第2話 八百比丘尼①

 昔の夢をたまに見る。

 勇者軍になりそこねた俺たちは追撃する新勇者軍を釣り野伏で痛い目にあわせながら雌伏のため本国へ戻ろうとしていた。追撃してくるのは新勇者軍の六歌仙将の一人で突撃トニーと呼ばれていた。やつの加護はとにかく突進力をもたらすので追撃の先鋒を不意打ちして逃げるはずのうちの決死隊がときどき蹴散らされるという痛手を受け、あちらも無事にすまないという地獄のような消耗戦になっていた。

 他のところではしらない。俺たちのいた戦国の世界では負けたら魔王軍とそしられ、勝てば勇者軍と称えられる。勇者と魔王の戦いの伝説は軍同士の激突を擬人化しただけだが、負けたほうが魔王なら勇者は常に勝つというものだ。魔王とは魔がさした王といわれる。愚か者ということだ。

 勝敗は決したのに執拗に追撃されるのは、再起できないようにしようという殺意の現れにすぎない。

 俺が与える加護は盾の加護といわれる。兵たち全員の防具、盾に薄いシールドをはって防御力をあげるのが将としての仕事だから。

 だけど、実は一人で使うなら攻撃に仕えない加護ではない。

 この時の戦いの経緯は細かいところは忘れたが、最後の釣り野伏で突撃トニーのやつと対決し、うすく横向きにはったシールドでつっこんでくるあいつの首を刎ねたことは覚えている。連中が動揺している間に一気に逃げきった。

 ほっとしたその時に、俺は自分が魔法陣の中に召喚された。

 ようこそ、と出迎えたあのクソ美人上司のうれしそうな顔は忘れない。

 少しの話し合いの末、俺は自分の加護を魔法陣の中において出ることに同意することになった。それから、仕事について説明を受けて今日にいたっている。

 完遂できれば帰れるのだ。加護も戻る。あちらでの時間経過はこちらと同じ都は限らないと聞くが、俺はとにかく帰りたかった。クソ美人上司に顎でこきつかわれ、コンビニ弁当を食って壁の薄い狭いアパートで暮らし、たまに臨時のバイトでもしないとやってけないこの世界は本当にクソだ。

 淫魔をクソ上司に預けてから四日後、俺はやつに呼び出された。

「仕事よ」

 クソ上司は高そうなスーツに眼鏡の美人だが、長く豊かな髪はひっつめたりせず、毎回違った結い方、流し方をしている。彼女より偉い人がいて、それに会う時はびっしりまとめていくそうだが一度見て見たいものだ。いつもは俺や俺の同類たちを支配する女帝の風格を漂わせてくれている。

 お茶をはこんできたのがあの淫魔だと気づいた俺は一度クソ上司を無視することにした。

「何やってんの」

「穴が移動しちゃってさ、見つかるまではここで下働き」

「送り返すといっといてそれは悪いことをしたな」

 穴は帰り道だ。いろいろな理由で思わぬ場所にあいている。

 長い時間がたつと、時々移動するらしい。そうなるとさがすのは大変だ。

 気にすんな、と淫魔はあいた盆を手にお辞儀をして戻った。出会いがああだったから、意外にまともだと思ってしまった。

「話をすすめてもいいかな」

 わざと無視したのは当然ばれている。この女が猫なで声になるときはだいたい怒ってる時だ。

「今回は何をすればいいので」

「穴を一つ閉じにいってくれ。新人の助手を一人と道案内を一人つける」

 おー、簡単に言ってくれるね。

「その二人は役に立つんですか」

「道案内は本当に案内だけだからな。新人はなかなか有望だぞ」

 へえそれはそれは。あんまり期待せずにおきましょう。

「今回は会社の仕事としてあたれ。詳細は『社長』が手配している。穴の閉じ方はアンカーとなっている人物の退去だ」

「つまり、あっちの者がおるんですな」

「佐奈子君と同じだな。彼女は徘徊型だが、この人は地縛型のようだ。まあ、田舎の先祖代々の家から離れようとしない老人だね」

「佐奈子って? 」

「さっき楽しそうに話をしていたろう。淫魔の彼女だ。いろいろあっていつの間にかアンカーになってた。彼女に対応する穴はたぶん世界のどこかの色町にあると思うがふらふら移動しているらしい」

