第37話 過疎地の異世界人②

 めんどくせえ。

 つきあってやる理由はない。蕎麦もほとんど食べ終わってしまった。

「そうか。でも後でな」

 立ち上がろうとすると袖を掴まれた。

「責任とって」

 ずいぶん聞こえの悪いいちゃもんだな。

「俺の知ったこっちゃねえ」

 クソ上司とどんな取引きがあったか知らないが、

「騒ぐよ」

 勝手に騒げばいいと言いかけて俺はちょっと注目されていることに気づいた。これは痴話喧嘩に見えなくもない。

「世間体って怖いよね。警官も寄ってくるし」

 この女…、

「勘弁してくれ。俺は派手な魔女の用事を済ませなきゃいけないんだが」

 クソ上司と言ってもわからないだろうと思って使った言葉にイノシシ姫の目が光った。

「ああ、やっぱり行って来たのね」

 土師君の顔を見ると首を振っている。しまった。伏せてくれてたんだ。

「ああ」

「でも戻ってきた。なぜ? 」

「こんなところでできる話じゃないんだが」

 これは流石にイノシシ姫にも理解できたらしい。

「分かった。一緒に行くわ」

 なんで?

 口に出さなかったが、表情に出ていたのだろう。

「あんたが会いに行く人に、私も聞きたいことがあるの」

 断るべきだったと思う。だが、俺も色々限界だった。

「分かった。迷惑はかけるなよ」


 土師君が付き合ってくれないのは予想の外だった。

「車を麻黄さんに返さないといけないから、済みません」

 まさか助手席に乗せることになるとは思わなかった。

 さっさと話を聞いてさっさと帰ってもらおうと思ったが、そうはいかなかった。

「男と二人っきりで車になんかのってみろ。何されても文句いえないぞ」

「あんたがあいつなら、んなことしないでしょ。わりと奥手なくせにかっこつけなんだから」

 一笑されてしまった。

「まて、誰だだそんなことを言ったやつは」

 敵対陣営だったのだから、俺のことなんか戦場働き以外にわかる機会なんかないはずだ。わずかにあった交流だっておたがいだましあいの探り合いの欺瞞に満ちたものであったし。

「うちの父上」

 勇者王か。彼とはこのイノシシ娘よりは交流があったが、そこまで見抜かれるものなのか。あるいはうちに送り込んだスパイの調書にそうあったのだろうか。

 そこんとこはどうでもいい情報じゃないのか。なんで娘に話すんだ。

「あんたの消息は可能なら把握しとけって言われたから、いろいろ聞いていたよ。まさか顔まで変わってたとは思わなかったけど」

 悪かったな、こんなうさんくさい顔で。元の顔よりましだと思うけどな。意外だったのは、容姿に自信がないから甲冑で顔を隠してると言われていたイノシシ姫の中身がこうだったことだ。顔だけなら普通に綺麗なお嬢さんだよな。

「知っとるか」

 奴はによによしてせっかくの容貌を台無しにする。甲冑着込んでいたのはこう言うとこかもしれんな。

「なんだよ」

「もともとのお主の女顔、この国の女どもにはこのむのもおるのだぞ」

「そんな悪趣味な話があるかい」

 否定してもイノシシ姫はにやにやしている。

 言われた通り、元々の俺の顔は女装しても不自然なじゃないくらい女顔だ。少し母親に似すぎたせいだ。母は美しく儚げな人だった。今では見る影もなく隠居先で父と美味しいものをたらふく食ってすっかりふくよかになってしまったが。

 そしてあっちではいかつい男らしい顔が好まれる。

 車はナビに従って脇道に入った。

 舗装はすぐに途切れて砂利道になり、会話をする余裕がなくなった。山肌を這うあまり広くもない道を進むのは神経がいる。この先は私道でどこにも抜けてないという警告が舗装の途切れたあたりにあった通り、この海に面した山の自然林の中に目的の場所がある。古い洋館があると聞いていたが、その通りだった。

