第21話 日本学力無双

「合ってる……」


 クラス中の女子の目が点になった。


「こんなんガキでも解けますよ」

「そんな筈ないわ! だったらこれはどう!?」


 黒板の数式を消して、メルナ教諭は声を張り上げる。


「外球Aに内接し、かつ互いに接している二つの核球B1、B2があるとき、Aに内接し、B1、B2と外接し、隣同士が外接する球の連鎖数は常に何個になるかを答え、またそれを証明しなさい」

「ソ、ソディの六球連鎖ぁー!?」


 クラス中の女子生徒が驚きのあまり叫んでしまった。


 しかし義人はさも当然といった具合にまた数式を黒板に書きこんで、


「以上の式から球の連鎖数は六個である事がわかります」


 二歩後ろへフラついてから、メルナは義人を指差し怒鳴る。


「あ、貴方! これはイギリスの天才科学者フレデリック・ソディが一九三七年に発見した偉大な」

「え? 俺の国だとその一〇〇年以上まえに入澤(いりざわ)新太郎(しんたろう)って商人が発見しましたよ」

「数学教授でも無い人にそんな事できるわけないでしょ!」

「数学教授? ああ算術家ですか? そりゃ算術家の先生のほうが数学できますけど俺の国だと木こりとか猟師とか農民が新しい公式や定理発見するのも珍しくないですよ」

「字の読み書き計算もできない庶民にそんな事できるはずないでしょうが!!」


「字の読み書きができないなんてそんな馬鹿いるわけがないでしょう!! 先生は俺の国を馬鹿にしてるんですか!!? 日本一の馬鹿として有名な阿呆の泰三(たいぞう)だって九九(くく)の七の段はできないけれど字の読み書き足し算引き算できますよ!」


 国で一番馬鹿な人間でも字の読み書きと計算ができるという話にもう貴族の余裕をかなぐり捨て、メルナは激高して完全に暴走状態だった。


「字の読み書き計算ができるのは貴族と一部の商人だけ! こんなの世界の常識よ!!」


 学問とは選ばれし貴族にだけ許された聖域で庶民が勉学など生意気、まして学問上の重要な発見研究を庶民がするなどありえない、学問への冒涜だ。


 そんな非常識がまかり通ればそれこそ学問の破綻である。


 しかし義人は首を傾げながら。


「え? 日本はみんな字の読み書きできるし毎日数学で遊んでますよ?」


 メルナが後ろにのけぞり壁に頭をぶつけた。


 ちなみにこの時、イギリスの識字率一五パーセント、フランスの識字率八パーセントである。


「だだだ、だけど数学研究なんかしてたら農作業や猟をする時間がないじゃない! 貴方の言っている事は矛盾しているわ!!」

「だから遊んでるって言ったじゃないですか、みんな仕事しながら片手間でこうちゃちゃっと」


 メルナのアゴと手が震えて目が焦点を求めてぐらぐら揺れて、彼女の常識が崩れゆくが義人はなおも、


「別に俺特別できるほうじゃないですよ、俺の算術家の先生の方が全然できるし学友の中に八兵衛、七兵衛、六兵衛、五兵衛っていう自称、算術四天王がいていつも俺の事を『ふはははは、貴様こんな問題もできないのか』とか馬鹿にしてくるし」

「~~~~~~~~ッッ!!!?」


 声にならない悲鳴を上げてメルナがチョークをつかむ。


 六球連鎖の式を消して、黒板に端から端ま伸びる計算式を書いてチョークを突き出す。


「じゃあこれ解きなさい! 制限時間は五分よ!!」


 その問題は難しさはさることながら、とにかく計算に時間がかかる内容だった。五分で解くなどまず無理だが、


「ちょっと待って下さい」


 着物の袖からソロバンを取り出すと左手で持って右手で珠(たま)を揃える。


「えー、ねがいましては……」


 マシンガンのような音が教室に響く。


 義人の右手が音速かとツッコミたくなるほど速く動き、尋常では無いスピードで珠が動いて時々指を止めて黒板に答えの一部を書き込む、そして一分も経たないうちに義人は最後の数字を書いてソロバンを袖に仕舞った。


「合ってますか?」

「……合ってるけど、なんでソロバン?」

「だってこれ使った方が計算早いじゃないですか?」

「でもこれソロバンで計算できるもんじゃないでしょ!? ソロバンてのは数字の足し引きに使う道具で!」

「え? ソロバンてルート計算や関数計算にも使えますよ?」

「あ…………」


 ついに限界を突破。


 メルナは白目を剥いて派手に倒れた。


 仰向けに倒れて手足を痙攣させる姿には数学教師たる威厳は無い。


「……おい、俺なんかしたか?」


 答えを求められる生徒達は恐怖した。


 今まで、極東の島国日本から来たというだけで、ヨーロッパから遥か離れた場所にあるというだけで彼女達は日本を下等だと決めつけ、劣っていると信じ、弱小国だと確信していた。


 しかし二日前に見せた圧倒的な強さ、庶民に至るまで学問を嗜む高い教育水準、ひょっとすると、日本とは遥か遠くの田舎国ではなく、アヴァロンやエデンのように遠き彼方に栄える幻の国なのではないか。


 全てが黄金で出来ているなどという眉つばな文章が書かれたマルコ・ポーロの書いた東方見聞録を思い出しながら震え、そしてすぐに否定する。


 二日前の戦いはエイリーンが不甲斐ないだけ、義人の話は全て嘘、きっと留学前に日本の面目を立たせるべく必死で蘭学書でも読み漁ったに違い無いと自分に言い聞かせて彼女達はギリギリのところで自尊心を保った。


 皆が一国でヨーロッパ全土と比肩しうるような大国の影に怯えながら残りの授業は自習。


 そしてエレオが顔をひきつらせた義人の答案は全問正解だった。




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