第43話 過疎地の異世界人⑧

 俺の暮らしぶりはもういいだろう。そう思って本題に戻そうと思ったらボスがぶっ込んできた。

「ところで、お前、派手な魔女に婿入りするんだって? 」

 お茶にむせてしまった。

「だ、誰がそんなことを」

「ハジの彼女だ」

 金朱か。

「まあ、悪名高い女だが、好いてくれる相手は大事にしろよ」

「いや、その辺はちょっとかなり気の早い話でして」

「そうか? 聞いた感じだとだいぶ外堀が埋まってるようだが」

 あの小娘、どんな話をしたのか。

 これを機会に俺は話の順序を変えることにした。

「俺、戻らないほうが都合がいいですか」

 婿入り話を喜ぶならそういう意味だろう? そう当てこすってみたんだ。

「そこのところはお前の気持ち優先だ。いつか、戻ってきてくれたらなと思う」

「つまり、今は不都合というわけですね」

「すまん。今は四天王が一人しか残っていない、他の魔王の脅威ではない魔王という体裁でいたいのだ、居場所はいつか必ず用意する。待ってくれないか」

「その隙に死んだふりの陰険ジジイがあれこれ企んで機が熟したら一気に? 」

「さすがだな」

 ボスは我が意を得たりとばかり嬉しそうにしている。

 陰険ジジイ、四天王でも権謀術数を得意としたアレはやはり生きていたか。

 と、なると俺のできる選択は多くない。

 一番はこの、仲間内に対して冷徹にはなりきれないボスを悲しませないことだ。覇者となるべきは彼だが、その前に潰れたり壊れたりしてはいけない。

 そう考えれば結論は自ずと出る。

「ボス、ご存知ですか。穴は一度完全に閉じれば二度と開くことはないというのを。今戻れないなら、俺は二度と戻ることはできないでしょう」

 ボスが考え込むのはわかっていた。だが、嘘は言ってないがいくつもの言ってないことで結果的に嘘を言ってる後ろめたさがその言葉を待たせることはなかった。

「しかし、そうすれば他勢力が黙ってはいない。確実に内憂外患を招くことになるでしょう。陰険ジジイも俺を排除しないといけなくなるかもしれない。望ましいことにはならんでしょう。今日は俺自身の気持ちの整理とお別れに来ました」

 多分、陰険ジジイも聞いているだろう。俺ははっきり聞こえるように宣言した。

「いや、余は…」

 言いかけたボスはぐっと言葉を飲んだ。

「無念だ」

 同感だった。俺は自分が影響力のある者だとは思っていなかったが、皆はそうは思わなかったらしい。世界情勢に影響を与えてしまった。単なる下っぱなら誰も気にしないだろう。だが、そうではない以上、最悪陰険ジジイと殺し合いをする羽目になる。その時にボスがこの上なく辛く多くの身内を失うことは必然だった。それは避けないといけない。伍堂ならそんなことはわからない。わからないからもしかしたら走り抜けてしまうかも知れない。だが、俺はダメだ。なまじ理解できるから絶対に迷う。そして伍堂なら掴めるかも知れないチャンスをきっと逸する。

 羨ましい男だ。だが俺は伍堂ではない。それに、今後のために絶対に伝えないといけないことがある。

「さて、話はここからが本番です」

 俺は穴と魔法の関係、穴が閉じた後何が起こると思われるかの話を始めた。


 本当は、何十年かかろうと待ち続けてそれからひっそり戻ることもできた。

 封印状態の本体は歳をとることもなく、長年の経験を持ったまま若返ることができて得だとも聞いている。

 だけどそんなことをして何が嬉しいのだろう。召喚体だって普通に年をとる。若返るのはきっと嬉しいのだろうけど、間違いなく戸惑うし、知己が皆老いたり死んだりしたところに戻るのは戻ると言えるのだろうか。

 それなら、すっかり馴染んだこっちで暮らすほうがいい。クソ上司に飼われるなら住むところも生活水準も相応しいものになるらしい。それについては少しどころかかなりぐらついている。壁の薄いアパートで変な隣人に悩まされるのはそろそろにしたい。

 俺の決意を聞いた関係者の反応はさまざまだった。

 社長はそうか、と言った。事務所の仁さんは事務的に頷いておめでとうと言った。それから社長を捕まえて必要な手続きについて打ち合わせに入った。俺のすることはないらしい。帰化の儀式が終わる頃には全部済んでいるそうだ。

 クソ上司はもっとそっけなかった。なんか美味いものでも食えと一封渡してくれて準備のためと言ってそそくさ出かけてしまった。

 同じ事務所にいた佐々木はなんかニヤニヤしている。理由を聞いても答えない。代わりにどう変わるのか質問された。穴の近くでの魔力が本来通りになってかなり増えることと、容姿が変わるという話をしたら、少し考え込んでいた。あいつのことだから色々分析してるのだろう。

