第8話 鬼族①
「そいじゃあ始めようか」
スキンヘッド、半裸のたくましい男が指をこきこきならしながら進み出た。
応じる伍堂は無言で前に進み出た。素手ででの戦いと言うことで、二人とも寸鉄一つ帯びてもいない。
場所は本堂もつぶれてしまった廃寺の前庭。たちあっているのはあのスキンヘッドの子分のスキンヘッド集団と俺。
「わかってると思うが手出し無用だぞ」
「そっちこそな」
それからひどい殴り合いが始まった。二人とも、正確に正中線を射抜く打撃を放つのでかわすのではなくいかにダメージ少なく受け流すかの技術の応酬となる。
無傷というわけにはいかない彼らは目の前でどんどんぼろぼろになっていった。
なんであんなところで、頭の悪い殴り合いにつきあうことになったか。
ことは一週間ほど前の池袋。クソ上司のオフィスにさかのぼる。
「伍堂君」
クソ上司はあいかわらず派手だ。今日は脱色した髪をドレッド風味にして、やたら高級とわかるビジネススーツにあわせてる。これでまとまって見えるんだからどういうセンスの持ち主なのか。
その彼女の前で小さくなってるのは一見デブオタの伍堂。
「佐奈子ちゃんとよろしくやるために楯野君に仕事を代わってもらったそうね」
やつがちらっとこっちを見るから首をふった。少なくとも、俺はいってねぇぞ。
「お、俺は真剣にお付き合いをですね」
おいおいあの五虎将があたふたいいわけしてるぞ。あいつオタっぽいが武闘派のはずなんだが。
……いや、正直にいおう。俺もあの立場だったら大差はないと思う。あの女、俺のかつてのボスなみだ。いろいろね。
「淫魔相手にまじめなおつきあいとは何の冗談かしら、楯野君が危ない目にあってる間、あなたは佐奈子ちゃんの晩御飯になってただけよ」
彼女の世界の淫魔の生態は知らないが、俺の世界にいる夢魔の親戚だとしたら食欲と性欲はきっちりわかれている。伍堂があの淫魔を真面目に愛するとしても、淫魔のほうからすれば食事が誘引されているだけだ。夢魔は分裂で増えると思われていたが、あれは接合で精を交換して生み出した幼生を体内で哺育していたのが親離れするだけだった。淫魔も似たり寄ったりだろう。もしかしたら佐奈子も同族との子をいま哺育しているのかも知れない。
「佐奈子ちゃんから全部聞いてるわ。あんたのは味が濃すぎるし、どこか生臭いから好意はうれしいけどごめんなさいって」
伍堂の目にぶわっと涙が浮かんだ。このバカ、あの淫魔の本当の姿を一緒に見た仲なのになにほだされてるんだ。
「前置きはこれくらいでいいわね。楯野くん、土師くん、待たせたわね。仕事の話をしよう」
彼女はそういいながら心ここにあらずの五虎将伍堂をつついた。
「おら、仕事のお話だよ。ちゃんとききな。今回の仕事はあんたむけのシンプルな仕事だからしゃんとしてね」
池袋のいつもの事務所、小さな会議室の窓から見える盆景のような小さなテラスの庭を見ていた新人が注意をもどした。彼は伍堂とは初めてのはずだが、いきなりこんなところを見せられてどう思っているだろう。
「シンプルな仕事、ですか」
もうクソ上司の言葉をうのみにしないところは見どころがある。
「そう、言って殴っていうことを聞かせるだけ。ただ、ちょっとだけ人目があるのが問題」
ほらシンプルじゃない。
殴るのは伍堂の仕事だろう。だが、人目をなんとかするのは新人と俺の仕事なのかな。
「なるほど」
うっかり言葉に出てしまった。なるほど伍堂にとってはシンプルだ。だが、俺と新人にはかなり難儀な仕事だ。
「さすが楯野君」
我が意を得たりとにっこり微笑むクソ上司。何も知らないころなら好感を持ちそうな笑みだが、俺はこいつの正体をしってる。クソ上司だ。
「その場所はどこです? 町のど真ん中だと警察に手を回してもらわなきゃいけないから俺らの手には余るんですが」
いえる文句はいっておく。
「和歌山県と奈良県の県境あたりよ」
「そんなとこ、人がすんでるんですか」
「それなりの道があって、それぞいにはところどころ集落があるわ。その集落のさらに奥に三軒ほどあってそこよ。くわしくはバイトの子に調べてもらってるから話を聞いて」
電話番号を教えるから、連絡とって和歌山市あたりで合流という話。それなら俺はここで切実な相談をしないといけない。
「あのう、ボス。そこまでの交通費は? 」
自慢ではないが、俺は新幹線の特急料金どころか、基本的な切符代すらきびしい。
でなきゃこんなところにこない。俺たちには労働基準法は関係ない。なにしろ異世界人だからな。
「ああもう、それくらいなんとかしなさいな」
ほんとクソ上司だな。
「しようとしてるとこです。交通費は先にください」
「あなたたちも必要? 」
彼女は他の二人に話をふった。
「走っていけというならいけますが途中の食費を。行きかえり現地分で一か月分ほど」
