第17話 桃の里③
午後一番くらいに下りたバスが、この方向にいく最終バスだそうだ。
バスといっても町営のマイクロバスで、町民の足になるよう少ない台数、運転手で回せるようとにかくぐねぐねぐねぐねよく回り道をした。駅でこれにのってからの時間だけでそれまでの乗車時間を軽く超えている。直線距離なら百倍くらい違うのだけど。
そこはちょっとした盆地で、隠れ里の雰囲気のある集落だった。こういう場所にある集落にしては残ってる家屋はわりと多く、中心部には個人商店というより、個人経営のスーパーという感じの商店があって、ここが集落のもろもろを賄っているようだ。隣接して郵便局、そして役場の出張所と交番、それから診療所。診療所は今日は休みらしくガラス戸にカーテンがひかれていた。色あせた看板の文字を読み取るとどうやら町営の病院の出張所らしい。
「迎えがくるはずよ。少し待ちましょう」
商店の軒先で、三人大荷物を抱えて冷たい飲み物を買って飲む。瓶の飲み物というのは最近珍しい。俺が飲んだのはラムネだが、製造は近くの地元メーカーだった。
商店のレジを守ってるおばちゃんと少し話をしたが、珍しいよそ者三人組への好奇心は隠す気はないようだった。そして地元の人間の悪口を少しだけ聞かされた。
まあ、閉鎖的とかそんな内容だ。ここの住人は大半が昔からの住人で二割くらい、よその集落の出身者がいるのだけどその間に壁があるのだという。たとえば結婚。
よその人間との結婚は嫌がられ、許されても彼女のようにここの集落に住んでいるものくらいだし、外の人間ならここにくらすことが条件になる。とにかくここから人が出ていくのを嫌って邪魔するので、あんまり過疎化は進んでいないのだという。
「でも農業だけじゃやってけないんじゃ」
「あの上のほうに大きな倉庫みたいなのがあるだろ? あそこはパソコンの組み立て通信販売やってるのさ。他にもいくつか今時らしい仕事を農閑期にやってる。世話する事務所を東京に置いてるんだけど、あそこで働いてるのは地元でもあたしらみたいなよそ者とかでね。もう少し壁を崩してくれてもいいのに」
へーとかいいながら飲み切った瓶を返したあたりで、小走りにこっちに走ってくる人がいることに気付いた。
「あら、あれはばとらさんじゃないの」
ばとらさん? 執事のことかな。
「鵺野の大旦那さんとこの番頭さんですよ。ばとらーと呼べっていうのでばとらさん」
走ってきたのはちょび髭を蓄えた丸顔に短く刈った頭の背広の壮年。小太りの体を走らせたものだから汗をかいて扇子をぱたぱたやっている。
「鏡先生とお供のかたがたですかな」
一呼吸いれて気取ることを忘れないあたり、村の人にどう思われているかは察するものがある。鏡医師が肯定すると、彼は深々とお辞儀した。
「私、鵺野家バトラーの戸田ともうします」
ほんとに自分のことバトラーと呼んでるよこの人。
「鏡です。患者はどこですか」
戸田は指を口にあててお静かに、という仕草をした。
「ニューカマーには知らせておらんことですので、どうか」
変な英語使うのが好きだなこの人。
顔に出たのか、戸田氏は頭をかいた。
「変な言い回しと思われますな。昔はもっとひどい呼び方をしておったのです。もはや意義もないと申す者もおります。旦那様はお許しになりませんが」
これはあれだな、旦那様は子供や孫にそっぽむかれるタイプだな。
「どうぞ、旦那様がお待ちになっておられます」
一段高いところに盛り土と切通しで作った広い敷地に厳重な土塀の屋敷。
そこがその旦那様の屋敷だった。
当主の鵺野久作は予想を裏切らない頑固そうな老人で、鏡医師が女とみると蔑視を隠す様子もなかった。それでも謝意を述べるくらいの常識は持ち合わせていたし、外とも太いパイプをもってるような大物感はあった。
「御来援、感謝する。穢土の医学は進んでいるがやはりこういう病気には弱くて困っておったのだ」
穢土ってのはこっちのことだよな。そんなに嫌なら穴の向こうに帰ればいいのに。
「患者はどこでしょう? 」
