第26話 帰省①

 桃の里の事件以来、路地裏の賢者の消息はぱったり消えた。

 それに気づくのに時間がかかるほどあの里の後始末は大変だったのだ。

 里に住んでいた二百人でこちらを選んだのは百八十三人。ほとんどがこれまでと変わらない水準のくらしを選んだ。それだけの人数が戸籍もなく移ってくるのは結構大変なことで、しかも知られてはいけないので我らのクソ上司も銀朱、金朱兄妹も鏡医師もみんな何かしら忙しくしていて俺は放置に近かった。穴関係の仕事もないのでは、何かアルバイトでもしないと食っていけない。社長に当たり前のように入社を勧められたのは渡りに船だった。

 この半年、穴関係の仕事はたったの二回、それも不発でガセネタからぶりとアンカーの女性に逃げられてしまったりとしまらない話だったり。それ以外は水のトラブルやら簡単な修繕やら、引っ越しの手伝いやら、そういうものに忙殺されていた。

「なんか楯野さんすっかり作業服が板についたね」

 淫魔の佐奈子にそんなことを言われるくらい、普段から作業着になってしまった。社長からいつ電話があって急な仕事に対応することになるのかわからないから。

 伍堂のバカがいなくなったのも地道にきいている。くだらない喧嘩のできる相手というのは結構大事だ。四天王やってたときも、仲間内で悪態をつきあっていた。

 張り合いのない、惰性の生活。主に食欲でちょっかいをかけてくる佐奈子もかわいいと勘違いするくらいにゆるんだ生活。クソ上司がそんな俺にどこかいらついているようだが、おそらく俺が油断しきっていたからなのだろう。


 ちりん、と音がするのと、記憶のフラッシュバックと、そしてしまったと思うのが同時だった。そのタイムラグも結構大きく、殺すわなだったら確実にやられていただろうと遅まきながらぞくりとした。

 前にもやられたことをもう一度仕掛けてくるとは思わなかった。舐められたようだが、それだけ俺の油断が目にあまったのだろう。

 一番悪いのは転居してない俺なのだが。引っ越し費用がどうも捻出できないのと、今より家賃の安いところがなかなか見つからないのがよくなかった。

 魔力が少し戻ってくる感じ、そして誰もいない漂白されたような町。さっきまで聞こえていた人の活動のざわめき、車の音や子供の声、音としてはっきりきこえていなくてもわかる無数の気配がふっつり消えた。

 俺はその場で頭を抱えて、路地裏の賢者が何をしかけてきたのかを待った。

 視界の隅に何かが動いている。アパートの、門柱の上だ。音も聞こえてきた。小さなシンバルを延々打ち鳴らす音。

 猿のおもちゃが延々シンバルをうちならしている。

 ついさっき動き出したようだ。

 誘っているのだろうか。

 注意しながら階段をおりる。あれは陽動で不意をうたれるかもしれないとこわかったから。

 俺がアパートの門にいくと猿のおもちゃは「シーッ」と威嚇するように鳴いて止まってしまった。

 かわりに違う方向からけたたましい声。黄色い驚いた顔の鶏のおもちゃが角の家のボイラー排気口にささって叫んでいる。同じようにその近くにいくと、おもちゃはぼろりとおちて声もやんだ。

 同時に、また別の方向から今度は声。といっても少しくぐもった電子録音で、そちらを見ると、よくしられたたぶんアニメかなんかのだろう、まるっこいだるまのようなものがこの場合はあんまり意味のない子供向けのセリフをしゃべりながらがたがたと道路の上を先導するように走っていく。ついていくのは簡単だった。

 それがぱたんと倒れたのは小さなくらい参道の前。人一人くぐれるくらいの木の鳥居があり、参道はうっそうとした藪の中を山の上のほうにのぼっている。

 うちのアパートからそんなに遠くないはずの場所だ。

 こんなところあったかな?

 その参道の先から和太鼓と篳篥の音が誘うように聞こえてきた。

 くそう、どう考えても罠だぞ。

 だが、罠というならうかうかついてきた時点でもうがっつりはまっている。

 えええい、ままよ。危害を加える気ならもう来ているだろう。

 万全でないが、自分を守るくらいの魔力は戻っている。俺は覚悟を決めて参道の崩れかけた石段をのぼった。

 一言で言えば烏天狗、本当に烏くらいの大きさのそれが身の丈にあわないばちと笛をもって演奏している。あの嘴でどうやって笛をふいているんだ?

