第32話 帰省⑦

 追手と人目を警戒し、俺と賢者は裏道を急いだ。足が棒になり、あたりがとっぷり暗くなるまで歩みを緩めることは許されなかったのにで、俺の足はすっかり棒のようになってしまった。

 ただ、途中野営する場所はあらかじめきめていたらしく、足を止めることを許された場所には小屋があり、犬人族の猟師らしいのが食事と寝床の準備をしてまっていた。彼らはほろびつつある原始的な種族で、森に依存した生活をかたくなに守っているため、森を開きたい人間と衝突を繰り返し、追い払われたりとらえられ不慣れな小作農の暮らしを強要されたりして数を減らし続けている。

 当然、彼らの大半は人間を憎んでいる。

 この犬人族はどうやら変わり者のようだ。

 クソ上司はかなり派手に漫遊したが、賢者も結構ここにはきていたのだろう。運もあったろうが、人間に対しては例外なく警戒心の強い犬人の協力を得るのは簡単ではなかったはずだ。

「うちの上司と違って、あんたは暗躍してたんだな」

「あの子は不器用だからな」

 そう答えながら、賢者は葉っぱにつつんで蒸し焼きにした芋をわたしてくれた。筋張った噛むのに少し苦労する芋で甘みもそれほどではない。こっちの食べ物はなべてそうだ。寡黙な犬人が焼く前に筋切をしておいてくれたのでまだ食べやすくはなっている。

「あの子? あんたは上司とどういう関係だ」

「あれの祖母はわしの姉だ。大叔父というやつだな。わしもこの国の魔法使い一族の端くれで、かつてはあちら側にいた人間よ」

 ほう、物語になりそうな成り行きがありそうだな。

「あっちの魔法使いってだいたい親戚か? 上司のいとこで魔法使いじゃないのは一人しか見ていない」

「弥子か」

 ちょっと驚いた。即座にその名前が出てくるのか。

「鏡医師を知ってるのか」

「孫だ。あれは才能がありすぎた」

 苦々しい顔。路地裏の賢者が感情を噴出させるのを俺は初めて見たと思う。

 はっと我に返った彼は俺の顔をうかがうように見ながら一つお願いをしてきた。

「あの子にはわしのことは黙っておいてもらえまいか」

 おたがい、口が滑ったようだ。鏡医師に魔法使いとしての才能がありすぎてなにがあったのかは、具体的にわからなくてもなんとなくわかった気がする。

「うちの上司やほかのいとこたちは知ってるのか」

「一人は察しているだろうな。はっきり言ったのはおぬしが最初だ。うかつであった」

 そうか。それなら俺がわざわざかきまわすこともない。

「わかった。俺から彼女に話すことはしない。約束しよう」

「感謝する」

「ところで」

 この話はもういい。俺には問いただしたいことがあった。

 魔法を封じたからこそ生まれたあの空間が、なぜ一時的にせよこっちで存在したのか。看過しがたい可能性がどうしても浮かんでくるのだ。

 クソ上司はいっていなかったか。穴が通じている限り、双方に悪影響が出ると。

 あれはその悪影響ではあるまいか。

「ああ、あれか。あれはこれのようなものだよ」

 賢者は自分の分の芋をさした。

「それ? 」

「これと同じものがあちらにもある。サツマイモだ」

 俺の知ってるサツマイモは焼き芋だが柔らかくねっとり甘い。これは筋張っていてぱさぱさで甘みもあまりない。

「同じなのか」

「あちらのサツマイモは品種改良されてるからね。これは今ではどこにも残ってない古い品種だ」

 驚いたことに、賢者の組織は異界の生態系について学問的なアプローチをしていて、専門の研究チームもいるのだそうだ。ここにも現地人、つまり俺の同僚たちにばれないように拠点を築き、調査の人員が派遣されているのだそうだ。