「いやいや、薬だけいただければそれで十分です。先生の手を煩わせるわけにはいきません。もちろん、今夜はおもてなしさせていただきますぞ」
おいおい、この爺さん薬だけおいて帰れといってないか。
「鵺野様」
鏡医師の声は冴え冴えと冷え切っていた。
「説明がまだのようでした。この薬は医師が診断して分量を定めないといけないものなのです」
「危険な薬なのか? 」
「いいえ。分量を間違っても死ぬことはありません。少なければ病気のほうが拮抗薬に耐性をつけてなおらなくなり、多すぎると量によって一年から十年、魔力の一時的な減退を招きます。診察をさせていただけませんか」
鵺野老人はむむむと唸ってしぶしぶだが折れた。
「ただし、この集落の患者でまず様子を見たい」
「まずはそれでよろしいかと」
「診察は明日からでよいか。段取りができてない」
「では、それまで薬はこちらで保管しておきます」
「ふむ。好きにするがよい。離れに寝床と風呂を用意しよう。今夜はゆっくりしてくれ」
これが豪華だった。
離れといいながら高級な宿のような一軒家で、ヒノキやイグサのよい香りに満たされ、母屋から来たハウスキーパーだという年配女性とその娘さんが膳の上げ下げ、布団の上げ下ろしをやってくれた。風呂は彼女の旦那がやってくれているという。日ごろは母屋の手入れをやっている彼女たち一家は鵺野家に雇われているということだ。
「旦那様はいろいろ手広くやっておられますから。若旦那様ももろもろ」
若旦那、というのは鵺野の爺さんの次男で大学出で外で働いた経験があり、新しめの村の事業はだいたいその手になるものだという。次男というからには長男がいるはずなんだが、こちらは父親に反発して若いころに出ていって行方知れずだそうだ。
和服をしゅっときてたすきかけた娘さんは高校生くらいで、俺以外の二人にはいろいろ話しかけていた。鏡医師にはかっこいい働く女性の先輩としてきらっきらの目をむけてたし、土師くんには年の近い都会の男性として好奇心隠していないし、俺だけは敬遠されているのはちょっと悲しいが、まあ怪しい風体らしいからだろう。もう慣れた。心の涙もう涸れた。
てっきり主人一家と食事をともにするのかと思ったが、朝夕の食事は会議かねているそうで部外者はいれないのだそうだ。その代わり、客の供応には主人が顔をだして挨拶をするという。俺たちの場合は鵺野の次男が顔をだした。
五十がらみの気難しそうな小太りの男だったが、俺たちに挨拶するときはにっこりえびす顔を作って丁寧な計算された口ぶりになった。歓迎の意志は伝わるし、頼りにしている感じは出ているし、こういうのは俺でも知ってる。どこかの国の宰相や大臣の出世するやつだ。政治家だろうと思ったら県議だった。つまりこのせまい集落だけ見て動いている人物ではない。
「迷っているようだな。鵺野県議」
なごやかな挨拶がすんで仲間内だけになると鏡医師がそう言った。
「迷っているとは? 」
「穴を閉ざすことに賛成するか反対するか、かな。土師君、穴と収穫高の関係って知ってるかしら」
俺は知らない前提なんだな。いや、知らないけど。
「あてずっぽうですけど、穴の近くは豊作で、少し離れると今一つとかですか」
「まあ、その通りなのよ。鵺野の大旦那みたいにここだけ見てるのなら穴はあったほうがいい。でも、もう少し広い地盤をもったら、さてどうなるかな。桃の園の住人は住民票も投票権もないから、鵺野県議の利権地盤じゃない」
「穴を閉じたらここにこだわる必要もなくなる。でも、穴あればこそのものもなくなるというところですか。あればだけど」
「あの様子だと、なんかやってるみたいね。まあ、彼は大旦那には逆らえないと思うけど」
ここで俺は口をはさんだ。
「で、その大旦那が反対派でもめてると。賛成派はどこにいるんですかね」
「さあ、もしかしたら里のほうかも知れないわね」
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