過疎地の異世界人

@HighTaka

第1話 薄い壁と淫魔

 目の前にあるものに、俺こと元四天王と、応援の五虎将崩れは顔を見合わせた。

 全身をゼリー状態のものにくるまれた全裸の若い男が横たわっていた。これじゃ息はできないだろうと思ったが窒息した様子はなく、気持ちよさそうに悶えている。

 それを見下ろす売れないロックンローラー風の俺とどてらにジャージのおたくデブの相棒。うん、客観的に考えるととんでもない絵面だ。

 現実逃避はここまでにしよう。

「こりゃなんだい」

 デブが困惑している。同感だ。

「夢魔に似てるけどなんか違うな」

 俺の出身地にいる寄生生物夢魔。それに似てはいたが、被害者の様子から見るとこいつは淫魔とよんだほうがよさそうだ。

「この旦那は今どうなってんだ? 」

「いい夢見てんだろうよ。見ろよ、元気なもんだ」

 やつれた体に一か所だけ元気そのものな場所がある。ときどきびくびく反応してるからかなり気持ちよさそうだ。

「で、これどうするよ」

 それは愚問だな、相棒よ。

「いつも通りさ。拘束具はもってきたかい? 」

「ああ、もちろん。だがこんなスライム野郎に効果あるのかね」

 あるさ。

「その前に話しかけてみる。案外話がわかるかも知れない」

「スライムに知性が? 」

「エロには知性が必要なんだぜ」


 うちのアパートの壁は薄い。ことの始まりはそこだった。

 上の住人がダンベルを落とすとびっくりするような音がするし、なにより床が抜けやしないかと心配になる。あの時はさすがに大家を巻き込んで文句を言った。床が抜けたら上の住人は怪我ですむかもしれないが、こちらは命の危機だ。

 しばらくしたらマッチョな上の住人は引っ越していってしまって、今は夜中に歩き回る謎の生活をしているあんまり顔色のよくない眼鏡のやせっぽっちに変わった。

 そしてお次は隣から聞こえてくる女のよがり声。隣はたぶん若いサラリーマンだったと思うけれど、仕事が多忙なのかほとんど顔を見たことがない。

 その部屋から、毎晩丑三つ時くらいにそんなのが聞こえてくるのだ。

 最初はストレス発散にエロビデオでも見てるのかと思った。出勤の時に捕まえて文句を言おうと思ったが、一度捕まえたときにはひどいやつれようでちゃんと聞こえていないようだった。

 さすがにそろそろ大家経由で文句が入るだろうと思っていたらそんな様子はない。

 どういうわけか、あの嬌声はうちにしか聞こえないらしい。

 とすると、俺の部屋だけで起きる怪現象なんだろうか。いや、しかし隣の男の様子は尋常じゃない。

 俺も一応健康な男子だ。このままでは少々いろいろきつい。

 臨時のアルバイトで得た臨時収入が発散のために吹き飛んでマイナスになった時、今月は残りをもやし中心にやっていかないといけないと思うととうとうぷちんとなんか切れた。

 のりこんだる。文句いったる。ついでに見届けたる。

 すこおし酒が入ってたのもいけなかったと思う。

 本業の副産物で身につけたピッキング技術で安普請のドアの錠をあけるのは簡単だった。いやらしい女の声が奥から遠慮なくひびいてくる。

 そういうことしてるなら枕を蹴ってどなりつけてやる気だった。俺の日ごろの感じは「売れないロックンローラー」だそうで、出身地ではわりと普通の恰好なんだがこっちのほうでは結構威嚇的らしい。さぞびびるだろう。警察呼ばれるかも、とは酔っぱらって血の登った頭には浮かばなかった。

 一気に踏み込もうとして、奥から聞こえる歓喜の声が音じゃないことに気付いた。薄くても壁越しだと音みたいに聞こえていたが、これは上司の表現を借りれば「念波」だ。思念が伝わってきている。

