間話 淫魔の相談ごと①
なんでも屋の朝は早い。
といってみたものの、必要なら時間関係なく呼び出されるので単にそれが早い時間だっただけだ。
社長はもう出勤していて、仁さんとさしむかいで何かひそひそ話をしている。深刻そうな顔をしているが、本当に深刻かどうかはわからない。確か、何か面倒ごとの依頼のため来客があるはずだ。
「おう、楯野。悪いが客に出す茶の準備をしといてくれ」
この事務所の下っ端として光栄な役回りというところだ。湯を保温ポットに移し、急須を洗って新しい茶をいれ、茶托に湯呑をのっけてあとは待つだけとなったくらいで来客の聞き覚えのある声が聞こえた。
「お邪魔しまあす」
くそ、まさかと思ったが来客とは佐奈子だった。クソ上司のところで庶務をこなしている淫魔で彼女のいたところに通じる穴が再発見されるまでの腰掛スタッフだ。
来客用の茶を使う必要はなかったな。
「お客様に茶だ、楯野」
不機嫌に茶を用意してやると彼女はにっこり微笑んだ。知らなければ素敵なお嬢さんと勘違いするだろう。請け合う。奴の擬態はかなりのものになっていた。
「さて、相談ごととはなんだね」
今ここにいる三人には通用しなかった。伍堂がいたらでれでれになってたかもしれないが、あいにく俺はこいつの正体を知ってるのでそんな気は起きない。
「あたしのことは説明はぶいていいよね」
いきなりぶっこむ感じで彼女は話を始めた。もちろん俺も社長も知ってる。仁さんもうなずいているのでクソ上司あたりから聞いていたのだろう。
「いまはいってるこれ、外面ってあたしは呼んでるのだけど。これは仕事用で、摂食用のイケイケな感じのがあるんだけど」
淫魔の摂食ってつまり男漁りだね。
仕事用でそれにいったら昼間の知り合いにばったりあうかもしれないし、摂食用ので仕事にでたら夜の知り合いにばったりかもしれないので使い分けているそうだ。
「たいていの男は行きずり、ワンナイトで満足するし、二回目があっても割り切ってくれるんだけどさ」
そうでないのが現れたらしい。
「アホくさ、男漁りの河岸変えりゃいいじゃないか」
ストーカーかな? 思わずそんなことを言ってしまった。男漁り用の姿で生活やってるわけじゃないからたぶんそれだけでふりきれないか?
「それがね、楯野さん。聞いてよ」
そうはいかなかったらしい。
顔の広い人物だったらしく、県境を越えて男漁りにでかけても少ししたら見つけてよってくるらしい。しかも自分以外の男との同衾を邪魔してくるんだそうだ。
「少しの間控えたら、といいたいが佐奈子にそれは無理だな」
「うん、飢え死にしちゃう」
「じゃあ、外面を新しいのにするしかないんじゃないのか」
ああ、もうと佐奈子は頭をかいた。俺の質問はよほどアホなものだったみたいだ。
「簡単にできたら苦労しないわよ。あれ、ほいほい作れるものじゃないのよ」
どうやって作るかはわからないが、すぐに用意できるものじゃないようだ。
「別のを作ってはいるけど、あと半年はかかるわね。それじゃちょっと間に合わないのよ」
げっそりした顔もなかなか様になってるな。少しかわいいと思えるんだからちと術中にはいりつつあるかもしれない。警戒警戒。
「で、そいつの目的はなんでぇ? おめぇを囲いたいとかかい? まさか恋人になって独占したいとかじゃああるめぇな」
「あいつも遊び人よ。そんな甘ったるいことは考えてないわ。ただ、あたしが気に入ったから囲いたいってお手当とマンションの手配を提案されたわ。なんならお店も持つかって」
なんのお店だ。
「至れりつくせりじゃねぇか。囲われてやればいいじゃねえか。毎日吸ってればそのうち飽きたり、体力がもたなかったりで放り出してくれたり浮気公認になるかもよ」
「最初っから週一回程度って言われちゃってんのよ。あいつ、アホっぽい見かけなのに法律関係の資格もってて結構忙しいみたい」
「ああ、かみ合ってねぇのな。十分な金と生活を与えりゃ普通は満足するしな」
普通の相手ならたぶんそうだろう。
「よし」
社長がぽんと膝を打った。
「まずは調査と対策提案までだな。そのぶんの費用だが」
電卓をぱちぱちやって見せた。探偵の真似事にしては安すぎるんじゃないかって額があったが、佐奈子は渋い顔をした。
「まあ、そんくらいは出せるけど、もしかしてそれから松竹梅くらいに値段でコースがわかれたりするんじゃないの? 」
「ご明察。こればっかはきちんと確認しないとなんともいえねえ。もしかしたら俺たちには打つ手もないって申し訳ない結果になるかもしんねえが、なるべくなんとか出せそうな額で収まるよう工夫してみるぜ。いいかい? 」
