第7話 路地裏の賢者

「子連れのホームレス? 」

 そりゃ珍しいな。行政ががんばるのかそういうのはあんまり見ない。

 だが、それがどうしたというのだ。

 伍堂は断られると思ったのか、声をひそめて深刻そうにいった。

「どこかの異世界人じゃねえかと社長が言ってんだ」

「ほう。じゃあ、さっさと拘束して調べりゃいいだろ」

 拘束具はこいつも二つ三つもってるはずだ。俺も常時持ち歩くことにしている。

「ところが、そいつはどうもどこかに『穴』を隠してるらしくってな。子供は時々そっちから来てるんじゃないかって『社長』がいうのよ」

 いらいらしてきた。

「要点をいわないなら俺は行くぜ。佐奈子のやつが黒服のバイト紹介してくれるんだ」

 佐奈子というのは前に伍堂と一緒に捕まえた淫魔だ。昼はクソ上司のところでお茶くみなどやってるが、夜は水商売をやっている。淫魔だから目的はまぁそういうことなんだが、店の人手がたりないらしく俺にも声をかけてきたというわけ。

「ま、まってくれ」

 いつもふてぶてしい伍堂があわてるのはなかなか痛快だった。

「十秒だけまつぞ、要点を言え」

「俺のかわりにその爺さんの監視をしてくで」

 あわてて早口でいうものだから、最後おもいきり噛んでやがる。

「条件をきこうか。時間と、報酬」

 つりあわなかったら黒服バイトだ。

「このあと九時から翌朝六時まで。報酬は社長から出るのと俺からの迷惑料で時間あたり二千」

 ほう。

 ほうほう。

「よし俺たちは友達だ。引き受けよう」

 徹夜はきついが二万近くになる。引っ越しまではできないが、ちょっとだけ生活水準があげられそうだ。

「おう、わかりやすい友達でこっちもうれしいよ」

 やかましいやい。そんなに顔に出てたかな。

「なんか大事な用事でもあるのか? 」

 まあ、そんなところだと目をそらす伍堂。こいつの私生活は知らんが、何かにいれあげているらしいというのは事務所の仁さんから聞いたことがある。彼の任務は俺たちの監視でもあるから、そういうことには詳しい。

「そ、それはいいだろう。とりあえず俺が貰ってる情報とここ二三日の監視で気づいたことを引き継ぐぞ」

 追及されるのが嫌なのか、伍堂は大急ぎで話をそらした。


 社長はカップ酒持って座り込んでいた。洗ってない作業着でスポーツ新聞こわきに抱えてラジオに聞き入っているふりをしているのは仕事にあぶれて馬券売り場に行きましたという風情。