 おそらく、外から見ても見えないのだろう。巨岩と何本もの大木に隠された小さな古い洋館がそこにあった。もうそのへんになると、舗装ではなく草ぼうぼうの砂利道になっていて乗り心地は最悪の部類になっている。

 だが、館の住人はそれでも手入れは行っているらしく、ところどころ草を刈った痕跡があったし、館の前庭はある程度綺麗に整えてあった。住人のらしい古い軽自動車も埃まみれということはない。

 古式ゆかしい呼び鈴ボタンを押すと、軒下にぶらさがった真新しい小さな監視カメラが動いた。少しだけ間があって、誰何する声が古いインタフォンを通して聞こえた。男の声、おそらく老人。攻撃的ではなく、おだやかな声だった。

 俺のことは聞いていたらしく、名乗って用件を言うとすぐあけてくれるという返事があった。

 重々しく、しかしなめらかに錠前の外れる音がして、軽やかな鈴の音ともにドアをあけてくれたのは上品な老婦人だった。奥方かと思ったが、メイド服っぽいものを着ているのでそうではないかもしれない。彼女はにこやかにどうぞ、と俺たちを招き入れてくれた。

 案内されたのは玄関わきのこじんまりした応接室。俺たちの来訪は予告があったのか、室内は整えられ、急いで整えたのか余分な一人分の席まであった。

 こういう古い建物で魔力を感じないのはちょっと新鮮だった。たいてい、穴がらみで遠くて弱いか近くて強いかくらいの差しかなかったが、ここは完全に魔力封じが聞いた普通の場所だった。

 落ち着いた色合いの和服に真っ白なエプロンといえば多分喜ぶ奴もいると思う。

 だが、俺とイノシシ姫を出迎え、玄関横の桜雪までお茶を出し、自家製らしい焼菓子を勧めてくれたこの女性は娘時代を半世紀も前に終えたであろうお婆さんだ。

 客の前でもエプロン姿なのはこの古い洋館の女主人ではないという意味なのだろうか。

「主の池谷はすぐに参ります」

 聞き覚えのある苗字だ。確か、クソ上司のよく使う偽名だったな。母方祖父と聞いているから母親の旧姓を偽名に使っているのかもしれない。

 しかし、俺が聞いているのはアルトゥル・サイカという名前。呼び鈴通じての申し入れもその名前に対して面会を求めたものだった。

 クソ上司はこの祖父のことを外国人だと言っていた。結婚や帰化で名前を変えることはめずらしいことではないと聞いている。うちの国にも国の民の台帳があり、賞罰含めて記録がされている。そこには名前の変更履歴もあったはずだ。

 あの婆さんは、家主の旧名が気にいらないのだろうか。

 ごとんと重々しく杖をつく音が聞こえた。

 礼儀というのは穴を跨いでもあんまり変わらないものもある。俺はこの家の主人に対して身分上の優位があるわけではない。起立して出迎えた。イノシシ姫も同時に起立するのを見て、こいつは真面目な奴だなと感じた。勇者の陣営には覇者の驕りで無礼御免な奴が多かった。

「お二人は軍人ですかな」

 とても柔らかな声だが、加齢のためか少しかすれている。杖をついて膝を庇うようにしているため、筋肉もだいぶ削げていることもあって少し小さく見えるが若い頃は堂々とした体格だったのだろうと思う人物だった。白髪、白髯を短めにきちんと整え、紺色の作務衣姿に皺深い顔が乗っていた。顔立ちはクソ上司になんとなく似ている。この国の人間としては不自然ではないし、アジア系と言える顔だ。クソ上司と違うのは二点。肌色が黒というより赤に近い褐色であることと、そしてあまり見ない耳の形。幅が細目で耳たぶがやや長く、おかげで下に尖って見える。

「こんな格好で失礼しますよ。どうぞご着席を」

 池谷老人はごとんごとんと杖をついて俺たちの向かい側によいしょっと腰を下ろした。この杖、いざとなったら護身の武器になりそうだ。

「初めまして。池谷有人あると、かつてはアルトゥル・サイカと名乗って幻魔を狩っておりました」

 ああ、その可能性はあった。

 この爺さんは俺と同じ異界の者なのだ。




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