第8話 身体測定と体力測定

 ――いやな音が、どこか遠くで鳴ってる。


 ぼやけた視界の中で、手探りでスマホのアラームを止める。次第にハッキリしていく目で時間を見ると、七時ちょうど。……ああ、今日も起きなくっちゃ。


 やっぱり、朝は憂鬱だ。起きたくない。もっと寝ていたい。でも……


 今日はもう一つ、憂鬱な理由があるんだよね。


 考えながら制服に着替えていると、


「おっはよう、椿ちゃん! ちゃんと起きれてるっ?」


 侵入者が現れた。


 朝から元気なやつ。ていうか……


「だからノックしてって言ってるでしょっ!」


 私は枕を投げつけた。




 リビングに行くと、もう朝ごはんができていた。いつものことではあるけど……


「ねえ、今日はさ、朝ご飯は……」

「ダメ」


「……まだ最後まで言ってない」


 食い気味に言われたのでちょっと不満げな視線をむけてみると、さくらはちょっとだけ呆れたみたいな顔をしてた。


「聞かなくても分かるよ。今日は身体測定があるから朝ご飯はちょっとでいいって言うんでしょ? だーめ」


「ん……」


 見事に言い当てられたので、私は黙るしかなくなる。


 すると、さくらはちいさくため息をついた。


「もう、ダメだよ。朝ご飯は食べなきゃ。それに体力測定だってあるんだし」


「だって……その……測るでしょ……?」


 口に出すのはちょっとアレだから濁して言うけど、


「もう、朝ごはん食べたくらいじゃ体重は変わらないよ」


「そんなハッキリ言わないで」


 せっかく人が濁したのに。デリカシーのないやつだ。


 たしかに気休めかもだけど、こういうのは気持ちの問題だ。それに……


 思わず、さくらを見る。その体は、細くてしなやかで、出るところは出てるのに腰は細くて……くっ。同い年の女子のはずなのに、どうしてこうも違うんだ。


「それにね、大丈夫だよ」


「なにが」


 ちょっと拗ねたみたいな口調になってしまった。でも、さくらは特に気にしてないみたい。


「椿ちゃんがそう言うと思って、今日のメニューは考えてあるから」


 なんか気を遣わせちゃってちょっと悪い気がする。


 結局、私はいつもみたいに朝食を食べた。だって、せっかく作ってくれたのに食べないのはもったいないし、失礼だもんね。なんて、なぜか言い訳をしながら。でも……




「はあ、憂うつ」


 さくらには悪いけど、それはそれ、これはこれだ。気になるものは気になる。


 今日は一時間目と二時間目を使って、身体測定と体力測定をする。そのために、私たちは更衣室で体操服に着替えていた。


「もう、まだ言ってるの?」


「だって……」


 さくらには分かんないだろうなあ。そんなスタイルのいいやつには……いや、そんなこともないかも?


「さくらだって気になるでしょ? 体重とか」


「うぅん。わたしは別に」


「あ、そ」


 まあ知ってた。


 ぶっきらぼうに答えた後で、私はちょっとたじろいだ。さくらが、じっと私の体を見てきたから。


 え……な、なにっ? なんなの……?


「そんなに気にすることないと思うけど。ね、葵ちゃん」


 私の気なんてちっとも知らずに、さくらは軽く言って葵ちゃんに同意を求めてる。


 葵ちゃんはといえば、


「うん。ボクもそう思うよ。伊集院さん、スレンダーで羨ましいな」


「そ、そうかな……?」


 でもスレンダーってことは、体に凹凸がすくないってこと……いや、やめよう。なんか、メンドクサイやつみたいになってる。


「ありがと。いちおうね、体形に気を遣ってはいるんだ。ストレッチしたり、マッサージしたり。もうちょっと食べたいと思うところでやめておくとか、お腹に行かないようにとか。ダイエットすると、その……まず胸から減るから」


「へー。努力してるんだね。えらいなあ」


「そ、そうかな……」


 葵ちゃんっていい子だよね。こんなふうに、私のことも励ましてくれるんだから。


「それに比べてボクは……」


 いまは目から光が消えているけど。



「ええ! わたくしもそう思いますわ!」


 突然、御郭良さんが元気よく言ってきたので、ちょっとビックリした。


「伊集院さん! あなた、別に気にするようなスタイルしていないと思いますわよ!」


 でも、いちおうこの人も私をフォローしようとしてくれてるのか……


「あなたよりスタイルの悪い人間なんて、世の中ごまんといますもの!」


 と思ったらいきなりケンカ売られた。何なんだこの人。葵ちゃんの顔がさらに曇ったことには、気づいているんだろうか?