「おう、やっぱおめえがきたのか」

 伍堂から話を通ってると聞いていたので、社長が驚きもしなかったのは予想通りだ。

「あいつだよ」

 目で示す先には油でてかてかした背広のなれのはてらしいのを来た白髪の爺さんがパリッとした格好の中年からタバコをもらっている風景だった。

 爺さんのいるのはベンチを一つ置いて、植木一本、それに説明らしい看板のたった小さな公園というより休憩スペース。すぐ横に公衆トイレもある。

 中年はどこかのえらいさんのように見えた。小さな会社の社長とかだろう。

 それが爺さんにタバコをおごってなにか話をしている。

「通称、路地裏の賢者。元がなにものだったかわかんねぇ。なんだかわかんねぁが手土産片手に相談に来るやつが後をたたねぇんだ」

「現金じゃなく食べ物とかってのが安上がりですね」

「ボスの見立ててぢゃぁ五分五分より高い感じで異界人ってことだぃ。ただ、アンカーじゃなさそうってこった」

「前から思ってたが、あの女なんでそんなことがわかるんだ」

 召喚術を使うし、あれがこっちの数少ない魔法使いなんだろうなとはわかるんだがそんなら俺たちみたいなの呼びつけず自分でやれよと、不満も出ている。主に俺だが。

「伍堂みたいなパワー馬鹿ならともかく、おめぇにもわかんねぇか。おれぁあきらめたけどな」

 一度はどっかの世界に実力で君臨した野郎の言葉には聞こえないが、このおっさんわりと平気でうそつくから鵜呑みにしないほうがいいだろう。

「あの猪武者には見張ってろとだけ言ってたみたいだが、俺には教えてくれていいかな。何をさがせばいい? 」

 社長は決まってるだろ、という顔をした。

「『穴』だ。人目につかない時間に子供を連れてるって聞くが『穴』のむこうから連れてきてるかもしんねえ。その現場を見つけてくれりゃぁいい」

「手がかりになるようなもんでもいいと」

「そゆこと。その判断は伍堂にはちぃっとむずかしいんで目ぇ皿にして細大漏らさず報告しろといっといたって寸法よ」

 落語の与太郎扱いだな、あいつ。

「時々、子供を連れているという話だが、それは関係あるのか」

「さあのう。監視を始めてから一度も見ていないから本当に子供かどうかわからねぇ。だが、いたりいなかったりするのだからどっかから連れてきてんだろうよ」

 確証はないが、疑っている。そういうことか。

「わかった」

「頼むぜ。期待していいな」

「それは運次第だな」

「じゃあ、幸運を祈る」

 で、俺は社長と交代した。

 ホームレスの爺さんはそれから場所を何回か変えて、公園や河川敷で数人の人と話をして、食べ物や飲み物をもらってご機嫌にすごしていた。彼と話をしにきた人間の中には企業の要人のようなどこか威厳をたもった人物もいたが、学生らしいちゃらい感じの若者が一人だけで会いに来ていたり、どうも有名人らしい顔をかくした女性が深刻な様子で話をしにきたりしていた。受け取ったものもお菓子、タバコ、ジュース、コンビニ弁当といったものでなぜか酒は受け取っていない。

 日付もそろそろかわるし、そろそろ終電という時間に彼があったのがその晩では最後の人物で、不健康そうな中年のサラリーマンだった。だいぶよっていて、足元もふらふらだ。会った場所も駅前の街頭で爺さんが声をかけるとふらつきながらも約束を思い出した体で手にもっていたドギーバッグを彼に突き出した。

 残り物とはいえ、よほどのごちそうがはいっていたのだろう。確かめた爺さんはご機嫌で何を言ってるかは聞き取れないが口数が多くなっているようだ。

 対してサラリーマンはますます死にそうな顔になっていく。大丈夫かこれ、と他人事ながら気になってくるくらいだ。

 他の接触者同様、この男の顔も写真におさめておく。撮影に使ったスマホは社長が貸してくれたもので、彼のコネで改造したというシャッター音のしない大変悪用されそうな一品。

 終電の時間が気になる男は、爺さんとの話を切り上げにかかった。

 異変を感じたのはそのときだった。

 世界的な魔力封じがかかっているはずのこの場所で、わずかだが魔力の動きを感じた。こんなのはどこか『穴』の近くでないと起きない。

 だが、さっきまでそんな気配はなかった。

 サラリーマンの顔色はますますひどいものになった。それなのに魔力の動きを感じた後、表情だけなにかふっきれて晴れやかになったようだ。

 駅の建物にはいっていくその背中に、矢羽根のようなものが見えたのはたぶん気のせいだ。

 彼をほうっておいてはいけない。そんな気がした。

 爺さんも目的は達したのかすたすた足早にまるで反対の方向に歩いていく。

 正直、迷った。

 迷ったが爺さんを優先することにした。あのサラリーマンのことは気になる、だからつけながらぽちぽちクソ上司に写真つきのメールを打った。

 爺さんが横の路地にすいっと入った。迷っている暇はない俺も続いてそこを覗き込んだ。

 袋小路だった。爺さんの姿はない。ただ、ここに面してどこかの店の裏口らしいのが三つ見えている。

 撒かれた。

 店の表側は表通りだ。飛び出して左右見たが爺さんの姿は見えない。三つ目の、つきあたりの裏口は通りの反対側に表があると思う。

 当たり前のようにおれは爺さんを見失った。

 してやられた、と思ったが、俺はあきらめる気はなかった。

 だめもとで俺は裏口を叩いて回った。店のものがでてきたら爺さんの写真を見せて、反応次第では締め上げる。そういうのは五虎将崩れの伍堂のほうが得意なんだがあいつはいまここにはいない。