 佐奈子はどこかで聞きつけて電話をしてきた。淫魔らしく、帰化前に味見させろと言ってきやがる。クソ上司の許可を取ってくれと答えたら黙り込んでしまった。

 桃山沙織には少し嘘が必要だった。彼女はクソ上司の元でアルバイトをやっている半関係者なのだが、今の所魔法使いというわけではない。穴の近くや裏世界でひょんなことから目覚める可能性はあるが。なので、まだ俺や社長の正体について説明するわけにはいかない。まして佐々木とは仲が良いらしいので彼女の正体もまだいうことはできない。だから、俺は自分の世界に通じる穴から帰ることになったと嘘をついて別れの挨拶とした。

 銀朱は睨みつけてきた。ただ、釘を刺されているのかそれ以上のことはなかった。

 金朱は信じられないという顔をした。

「あんな女のどこがいいの? 」

 その点は全く同感だが、外堀がいくつか埋まってるというと同情の目を向けてきた。

 帰化の儀式には一ヶ月以上の時間がかかるらしい。なんかそれっぽい魔法陣に閉じ込めらたり、毎日お経か何かを体に描かれて読経されるようなものかと思ったらまるで違う。

 普通に医療機関で全身麻酔して、寝てる間に全部済むのだそうだ。麻酔のない時代はどうしたかは不明だが、これが今の最適化された方法らしい。麻酔医は初めて会う男性だったが、事情はよく知ってるようだ。事前の検査などは総合病院でぐるぐる検査部門を回らされ、採血したり色々された。

 全身麻酔がどんなものか知らないので調べたが、一ヶ月寝っぱなしってことはあるはずもなく、ではその間はどうなってるかというと、話を聞けるくらい近くに経験者はいなかった。池谷老の時は穴の近くで魔法を使ったそうで目覚めるまで完全に寝ていたとかで、さっぱり参考にならない。

「意識は覚醒していたり眠っていたりするみたいね。本人がどう感じるかは文献がないので、終わったらぜひきかせてほしい」

 鏡弥子にはそう言われてしまった。

 結構不安だ。

 検査の結果は問題なし。

 いよいよその日が来て、俺はびっくりするほどあっさり意識を失った。


 夢はこれまでの人生を振り返る夢だった。

 すっかり忘れていた母の姿に俺は涙したと思う。まだ幼い頃の俺の目に映った母は若く美しかったその胸に抱かれ柔らかく温かい乳房に幼い俺は顔を埋めて安心に包まれていた。

 後で知ったが、この時の母は夫であり俺の父である男を失って生活苦に荒み気味だったそうだ。子供を虐待する母親の話はこっちでも散々に聞く。俺が例外のわけはない。何かされたのは間違い無いだろう。それでも幼い俺は母の胸に安心を得ていたのだ。このころの俺は気づきようがなかったが、母は俺そっくりだった。母親似にもほどがあるレベルだ。夢を見ている俺は引いてしまった。

 その夢が現と交わるときに目にしたのはたくさんのケーブルとランプ。音は何かの機械の作動音で俺が医療施設にいることを確信させるものだった。

 それからまた意識が遠のいてまた別の夢に俺はいた。

 八歳か九歳くらいの頃だろう。

 俺は女の子の格好をして他の女の子たちと並んでいた。

 客が俺たちの前を品定めしながら歩き、気に入った女の子を指名する。指名された客と女の子は楼主に案内されて部屋の一つに入り、時間いっぱい楽しむ。

 もちろんいかがわしい店だ。どうやって客を満足させるかは思い出したくもない。

 母はこの時にはもういなかった。多分俺は売り払われたんだと思う。

 俺は客に指名されないことを祈りながら誰か選ばれるのを待っていた。待ちながらわからないように魔力の容量を増やす鍛錬をやっている。この鍛錬法は少し間違っていたがそれでも地道に続けたおかげでかなり効果が上がっていた。誰に教わったのかわからない。もしかしたら母かも知れない。

 男の子なのにこんなことをやらされているのは一重に母似のこの顔だ。長じた子は容姿その他に応じて農家の嫁や妓楼に売られるのでサービスは口ですることになっていた。だから俺でも勤めることができた。だが、俺は農家の嫁にも妓楼にも連れて行けない。どうなるか聞くと楼主はやりようはあると嫌な顔で笑った。

 客の中には暴力を好むものもいた。俺の魔法の基本はこの辺でできたのだと思う。

 楼主が俺をどうする気だったかは知ることはできなかった。この二年くらい後、店は戦火に焼け落ち、俺は逃げてストリートチルドレンになった。

 この夢から覚めたとき、目にしたのは水の中のような風景だった。多分水槽の中だ。自分がどういう状態か把握する前に俺はまた夢に落ちていった。

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