第13話 今そこに或る聖戦

 わたしが目を覚ますとき、椿ちゃんはまだ眠っている。


 なんて、ちょっと詩的な言い方だけど、要するに時間の問題だ。わたしが起きるのは、平日は五時過ぎだから。


 もうちょっと寝てたいなと思うことがないわけじゃない。でもこのくらいの時間に起きないと、学校に行くまでに全部終わらせることができないから仕方がない。


 部屋を出て、音をたてないよう気をつけながらお風呂場に行ってシャワーを浴び、それから洗面所で顔を洗って、用意した制服に着替える。


 つぎは洗濯だ。柄物と色物なんかは分けつつ、籠に入れられていたものを洗濯機に入れていく。この時間はちょっと至福だ。だって……


 あ、あった。わたしはすぐに目当てのものを見つけた。それは……


 椿ちゃんの、下着である。具体的にいうとパンツである。


 これを見るために、わたしは早起きを頑張っているところが、ほんのちょっとだけある……かも。


 どうしようかな……? さすがに、パンツの匂いを嗅ぐのはまずいよね。人として、さすがにアレだよなあ……。うん、さすがに止めよう。わたしは健全な変態←(?)なのだ。……でも汚れ具合を確かめるくらいなら……………………ふむ、なるほど。


 とりあえず、今日のところもブラウスで我慢しておこう。……いつまで我慢できるかなあ……。


 なんて考えながら、今度はキッチンに行って、壁にかけてあるエプロンを身に付けたら朝食の準備を開始。


 今日の朝ご飯は、メニューはもう決まってる。目玉焼きにソーセージとサラダ、コーンポタージュのスープ、それとスティックオムライスだ。


 その名の通り、スティック型のオムライス。中指くらいの大きさと長さのものを三本ほど作った。


 椿ちゃんは朝が弱いからボーっとしてることもあるんだけど、ちょっと珍しいものを作ると興味を持ってくれる。スティックオムライスはそのためのものだ。


 ちなみにだけど、椿ちゃんは目玉焼きには好みがある。半熟派だから、硬くならないように気をつけながら作らなきゃ。あとお醤油派だ。


 料理がひと段落着いたところで、ちょうど洗濯も終わる。火を止め、料理をお皿に盛りつける。軽くラップをかけてから、わたしは洗濯物を籠に移して、音をたてないよう気をつけながら二階に上がって、自分の部屋からベランダに出る。


 それから洗濯物を一つ一つ干していく。あ、椿ちゃんのパンツだ。……特に意図したわけじゃないけど、なんとなく、本当になんとなく、クロッチに目が行く。…………よし。


 干す。それから、外からは見えないよう、タオルを干してその周りを囲んだ。自分の下着も同じようにして干して、これで洗濯も完了。


 時計を見ると、時刻は七時十分前。そろそろ椿ちゃんが起きる時間だ。


 リビングに戻って、テーブルを拭く。そしてお皿をテーブルに運んで、それから飲み物だ。わたしたちが朝ごはんのときに飲むのは、牛乳かジュース。なので、牛乳とオレンジジュースと、コップを持っていく。


 そうこうしていると、ちょうどいい時間になった。そろそろ椿ちゃんも起きたころだ。いまごろ着替えてるところかな? よし、じゃあ部屋に行こう。あ、待って。まだだった。あと十四秒くらい…………よし、行こう。


「おっはよう椿ちゃん! 今日もいい朝だねっ!」


 わたしがドアを開けたとき、椿ちゃんはちょうど着替えているところだった。


 下はパンツだけ、上はブラジャーとブラウスだけど、ブラウスは羽織っている状態……といういつもの格好だ。よし、今日もタイミングはバッチリだ。さすがに裸のところに突撃するのもなあ……。


