第41話 過疎地の異世界人⑥

「楯野君。穴の悪影響って本当はなんだか知ってる? 」

「人心が荒み、というのは聞いてるけど路地裏の賢者は賢者で考えがあるように見えたがね」

「そうね、それは嘘じゃないけど本当の対立軸ではないね」

 嘘じゃない? では本当のところは何故聞かせてもらえないのか。

「本当の対立軸? 」

「楯野君はエントロピーって知ってる? 」

 知らない。

「適当な説明だけど、世界はだんだん悪くなっていくという数値ね。神や精霊の力がだんだんに失われていくと例えたらなんとなくわかるかしら」

 原初の偉大な存在の伝説ならどこにでもある。それがいなくなっていくのはなぜか、そういうものだとみんななんとなく納得している。

「魔法はね、エントロピーを穴で繋いだ先の並行世界に捨てて逆転を起こすことから可能になっているの。現れ方は色々だけどね。間違いないのは世界の法則から外れているから従うべきルールも技術もまるで違うものになる。穴は魔法を実現するために生み出され、争いを避けて移り住むために無節操に開けられたけど、その頃はそれが穴で繋いだ先の世界を犠牲にするものだとはわかっていなかった」

 よくわからん。つまり穴を放置するとどうなるんだ。

「大雑把で悪いけど、どんどん貧しくなって死の世界になる」

 だから、穴は閉ざさなければならない。クソ上司はそう言った。

「では、賢者はどう思っているんだ」

「彼は逆に考えている。エントロピーが増大する世界法則を魔法の力で打破し、永遠の繁栄を得たいと思っている。穴は魔法の源だ。だから維持するだけでなく、新しく開けることを希求している。そのためには並行世界をいくつ潰しても構わないと思っている」

 この説明を得て、俺は彼らの対立軸を理解した。世界を支配する法則に従い、ゆっくりした滅びを受け入れながら併存共栄しようとする者と、外道と言われようと運命に逆らおうとする者たち。

 虫の声しか聞こえない闇の中に、初めてクソ上司のランタン以外の明かりが見えた。別のランタンを置いて待っている誰かがいる。遠目に見える仕草は手酌で酒を飲んでいるようだった。

「おう、来たか」

 知った顔、社長だった。

「なんでここに? 仕事大丈夫ですか」

「あんまり大丈夫じゃねえ。明日は忙しいぞ」

 うわあ、としか言いようがない。

「麻黄さん、運転しなきゃいけないんですよ」

「運転は楯野がやってくれるだろう。おいらは疲れたんでな」

 俺としては社長がここにいることが気になった。

「さっきまでの話、社長は知ってるので? 」

「うん、麻黄さんも随分昔に勧誘した。伯母の婿になるはずだったけど、きっぱり断られて伯母は別の人と結婚した」

「ボス、ちゃんと言わなきゃいけないぜ。目出たく一般人の恋人と結ばれたってな。おいらは野暮天は嫌いなんでぇ」

「伯母というのは賢者の娘で弥子の母親よ」

 待て待て情報が多い。

「ええと、つまり」

 魔法使い一族の女性が一般人と結婚したら、強すぎて封じないといけないほどの魔力をもった鏡医師が生まれたと。

「血統主義、意味ないのでは」

「そう言われるのも弥子にとっての面倒の元だったのよね」

 誰を憎んでいるのだろう。クソ上司は珍しく憎しみを浮かべた。そんな表情は極めて珍しい。いつもしれっと取り澄ました顔なんだから。

 とりあえず、知りたくもない関係のことは知った。

「つまり、さっきの話は社長も全部知ってるのか」

 俺はクソ上司に確認した。

「ええ、だから協力してもらったの」

「それなら、社長の意見を聞かせてほしい」

 正直、俺は戸惑っていた。色々なことが押し寄せて、今は後悔のない判断をする自信はない。社長はふうんと言いながらクソ上司の顔色を窺う。

「いいよ。舘野君に助言してあげて」

「おいらから言えるのは二つだけだな。一つは助言じゃねぇ、事実だ。まず、穴が無事に閉じておめえが本来の姿であっちに戻っても、居場所はねえ。おめえ抜きで何もかも長い間進みすぎたからな。おめぇの元上司もほいほい受け入れるのは難しいだろうと思っている。といっても実力は認めているから排除もしたくない。帰ってくれば何か受け入れ方を考えるとは言っていたが、当分は勘弁して欲しそうだったね」