「あとから領収書精算でもいいですけど、出した領収書の分はちゃんと全額いただかないと」
あの女がため息ついて「ああもうっ」と半分きれるのはちょっといい眺めだった。
「和歌山市までのきっぷはこちらで用意します。日付だけきめてちょうだい。それから、あちらでの活動資金はバイトに預けてるから都度請求してね」
ちっ。特急料金こみでもらったら夜行バスでいって差額錬金術を使おうと思ってたのに。
まだ、払い戻してという手もあるがどうせ当日渡しにするんだろう。素直にのったほうがよさそうだ。
「うおう、こりゃすごいな」
新幹線の車窓風景にはしゃぎぎみな伍堂を俺は笑えない。
まったく同じ感想だからだ。新人はのったことがあるから驚く様子もないが、意外そうな顔はしている。
「乗ったの初めてですか」
「俺も伍堂もこっちにきて三年くらいだよ。機会がなかった」
旅行したくても赤貧でぴーぴーいってたしな。
伍堂は食い物さえあればどんな遠くでもいけるようだけど、俺は遠慮したい。
「穴は召喚者からあまり離れたところにはないらしいので、興味もなかったな」
伍堂のやつは早く彼の主君のところに帰りたい一心だ。
「でも、それ、だいたい国一つ分くらいの範囲らしいですよ」
え、それ本当かって驚く伍堂。
うん、俺も知ってたさ。なんとなくだけどな。
「ってことは佐奈子のやつの帰り道もどこの場末かわからんってことか」
キモがられてるのにまだそんなことを言ってる。みかけはでぶオタなのに中身はどちらかというと熱血な武闘派ってのはギャップがでかいな。
あぁ、伍堂は知らないんだな。
「我らが敬愛する上司殿のいうことには、六ケ所くらい支部があって俺たちみたいなのがいいように使われてるらしいぞ。これも本当は大阪の支部の仕事のはずなんだが」
「大阪にもいるのか。じゃあなんで」
東京方面から新幹線代だしてまでよぶんだ、という伍堂の疑問はもっともだ。
「人数が足りないのかも知れないけど、敬愛する上司殿もいってたろう。殴るやつが必要だって。そういう向きがいないんだろうよ」
「お、なるほど。さすが元四天王。賢いな」
「うるせえ、五虎将崩れ。腕っぷしはにぶっちゃいないよな」
「なんなら大阪の場末でちょっと何人か撫でてみせようか? 」
「治療費とか引かれるからやめとけ」
うぐぐ、とだまってしまう伍堂。
乗り換えて、見慣れぬ町と乗りなれない路線にあったらしっぽがぶんぶんゆれてそうな伍堂をつれて俺と新人は和歌山駅に下りた。
この町に和歌山市駅と和歌山駅があることを知らなかったので、合流に少しもたついた。
この暑いのに背広でサングラスのリーゼント男が運転するミニバンから降りてきたアルバイトは、桃山沙織だった。ファッションもジーンズスタイルで髪も短くしてずいぶん雰囲気が違う。
「やっほう、楯野さん、土師さん、おひさ~」
気軽に挨拶するのもあのちょっと内気な女子高生だとは思えない。
まあ、魂がいれかわったというからね。記憶はそのまま引き継いでいるし、元の自分のことははっきり覚えてないと聞いてはいるけど。
「バイト、だいぶなれた? 」
親しそうな新人君はあれから彼女と会う機会があったんだろう。
「監視されつつだけどね。でも割のいいバイトで助かってるよ」
彼女はどうやら監視対象になっているらしい。関連する世界への穴がふさがったいま、アンカーでもなんでもない彼女を見張る理由はないが、チェンジリングということと魔力に対する感度が存在することと、もろもろ組み合わさってどちらかというと研究対象にされているっぽい。
「あ、紹介するね。大阪支部の吉田さん。支部の縁の下の力持ちだよ」
「どうも、吉田です。偽名と偽名の名刺ですんまへん。お三方のことは東京本部の池谷からきいております」
見かけからは想像できないくらい腰の低いリーゼント男。名刺には聞いたこともない商事会社の名前と課長の肩書があった。こいつは管理側の人間で、もしかすると召喚術くらい使えるかもしれないけど俺たちとは違うように思う。
「ええと吉田さんはその」
「あ、私は違いまっせ。うちのはいま一人しかおらんし荒事向かないので別の案件にいってもろてます。車とかの手配はやらせてもらいましたが、ここで事務所に帰りますので」
やっぱり人手不足か。
「一人しかいないって、補充しないんですか」
「近々、池谷が召還かけにきてくれる予定ですが穴もだいぶふさがってきたし呼べるのおればええんですが」
さきほどから出てる池谷はクソ上司の偽名の一つだ。表向きの肩書は神職だったかな。どこの神社だったか忘れたが。
「帰れたやつがいたんだ。よかったな」
ぼそっと伍堂がつぶやいた。
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