 ていうか、この人もメチャメチャスタイルいいんだよね。モデルみたいに。そんな人にこんなこと言われてもなあ。


 やっぱり、憂うつな時間になりそうだ。




「おーーっほっほっほっほっほっほっ!」


 ここ最近ですっかり聞きなれてしまった高笑いが、体育館に響き渡る。


「ついにこの時が来ましたわ! 天王洲桜、今日こそ見せてあげますわ! このわたくしの力を!」


「おお、なんかやる気だねえ、ダリアちゃん」


「当然です! 数字という結果が残れば、わたくしの方がすごいと証明ができますもの!」


 この人、なんで身体測定でこんなに盛り上がってるんだろ?


「それに、今日読んだ占いの本に書いてありましたもの! わたくしの運勢はサイコだと!」

「最高、だよ。ダリアちゃん」


 葵ちゃんが訂正する。サイコじゃ映画だ。クラスメイトたちがビックリして見てたけど……まあ、大丈夫だよね。御郭良さんだし。


 ていうか、この人、占いとか信じるんだ。ピュアだなあ。てっきり、「運命は自分の手で切り開くものですわ!」とか言うと思ってたのに。


 私は占いとか全然信じないから、真逆だな。



 なんて考えをよそに、測定開始。


 私の身長は……前に測ったときよりちょっと伸びてる。体重は……うん、このままだとヤバいかも。ちょっと運動しようかな……



「はあ……」


 近くからため息が聞こえてきた。見ると、それは葵ちゃんだった。


「早乙女さん、どうかしたの?」


 気になって訊いてみる。だって、この子がため息をつくなんて珍しいから。


「う、うん……」


 すると、葵ちゃんは迷うみたいに視線を泳がせてから、いつもよりもちょっと小さな声で言う。


「身長がね、全然伸びてなくて……」


「そうなんだ」


「うん。なんか、中学二年生から全然変わらなくて……」


 しまった、なんか地雷踏んだっぽい。こんなとき、なんて言ったらいいんだろ? さっき私のことフォローしてくれたし、私もしなくっちゃだよね? えぇっと……


「だっ、大丈夫だよ葵ちゃん! ちっちゃくっても、その……私は葵ちゃん、かわいいと思うし!」


 ……って、あれ? 私いま、なんか失礼なこと言わなかった!? 葵ちゃんは身長のこと気にしてるのに、そのこと言うなんて……


「ご、ごめんね!? ちがうの、その……バカにしたわけじゃなくって……」


 私は必死に自分をフォローしようとするけど……



「ぷっ、あはははははっ」



 いきなり葵ちゃんが笑い始めた。なんだかおかしそうに笑ってるんだけど……え? な、なにっ?