 二つまでは完全に白のようだった。財布を盗まれたといった俺に同情し、警察にいくよう勧めてくれた。

 そして最後の本命、反対に通じる裏口を叩くと、まったく無反応だがはずみでドアが手前にゆれた。開いてる。

 罠を疑ったが、いざとなったら拘束具もある。以前、アンカーの婆さんに壊されたものよりより強化したやつだ。穴の影響が強いほど威力をいや増すという。危険なので通常の拘束具でどうにもならんときだけにしろと釘をさされている。

 開けたとき、何かがぷつんと切れる気配がした。同時に、ちりんと鈴の音。

 ぴりぴりとしたものが肌を焼く。あたりに魔力が満ちた。わずかに回復した魔力を使って俺は薄く自分を守る膜を張った。

 あたりは静寂に包まれていた。

 何がどうなったかわからないが、自分が異常事態に巻き込まれたのはわかった。

 表通りには誰一人通ってはいない。灯りはついているが人間だけいなくなっている。

 これはどういうことだ?

 俺に人間が見えなくなったのか。

 それともここは現実に似せているだけのどこか違うところなのか。

 開けた扉の向こうは真っ暗な厨房だった。こっちは灯りもついていないから本当に人間はいないんだろう。しかけてあったと思われる鈴は足元に落ちていた。もって帰れるなら、もって帰ったほうがいい。拾い上げ、昼間しゃぶってた干し梅のあき袋にしまって、それから思い付きで拘束具をかけてみた。ただの鈴だったら何もおきないし、小さすぎて縛れないだろう。

 拘束具は機能した。ぎゅっと大き目の指輪サイズにまで縮んで鈴を締めている。こいつはこれでいいだろう。こいつの正体は考えないことにする。そのへんはクソ上司に丸投げだ。役に立ってもらおうじゃない。

 それから人がいるはずの表通りには出ないようにして見える位置に移動した。

 人間が見えないだけなら、人間は見えなくても影響は見えるだろう。

 風がひゅうっと吹き抜けていった。どこかから飛んできた紙が人にぶつかることもなく舞い踊り、その一枚が俺の足元に舞い込んでくる。

 なんの紙だろうと拾い上げると少し分厚い手触りのやわらかな紙。

 その紙面を見た俺は自分が顔をしかめるのをしっかり自覚した。

 何が書かれているかわからん。

 見たこともない文字で、儀式用と思われる円陣がかかれ、おそらく何かの名称らしいのが放射状にならび、中央には手形がおされていた。どう見ても人間の手ではない。

 さっきの鈴の一鳴りでどうやら異界かそれに近いどこかに引きずり込まれたらしい。

 まだ認識疎外で人の姿が見えないだけかも知れない。おそるおそる表通りに出て俺は手がかりを探すことにした。

 俺の推測では、鈴を落としてしまったがあの爺さんはあそこからここに入ったのだろう。ホームレスまるだしのあの姿で店の中を通り抜けたら目立ってしかたあるまい。だからたぶんここを通って、おそらく別の場所にある出口から出た。

 それを探そう。

 無人の町を一時間近くさまよった。だんだん店の灯りが落ちているのは実際の店舗に連動しているらしい。おそらく本当にちょっとしたことで戻れそうな気がする。

 だが、ここまでで通常と違うものは二つしか見つからなかった。

 一つあの紙の飛んできた場所。

 歩道に小さくお札のようなものが杭にうちつけられており、飛んできた紙はそこに五寸釘で打ちつけられた紙の束だった。

 その前には黒ずんだ血のようなしみがあって、そこにぺたぺたと小さな足跡がついている。指の感じが鳥類めいていて、あの手形と同じような生きものだと思われる。手があるのだから、異界の亜人の一種なのかも知れない。

