第38話 どこでまちがった


 その日の夜、エイリーンは自室でベッドに横たわりながら天井に手を伸ばす自身の右手を眺めていた。


 自分の人生はどこからおかしくなってしまったのか……


 彼女、エイリーン・アバルフィールの人生は完璧の一言に尽きた。


 世界にその名を轟かせる召喚術大国アヴァリス。


 その公爵家のご令嬢として生を受けた彼女は自身の生まれに誇りを持ち、己に絶大な自信とプライドを持っていた。


 才能に恵まれ、あらゆる分野で卓越した成果を上げ、良家に相応しい才媛としての人生を順調に歩み続けた。


 幼くして戦乙女(ヴァルキリー)と契約を果たし、彼女の歩いた道には成功の花が咲き、祝福に満たされた人生を送り彼女の辞書に“挫折”の二文字は無かった。


 そして召喚術養成機関、サモナーアカデミーではクラス代表に抜擢、まるで絵に描いたような、貴族が憧れる手本のような人生だった。


 だからエイリーンは人一倍誇りと伝統を守る事に勤めた。


 それが公爵家の令嬢たる自分の使命だと思ったからだ。


 しかし、これからどれほど素晴らしい三年間が待っているのかと思えば、彼女の人生は崩れ落ちた。


 清らかな乙女達の楽園にして選ばれし高貴なる純潔の白色人種だけの王国、サモナーアカデミーに迷い込んだアジア人の雄を見つけ、エイリーンはなんの悪意も無く、むしろ正義感の元に動いた。


 いつものように、ただ誇りと伝統を守る為、醜悪な賊を排除するだけ、自分にはその力がある。


 だが結果はあのザマだ。


 自分の全てがまるで効かず、成す術も無く敗北し、公衆の面前で公爵家にあるまじき醜態を晒してしまった。


 学年代表のエレナはこの事を実家に報告するらしく、父親の耳に入れば自分は自主退学をよぎなくされるだろう。


 実家に戻れば、家族を含めたあらゆる者達から非難され、悪くて勘当、良くて政略結婚の道具として使われるだろう。


 シルフ杯で優勝、ともなれば話は別だろうが無理だ。


 王族であり学年代表であるレイラ、そして底の見えない義人、あの二人を倒し優勝する自分の姿など、エイリーンには想像できなかった。


 勝ち組みで有り続けたエイリーンには逆境から這い上がる力は無い。


 必死に、死に物狂いで壁にぶつかった事が無いのだ。


 レイラと義人が潰し合い消耗したところを叩くか、そんな卑怯な、優雅さや気品とはかけ離れた行動に出ればレイラはきっと許さない。


 むしろレイラに付き従い、レイラがシルフ杯で優勝できるよう協力してご機嫌を取ったほうがいくらかマシだ。


 とはいえ、その程度ではあの醜態を帳消しにすることなどできまい、それでも少しでもレイラのご機嫌を取り罪を減刑してもらい、実家の侯爵家への降格だけは許してもらうよう懇願しよう。


 そんな後ろ向きな決意を胸にしたところで、何故か義人の事を思い出してしまう。

 自分の人生を大無しにした憎き相手。


 世界が祝福する道に転がった小さな石コロ。


 義人という石につまづかなければ、こんな悲劇は起きなかった。


 敗北したあの日、エイリーンは猟奇的なまでに義人を憎んだ。


 しかしレイラに責任を追及され、放心状態となり忘れていた。


 だが義人は権力が無くなると分かった途端離れていった連中に言った。



『てめぇらっ! ツルむなら死ぬまでツルめっ!!』



 その後、自分の席で、

『だってあれじゃエイリーンが可哀相だろ』


 同情のつもりかと腹が立ったが、

『一度喧嘩した奴はみんな友達! それが俺の鉄則だ!』


 友達、と言われて、今まで公爵家の令嬢として上下の付き合いしかした事が無く、他の公爵家の貴族の娘も家同士の付き合いという間柄だった。


 同格の友達、ましてあれほど酷い態度を取った自分にそう言う義人の言葉に何故かドキリとして、


『エイリーン、取り捲きいないならそんなところで一人で食べてないでこっち来ないか?』


 と言われた時は、何か救われたような気持ちになった。


 全ての元凶である義人にそのような感情を抱くはずがないのに、憎む事しかできないはずなのに、エイリーンの中で義人への怒りや憎しみを忘れたわけではなく、消えようとしていた。