「さ、早乙女さん……?」


「ご、ごめん。ちょっと驚いちゃって……伊集院さんって面白いんだね……っ」


「え、えぇ? なんの話……?」


 葵ちゃんは楽しそうだけど、私は訳が分からない。


「なんでもない。でも安心して。ボク、べつに怒ってないから」


 そう言われて、私は一人で勝手に勘違いしてたことに気づいた。その瞬間、私は大きな恥ずかしさに襲われて下をむいてしまう。


「え、えっと、その……」


「伊集院さん」


 ごにょごにょ話すしかない私に、葵ちゃんはハッキリとした声で名前を呼んできた。だから、反射的に顔を上げる。


「ありがとう、フォローしてくれて」


「う、うん……どういたしまして。早乙女さん」


「呼び方」


「え?」


「戻っちゃったね。さっき〝葵ちゃん〟って呼んでたのに」


「あ……」


 そう言えばそうかも。動揺してたし、いつも心の中じゃ〝葵ちゃん〟って呼んでるから、つい。


「ごめん」


「どうして謝るのさ」


 葵ちゃん……いや、早乙女さん? は、またおかしそうに笑った。


「いいよ別に、そう呼んでくれて。みんなボクのことを〝葵ちゃん〟って呼ぶから、そっちの方がしっくりくるんだ」


「そう、なんだ……」


 じゃあ……いいの、かな? みんなそう呼んでるんだし。



「えっと、葵ちゃん」


「うん。なに?」


 なんとか呼んで、答えてくれたけど……どうしよう? これから何を話そう。なんて考えていた時だった。



「あら、あなたたち、そんなところで何してますの?」


「椿ちゃん大丈夫? なんか顔赤いよ?」


 さくらと御郭良さんがやって来た。


「なんでもない」


 さくらの顔を見れて、私はちょっと安心する。……いや、見れてってなんだ。まだちょっと動揺してるのかも。


「ちょっとね、お話してたの。ボクは身長が全然伸びてなくって……」


「あら、そんなこと」


 御郭良さんは何でもないことみたいな口調で言う。


「体格など些細な問題です! 身長が伸びようが伸びまいが、葵は葵じゃありませんの! わたくしはまた伸びていましたけれど!」


「そっか。よかったね、ダリアちゃん」


 なんて、御郭良さんはデリカシーも何もないことを言っている。


 でも葵ちゃんは笑ってた。……慣れてるのかな?



「椿ちゃん、結果どうだった? ほらほら、ちょっと見せてごらんよ」


 なんて言いながら当たり前みたいに紙を覗き込んでくるので、私は慌てて紙を隠した。


「やだ」


 だって、ここには身長だけじゃなくて、体重とか、果てはスリーサイズまで乗ってるわけだし。そんなのさくらに見せられるか!


「えぇ~。いいじゃん、見せてよ」


 だというのに、さくらは食い下がってくる。


「やだってば」


「じゃあ、見せ合いっこしよ。それならいいでしょ?」


 名案とばかりに、さくらは検査結果が書かれた紙をひらひら見せてきた。そこには、キレイな数字が並んでいて……


「ぜったい、やだ!」


 余計見せにくくなった私は、紙を両手で抱えるようにしてがっちり隠す。


「ちぇ。ケチー」


 唇を尖らせている。そんなふうに拗ねられても、無理はものは無理だ。


「葵ちゃんには見せたのに、私には見せてくれないの?」


「べつに……葵ちゃんにも見せてないし……」


「……ふーん、そうなの? でも見たかったなあ」


 なんなんだ。今日はやけにしつこい。とにかく……


 これは、寮に帰ったらすぐに捨て……いや、それはそれでアレかも。うん、封印。封印することにしよう。



 私は固く心に誓って、髪をちいさく折りたたみ、短パンのポケットにしまった。




 身体検査が終わったので、つぎは体力測定だ。


 白鳥学園には、体育館がなんと四棟ある。これは部活動が多く、使用率も多いためだ。二つの検査は、それぞれ別の体育館で行われるので、私たちはそこへ移動した。


「さあ、天王洲桜! 今こそ――」


 またまた御郭良さんの宣戦布告。そして軽い調子のさくら。


 付き合っている形のさくらはともかく、御郭良さんは飽きないのかな?



 あの二人は一緒に体力測定をするっぽい。じゃあ……


「伊集院さん。ボクたちも一緒にやろっか」


「うん。そうだね」


 私は葵ちゃんと一緒に測定していくことになった。


 ……大丈夫かな? いちおう笑顔で返しながら、私は内心不安だった。


 ちゃんと会話できるかな……?