 人は入れ替わっていたりするし、立場も変わっている。そこに頭越しに肝心な時にいなかった者が据えられたらどうなるか。その辺は容易に想像がついた。

「ま。こいつはどの帰還者でもあるあるだと思うから気にするこっちゃねぇ。まさかよ、ママがあったけぇ手料理用意して迎え入れてくれるなんて誰も思うめぇ。それよりおめぇが今後どこで生きて行きたいかだ。穴がある間はまだ選択できたが、閉じた後はもうそうはいかねぇ。この点は伍堂の野郎は気持ちいぃくれぇきっぱりしてたぜ。だが、楯野、おめぇは迷いがあるだろう」

 クソ上司の愛玩物になるかどうかは置いておいて、池谷老のような考え方は確かにある。俺もこっちの生活に馴染みすぎた。

「社長は帰るつもりなんだろう? 随分こっちにいるが、なんのために帰るんだ? 」

 ふむ、と社長はクソ上司にちらっと目をやった。

「そいつは帰り道にどっかで飯食いながらするとしよう。片付けを手伝え」

 俺にあれこれ指図を出しながら、社長はクソ上司とひそひそ話をしていたようだ。


 少し遅い時間だったが、サービスエリアはそこそこの混雑だった。

 あんまり人のいない隅っこで、俺はカツ丼、社長はうどんと稲荷寿司をつついていた。クソ上司はもういない。迎えを呼んでいたとかで、駐車場に姿を消した。

 本当に誰かの車がいたのか、裏世界のショートカットに入ったのかはわからない。

「おお。このうどんいけるな。稲荷はちょいとべしゃべしゃでいただけねぇが」

 カツ丼は卵が少し半煮えでいまいちだが、空きっ腹なので俺は割とガツガツ食べしまった。

「で、俺がなんで帰るかだよな」

 食べ終わってくつろぎに入ると社長がやっと切り出した。

 ええ、と俺は合いの手打つ。

「おめぇ、穴が閉じた後のあっち側がどうなると思われてるか知ってるかい」

 わからない。俺は首を振った。

「何か良くないことが? 」

「うん、すぐにどうこうじゃねえが、いずれそうなるってのがあってな」

 わかるか。と聞かれて俺は被りを振った。

「エンなんとかと穴と魔法の関係を聞いたロ? 」

 魔法という法則に従わない力は何で生まれたか、そんな話だった。

「確か、穴を経由してエンなんとかを奪うんだかなんだかでしたね」

「おうよ。じゃあ穴がなくなったらどうなるよ」

 まさか。

「魔法が存在しなくなる? 」

「すぐじゃあねえ。だが、俺っちんとこもオメェんとこも、魔法に頼りすぎてるよな。どいつもこいつも無垢になるってこった」

 色々激変するじゃないか。

「さっきも言ったが、すぐにじゃねえ。だがどんだけかかるかもわかんねぇ。狸の皮算用ってやつだが、おそらく数十年だろうということだ。その間に魔法はだんだん弱くなって、最後にゃふっと消えるんだとよ」

 それはパニックが起きるな。

「おいらがいなくなって何十年もたった。居場所も役割もとっくに失せたおいらだが、穴が閉じた後に一つ果たせる役割があると思ったのよ」

 それは何だ。俺は膝を乗り出していた。フードコートのそんなに安定のいいと言えないテーブルが少し傾いたので慌てることになったが。

「興味津々だな。語りようがあるってもんだ」

 社長はにやにやしてる。ちょっと膝をぶつけて痛い、

「何をなさるので」

「技術を持ち込む。こっちもそうだよな。魔法を封じた後は技術だ。そのための科学だ。そして魔王は魔法ではなく、技術の力で倒される」

「魔王がいるんですか」

「ここにいるじゃねえか」

 社長は自分を指さした。

「社長」

「ま、最悪おいらがやるだけってことだ。そんときもできれば死ぬ気はねえ」

 そしてこれが社長の帰る理由だという。

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