「いいも悪いも死活問題よ。いいに決まってるじゃない」
「そいじゃあ、いくつかきくからそれについてわかる限り書き出してくんな。それをおめぇの連絡先な。なんかあったら連絡しねぇといけねぇ。それと、ボスには相談したか? 」
「してないわ。できるならこんなとこにこないわよ」
ご挨拶だな。
「じゃあ、おいらからは言わねえことにするよ」
「ありがとう」
佐奈子は気づいてないが、社長が約束したのは自分だけ。ここには俺もいるし、仁さんもいる。特に仁さんは俺たちの監視もかねてここにいるし、士業の資格ももってるような人だ。あんまりそうは見えないけれど。
案の定、佐奈子が帰ったあと、社長は仁さんとみっちり話し込んでいた。俺はというと、社長のかわりにちょっとした何でも屋の仕事に奔走していたわけなんだが。
それなのに、社長は彼女への報告の時には俺を同道させた。使う予定もないツールボックスをかつぎ、ぱっとみエアコンかなんかの修理にやってきた業者のような恰好で池袋のクソ上司の事務所に出向く。
「なんで俺」
「仁さんはエアコン修理には出ないからな。まぁ、つきあえ」
「ボスには教えないんじゃないのか」
「もうばれてる。いっとくがおいらが注進したわけじゃねぇぞ」
「あいつがいやがりはしない? 」
「今日はボスが不在だ」
俺を巻き込むなと抗議したが聞く耳はもってくれなかった。
小さめの会議室で俺たちはスーツ姿の佐奈子と面会した。
「いや、おめぇ、面倒なのに目ぇつけられたな」
開口一番がそれだ。社長も遠慮がない。
「そんなことはわかってるよ。あいつの手回し見てたら面倒はわかってる。でもこれは死活問題だから」
「興信所とかならここで書類を提示して報告するとこなんだけどよ、もろもろ事情があって口頭だけになる。すまねぇがしっかり聞いてくれ」
そういいながら、社長はマーカーペンをきゅぽんと抜いてホワイトボードの真ん中に「ドラ息子」と書いて丸でかこった。その横に「××弁護士事務所」と書いて、彼のもっているらしい資格名を書き出した。こんなのが持ってるから簡単なものかと思ったが確かにそうだが合格率一割くらいのやつらしい。不正ができない前提で考えれば、ドラ息子とはちょっと言えないのじゃないだろうか。弁護士事務所のほうは本当に伏字になっている。
「この弁護士はまぁ、後ろ暗いことの多い客が多いやつでな、公的書類の作成も気を遣うやつばっかってなかなかハードな職場だそうだ。で、センセイが全部が全部やってられないのでドラ息子みてぇな資格持ちがやとわれている。センセイは最終チェックだけやるので、こいつもグレーゾーンをうまくすり抜けるコツってのをだんだん身に着けていくって寸法らしい」
うわ、いきなりきな臭い感じだな。
「名前伏せてるのは大人の事情ってやつ? 」
佐奈子めぶっこんでくるな。
「このへんは仁さんにつてを使って調べてもらったんだがね、条件として名前は出さないってことになってる。だから実のとこ、おいらもこのセンセイの名前は知らねえんだ」
黒いつながりが見え隠れする。俺、かえっていいかな?
それから社長は「ドラ息子」の上に「不動産もちの親」という字を書いた。
「彼には父親がいるが、これが曲者中の曲者だ。繁華街や高級住宅地などの一等地に多くの不動産を持ち、貸し付けでかなり稼いでいる。当然税金もすごいし、可能なかぎり節約したい人物だな。だが、グレーゾーン止まりにとどめている。彼の名前も経歴も同じくおいらは知らねえが、政治家、警察など官公庁、マスコミ、それにアンダーグラウンドな有力者につながりのある黒に近い灰色の人物だ。佐奈子がすぐみつかるのも、彼のコネクションをドラ息子が利用しているおかげだ。当然だが、息子をたらしこんだ身元不詳のイケイケ女のこたぁとっくにご存じだ」
「え、それやばいじゃん」
「イケイケ女の家も特定してるし、ここに出勤してるおめぇとの関係も疑ってる。うかつたぁいわねぇぜ。相手が悪すぎる」
佐奈子が真っ青になるのを俺は感心してみていた。ここまで人間そっくりにやれるなら誰だってだませるだろう。
そして、ボスにばれた経緯も察した。佐奈子にも理解できただろう。
「ボスはおいらもびびるくらい笑顔だったぜ」
社長のダメ押しに、彼女は頭をかかえて声にならない悲鳴をあげた。
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