 シャトルランや反復横跳びなんかを終え、私たちは最後の種目に移動する。


 握力検査だ。私は小学生の時から、この握力検査がキライだ。いや……正確にはこれ以外も、シャトルランや反復横跳びも。要するに、体力測定がキライ。


 理由は簡単。私は運動神経が、その……よくはないからだ。


 だから、自分の運動神経が数値として残ってしまうこのイベントは、本当にキライで……



「はあ……」


 今度は、私がため息をつく番だった。


 数字のせいだ。この、アレな数字たちの。


 私は紙に目を落として、それからもう一度ため息をつく。



「憂うつそうだね」


「うん……」


「結果、あんまりよくなかった感じ?」


「まあ、よくはなかった……感じ」


 ちょっとボカシて答える。私に残った僅かばかりのプライドというか、虚栄心的なアレのせいだ。だって……


「そっか。ボクは普通かなあ。思ったよりも良くなかったよ」


 なんて言ってるけど、この子、結果はかなり良かった。反復横跳びは六十回ジャスト、シャトルランは八十二回で、これはいずれも平均より上らしい。先生が「すごいわ早乙女さん!」と褒めていた。ちなみに私は「頑張ったわね伊集院さん」だった。こういうの、よくないと思う。


 中でもあまりよろしくなかったのが、握力。


 自分で思っていたよりも低かった。


 いや、これはアレだ。最後にやったから。ちょっと疲れちゃってたんだ、うん。そうに違いな……



「つーばきちゃんっ」

「ちょっ!?」


 い、いきなり後ろから抱き着かれて……な、なにっ!?


「おっ、なんか珍しい悲鳴だね。抱き着いた甲斐があるなあ」


「なんだ、さくらか……」


 間抜けな言葉を聞いて、私はホッと胸をなでおろした。


「うん。ビックリさせちゃった?」


「当たり前でしょ? なにかと思った」


「あはは。椿ちゃんにこんなことするの、わたしくらいじゃん」


 まあ、そうだけど。


 いつもなら離れるころなのに、なぜかさくらは抱き着いたままだった。……いや、いいんだけど。私はこれどうすべきなんだろう?


 振り払う……? それはちょっと感じ悪いかな。あれ、私普段こんな時どうしてたっけ?



「ねえ、なんの話してたの?」


「握力の話。結果があんまりだったから」


「そっか。椿ちゃん、昔からあんまりだもんね」


「……まあね」


 なんでそうやって言っちゃうんだ。せっかく私がボカシて言ったのに。


「そういうさくらはどうだったのさ」


 訊いてみると、珍しくさくらは返答に詰まった。


「う、うーん、えっとね……」

「おーーっほっほっほっほっほっほ!!」


 第二体育館に響き渡る、高笑い。


「ついに……ついにやりましたわっ! わたくしの時代が来たのです!」


 見ると、そこには仁王立ちした御郭良さんが。やりましたわ! って、なにをやらかしたんだろう? って思ってたけど……




「え、さくら握力測定で負けたの?」


 更衣室で制服に着替えて教室に戻った私は、思わずオウム返しに聞いてしまった。


 いつも以上にテンションが高かった御郭良さんは、ちょっと声帯が心配になるくらい高笑いをしていて、そのせいで私たちは、危うく授業終了のチャイムを聞き逃すところだった。


「うん。左手のね」


 そのさくらは、左手をフリフリしながら言った。


 一時間目の身体測定と体力測定を終えて、いまは十五分の休み時間。私とさくらが話してたんだけど……


「おーーっほっほっほっほっほっほ!!」


 御郭良さんと葵ちゃんが来た。


「その通り! ついに天王洲桜に勝ちましたわっ!! 占いの通りです! ……左手だけですけれど」


 最後に、ぼそっと呟くみたいに付け加える御郭良さん。正直な人だ。


「ダリアちゃん、左利きだもんね」


 葵ちゃんがちょっと苦笑しながら言った。なるほど、そういうことか。さくらは右利きだから。


「そっ、それでも! 勝ちは勝ちです! それに……この本に書いてありましたもの! 動力が実るでしょうと!」


 ……? 気のせいかな。今なんか、言葉に違和感があったような……? いまちゃんと努力って言ってたよね? 見ると、葵ちゃんもちょっと首を傾げてた。


 その間に、御郭良さんは、わざわざ席に戻ってその占いの本を持ってきた。


「もう、分かってるよ」


 今度はさくらが苦笑しながら言った。


「ねえ、ダリアちゃん。その占いの本、ちょっと読んでもいい?」


「さくら、占いに興味なんてあったっけ?」


「うぅん、あんまり。でも、どんなことが書いてあるんだろうって、気になっちゃって」


「くっ。ずいぶんと余裕ですわね……!」


 そう言いつつも、本は貸してくれる。


 さくらは素直に負けを認めてるっぽいけど、なぜか御郭良さんが納得していないみたい。彼女はなにか考えるみたいな素振りを見せると、



「そうですわ! 腕相撲を致しましょう!」



 さも名案と言いたげに言う御郭良さん。


「わたくしが腕相撲で天王洲桜に勝てば、この微妙な気持ちも解消されるに違いありません! 葵、あなたも参加なさい!」


 葵ちゃんが秒で巻き込まれていた。不憫な子だ。ていうか、握力と腕力って関係あるの?


