第19話 桃の里⑤
路地裏の賢者がどこまでの力をもっているのかわからない。だが、暴力のプロ数人をさしむけることができて、あのカメレオン野郎のような異形の手駒をもってるのはまったくもって油断ができない。直截に暴力で俺たちを制圧しにくるか、それとも思わぬからめ手から不本意な妥協に追い込まれてしまうのかわからない。
既にクソ上司に連絡はした。里の分の薬が足りないことはもうわかっているので、持ってくるついでに誰か応援に差し向けてくれるという。
間に合わないかもしれないが。
他にいろいろ手を打ってくれるらしく、伍堂を負傷させたような手合いが動けばわかると言ってくれた。まあ、今回あの手合いを使うのは賢明と思えないが。
そうなると異形方面か。どんな手駒が出てくるかわからん。
そんな緊張をよそに村は静かなものだった。時々、どこかの農家の軽トラや、びっくり生協もやっているらしく配送トラックもはいってくる。昔は農協の店があってそこでみんな買い物をしていたそうだ。
のどかな風景を見ながら俺はかばんをぶらさげ、鏡医師と診療所に行った。土師君がいないかわりだ。彼女は皆無ではないが魔力は弱い。動きを見ると体幹はかなり強いが、戦士というほどではない。護衛が必要だった。
そしてやはりちゃんとした医者らしく、この地域の風土病について俺には理解できないが、くらしぶりに密着した話を語ってるあたり……そうだと思ってはいたが、オタク気質だった。興味も俺の世界での風土病についてで、俺界ではよく知られてるやつを一つ二つ教えるとものすごく食いついてきた。土師君にも彼のいたところのそれを根ほり葉ほり聞いたらしい。
「風土病を甘く見ちゃいけないよ。どこかではそれほどでもない風土病が別の土地に入って猛威を振るうなんてよくあること」
今回のこの薬で対処してるように、穴のむこうからこっちの人間には対処できない病気が入ってくるかも知れない、と彼女は語った。
「幸い、魔力の存在が前提のものが多いから被害は少ないけど、穴の近くやうちの一族みたいに魔法を許された連中にはね。今回のこの病気もどこかの穴の向こうからやってきたやつよ」
と、いうことはそこなら伝統的な治療法や拮抗薬があるってことだろうか。
「たぶんね。問題はそれがどの穴の向こうか追いかけ切れてないこと。もしかしたらもう閉じちゃった穴かもしれないし」
そうなると、あっちの治療法は入手できない。
最初に話を聞いたスーパーでまたラムネを買って飲んだ。おばちゃんは何か聞きたそうな顔ではあったが、それこそ当たり障りない会話以外が口を閉ざしていた。鵺野の若旦那のこととか聞いてみたんだが、ばとらさんと違って彼女らよそ者にも気をつかってくれるという感謝の言葉を述べただけだった。口止めされたかな。
ただ、配達を終えた生協のトラックが通りすぎていくと盛大にしたうちをしていた。
埃っぽく、朽ちかけた診療所はもうずいぶん使われていないようだった。
そのくせ、奥まった診察室には電子カルテのサーバーとコンソールが置かれている。こういうものの価格とか評価はわからないが、鏡医師の反応からすると個人医院で使うには一般的なやつらしい。電源も生きているし、最近使われた痕跡もある。往診にはいろんなところを頼むのだけど、カルテは一元化したほうがいいということでここに入れてもらってるんだそうだ。
彼女の作業は患者のカルテが登録されていれば追記すること、なければみっしりつまった紙のカルテの棚から探して内容をざっとうちこみ、診察の結果を打ち込むこと。どうしても見つからない人の分はあらたに登録する。
作業は日がとっぷりくれるまでかかった。
再度スーパーで調達した冷めきった惣菜をかじりながら鏡医師は作業を続け、護衛の俺は退屈だが通りを見張ったり、裏の気配をさぐったり、いざというときの脱出についてプランを組んだりしてた。まあ、気の利いた襲撃を受けたら逃げようはないのだけどね。
「よし、済んだ。屋敷に戻りましょう。晩御飯があるかどうかわかんないけど、面白い話もあるから土師君と合流優先で」
屋敷の主に歓迎されてるわけではない。といっても鵺野家はこの村一番の素封家だ。そんなケチな真似はされないだろうと彼女は楽観的だ。
クソ上司ならどうせなら、と開けられないとしても穴の場所を探しに行くところじゃないかな。
屋敷に戻ると、正門はもう閉ざされていた。遠慮なく呼び鈴をならして村の分の仕事が「やっと」終わったと主張する。応対したのは戸田執事だったが、少し待てといわれて通用門をあけにきてくれた。
「もう一人のお若い方も少し前に戻ってきたところです。遅くなるなら連絡いただければ。お食事は温めなおしてお出ししましょう」
冷や飯でもいいと主張したが、結局待たされた。
横になって居眠りしていた土師君はだいぶ疲れたようだ。急で崩れかけた石段を登らないといけないような場所もあって、重量のある壊れ物をもっていたりすると相当に大変だったらしい。
おいしそうなにおいの膳が運ばれてきた。今回はハウスキーパーさん一人だ。娘さんはもうあがって家らしい。膳と飯櫃をおくと、彼女は忙しそうに戻っていった。世間話してる余裕もないようだった。
「楯野さん、昼やったあれおねがいしていい? 」
三人だけになると土師君がむくりと起き上がった。途中から狸寝入りしてたようだ。
あれってのが魔力がある程度使えれば、遮音結界ならお安い御用だった。
「裏の彼にあってきました」
外回りしてるのをいいことに立ち寄ったのだそうだ。遅くなったのは話し込んでいたためらしい。
「あの娘はあまり時間が取れないようなことをいっていたけど」
「一、二時間に一回、執事か家司が見に来るみたいですね。そこはちょっと魔法でごまかしました」
軽くいうなぁ。彼がかなり腕のたつ魔法使いらしいってのは察しがついてたけど生き生きとしてるのを見て疑問が浮かぶ。彼は本当は穴のむこうに戻りたいんじゃないのか?
「で、ちょっと試してみたいことがあります。符がなくても、パターンを読み解けばあけることができそうです」
「わかるが、すごく複雑なんじゃないのか? 」
「彼の師匠が僕の想定をはるかに超える魔法使いなら無理でしょうね。そこはちょっと微妙です。でも試してみるべきじゃないでしょうか」
間違えたら発動する罠とかなければいいんだけど。
鏡医師は即断した。
「鵺野さんのあてにしてる増援が来る前に試せるかもしれません。明日行ってみましょう。一度試してうまくいったら突入です。鵺野老人が怒るでしょうけど、彼は本来の交渉相手ではありません」
俺も土師君も反対はしなかった。何より路地裏の賢者が何をしかけてくるか心配だったのだ。
「ところで、鏡先生が気づいたことってなんです? 」
「ああ、そのことね」
彼女は忘れてたようだ。
「穴の向こうの人間がこっちまで入り込んだことがあるみたい。さすがにいま生きてる人はいないけど、子孫と思われる人がいたわ」
彼女は指を二本たてた。
「執事の戸田さんのお祖父さんらしいひとと、鵺野老人の曾祖父らしい人。奥の一番古いカルテに名前がのっていた。知らない文字で名前を書いて当て字の名前がついててね、名字が一致したの」
鵺野老人がなぜ反対派なのか、わかったような気がした。
「楯野さん」
土師君がふいにあっちを見ろ、という仕草。
家司とハウスキーパーの娘が学校の制服姿のまま俺の結界をたたいていた。
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