 ええと、つまり穴を通って行き来した生き物があるってことだよな。

「行き来とはいえぬ。おぬしの世界のすべての生き物があちらから古い時代に移ってきたものだ。中にはあちらではもう絶えたものもあるし、独自に変化したものもある。その中には出戻って安住したものがないとは確かに言えぬがな」

 佐奈子のような淫魔さえ元はあちらの生き物、そういうのか。

「そうだ。中には穴の向こうに適合するように作られたものもあったようだ。伝説のみに出てくる神代の怪物はだいたいそれだ。その中には象徴的に怪物とされているが全然違うものもある。おぬしの質問への答えはそれだ」

 一つ、心当たりがあった。

 こっちの世界、俺の出身世界に世界を飲み込んだ鯨の伝説がある。はじめ、あらゆる生き物が鯨の体の中で平穏で豊かに暮らしていたのだが、すべての生き物が数を増やしすぎたせいで鯨は衰弱し、ある日すべてを吐き出して大海の底に沈んでいったという。伝説によっては鯨は生きていたり、死んでいたりするが、地上の生き物の前に姿を見せないところは共通している。

 あれはその鯨だったのか。そして鈴の音とともにひきこまれたあそこはあちらの巨鯨の腹の中であったか。

「ほかにもいろいろあるが、きりがないのでもう寝てくれ。朝は早くからでるぞ」

 いったん、俺を穴のあちらがわに連れ戻すまではあの恐ろしい神に要求されているのだという。足の拘束もあの神の権能のもと許されているのだそうだ。

 結局、賢者は自分たちの正当性を主張したりはしなかった。だが、これまで俺が思ってたようなのとは少し違うことはわかった。空疎な美辞麗句の大義名分などではない。だが正義の対立なんてそんなものだ。どちらにも理はある。その上で相いれないがゆえに争うことになるのだ。

 争いは一度始めると終わらせるのがむずかしい。だからといって避けることが必ずしも賢明とは限らない。

 今日、少し賢者たちについて知ることができた。強制されての道行が終わるときにはしなければならない決心があるだろう。

 考える時間はまだある。疲労に身をゆだねて俺は眠りに落ちた。


 夢を見た。

 いつだったか、どこだったかの戦場。おそらくいくつかの思い出がまじっていてそれをはっきり決める決め手がないが、確かに過去の経験ではあった。

 伸縮性の高い沼オオガエルの皮でつくった、一種のラバースーツを着込んだ女戦士が左右雁形に部下を引き連れ、形のいい尻をふって走っていく。翼の飾りのついた兜をかぶり、胸甲と佩楯をつけ、小札をぬいつけたサッシュをしめた彼女のそれは、動きやすさ重視の鎧だとわかる。

 在りし日の戦乙女カイラの雄姿だ。まだ若いころでがっちりしてるが最後にあったころのように丸々としてはいない。たぶん一時いい感じになっていた時期で、彼女の夫の嫉妬にややこしいことになっていたころだ。

 このいつだかわからない戦いがどの戦闘だったかは定かではないが、やることは同じだ。俺は彼らの防御を底上げし、空中に盾を舞わせて矢の雨をはじく。

「びっくりするほどけがしねぇ。助かるぜ」

 カイラは楽しそうにそう叫んで敵に躍りかかった。敵の放つ本当にまずい一撃はしなやかな動きでいなしたりかわしたりするが、せいぜいかすり傷のものはいっこうかまわず致命的な一撃をくらわす。

 こんな無茶をするやつだ。俺がいなくなったとたんに生傷だらけになったろう。

 夢の中のカイラは楽し気に部下たちとつっこんでいくが、俺の足は何かにつかまれたように動かなくなっていた。賢者に強制的に歩かされたあの感じだ。

 カイラ達の背中は遠ざかり、やがて見えなくなった。呼びかけても誰も気づかないようだ。

 そしてぽつんと残された俺は寒さにぶるっと震えた。

 その時、意外な声が聞こえた。

「やあ、やっとつながった」

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