 もう一つは代り映えはしなかったが、もっと古いものだった。駅のホーム、列車先頭方向にある線路わき。打ちつけられた紙はもうほとんど残っておらず、杭もかなり朽ちている。

 これはなんだろうか。呪術的な何かに見える。そしていやに不吉だ。

 車や列車もここでは見当たらないが、なぜか自動販売機は動く。

 駅で持たれる形式のベンチでコーヒーを飲んでいるとホームのあかりがぱっと落ちた。終列車がいってしまったらしい。

 しょうがない、あの壁の薄いアパートに帰るか。

 歩くと結構あるんだけどな、となかなか動き出せないでいて、二本目の飲み物をどうしようかと迷っているときに、俺は初めて自分以外に動く気配を感じた。

 さっきのお供えのあったのとは反対のホームのほうになんかがいる。

 暗くてよく見えないが、魔法が少しだけ使えるので視覚強化で猫の目をかけ、念のためちょっと位置を離してホームの下をそっと覗いてみた。

 まず、目を引いたのは真っ白な紙がはためいているもの。

 ここまで見てきたものとは全然ちがって杭も紙もまあたらしく、墨痕も鮮やかだ。

 そして、ホーム下の退避ゾーンに小さな人影。

 子供くらいだが、頭がみょうに大きい。そして三、四人うずくまって息をひそめている。

 ぞくっとした。

 なんだかわからないが、あれはかかわってはいけないものだ。

 いきなりあそこで覗き込んだりしなくてよかった。

 じりじり、感づかれまいと足音を殺して俺は後ずさり、そして逃げた。

 今更足音殺しても意味はないだろうというのはアパートに帰り着く前に気付いて少しおかしく思った。あいつらも何かいると思って警戒していたのだろう。あの不吉な生きものたちが何者だったかは、あんまり知りたくはない。

 明け方近くになって馴染んだ煎餅布団に潜り込んで目が覚めると昼近くになっていた。

 喧噪が戻っている。どうやら寝ている間に戻ってこれたようだ。

 スマホを見ると、社長とクソ上司から心配するメッセージが大量にはいっていた。

「楯野君が無事でよかった」

 クソ上司に電話をいれると、気味が悪いほど心配された。

 詳しい報告と、鈴を渡すために彼女の池袋の事務所にむかうと、社長と伍堂もいてそろって尋問されることになった。正直に全部話し、鈴を渡すとクソ上司はそれを見て大きくため息をついた。

「それが何かわかるんすか? 」

「詳しくは調査をまたないと、だけどなんとなく見当がつく。話すのは確信がとれてからにして。それから、あなたの送ってきた写真の男だけど」

 クソ上司がこんなに女らしく見えるのは初めてだった。今までの粗雑な扱いがなんだったんだと思うくらい気遣われている気配がある。彼女に心配されているというのはあまりにも不慣れな体験で、居心地悪い。

 それだけで本当に危なかった、ということなんだろう。

「彼は大丈夫ですか」

 クソ上司はかぶりをふった。

「今朝、通勤時間にホームから落ちて死んだわ。簡易ホームドアだったから乗り越えるのは簡単だったみたい。駅は二月駅よ」

 それは、昨晩俺が缶コーヒーを飲み、小さな人影を恐れて逃げた駅だった。

 社長が調べてくれたのだけど、他の二か所も死亡事故のあった場所だった。

 あの小さな人影は、なぜ血だまりのあとにあいつらの足跡があったのか。考えたくないがそれがどうやら当たりのようだ。

「生贄ね。あの爺さんはたぶん異界の神官よ。それも血なまぐさい古代祭祀の」


 この事件はこの時はここで尻切れとんぼで終わる。

 路地裏の賢者、あの爺さんはその日を境にふっつり姿を消したからだ。

 あの時俺の迷い込んだ人のいない世界のこともわからない。クソ上司にはわかっているようだったが、話してくれることはなかった。

 そして次の展開は数か月かけてあの鈴の調査が終わるのを待たなければならなかった。

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