第16話 桃の里②

 畜生、落ち着け俺。

 前回はうろうろしていろいろやばげなものを見てしまった。

 だが、今回は目の前が自分の部屋だ。寝て起きれば前のように戻ってる可能性は高い。

 そんなことは罠をしかけたほうも百も承知のはずなんだが。

 用心しながら、俺は自分の部屋に入った。一歩踏み込んだとたん、何かいる気配がびんびん伝わってくる。敵か味方かわからないが、そういうのを察知する魔法的な感覚がもともとは俺にも備わっている。敵意など読み取れるほど都合のいいものではないが、この場合、俺を待ち伏せてる何かと判断していいだろう。

 そして表の駐車場にも何かがはい回る気配がある。ちらっと見たら胴の太さが人間くらいあるムカデが駐車した車の間を這っていた。

 あんなの相手にしたくはないな。

 奥で待ってるやつが平和な目的で来てるならいいのだけど、そうでないにしてもあんなにでかいということはないだろう。

 魔力が使えるのを幸い、守りを三重にし、武器はないが気休めの靴ベラをもって俺は自室の奥に踏み込んだ。習慣で靴をきちんと脱いでしまったが、もう遅い。

 人の寝床でくつろぎ、勝手にカップ麺を作ってすすっているよれよれの背広姿の怪物が待っていた。肌はどぶの泥の色で健康とはいえず、ごつごつあちこちにかさぶたのようなこぶのようなものがあり、目鼻の位置は人間と同じだがバランスが全然おかしく、瞳は点のように小さくってカメレオンのようだ。鼻はせまく横に長いスリット状の鼻の孔があるのでさっすることはできる。そして顎がおそろしく頑丈で大きく、手入れなんかしてないとわかる染みだらけの歯が乱雑に並んでいた。

 こういう生き物は俺んとこにはいなかった。箸を使えるだけの器用さがあり、湯をわかしたりする知識もあるなら、これは俺たちの同類でこっちの社会になじんだどこかの穴のむこうの住人か、そうでなければ歪んだこっちの住人だ。

 歪ませる技術は俺たちのところにもある。自然にいるくらいには繁殖と生存に適した生き物を魔法の干渉で変えて使い捨ての戦闘ユニットにする。動物の小さな心をゆがめて命令を聞く下僕とし、繁殖力を奪い、寿命を削って攻撃力に変える邪法だ。

 これを使う勢力は忌み嫌われることが多く孤立しやすいが、もともと孤立した者たちには関係がなく魔王軍として追い詰められた勢力が起死回生でこれをぶつけてくることがある。俺んとこはそれをやらなかったから魔王の汚名を浴びたが滅ぼされるまでにはいかなかった。むしろ勇者軍のほうが追い詰められたときに小動物に疫病の力を宿らせて使ったことが問題とされて、たぶん今でも苦労しているはずだ。

「どちら様かな」

 一応、俺は礼儀をもってそいつに質問してみた。話はできそうだったからだ。

「驚いたな。そんななりで、案外まともな口が利けるもんだな」

 大変失礼な反応が返ってきた。

「人んちに勝手にあがりこんでカップ麺まで食ったやつに対する態度じゃないというならその通りだ」

 嫌味をいってしまったぜ。

 そいつはぐっぐっぐとウシガエルのような笑い声を漏らした。

 「そいつは悪いことをしたな。じゃあ、これならどうだ? 」

 ぐりんと目玉が回ったかと思うと、そこには俺そっくりのやつがくたびれた背広を着て座っていた。

 どうもなんかに似ていると思ったらカメレオンか。

「用事はすんだ。あんたはここでゆっくりしていってくれ」

 そういうと俺そっくりのそれは窓をあけて飛び出してしまった。ちりんと音がしてかき消すようにその姿は消えた。

 窓の外は隣の塀がせまってる。追いかけるのは無理だ。そしてここから出ようにもあのでかいムカデがはい回ってるところを抜けないと外には出られない。

 このまま寝て起きたら前のように戻ってはいないか。そもそもあいつは俺に化けたけど、魔法の制限された娑婆であれが続けられるのか。いろいろ考えたが最悪のケースで考えたほうがいいだろう。つまり、なんとかせにゃいけんということだ。俺に化けて悪さはされたくない。なによりしてやられたと知られたらあのクソ上司に何を言われるかわかったもんじゃない。