 コンコンコン


 不意にドアのノックが聞こえ、エイリーンはこんな時間に誰だろうとドアを開けると。


「ようエイリーン、城狩りの時どこにもいなかったけどどこにいたんだ?」

「さ、鷺澤義人!?」


 なんというタイミングで来るのだこの男は!? とエイリーンの顔がカーっと赤くなる。


「なんだ顔赤いぞ、風邪か? ああそれで今日どこにもいなかったのか?」

「だ、黙りなさい! いきなりアンタの品の無い顔見せられて驚いただけよ!!」


 最初からヤル気がなくててきとうにぶらぶらしてたとは言えない。


「なんだまだデレ期に入ってないのか?」

「何よデレ期って!?」

「俺の国にはツンデレっていう言葉があってだな」

「どうでもいいわよ! とにかく何の用!? 言っとくけど部屋には入らないでよね! 

そこに立ったまま言いなさい!」


「嫌われたもんだねぇ、まぁいいや、とにかくさ、俺がシルフ杯で優勝してお前の事許してくれるよう生徒会長に言うから」


 そんな事を言うものだから、頭の中が混乱の極みで一瞬真っ白になる。


 入学式の日から数えて、この男は何度自分を驚かせれば気が済むのだろうか。


「なんでアンタにそんな事してもらわなきゃいけないのよ!」


「もらわなきゃっていうか俺がしたいからだな、やっぱほら、男としては可哀相な女の子いたら助けてあげたいし」


「アンタに助けられるほど落ちぶれちゃいないわよ!!」

「まぁまぁそう言わずに」

「何を企んでいるの!? アンタ、アタシの事嫌いなんでしょ!?」


 散々人種差別をしたのだ、西洋人の立場から言わせれば当たり前だが、迫害される側がそれを嫌がっているのは知っている。


「でもそれについてはもうお前に仕返ししたし、勝者特権でもう下級貴族虐めないって事になってるから俺はもうお前を恨む理由はねぇぞ」


 確かに、今思えばあの戦いは負けたほうは勝った方の言う事をなんでも聞く事になっていて、義人は勝つと『もう下級貴族いじめんなよ』と言っていた。


 どうせ退学する身なのだからと、そんな事まで忘れていた。


「恨みが無くなったならプラスマイナスゼロって事でしょ、何もしなきゃいいじゃない、なんで私の為に……優勝したら自分の願い叶えればいいでしょ?」


「蛇のヨダレだらけになっているお前がローションプレイした後みたいでぶっちゃけグッとくるものがありました! 帰らず学園にいてください!」


(そうじゃ! あの姿はエロエロじゃった!)


「この変態が!!」


 渾身の右ストレートを打つがかわされてしまい、目の前に白い手袋を突き出された。


 それは紛れも無く、入学式の日に義人へと投げつけた手袋で、


「じゃあ俺が優勝したらもう片方の手袋くれよ、手袋片方とか使い道ねぇし、手袋欲しいからお前を助ける。それで文句ねぇだろ?」

「な……そんな理由で」

「じゃあなエイリーン、また明日」


 反論する前に背を向けられてしまい、エイリーンは言葉を出せなかった。


「な、なんなのよあの男は!?」


 先程までの沈んだ気分はどこへやら、エイリーンは地団太を踏んで、いつもの調子を取り戻す。

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