第33話 幻想郷日本



 八百万(やおよろず)の神が住まう地、日本。


 手足の生えた柄杓(ひしゃく)やお椀、箸など小さな日用品が江戸の町中を走り、それを子供達が面白がって追いかける。


「こらガキ共! 九十九神(つくもがみ)いじめんな!」


 瀬戸物が集まり人の形を成す妖怪が怒鳴り、子供たちが笑いながら指を指す。


「げっ、瀬戸大将だ!」

「やーいとっくり顔!」

「あんまり怒るとヒビ入るぞー!」

「んだと! 瀬戸物なめんなよ!」


 ガチャガチャと音を鳴らしながら怒る瀬戸大将、すると目の前にある酒屋のオヤジが近寄り子供達にゲンコツを見舞う。


「こらクソガキ共! ちゃんと瀬戸の旦那に謝れ!」


 頭にタンコブを作りながら子供達は瀬戸物人間に謝り、だが馴染みの声にすぐ顔を上げる。


「おーい、いっしょに鬼ごっこしようぜ」

「鬼の重鬼(じゅうき)さんがヒマだから遊んでくれるってよ」


 子供の体だが、首から上は猪や鹿、兎やカエルの子供達に誘われて、人間の子供達は嬉しそうに走り出す。


 空に巨大な影が走ったのはその時だ。


 翡翠色の見事な体躯、空の彼方から伸びる長い体は龍である。


 途端に酒屋のオヤジや瀬戸大将、周囲の大人達は手を合わせみんな揃って、

『ありがたやー』


 子供達も釣られて遅れながら手を合わせて、

『ありがたやー』




「こら泥棒猫狐! 魚返しやがれ!」


 別の場所では、魚屋の青年が店の商品をくわえて逃げる猫と狐を追いかける。


 駆け足自慢の青年はたちまち猫と狐に追いつくのだが、


「「人間形態♪」」


 猫と狐が途端に耳と尻尾を残し人間の娘の姿になり、着物の裾をめくって瑞々しいフトモモをチラつかせる。


「怒っちゃやぁん」

「そんにゃに走ったら疲れちゃうよ」


 もう片方の手で胸元も空けて谷間を強調すると、青年は鼻血を出して陥落、地にヒザをついて鼻を手で押さえる。


「も、もってけ泥棒」

「なんだおめぇらまたやってるのか?」


 第三の声に三人が向くと、一匹の河童がとっくり片手に立っていた。


「なにサン吉、こんなところでどうしたの?」

「河童の妙薬ができたんでな、薬屋に売りに来たんだよ、これ飲めばどんな腹痛もピタリと収まるぜぇ」

「売りにって、きゅうりと交換でしょ?」


 ニヤリと笑う河童に猫がツッコミを入れる。


「へっ、化猫と妖狐にゃきゅうりの持つあの甘美な魅力はわからねぇだろうぜ」

「お金のほうがいいと思うんだけどねぇ」

「てっきりお前さんは油揚げのほうが好きかと思ったが?」

「あっ、義人だ♪」


 化け猫の指差す方見て妖狐や河童、魚屋の青年も手を振る。


「よぉお前ら、久しぶりだな」

「日本巡り終わったのか?」

「まぁな、思ったよりかかっちまったぜ」


 青年に言われて義人は明るく答え、そして歩き去って行く。


「義人がいなくなると寂しくなるわね」と妖狐。

「なんとかして馬鹿将軍の目を覚まさせねえとな」と河童。

「あっちの学校とかいう寺子屋卒業するまでに署名できるだけ集めにゃいと」と化け猫が意気込んで青年がため息をつく。


「署名なんかでなんとかなるもんかねぇ」


 青年が三人の妖怪に殴られまくった。


 木や河の一つ一つ、森羅万象の全てに神が宿り、人々の感情から物の怪が生まれ、物に魂が宿り生を得る。


 八百万の神々が住まう世界最高霊格、もはや西洋では伝説とされるアヴァロンやエデンを越える神の土地日本列島。


 そこは、地上に残るただ一つの幻想郷だった。


「じゃあ少なくとも三年は帰れないのねぇ」


 鷺澤家の別邸、江戸屋敷の縁側で“すねこすり”という外国のハムスターに似た妖怪達を撫で、手でころがすようにして遊びをしながら義人は蜘蛛女に着物を織ってもらっていた。


「名目上は期限無しの留学だからな、卒業後は幕府の帰還命令があるまでヨーロッパを視察、帰還命令なんて出す気ないだろうけどな」

「お主には、本当に謝っても謝りきれん」


 いつのまにか現れた成年姿の百合がそう言って、目を伏せた。


 百合の存在に気付くとすねこすりの何匹かが正座する百合のひざに顔をこすりつける。


 その愛らしい姿に思わず微笑して、百合が足を伸ばしてやると、すねこすり達は『きゅーきゅー』と鳴いて喜び、百合の長いスネに顔や体をこすりつける。


「とにかく、その三年間は義人ちゃんの事頼んだわよ」


 やや怒りながら、蜘蛛女は六本ある腕のうちの一本で百合を指差す。


「わかっておる、心配せんでも義人はわしが守る」

「でも未だに信じられないわね、まさかあの伝説の化物がこんな丸い性格なんて、もっと狂暴かと思ってた」


 その時、あまりに規格外過ぎる霊力の波動にその場にいた全員がハッとする。


 庭に湧き上がる金色の光が炸裂し、中から見上げるほど巨大な金色の馬に近い獣が姿を現した。


 地上より僅かに浮き、佇むだけで放つ神威はだが優しく穏やかで、決して威圧感を与えるモノではない。


 麒麟――青龍、朱雀、白虎、玄武達四聖獣の上に君臨する獣の王である。


 天上の神々にも匹敵、あるいは凌駕する絶大な力はもはや人の常識では収まらない。


 蜘蛛女とすねこすり達が慌てて頭を垂れる中、麒麟はその美しい音色のような声で語りかける。


「すまなかったな、鷺澤(さぎさわ)義人(よしと)」


 謝った。

 全ての動物の頂点に立つ獣神王が一介の人間に謝罪をしたのだ。

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