第6話 朝のひととき/天王洲さくら
わたしはべつに、いうほど〝かわいいもの〟が好きってわけじゃない。
べつにキライなわけではないけれど。「かわいい」を連呼するほどかわいいものが好きなわけじゃない。でも……
わたしはある時から、〝そういう自分〟を演じるようになった。
忘れもしない、中学二年生の春……わたしは偶然、あの子が男子に告白されているのを見てしまった。
それを見た瞬間、わたしは心臓が止まるかと思った。もう立っているのも辛くて、いますぐ二人のまえに飛び出して行ってコサックダンスでも踊って雰囲気をぶち壊してやろうかと思った。
だいたい、彼はあの子の何を知ってるっていうんだろう? どうせ見た目が好みとかそんな理由だろう。
わたしは幼稚園の時からあの子と一緒にいる。だから、あの子のことを一番よく知っているのはわたしなのに。わたしはあの子のお父さんより、あの子のことを知っている自信がある。そう思うと無性にむかついた。
正直、飛び出していく直前だったけど、幸いにも、あの子は告白をにべもなく断っていた。
それからというもの、わたしはもう気が気じゃなくなった。いつまた告白されるんじゃないかと思うと勉強も手につかない。一時は男だけこの世から消す薬とか作れないかなとまで思ったけど、お父さんまでいなくなったら色々大変だし、それはちょっと困る。
とにかく、そんな理由からわたしは春が大嫌いだ。嫌いすぎて、一時期は自分の名前まで嫌いになりかけた。
だからといって告白するのは……わたしには無理。なぜって、恥ずかしいし……
それに、断られたら? いまの関係さえ壊れちゃうんじゃないか? そう考えると怖くて仕方がない。
やきもきするなか、わたしに名案が浮かんだ。これを思いついたとき、声を上げそうになった。わたしはひょっとして天才なんじゃないかと思った。
まず、進学先に悩んでいたあの子に、私立の進学校を勧めた。それはもう、勧めに勧めた。ちなみに、そこはわたしのお父さんが理事長を務める、天王洲家が経営する学園だ。
そしてもう一つは……
〝かわいいものを愛でる〟。言ってしまえば、それだけのこと。でもできるだけハイテンションで。あとあの子に絡むときも同じように。ピエロみたいに振舞うことで、わたしは毎日のようにあの子とイチャイチャして、面と向かって「大好き」と言えるようになった。
だからわたしは、いうほど〝かわいいもの〟が好きなわけじゃない。
あの子は、わたしを変わり者という時があるけれど、わたしはフツーだ。
そして、わたしが好きなのは、今も昔も……
「わたしはフツーなんだよ! 椿ちゃんっ!」
朝、椿ちゃんの寝室のドアを開けるなり、わたしはそう自己申告する。
目に飛び込んできたのは……
「な、な、な……」
半裸の椿ちゃんだった。
ちょうど制服を着るところだったみたい。下につけているのはショーツだけ。上はブラと、いままさにブラウスに袖を通した……のかな?
ところで、椿ちゃんがつける下着は曜日によって決まっている。例えば、今日はピンク色でフリルのついたもので、ワンポイントのリボンがかわいい。つまり今日は金曜日です。
椿ちゃんってぶっきらぼうなところもあるけど、下着の趣味は女子というか……少女趣味なんだよね。ピンク色の下着付けることが多いし。今日みたいに。かわいい。
「あれあれ、椿ちゃんお着替え中だったの? ほほう、なかなかかわいい下着をお召のふぶっ!?」
わたしの語尾がくぐもったのは、椿ちゃんが枕を投げつけてきたからだ。
それを受け止めたわたしは、そのまま顔に押し付けてみる。……うーん、あんまり匂いしないなあ。それはともかく……
「ちょ、ちょっと椿ちゃん! いきなりなにすんのさぁ!」
「さくら! ノックしてから開けてっていつも言ってるでしょ! しかもまた着替えてるときに来て! 狙ってんのか!」
「え~たまたまだよぉ」
へらへら笑ってごまかすわたしを、椿ちゃんは慣れた調子で追い出す。
ドアを閉められたので耳を当てて中の様子を窺うと、布がこすれる音がかすかに届いてくる。
やがて布切れ音が止んだので、ドアから離れて壁に寄りかかる。でも……
あれ? なんか、いつもより時間かかってるっぽい? どうしたんだろ? と思っているうちに、椿ちゃんが出てきた。
「おっはよう、椿ちゃーーんっ!」
まだ挨拶をしていなかったのを思い出し、挨拶をしながら飛びついてみる。でも恥ずかしがり屋の椿ちゃんはそれをひょいと避けた。
「もう、恥ずかしがらなくてもいいのに」
もう一度チャレンジしてみると、今度はカバンでガードされた。
……なんか、気のせいかな? 日を追うごとに、対応に慣れているというか、事務的になっているような……?