「出てけばかっ!!」


 なんて言いながら、椿ちゃんが枕を投げつけてくる。


 ここまでが、わたしの毎朝の日課だ。


 わたしの頭の中には、椿ちゃんの着替え覗きをタイムリミットとした、精緻なスケジュールが組まれているのだ。



 わたしにとって、朝はちょっとした戦場なのである。





「もう、ノックしてって言ってるのに」


「あはは。ごめんごめん」


 でもこれからもノックはしません。ごめんね。


「それに毎回おなじタイミングだし。狙ってるの?」


「やだなあ。偶然だってば」


 うそです。毎回狙ってます。秒単位で。でも……


 おなじタイミングで行ってるのに、椿ちゃんも着替える時間ずらさないんだよね。椿ちゃんこそ狙ってるんじゃないの? とか言ったら、怒られるだろうなあ。



 それから、わたしたちは一緒に朝ご飯を食べた。


「ねえ、さくら。これなに?」


 椿ちゃんが言ってるのは、スティックオムライスだった。よかった、興味を持ってくれたみたい。


 説明すると、フーンとうなづいた後で、ぼそっと「かわいいかも」と言っていた。それから一口食べる。


「どう?」


「……おいしい」


 さっきよりもちいさい声で、ぼそっと言う椿ちゃん。照れてるんだ。かわいい子だ。


「そっか。よかったあ」


 単純な一言がなによりうれしい。いまの言葉を聞くために、わたしは毎日ご飯を作ってるんだから。





 ご飯を食べ終えると、わたしたちは一緒に後片づけをする。もうちょっと正確に言うと、どっちかがお皿を洗ってもう一人がそれを拭く。これは当番制で毎日交代する。今日はわたしが洗う番だった。


 それが済むと、まずはわたしが洗面所に行って軽くお化粧をする。そのあとで、椿ちゃんが洗面所に行ってお化粧をするためだ。この順番はいつも変わらない。わたしのほうが、使う時間がすくないから。


 わたしはちょっとしかしないけど、椿ちゃんは結構キッチリする。べつに派手って程じゃないけど、なんかなあ……。椿ちゃんはお化粧なんてしなくてもかわいいのに。もちろん世界一!


 おしゃれした椿ちゃんも好きだけど、わたしは自然体の椿ちゃんが一番好きだ。飾ったりしないで、正直で、必死で、とってもやさしい椿ちゃんが。


 まあ、椿ちゃんがもっとかわいくなるのは、うれしくもあるけど……


 椿ちゃんはオシャレにはかなり気を遣っている。昔からだったと思うけど、高校に入ってから、それはより顕著になった。


 髪の毛を明るい茶色に染めて、キッチリとお化粧をして、制服もオシャレに着こなして。あと手鏡を見る回数も地味に多いんだよね。でも……


 椿ちゃんは、ピアスの穴だけは絶対に開けない。うちの学園に通う子たちはお金持ちだから、立場上パーティーに出席することもある。ドレスを着るさいにピアスをつけるときもあるから、学園につけてくることは禁止だけど、穴を開けることまでは禁止されてない。それはもちろん、椿ちゃんも例外じゃない。


 それでも、椿ちゃんはピアスの穴だけはあけない。


 それは怖がっているんじゃなくて、きっと、あのことが理由だろう。


 それを考えるとき、わたしの世界にさっと影が差す。



 あの子の世界には、まだ雨が降り続いているんだろうか……?





 待っていると、やがて椿ちゃんはリビングに戻ってきた。二十分ちょうどかあ。最短記録だ。きっとお化粧に慣れてきたんだろう。


 わたしの視線は、まずは自然とその髪に行く。そこには、わたしが昔あげた髪飾りがついているから。どれだけオシャレをして、どんな服を着ていても、あれだけはずっとつけてくれるんだよなあ。うへへ……っ!



「お待たせ」


「うぅん、べつに」


 これはいつものやり取り。


 もう学校へ行く時間だ。わたしはテレビを消して、バッグを肩にかける。


 椿ちゃんを見ると、やっぱり今日もメイクをキッチリしていた。けど……あれ……?


 思わず、わたしはまじまじと椿ちゃんを見た。なんだろ? なにか違和感が……


「な、なに……っ?」


 椿ちゃんはちょっとたじろいで、わたしから目をそらして……あ、分かった。


「椿ちゃん、今日はマスカラつけすぎじゃない?」


「えっ? ああ……」


 すると、なぜか椿ちゃんは拍子抜けしたみたいな顔になった……気がする。


「今日は新しいの使ったから、分量がよく分からなくって」


「もう、ダメだよ。お化粧はすっぴんであることを基本にやらなくっちゃ」


 なんて言ったりして。


 明日から、椿ちゃんのお化粧はわたしがやろうかな。でもなあ、絶対嫌がるし、やらせてくれないよね。




「行こう、さくら。遅刻する」

「うん。行こっか」


 こうして、わたしの一日が始まる。


 世界で一番好きな人との、愛すべき一日。


 そして――



「それはそうと、今日もかわいいよ椿ちゃーーんっ!」


 ひょい、と、抱き着こうとしたわたしを軽やかに避ける。勢い余ったわたしは、壁にぶつかりそうになる。




 こんなコントみたいなやり取りで、わたしの戦いは幕を下ろすのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る