 といっても表を這ってるムカデはちょっと手に負えそうもない。防壁を信じれば殺されることはないが、あいつはただ俺を抑えこめばいいだけだ。本能に忠実なまま、手に負えないでそこいらにぽいとほうってくれればいいのだがそれはまずは最後の半分やけの賭けにしか過ぎない。

 どこまで出られるかと思って、そっと玄関から出てみた。

 どうやら、屋根、つまり上の階の通路より先に出ると反応するらしい。上の階にのぼって上からなんとか裏の塀を越えてでられないものかと思ったのだがこれはあきらめざるを得なかった。確実に外付きの階段を上ってる間に背中から噛まれる。

 ムカデが一匹でもないことに気付いたのもちょうどこの時だ。三匹いる。こんなところに餌なんかないのに、律儀にゆっくり巡回している。念入りなことだ。

「こんなに丁寧に罠にはめられるくらい邪魔だったかなぁ」

 迷宮の賢者と直接かかわったのは一回きりだ。他の仕事の何かが気に障ったのだろうか。

 まあ、今はそれよりなんとか脱出することだ。

 自分の部屋以外で行けるのは一階の隣の部屋だけだ。今日、西口が内覧していたところだね。玄関が施錠されてないので中にはいることができる。空き部屋なので殺風景なだけなんだが。

 ただ、時間がたつとものが増えてきた。

 寝袋が敷かれた。コンビニ弁当が置かれた。目を離している間にそれが食べがらになり、そしてゴミ袋の中に片付いた。

 これって彼が今晩はここで泊るということだろうか。明日の朝に送った自分の荷物を受け取るとかそんなことだろうか。

 なんとか連絡できる方法はないかなとメモをおいたり、壁に落書きしたりしたが、なにせ本人の姿が見えないので効果があったかどうかはわからない。

 この謎空間のことはさっぱりだ。クソ上司に聞いたところでは、封印した魔法の生み出したものだろうということ。封印され、分離された本来あるべき魔力が現実の写し身としてある場所ではないかということだった。

「分離で何を巻き込んでるかわからない。唐突にとても危険なものに出会うかも知れない。入口を見つけても入らないこと」

 きっちり罠にはめられたし、どうやって飼いならしてるのか今まさに危ないものに自室に監禁されているわけだが。

 あのムカデ、固そうだよな。たぶんやつの外骨格は鉄のように固い。隙間にバールでも突っ込めば中の柔らかいところをかき回せるかもしれないが動きが早くて簡単にやらせてくれそうにない。おまけに三匹いるから一匹にかまってる間に残りに襲われる。

 手詰まりだった。ふて寝くらいしかできることはなさそうだ。


 軽く蹴って起こされた時には夜があけていた。町の雑音が戻ってきていた。魔力はもう感じない。また寝てる間に自然に戻ったのかと思ったが違うようだ。

 今日は極彩色に染めた髪のクソ上司と、いつものよれよれの作業着の社長がそろって俺を見下ろしていた。蹴ったのはクソ上司。土足であがってヒールのつま先でつつきやがった。

「手間、とらせたようで」

 助けてくれたには違いないので起き上がって座ったまま頭をさげておいた。

「入るなといっておいたでしょ」

「気づいた時には手遅れで、罠でした。ところで俺に化けたやつがいたんじゃないかと思うけど」

 反応は舌打ちだった。

「ええ、気づかなければ、弥子と一緒に現地いかれてたとこ」

 それで俺の行方を確かめに来た社長が鈴に気付いてクソ上司を呼び、魔法使い二人で知らべてなんとか戻してくれたそうだ。

「いやもう面目ねえ」

「今からだけど行ける? 待たせてるけど」

 それは悪いことをした。二つ返事しかない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る