつらかった。連れて行きたいけど、今連れて行けそうなのは沙織、お前だけだヨ」

 子供たちが増えた。沙織のまわりにあつまって「行こう! 行こう! 」「帰ろう! 」と叫びだす。

 増えた子供たちの一部は土師をおっていった。

「道雄、急げ」

 聞こえるかどうかわからないが、俺は怒鳴った。俺の力の大半は召喚された時の魔法陣の中に封じている。できることがあまりにも少ない。

 だが、あれを解放するとこの世界全体にかかった魔封じによって圧殺される。クソ上司の言葉はおそらく本当だ。

「あの若いのはお前の婿にどうかエ? 」

 勝手に話を進めるヤマブキ。

「つらいことは忘れナ。ばあちゃんはさっき知ったヨ。あんたを俗世においておくことはできないヨ」

 おい、がんばれ説得係。なぜだまりこむ。なぜうつむいて泣きだす。

「さあ、おいで」

 ひ孫を気遣いながらも彼女は俺から目を離さない。万事休すか。

 そのとき、ちーんと大きく鐘の音が聞こえた。仏壇のやつを誰かが強くたたいたかのようだ。

 どっと何かが家のほうからおしよせてきた。光って見づらいがそれは様々な時代の様々な年代の人間の群れのようだった。実体では断じて違う。

 その光の奔流があっという間に俺も俺にすがりつく子供たちも、桃山沙織も、ヤマブキものみこんだ。

「あんたたち! 」

 ヤマブキの歓喜に満ちた声が聞こえたと思う。

 奔流に俺は押し倒された。大勢の光る人影が俺を踏んづけ、踊るようにして蔵の中に消えていく。実体ではないので重くはないが起き上がれなかった。

「楯野さん」

 さっきまでまぶしいものだらけだったのが嘘のようにあたりは薄暗くなっていた。そういえばもう夕方じゃないか。

 母屋からできた土師が心配そうにしている。蔵の奥にはもう壁しかない。ヤマブキも消えてしまった。

 なにより、先ほどまでびんびんに感じていた魔力が一切消えていた。

 穴は閉じた。ほっとした。

 土師の心配そうな視線は起き上がった俺から倒れたままのもう一人にむいていた。

 桃山沙織は意識を失って倒れていた。

「よくやった」

 まずはねぎらう。土師が動けていなければ全員危なかった。

「沙織さんが……」

 首筋、口元を確認すると息はしている。

「おそらく気絶してるだけだ。ここじゃなんだから家に運ぶか」

 ぐったりした体は少女といえど重い。それをさっきとちがって昏い家の中に運び込んでこの家の灯りが普通のものじゃなかったとわかった。

 動いているのは彼女の従兄のユウ君が設置したんであろうこ小型冷蔵庫くらい。

 仏壇には蝋燭があったのでそれを灯した。

「さっきの流れ、ここにつながっていました」

 まだ彼女が目をさまさないので土師がもってきたマグライトをつけて案内してくれたのは仏壇の後ろに作られた小部屋。すぐわきの襖戸をあけないと入れない。

 何段も棚があり、そこに粗末なものから豪華なものまで位牌がならべてある。どの位牌もなぜか割れていた。

「この部屋を魔力遮断したら、何かに押し倒されて……」

 気づいたら蔵の前で二人ほど倒れ、家の主はいなくなっていたと。

「あれは、この人たちだったんでしょうか」

「たぶんね。本当のアンカーはあのばあさんじゃなく、ばあさんの未練だったんだろうね」

 土師は黙り込んだ。自分の未練がアンカーになってるのは自覚してるんだろう。

「どっちにも未練のある人はどうすればいいんだろう」

 ぼそっとそんな言葉が聞こえた。

 悪いが、俺はそれに対して何もいってやれないよ。

 奥の間のほうで、寝ぼけたうめき声が聞こえた。

 どうやら桃山沙織が目覚めたらしい。


 チェンジリング、というらしい。

 目覚めた彼女はまるで別人だった。よく言えばクール、悪く言えば表情にとぼしかったのが嘘のように表情豊かになった。ちょっとしたことで驚き、喜び、そして怒った。元々こんなもんだった、と本人はいうがどうも信じられない。

 専門家のクソ上司に問題ないかの確認と称してきくと教えてもらったのがチェンジリング現象だった。

 異界への移動は徐々にあちらにあわせて変化しないと無理なのだが、何らかの強制力で無理矢理移動させられた場合、魂だけあちらにいってしまうらしい。向こうに行った魂がどうなるかは状況次第なので今回もどうなったかはもう確かめようがない。

 だが、残った肉体は死んではいないので失ったもの、つまり魂が補填される。

「おそらく、もともとその人のもってた人格ペルソナの一面が支配的になるだけよ。でも、それではちょっと理解しにくいケースもあるので、あちら側のさまよう魂と交換になってるって仮説もある。どっちにしろ実例が少なすぎてなんとも言えない」

 彼女の今後については留意してくれるらしい。

 放棄のきまった桃山家の家屋の整理をざっとすませた翌日、俺たちは下にもどっていった。ヤマブキばあさんがあちらから持ち込んだらしいものは全部だめになっていたから捨て、太陽光パネルは勝手に発電するので冷蔵庫などはそのまま運転させ、あとで桃山家のほうで処分にくることになった。そういうのは伍堂が得意なんだが、形見分けと供養もかねて親族だけでやるということだ。

 沙織は駅で降りて土師と一緒に帰るという。じゃあ、俺は車を返して報告いれて壁の薄い我が家に直帰だな。

 駅前はまぶしいほど真っ白だった。

 色あせた駅前には真夏の強い日差しを避けるところがない。誰もいないバス停には屋根のあった痕跡があるが今はもう枠しかなく、看板の文字も読めない店はどれが営業していてどれが廃墟か近づかないと判別できそうもなかった。

「では、お世話になりました」

 にこやかに頭を下げる彼女、土師は何かいいたそうだが結局何もいわなかった。

 わりとへたれだな。目元の険はだいぶやわらかくなっている。

 広場を車でぐるりとまわって街道にでようとしたとき、唯一赤く彩りのあり自販機のところでまた押し間違えたのか地団太をふむ土師とけらけらわらっている沙織の姿が目にはいった。

 下世話な大人たちの思惑はともかく、あの二人は友達にはなれたと思う。

 俺はラジオのスイッチをいれ、気分にあう音楽をさがした。

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