なんて考えながら、ふと視線を上げる。わたしの視線の上を、ひらひら動いているものがあった。なにかと思ったら、椿ちゃんのスカートの裾だった。
なんか……昨日までより短くなってる。ていうか、椿ちゃん足キレイだな。きっと、毎日欠かさずお手入れを頑張っているんだろう。寮ではよく着圧タイツ履いてるし……あ、ちょっと見えそう。
いや、さっき見たんだけどね。でもほら、普通に見るのはアレだけど、スカートを穿いた状態で見える下着にはまた違った情緒がね。
もっ、もうちょっと下から見れば……
くっ……み、見え……っ! あ。
もうちょっとで見えるというところで、椿ちゃんがおしりを抑えるような仕草で裾をいじり始めた。
覗こうとしてたのがバレたかと思ったけど、どうもそうじゃないみたい。落ち着かないのか、頻繁に裾をいじってる。
まさかまさか、わたしを誘っているのっ!?
なーんて、そんなことを考えつつ、わたしは椿ちゃんと一緒に寮の食堂にむかった。
食堂といっても、わたしたちが暮らしてる寮は二階建ての一軒家だから、ただのリビングだ。
この寮は、わたしがお父さんに駄々をこねまくって用意してもらった。
理由は、もちろん椿ちゃんと一緒に暮らすため。寮生は、わたしと椿ちゃんだけ。おかげで、わたしは椿ちゃんとの同棲生活を楽しめることになった。これはもう実質夫婦なんじゃないかなうん夫婦だよね。
「朝はあんまり食欲ないんだよなあ……」
椿ちゃんがポツリと言った。これはもう定型句。ほぼ毎日言ってる。
そんな椿ちゃんの朝食は、寮に入ってからわたしが作ってるんだけど……
「ダメだよ、ちゃんと食べないと。一日のエネルギーになるんだから」
「分かってるけど……朝はどうも……」
そう言いつつも、椿ちゃんはわたしが作る料理をいつも完食してくれる。作ってる身としては、それはすごくうれしい。
今日の献立は、フレンチトーストとサラダだ。
昨日の朝、朝は甘いものが食べたいとか言ってたから、昨日の夜から準備していた。
「どうかな?」
椿ちゃんには、毎日三食わたしが作ったご飯を食べてもらってるけど、感想を聞くまではちょっとドキドキする。
「うん、おいしい」
椿ちゃんは簡潔に答えてくる。うん、これは本音の時だ。この子、嘘つくときはムダに単語並べてくるから。
「ほんとっ? よかったあ」
わたしはホッと一息つく。椿ちゃんが喜んでくれると、本当にうれしい。
この子は放っておくと、朝ご飯を抜いてしまう。実際、実家にいたときは抜くことがほとんどだったらしい。
これは椿ちゃんのお付きの人から聞いたことで、別に盗聴器を仕掛けてるとか監視カメラをつけてあるとか、そういうことじゃない。……ない。
わたしがご飯を作らないと椿ちゃんは食べないんだから、わたしが作ってあげないと。椿ちゃんはわたしがいないとダメなんだなあ……これはもう、これからもわたしがお世話するしかないよね。
……うへへ……おっといけない、平静を装わないと。
とにかく、椿ちゃんにはこれからも毎日三食わたしのご飯を食べてもらって、わたしの理想の体型を維持してもらわなきゃいけない。
表情を作って前を見ると、椿ちゃんと目が合った。
あれ……? なんか椿ちゃん、わたしのこと見てる? ……ひょっとして、わたしに見惚れてるとか? いやあ、照れますなあ、うへへぇ……
ま、そんなわけないよね。知ってる。いけないいけない、いったん落ち着こう。
「椿ちゃん?」
大丈夫かな? 具合が悪い……とかじゃないよね?
「どうかしたの?」
「えっ? べつに……」
誤魔化すみたいに言って、椿ちゃんはフレンチトーストを食べている。うーん、具合が悪いってわけじゃなさそうだけど……どうしたんだろ?
「そう? それならいいけど……」
本当はすごく気になるけど。あんまりしつこくも訊けない。とりあえず、今日一日気をつけて見ておこう。
椿ちゃんと一緒に暮らし始めて、お世話をするようになって、わたしは椿ちゃんのことをより深く知った。
下着のローテーションもそうだし、お風呂上がりの匂いとか、いい匂いがしていいなあと思いました。ふへへっ。
まあ、そういうこともだけど、椿ちゃんと一緒に暮らして、お世話をするっていうのは、やっぱりうれしい。だってそれは、わたしの昔からの夢だったから……
「あのさ、さくら。もう私のことは気にしなくてもいいから」
……………………………………………………………………
ゑ?
「えぇーっ!? なんでなんで!? そんな悲しいこと言わないでよっ!」
思わず、わたしは身を乗り出して椿ちゃんに詰め寄る。
どうして急にそんなこと言うんだろ!? まさか……椿ちゃんが脱いだブラウスの匂いをこっそり嗅いでるのがバレたとかっ!?
