第35話 帰省(終)
状況はわかった。しかし、彼女がなんでここにいるのかという疑問がある。
「あつかましいけど、二人にお願いというか提案をしていいですか」
それには答えず、彼女はそういった。
「聞かせてくれ。おぬしもよいな? 」
賢者にしきられたが、まあここは譲っておこう。
「ありがとう」
金朱は頭を軽くさげた。
「それであの、ここでのことは、すべて見なかったことにしませんか? 」
盛大にため息ついてたものな。
「わしはかまわんぞ。だが、おぬしはどうだ」
問題なのは俺のほうか。
「あんたが路地裏の賢者にヘッドハントされてぐらついてるってことを忘れろということだよな」
「お願いします。ちゃんと考えて選択したいので、追い込まれるようなことは今は避けたいんです」
拝まれてしまった。
まあ、借りがある身だ。承諾の返事をした。
「わかった。いいよ」
ところで、問題がもうひとつ。
「こいつらどうする? 」
気絶してるあちらの斥候三人のことだ。
「それはわしに任せてもらえんか。正規の対応では生かして穴の向こうに返さないことになっている」
それは後味悪いな。
つまり殺して死体だけ穴の向こうの適当な場所に捨てるということだ。
アンカーになるかもしれないから、生かしてはおかないだろう。
「どうするんだ」
「裏につれていって怖い思いをしてもらう。穴のこっち側について勘違いしてかえってもらおう。おそらく穴のあっち側からは立ち入り禁止になるだろう」
それはそれで気の毒ではあるな。だが、死ぬよりきっとましだ。
「わかった。お願いしていいか」
「引き受けた」
ちりんと音がした。
そこに待機させていた手下がいたらしい。外用トイレのドアから日本の妖怪シリーズという感じの異形の者が三人、雨を気にせずでてきた。河童とからかさおばけと一つ目入道だ。
俺の身柄は結構危なかったんだな。
路地裏の賢者は彼らに短く指示を出した。河童が一人を背負い、入道が両脇に一人づつかかえ、からかさは賢者に雨がかからないようのびあがって傘を広げた。
「ちょうどええし、わしはこれで失礼する。楯野殿、二人っきりになるからといって金朱に変なことをするでないぞ」
しねえよ。あの一族だぞ。絶対後が怖い。
路地裏の賢者は裏の世界にはいり、鈴の音一つ残してこれを閉じた。
あとにはまだまだ激しい雨音と残った焚火の明るさだけ。
「それで」
俺はもう一回聞いた。
「金朱はなんでここにいるんだい? 」
もう一回、冗談でごまかそうとするのを許さず追及すると、あきらめてまた大きくため息をついた。
「麻黄さんに監視カメラをつけてもらってるのよ、ここ」
ほう、社長が。
「電波はいらないのによくつながるね」
「古い電話線を利用してるそうよ。あの人、魔法なしでも結構すごい」
いつつけたのかといえば、土師君と一緒に穴の向こうに俺を探しに出る直前らしい。金朱はここからあまり遠くないところに滞在し、カメラの監視を引き受けていたそうだ。
「そこに俺と賢者、水鏡の大叔父さんだっけ? が映ったのでとんできたのか」
「麻黄さんと道雄君も出てくると思ったし、この二人が一緒でただごとですむわけがないと思ったから」
この古民家の外、少し下ったあたりに車がとめてあるそうだ。
「初心者マークなので、死ぬかと思いました」
この荒天の中、廃村かなにかで街灯がないようなとこだ。怖くないわけがない。
どうやら無我夢中でその困難を乗り越えてしまったらしい。
「責任が、ありますから」
ふうん。
なら、雨具もあるよね。
「社長たちはすぐにはもどってこないと思う。あっちでえらいさんがたにつかまってね。そのうち戻ってくると思うが迎えにいこうとかは思わないほうがいい」
警告はしないとな。
「あの三人の同類がまだうろついているかもしれない」
それより、人心地のつくところに俺は行きたい。焼き肉屋がいいな。安い肉でいいからビールも飲みたい。
「話をしたんですか? 」
「社長の夢歩きの魔法で土師君と少しね。だから路地裏の賢者と一緒に穴の外に出ることまでは知っている」
「わかりました。楯野さんを駅前まで送ります。列車はもうないので、駅前の旅館にとまって明日戻ってください。戻ったらすず姉にすぐ連絡をお願いします」
キレそうになってるって話だしな。
戻ったら、というのはこのへんで連絡をいれると穴にはいっていたといってるようなものだからか。
「では、行きましょう」
もらった携帯用の雨がっぱではどうしてもかなり濡れることになった。幸いというか、彼女が乗ってきた車は社長の会社の社用バンで後ろには地下足袋や軍手、それにたぶん俺のだと思うくしゃくしゃの作業着があった。がくんがくんする車の中で着替えるのは難しかったが、駅前につくくらいにはなんとか乾いた服装に化けることはできた。濡れた服は防水の袋にいれて手でもっている。今夜中にある程度かわくといいな。
金朱はこの駅前ではなく、集落外れの空き家を借りて滞在しているそうだ。そこに泊めてもらえないかと思ったが、今は若い女一人なので勘弁してくれと言われた。
「不用心じゃないか? 」
「一応、穴がちかいので軽く錯覚を起こす魔法をかけてあります」
どういう錯覚だろう。やくざと情婦とかそんな物騒なやつだろうか。
旅館の部屋数は四室くらいだったが、他の宿泊者は朝一番に現場に出るというどこかの工務店の職人二人だけだった。飛び込みなので夕食などはなく、金朱にもらったカップ麺にお湯だけもらってわびしくすすってさっさと横になる。
仮初の体でとはいえ、一度帰ってきた。その実感がやっとじんじん伝わってきて、こちらの世界で畳の上のふかふかの布団に寝ているのが何か嘘のように感じてしまう。
懐かしい故郷は、俺の最後の記憶とはずいぶん違ってしまっていた。
俺がいなくなって大きな変化があったが、今では俺がいないなりになんとかやっている。帰ったら、心からの歓迎をしてくれる人はいったいどれくらいいるのだろう。
それと、思わぬ発見。
路地裏の賢者の正体と、魔法使い一族の関係。
彼が声をかけているのは金朱だけじゃないだろう。おそらく、社長にも声をかけているし、金朱との関係から土師君にも何か働きかけてるに違いない。
金朱と土師君が親しくなってるのは意外だったが、これもどの程度のものかはわからない。後で土師君を問い詰めるとしよう。彼女の兄、銀朱はたぶん蚊帳の外だ。
そんなことをとろとろ考えているうちに瞼が落ち、始発にまにあう時間に起こされるまで俺は泥のように眠った。
ローカル線から新幹線に乗り継ぎ、午後にはなんとかなつかしい壁の薄いアパートに戻った時には鈴の音トラップがあるかないか確かめる元気もなかった。
今さら路地裏の賢者が何かしかけてくるとも思えない。そんなことよりクソ上司に連絡をいれる気の重さがまさっていた。
彼女の反応は驚くほどそっけないものだった。
「明日には顔出せる? 」
それだけだった。
キレそうになってたとはとても思えない淡々とした反応。
不吉なものを感じたものの、断るという選択肢はなかった。
そして、その予感は的中することになる。
だが、一番緊張する連絡をすませた俺はとにかくくつろぎたかった。
とっておきの現金を引き出し、焼き肉屋にいってビールを楽しんだのだ。
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