 クソ上司はため息ついた。

「はぁ、めんどくさい。だがまあよく見つけてくれた」

 隣で騒音公害おこさなきゃ見つけようもなかったね。確かに。壁の薄い部屋にしかすめない福利厚生万歳だ。

「では、『社長』のところにいきます。報酬はあそこの経費として出るんですよね」

「理解が早くて助かる。じゃあ、『魔王様』によろしくね」

 いや、ぜったいそういう感じじゃないよな。あの人。

 クソ上司と会ったのは西池袋の住宅街の一角、大通りに面した小さなビルの事務所で学生が通りかかることもあるような俺みたいなのがいても違和感のない場所だが『社長』の会社はさらに違和感のない東京北部の川沿いの古い雑居ビルにある。

 郵便受けには「なんでも屋網干」と書いてある三階の汚い事務所だ。これに裏庭のぼろぼろのプレハブの倉庫兼作業場がついている。車はだいぶ離れた安いほうの駐車場においてあって、日中はそのへんに路駐というあんまりマナーのよくないことをしている。

 何度かここで本当のアルバイトやってる気安さではいるぞーっと返事もまたずに事務所にはいると、留守番の仁さんというとっつぁんがくわえたばこに老眼鏡でスポーツ新聞広げて読んでいるだけだった。

 この人はクソ上司のところの人で、競馬場ではずれ馬券ちぎってとぼとぼ歩いて帰りそうな風貌と違っていくつかかなり難しい資格を持ってるらしい。このなんでも屋が水回り修繕とか錠前交換とか以外に隠れ業務として税務処理などをやってるのはこの人の存在がある。

「悪いね。『社長』は急ぎの仕事がはいってでかけちまった。ちっとまっててくんな。すぐ帰ってくると思うからよ」

 べらんめえなしゃべり方。江戸っ子ぽいが出身は東北の廃村だそうだ。

 待たせて悪いから、と出がらしのほうじ茶と少ししけった煎餅でもてなしてくれた。

 ぼけっとテレビを見ること二十分ほど。汗をふきふき小柄で、禿げあがった頭の両側に未練がましく白髪を残した眼鏡のおっさんが入ってきた。あちこち濡れているのはこれは汗ばかりじゃないな。

「わりぃわりぃ。水道がらみで緊急の仕事がはいってな。さすがにあれはほっとけないので伍堂と片づけてきた」

 これが『社長』だ。俺と同じく召喚されたくちで、元の場所では俺んとこでは敗者のリーダーの代名詞の魔王を名乗ってたらしい。実力で王位に就く前はトップクラスの魔法使いだったそうだが、こっちにきたら魔法が封じられるのでいまではただのおっさん。

 ただ、なんでも屋をやるために必要な資格はほとんど自力でとったそうで、大変な努力家であるとともに頭もかなりいい。

 とてもそうは見えないけど。

「さっそく話、いいかい? 」

 ちょっとまってくれ、と言って『社長』は冷蔵庫からだいぶ年期のはいった麦茶のポットを出した。社長専用とだいぶにじんだ張り紙がしてあるのは、怪しい薬膳を混ぜていて知らずに飲むと危ない人もいるという配慮だ。

「行き先は廃村だ」

 口元をぬぐいながらハゲの『社長』こと『魔王』はそういった。

「手伝いの小僧と案内兼依頼人のお嬢さんを拾っていってくれ。車は裏に路駐しておいた二号車を使ってくれ。鍵はおめぇのロッカーに吊るしておいた」

 俺のロッカーがあるのに、正社員扱いじゃないってどういう待遇かね。

 ちなみにその隣は淫魔の時に応援にきた五虎将崩れのもの。あいつはここの社員だ。

「その二人について、もう少し聞かせてくんない? 」

 今から、いきなり行けって話じゃないだろうと詰めるとその通りだった。

 さすが『魔王』さまで、説明に必要な資料はもう準備がしてあった。

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