第7話 私の手をとって

 どこか遠くで、足音が聞こえているような気がする。なんだろ……



 ――バン!



 突然聞こえてきた音がいったい何なのか、今度は私には分からなかった。


 ベッドから飛び起きて、寝ぼけ眼で辺りを見回す。


 な、なにっ? いまの音……



「大変だよ椿ちゃんっ!」



 見ると、そこにはさくらがいた。どうもさっきの大きな音は、さくらがドアを開けたときの音らしい。


 部屋の壁時計を見ると、時間は六時過ぎ。いつもよりだいぶ早い。


 え、なに? 深刻そうな顔……もしかしてなにかあったのかな……



「椿ちゃんのパンツに穴が開いてるっ!!」



 びろーん。


 さくらは私の下着を広げて報告をしてきた。



 …………



 ……………………




「ダメだよこんなのいつまでも穿いてたら! 今日学校が終わったら一緒に買いにぷへっ!?」




 今朝投げた枕は、さくらの顔にクリーンヒットした。




「もう、ひどいよ椿ちゃん。良かれと思って教えたのに」


 なぜか不満げに言うさくら。


「教えてくれるにしても言い方考えてよ」


「だってビックリしたんだもん。椿ちゃんのパンツに穴が開いてたんだよ、パンツに!」


「パンツパンツうるさいっ! ……仕方ないでしょ。履き心地のいいやつは着けることが多いから、くたびれるのも早くて……ってなに言わせるの!」


「椿ちゃんが勝手に言ったんじゃん……」


 二人で朝食を運びつつ、そんな会話をする。


 朝の洗濯をするとき、洗濯機に入れる際に、その……私の下着がアレなのに気づいたらしい。


「でもさ、いつまでも穴が開いてるやつ穿くわけにもいかないでしょ? だから学校帰りに買いに行こうよ」


「え? うーん……」


「ね、いいでしょ? ちょうどわたしも新しいの欲しかったし、一緒に買いに行こ?」


「いいけど……」


 ちょっと恥ずかしい気もするけど……まあ、いっか。


 ……ていうか、なんでこんなにウキウキしてるんだコイツ。



 私と買い物に行くのを楽しみに思ってくれてるのかな、なんて考えるのは、ちょっと都合がよすぎるだろうか。




 ――そして放課後。


 待ちに待った……かどうかはともかく、その時がやって来た。その……さくらとアレを買いに行く時間だ。


「つーばきちゃんっ!」


 HRが終わり、先生が教室を出ていくなり、さくらが私の後ろから抱き着いてきた。



 ふわりとした風にのって、甘い匂いが私の鼻梁びりょうに届く。


 背中にはやわらかな感触も当たって、なんだか無性にドキドキする。……いやいや、何でドキドキするんだ。



「ちょっと、いちいちくっついてくんなし……」


 最近さくらを意識することが多いってのに、こういうことされると……なんか……


「えぇー。いいじゃん、べつに」


 だというのに、さくらはへらへら笑っている。


 ……まったく、人の気も知らないで。気楽なやつ。


 それからさくらが言う。


「行こっか」




 私がさくらに連れていかれたのは、ショッピングモールの中に入っているお店で、普段私が利用しているのとは別のお店だ。



「ここね、最近できたお店なんだって。一度来てみたかったんだ」

「ふーん」


 店内を見ると、私たちと同じで学校帰りなのか、制服姿の少女たちがチラホラいる。ほかのお客さんも、若い女の人ばっかりだ。


 友達同士で来てる人もいるみたいだし、やっぱり変なことじゃないんだ、うん。


 ……ていうか、手をつないでる人もいるな。そういえば、うちの学校にもいるっけ、そういう子たち。


 手をつなぐのも、別に変な話じゃない……のかな?