 そして拝殿の前に翁の面をつけ、白獅子の装いをつけた人物が拝殿の舞台で扇を手に舞っていた。

 ゲームならこれボス戦の場面だ。

 そのボスが路地裏の賢者だという確信がなぜか俺にはあった。

 その舞を邪魔してはいけない。社にひそむ強大な気配に俺はそう感じた。ただ立ち去るのもきっとまずい。彼が舞を終えるまで俺は待つしかなかった。

 そこにあったベンチに座って待つこと十数分、スマートフォンの時計があっているならそれくらいの時間が経過したところでひときわ甲高い笛の音と鼓の一打ちで舞はようやくに終わった。

 よくわからないが、見事な舞だった。だが、催眠効果でもあるのか、終わってみれば少し眠りかかっていたのはたぶん魔力がそのように働いていたのだろう。

 さからえない疲れが自分の内にあることを俺は自覚させられていた。このまま眠ってしまえればきっと楽だったに違いない。

「待たせたのう」

 路地裏の賢者がきれいな所作でふりむいた。

 社から感じた強い圧は消えていたが、何かがそこにいるのはまだ感じられた。ふるまいをあやまれば大変なことになる。そんな場所に相違ない。

「それで、俺なんかをわざわざ呼び出して何の用かな」

「おぬし、自分のあるべきところに帰りたくはないか」

 あるべきところ、つまり俺の出身世界だ。

「そりゃ、まあな」

 なんのためにクソ上司に従っているかといえば、それが条件だ。俺の世界への「穴」が見つかるまでの契約。見つかれば「穴」を封鎖し、俺は封印されている本体ごと元の世界に戻ることができる。

 といっても、もう何年もたっているのだから四天王としての地位はもう残っていないだろうし新任者に邪見にされながら一から出直しなんてことになるだろう。

 もちろん、家も財産も形見分けされてもどってくることはない。

 こっちの生活がすっかりなじんでしまったので何がなんでも帰りたいかというと少し微妙なところもある。

 だが、そんなことはこれまでいろいろしかけてくれた路地裏の賢者には関係のないことだ。原則、俺は帰るために仕事をしている。

「一時帰省できるというたら、おぬし、のるかね」

「何を言ってるかわからんのだが」

 この爺のしかけてくることだ。なんであれ裏がないはずがない。こっちが勝手に誤解して便乗されることを考えれば、愚昧でも相手に言葉をつくして説明してもらいたいものだ。情報はそこからくみ取れる。

「まんまの意味じゃよ。おぬしらは穴の向こうにいくこともあろう。桃の里の時のように、今の体のままおぬしのふるさとに一時帰宅してみてはどうかと」

「その穴の位置をあんたは知ってるというのか」

 怪しい。絶対あやしいぞ。

「もちろんだ」

「その位置をうちのクソ上司に教えるだけで俺は帰れてしまうんだが」

 路地裏の賢者のやつ、ふふん、と鼻で笑いやがった。

「それは無駄だね」

「目隠しでもして連れていくのかい? 」

 位置秘匿されれば確かに無駄だといえる。だが、リスクは残るのにこの申し出をしてくるのはなぜか。そこんとこが俺にはわからない。穴をなるべくたくさんあけて維持しようとするこの御仁がそんなことをなんのメリットもなくやるわけがない。

「その必要はない。おまえさんは場所をご注進してもかまわんが、穴は別の場所に隠されて封じられることはないだろう」

 俺を「一時帰省」させたあと、誰かに穴を預けて移動させてしまうということだろうか。そんな手間をかける理由がわからない。

「そんな手間をかけて、何が目的かな」

「おぬしは勘違いをしておる。穴を隠すのはわしらではないぞ」

 じゃ、誰だって顔をしてたんだと思う。

「この国でわしらにとって目障りな異世界人は今のところ二人。魔王殿とおぬしだ。

穴二つ犠牲にしてでも帰ってほしいところだが、つまり対立する側からすれば穴二つ目こぼししてでもいてほしいということになると思わんか」

 やっと話が見えた。

「うちのクソ上司が俺んとこへの穴を隠しているというのか」

 とんでもない話だ。

「その通りだが、信じるかどうかはおぬしに任せよう。その上で提案しておる」

「一時帰省をか」

「そうだ。おぬしの相棒の時に確信したが、その体でも自分の世界に戻ることは可能だ。本来の体には戻れないが、不自由があるかどうかは本人にしかわからん。もし差し支えなければそのまま去ってくれると嬉しい」


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