 それが俺にしか聞こえないということは……。

 そっと俺はドアを閉じて撤退し、深夜だが上司に携帯で連絡を入れた。

 三十分後、俺はアパートの前で上司の派遣した同僚と合流した。どてらをきこんだジャージ姿のむさっくるしいでぶ。

「よう、元四天王」

「うるせぇ五虎将崩れ」

 昔の立場で挨拶をかわすこいつとは仲はよろしくない。

 部屋に再度踏み込んだ俺はやつに聞いた。

「お前、これ聞こえるか? 」

「ん、かすかにエロい声がな」

 こいつには微かにか。てことは奥にいるのは俺よりのなんかだな。

 風のように二人で奥の散らかった部屋に踏み込んだ。おたデブの外見のわりにこいつは身軽。ひとかどの人物であったとこういうときにはわかる。

 そして冒頭に至る。

「話はわかるか」

 俺は念じて話しかけてみた。

 先ほどから声はしていない。

 淫魔はどうやら俺たちに気付いたらしい。様子をうかがっている、と感じた。

「あんたら、なんなのさ」

 驚いたことにはっきりした答えが返ってきた。

「あんたが迷子なら送って行ってやるだけだが、そうでないなら強制送還をする役目でな」

 俺は用件だけ伝えた。つまり、お前を送り返すということだ。

 俺たちが何者かは説明すると長いのでそこんとこは無視。

「どっちにしろ一緒じゃない」

「うん、どっちがいい? 」

 ため息が聞こえた。いや、そんな気がした。

「わかったわ。おとなしく一緒にいくとするわ。少しまって」

 スライム状のものがずるずる移動しかたと思うとこの家の主の隣にしぼんでいた皮の中に戻っていった。皮は透明だが人の形をしていて、これまた脱ぎ散らかしてあった服を下着から順に着ると表面に色がでてきて人間の少女の姿ができあがった。

「結構な擬態だな」

 相棒が口笛吹きそうなほど感心した。

 俺の知ってる夢魔は完全な不定形生物なのでやはり別物だろう。

「この格好なら声もだせるのよ」

 相棒にもしっかり聞こえているようだ。ついでにちゃんとこっちの言葉でもある。

 彼女は裸で今はすうすう寝息をたてている家主に毛布をかけた。

「言葉はどこで覚えた? 」

「この人から吸い取った」

 寝てる家主を指さして答えた。

「こいつはほっていくのかい? 」

「手伝ってもらえればパンツくらいはかせられるんだけどね」

 しょうがないので手伝った。パジャマをきせてちょっと臭う万年床になげこむ。

 それでも彼は少しうめいたくらいで起きなかった。

「この旦那、どの程度知ってんだい? 」

「かわいそうな家出娘を拾ったとしか思ってないわ。だからこうしとけばいいの」

 淫魔は自分のポシェットから口紅を出して鏡に別れのメッセージをかいた。加えて医者にいけと書く。

「これはなんで? 」

「ちょっと肝臓がよくないみたいなの。世話になったし死なれても後味悪いじゃない」

 こいつ、こっちきて長そうだな。

 相棒が目配せをくれる。こいつもわかってるようで何より。

「じゃあいこうか」

 がしゃんと彼女の手首に拘束具がかかった。

 一見、ほっそりした金属ブレスレットのように見えるが、俺、相棒そしてこの淫魔のような外来存在には覿面にきく。

「なにすんのさ」

 彼女は顔をしかめた。液体化の能力を封じることができたらしく引き抜こうとじたばたしている。

「あんた、適当に俺たちをふりきって逃げようと思ってたろう。痴漢とか叫べば楽勝とか思ってなかったか」

 図星、という顔をしている。たぶん逃げればここの住人のように抵抗のない男性、あるいはエロ親父をくいものにして渡っていったんだろうな。

 次のカモの隣に俺みたいなのが住んでるとは限らない。そうなると捕まえることはできないだろう。

「わりいな、あんたみたいなの結構いるんでな」

 とくとくとかたる相棒にちょっとイラっとした。

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