第31話 帰省⑥

 すぐに穴のほうに向かうという俺の予測ははずされた。

 こっち側が穴からくる者に警戒している以上、穴の位置を確認し、監視下におきたいだろうというのが予測した反応だ。俺は何も知らない村の自警団に保護してもらえたが、彼らの中に監視の者がいたり、あるいは異界人の放浪者の暗殺を秘めた使命としているものがいたらどうなっただろう。

 右も左もわからず、ただ人の親切に触れてほっと油断している間に一服盛られるくらいのことはあったかもしれない。

 だから、領主の彼の打つ手としては早急な位置確認、そして俺を送るという名目でのあちら側への斥候の派遣。そんなところだろう。思わぬ勢力が現れた時の対応だ。

 領主の考えで俺はしばらくゆっくりしているよう言われた。なぜなのか、どのくらい待てばいいのか聞くと、領主の一存を超える判断なので首脳部と相談中だという。

 まずいな。

 もともと一時帰省で十日程度の不在はなんとかごまかしてもらえるよう社長にお願いしているが、それを越えてしまいそうだ。そうなればさすがにクソ上司も気づくだろう。気づいた彼女が何をするかは彼女にとって俺が何なのか次第だが、いい予測はまったくたたない。

 逃げ出そうにもどうも監視が厳重だ。使い魔がのぞき窓から常時見ているし、貴賓室とはいえ軟禁状態。退屈なので街を見たいというと建物の一番高いところに連れてこられて望遠鏡をぽんとかしてもらうのが精いっぱい。安全を理由とし、中央の決定待ちだというのだから抗議しても無駄だった。

 接触できる人間も限定されていた。領主、執事のコリンオス、それに彼らの腹心らしい三人の従士、あとは女中が一人。この四人もただものではない。従士三人は知らない顔だったが、向こう傷があったりやけどの跡があったりと若いながら苛烈な経験をしてきたと思われる面構えに機敏そうなよく訓練された肉体の持ち主。女中も身なりをしっかりこしらえ、営業スマイルを絶やさないがめりはりの利いたしなやかな体つきを隠す気もあまりない、おそらくハニートラップにも対応できる危険な女。少しとうがたっているが気にならないし、ハニートラップにひっかかったなら最高の瞬間に死なせてくれそうでいろいろやばい。

 彼らから、あたりさわりのないことなら聞き出せた。

 市井の生活、この領地の名産やグルメ、あまり深刻でない、つまり知られても師匠のない地域特有の問題など。

 使い魔に加えて、彼らのだれか一人以上は近くにいたし、俺が自分の魔法を隠しているように彼らも何ができるかは隠していたので強引な手段もとることができなかった。

 クソ上司がこのことを察知したらどうするだろう。俺もなじられるところは多々あるが、こっちもなじりたいところはある。考えなしに衝突すれば変なこじれかたをする可能性が大きい。

 クソ上司の魔法使いとしての実力は俺も把握できていないが、少なくとも完全な状態の俺以上でおそらく同じ状態の社長と同程度だと思う。実際に比較できたわけじゃないからあくまで推測だ。なんにしろ、本気の衝突になれば分は悪い。それに誘拐犯でよこす仕事もだいたいクソだがどういうわけか、そんなに憎めない。メシをおごってくれたりしたからだろうか。だったら俺もずいぶんとちょろいものだ。

 と、すれば本人ではなく誰か代理をよこして俺を連れ帰ろうとするだろう。その上で、路地裏の賢者が正しければ穴を移動させてしまうのだろう。本人は何も知らなかったことにするに違いない。

 と、なると銀朱あたりがくるかな。社長は危ないので直接来ないはずだ。

 あの人のことだから、状況を読み取って板挟みになる前に来て俺とクソ上司がぶつからないようにするかもしれない。あのおっさんはただのさえないハゲじゃあない。一つの世界全部を敵に回して勝ってしまえる人物だ。力技だけの人ではない。そうなると金朱か土師君あたりをまるめこんでよこすだろう。