マズい! いままで築き上げてきたわたしのキャラが! せっかく、安全な変態←(?)としてのイメージを作って来たのに!
すると椿ちゃんは、ちょっと身を引いて、
「いや、ひょっとしたら無理してたり迷惑になってるんじゃないかと……」
「無理なんてしてないし迷惑でもないよっ!!」
わたしは間髪を入れずに言う。そしてまた身を乗り出す。
「そ、そう……」
椿ちゃんは、今度は視線を所在なくさまよわせる。……あれ、気のせいかな? 椿ちゃんの顔、ちょっと赤くなってるような……?
いや、まさかね。
「とにかく! わたしは大丈夫だから!」
「そ、そうなんだ……ありがとう?」
「どーいたしましてっ!」
よし、勢いで乗り切れた! ちょっと引かれてる気もするけど、考えてみたら日常的に引かれてる気もするし、まあいっか。
いや、やっぱりよくない。なんだか変な空気になってしまった。会話が途切れたから。気まずくはないし、居心地が悪いわけでもないけど……なんか、やだ。
「あのね椿ちゃん」
わたしは神妙な顔でそう言った。
「わたし、椿ちゃんには感謝してるの。昔、幼稚園で浮いてたわたしの手を取ってくれたのは、椿ちゃんだけだもん。わたしはただ、恩返しをしてるだけ。だからね……」
わたしは両手を胸にあてて、そっと目を閉じる。
こうしてみると、昨日のことのように思い出す。天王洲家の娘という肩書のせいで、わたしは幼稚園で浮いていた。こっちから話しかけても、上っ面の言葉しか返してくれない。今思うと、多分親から言われてたんだろう。〝天王洲〟桜に失礼のないようにって。
わたしの家は古い歴史を持ついわゆる名家で、政財界にも強いコネクションがあり、日本経済の何%かを担っているみたいだから、みんな気を遣ってたんだろうなあ、と他人事みたいに思う。
といっても、わたしは末っ子だ。上にはお兄ちゃんが一人とお姉ちゃんが二人いる。だからわたしに気を遣っても正直あまり意味はないのに、どうしてこんなことをするんだろうと、子供ながらに不思議がった。
歳が離れているからか、わたしは両親だけでなく兄と姉からも可愛がられて育った。裕福な家庭で、わたしは幸せな幼少期を過ごしたと思う。家族のことは好きだ。それでも、わたしはなぜか、心にぽっかりと穴が開いたような気持ちだった。
わたしはいつも一人だった。いつも一人で、べつに読みたくもない本を、ただ見ていた。
退屈だった。世界はモノクロで、周りの人間が、皆ロボットみたいに見えて、不気味で仕方がなかった。そんな日々を過ごしていると、自分さえロボットに思えてきて、自分のことが嫌いになりそうだった。
そんなとき――
(――「ねえ、いつもおなじページ読んでるけど、おもしろい?」――)
その一言で、わたしの世界は色づいた。驚くほど鮮やかに、彩を見せた。
そして、わたしの手を取って、わたしの世界を広げてくれた。
あなたが笑うのを見て、人生が変わる予感がした。
あの日、あの瞬間から、あなたはわたしの世界のすべて――
だからわたしは、精一杯、あなたに尽くすのだ。だから……
「わたしに恩返しをさせてくれると、うれしいな」
…………
……………………
な、なんか……急にすっごく恥ずかしくなってきたっ! なんか体がムズムズする!! 背中かいてほしい! 椿ちゃんに!
そんなわたしの耳に届くのは、
「まあ、さくらがそう言うなら……好きにすれば?」
か、か……
かわぁいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!!
何いまの! 頬を赤くして顔をそらしてボソッと言った! あざとい! でもかわいい!!
わたし今ちゃんと笑えてたかな!? 表情作れたつもりだけど出ちゃってたらどうしよう!
ヤバイヤバイこれはヤバい。かわいすぎて頭がおかしくなりそうっ!
もう襲っちゃってもいいよねかわいすぎる椿ちゃんが悪いんだからっ!!
「それに、こうしてると、なんかデートしてるみたいで楽しいしっ! 大好きだよ、椿ちゃぷっ!?」
が、勢いに任せて抱き着こうとしたらカバンでガードされた。まったく、照れ屋だなあ。
繰り返すけど、わたしは言うほど〝かわいいもの〟が好きなわけじゃない。
それに、わたしはべつに〝専門〟ってわけでもない。好きになった人が、たまたま椿ちゃんだっただけだ。
椿ちゃんは気づいてるかな? たしかにわたしは、椿ちゃん以外にも「かわいい」って言う。でも、「大好き」って言葉は、椿ちゃんにしか使っていないことを。
これがわたしの、大好きな人との日常。
昔とは比べ物にならないくらい、いまのわたしは幸せだ。
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