 ……………………



「よしっ! 椿ちゃんの下着はわたしが選んであげるよ!」


 ちょっと考え事をしてる間に、さくらがまた意味不明なことを言ってきた。


「はっ!?」


 私が声を上げてしまったのは、さくらの発言内容だけが原因じゃない。無意識のうちに、自分の手がさくらの手に伸びていたのに気づいたからだ。


 周りの視線が私に集中する。私は慌てて手を引っ込めて声を抑え、



「い、いい。自分で選ぶ」


「えぇー。遠慮しなくてもいいのにぃー」


「べつに……そういうわけじゃないし」


 さくらに下着を選んでもらうとか、いくらなんでも恥ずかしすぎる。


「さくらも新しいの買うんでしょ? 自分の選びなよ」


「じゃあさ、わたしが椿ちゃんの選ぶから、椿ちゃんわたしの選んでよ」


「やだ」


 そっちの方が恥ずかしい。


「ちぇ。ケチ」


 わざとらしく唇を尖らせるさくら。


「っていうかさ、さくらは恥ずかしくないの?」

「うん。ぜーんぜん」


 そんな会話をしている間も、さくらは下着を物色している……いや、この言い方はなんかアレな感じする。好みの下着を探してる? ……あれ? これもなんか……


「あ、これなんかどうだろ。ねえ、椿ちゃん。ちょっとこっち来て?」


 言うや否や、私の腕を引っ張って姿見のまえまで連れていく。


「え、なに?」


 訳が分からず困惑していると、さくらは私の制服の上から、ブラとショーツをかざしてくる。


「ほら、やっぱり。よく似合ってるよ、ね?」


「ちょ、ちょっと……やめてって。なんか照れるから……」


 実際に着けてるわけじゃないけど、なんかさくらに下着姿を見られてるようで落ち着かない。



「ほら椿ちゃん。見てみてよ」


 妙に優しげな声で言われたので、私の視線はゆっくりと姿見にむく。


 さくらが持ってきたのは、ピンクのサテン生地のものだ。上下お揃いで花柄。左右にフリルがついてるのが可愛い。


「ね?」


「まあ、うん……かわいい、と思う」


 すくなくとも、私好みのデザインだ。


「でしょ? かわいいよ椿ちゃんっ!」

「いや、私が言ったのは下着の話で……」

「でもホントにかわいいよ。それに、とっても似合ってるし」

「う、ん……」


 ここまで褒められれば、さすがに悪い気はしない……ていうか、照れる。


「……じゃあ、これにしよう、かな……」


 すると、なぜかさくらはうれしそうに笑った。


「うん。それがいいよ」

「じゃあ、サイズ合うの探してこないと」

「それなら大丈夫。椿ちゃんに合うやつ持ってきたから。サイズ、Bの75でしょ?」

「うん。そう……って何でそんなこと知ってんの!?」


 洗濯の時に毎日見てるから、と笑いながら言うさくら。


 そうだった。私はそもそも、さくらに毎日下着を見られてたんだった。




 会計を済ませて、私たちは店を後にした。結局、さくらは私とおなじデザインのものを選んでいた。……私より大きいやつだけど。


 さくらは満足そうだけど、私はちょっと、喉の奥につかえがあった。


 店内で見たあることが、妙に印象に残っている。手をつないでいた人たち……


 私は、さくらと手をつなぎたい……のかな?


 さくらは多分、嫌がりはしないと思う。私が「手をつなごう」と言えば、多分応えてくれる。でも……


 なんでだろう。言えない……声に出そうとしても、喉の奥で閊えるばかりだ。


 さくらは毎日のようにベタベタしてくる。今さら手をつなぐくらい、なんてことないはずなのに……




 ショッピングモールを出て、十分ほど歩いて駅中に入る。


 帰宅ラッシュとぶつかったらしい。そこにはたくさんの人がいた。サラリーマンや学生がたくさんいて、それは改札からも波のように押し寄せ、人の密度が一気に上がる。


「あっ」


 人の波を避けようとして、私はさくらと離れそうになったけど、


「椿ちゃんっ」


 さくらに手を掴まれて、グイっと引き寄せられる。


 それから、私たちは人の間を縫うようにして駅を出た。



「ちょっとビックリしたね」


 落ち着いてから、さくらがちょっと笑って言う。


「うん。私、電車通学はムリっぽい」


「あはは。椿ちゃん人込みキライだもんね」

「だからキライなんじゃなくて…」


 苦手なだけ、と言おうとしたとき、ようやく状況に気づく。



 私の手のひらが、ちょっと柔らかくて、温かい感触に包まれているのに。



「ご、ごめんっ!」


 慌てて手を放そうとするも、


「……」


 さくらが離してくれなかった。


 手をブンブン上下に振ってみると、さくらは握る力をちょっと強めてくる。



「さ、さくら……っ?」


 突然のことで、声がちょっと裏返ってしまった。


「いいじゃん、べつに。このまま帰ろうよ。はぐれたりしたらイヤだし。それとも……」


 そこでさくらは一度言葉を切って、おもねるみたいに続けてくる。


「椿ちゃんは……こういうの、やだ?」

「べつに……そうじゃない、けど……」


 望んでたことのはずなのに、いざ叶うとなんか……恥ずかしい……


 いやいや、なにを緊張してるんだ私は。手をつなぐくらい、いまさらじゃん。



「よかった」


 さくらが笑う。……あれ、気のせいかな。なんだか、ちょっと安心したみたいな、そんな感じがあった。


 ひょっとして、さくらも私と同じことを考えていたりしたんだろうか……


 なんて、それはやっぱり都合がよすぎるか。



 なんだが妙に恥ずかしくて、まともにさくらの顔が見れなかった。


 顔をそらして歩き出す。でも、隣には確かにさくらがいる。それを肌で感じられることに、安心感とうれしさを覚えた。


 すこしでも、この時間が長く続いてほしい……



 私もさくらも、歩くペースがいつもよりほんのすこしだけ遅かったのは、きっと気のせいではないと思う。

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