 そのほうがありがたい。まだクソ上司にどうぶつかるか決めあぐねているのだ。


 そのまま二日ほど、無為に時間が過ぎていった。


 ちりん、と聞き覚えのある音がした。

 こっちでこの音を聞くとはさすがに思っていなかった。気づくと、部屋は同じでものぞき窓の向こうに使い魔はおらず、部屋の外に控えている従士の気配も完全に消え、遠く聞こえていた館の営みの雑多な音の集まりもしじまに消えてまるで時が止まったか、館が廃墟になって何十年もたったかのようなそんな感じになっていた。

「迎えに来た」

 路地裏の賢者がそこにいた。ただし、最初に見かけたようなホームレス姿でもなければ、あの神社で奉納舞をおどっていた翁の面姿でもない。こちらでは宮廷に出仕する大魔法使いあたりが着るような派手ではないが豪華なローブを着て、手には東洋の仙人がもってそうなこぶだらけの杖を持っている。道を歩けば人々がお辞儀をし、町の代表が何事かと出迎えに走ってきそうな風格をたたえている。

「滞在は俺の任意では? 」

「そうもいかなくなったのだ。おぬし、何監禁されておるんじゃ」

 いや、まあその成り行きで。あと昔の部下や同僚の部下たちがしっかりしてたもので。

 と、これらは言葉にならず口の中でごにょごにょつぶやくのが精いっぱいだった。

「そういうあんたこそ、なんでこんなとこに」

「おぬしが監禁されているのを約定に反すると判断したかたがおってな」

 この爺さんが敬意をこめて扱う相手。俺は一柱しか心当たりがない。

 意に反して抑留されているのが、あの時あの場所でかわした言葉にそむいているとそう判断されたようだ。

 まあ、神の思い込みなんだろう。そんなん予測できるものかね。それでこの爺さんがあせってやってくるんだから本当畏るべき相手なのだろう。

「そうか、それは仕方ないな」

「仕方ないのだ。さあ急ぐぞ」

「どこまでいくんだい? 」

「いったん、町の外までだな。急げばなんとかもつだろう」

 ん。気になることを言ったな。

「もつって、何がだ」

 返事はしてくれなかった。

「いいから歩け」

 領主の館の正面玄関を出るのは初めてだった。裏口からこっそりはいって以来、外には全く出してくれなかったし、出ても飛び降りて逃げるには高すぎる屋上か、高い城壁でせまく囲われた裏庭くらいだった。考えたら刑務所に収監されてるのとかわりはない。

 町の中央通りを歩くのも初めてだった。人の姿はこの空間では見えず、人以外が投影されている。露店などのぞきながら行きたかったが賢者はそれを許してくれなかった。具体的には、俺の足が彼の魔術でしばられ意志の通りにはうごかないようにされていたのだ。ただまっすぐ歩いていくことしかできず、自由にできるのは顔を向けて眺めるだけだった。

 この爺さんがクソ上司に匹敵するとんでもねぇ魔法使いだというのは見当がついていたが、これは思った以上だ。

 異常に気付いたのは正門を出るあたりからだ。

 視界になにか小さい黒四角のノイズのようなものが入り始めた。それがだんだん増え、その向こうに人らしいものが見えている。

 これは異空間と正常空間が混ざり始めているということか。

 賢者は気づいているらしく、足を速めた。俺の足もつきあわされる。やがて彼は街道をそれ、路傍の森の中にわけいった。

「少し休憩じゃ」

 森には不自然な広場があった。まんまるに開けてあまりたけの高くない草に覆われ、色とりどりの花が咲き乱れている。妖精でも出てきそうなところ。

 視界にはいるノイズはもうそうはいえないものになっていき、最後のほとんどひびかないしょんぼりした鈴の音が聞こえた。

 そして世界に音がもどってきていた。上空を吹き抜ける風の音、そう遠くでもない街道を行き来する人の気配。

「あれは、一時的なものか」

「まあの、警戒が厳重すぎたので非常手段じゃよ」

 どうやら詳細に説明する気はなさそうだ。

 あれは、あっち独特のものじゃないのか。

 それを一時的に発生させた。それがどういうことか知らないではすまさせない気がする。だが、まだわからない。

「ここに着替えを用意した。すんだら急ぐぞ。追手がかかる」

 可能なら彼からも逃げよう。この場を離れてみようと思ったが、動きはまだ拘束されていた。

 やむを得ない。自由にしてくれるまで俺はさっきの意味を考えることにする。どうせ足は勝手に動くのだ。

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