「みんな頑張ってね」


 私は一人高みの見物をしようと思っていたけど……


「なに言ってますの? 伊集院さん、あなたにも参加してもらいますわよ!」


「え」


 その瞬間、顔が引きつったのが自分でも分かった。


「私もやるの?」


「当然でしょう? むしろ、なぜこの流れでご自分だけ参加しないおつもりなんですの?」


 なぜかキョトンとされた。え、それ私の反応じゃない?


「だって……」


「ムダだよ伊集院さん。ダリアちゃんは言い出したら聞かないんだから」


 葵ちゃんが私に同情的な、そしてちょっと申し訳なさそうな視線をむけてくる。


 どうやら、このイベントは強制参加らしい。




「さあ、やりますわよ!」


「わたしから? まだ読んでる途中なんだけど……」


「後で読みなさいな! ほら、やりますわよ!」


 まずは、御郭良さんとさくらがやるらしい。


「今こそ証明してみせますわ! わたくしの力をっ!!」


 いつも通り、自信満々の御郭良さんだったけど……



「ま、負けましたわ……」


 数秒後。がっくりと、肩を落とす御郭良さん。


「ざ、残念だったねダリアちゃん……」


「いいえ! まだですわ!」


 急に元気を取り戻した御郭良さんは、再びさくらに向き直る。


「今のは右手だったからです! 左手であれば、わたくしが負けるはずがありませんわ!」


 ふたたび自信満々、そう宣言するけど……


「ま、また負けましたわ……」


「ふっ。また勝っちゃった」


 肩を落とす御郭良さんと、わざとらしく勝ち誇るさくら。


 自信のあった左手でも、御郭良さんは瞬殺されていた。


「くっ……」


 悔しそうな顔をする御郭良さん。このままでは終われないと思ったのか、


「葵! 今度はあなたが相手をなさい!」


 矛先を変えた。


 どうやら、さくらに勝てないから他の人でってことらしい。……それでいいのかこの人。


「いいけど……」


 困ったように笑いながらも、葵ちゃんは相手をするらしい。でも……


「な、なぜですの……」


 また負けていた。納得いかない様子の御郭良さん。ていうか……あれ、なんか嫌な予感が……


「伊集院さん! つぎはあなたですわ! あなたになら勝てる気がします!」


 予感が当たった。ていうか失礼な。


「え、やだよ。私弱いし、きっと」


 握力も低いし、それに腕相撲自体、したことがない。


「御郭良さんの勝ちでいいよ。不戦勝ってことで」


「なに言ってますの! そんなのイヤです! ほら、相手してくださいな!」


 机に肘をついて急かしてくる。


 ……うーん、どうしよ? 多分、本気で嫌がれば諦めてくれるだろうけど、それもちょっとな……仕方ないか。



「伊集院さん! ほら、はやくやりますわよ!」


「分かったよ」


 ここは大人しく付き合ったほうがよさそうだ。


 私は机に肘をついて、御郭良さんと手を合わせる。そして……



「勝っちゃった……」


「そ、そんな……わたくしが全敗だなんて……」


 御郭良さんはがっくりとうなだれている。



「おおっ、やったね! さすが椿ちゃんだ!」



「残念だったね、ダリアちゃん」


 葵ちゃんは、最初とおなじ言葉で御郭良さんを励ましてる。


「……まさか全敗するだなんて、さすがに思いませんでしたわ……占い、当たったのか外れたのか、分からなくなりました……」


「ふっふっふっ。椿ちゃんを甘く見るからだよ」


 なぜかさくらが自慢げだ。ちょっと恥ずかしいかも。


「たしかに……すこし甘く見ていたようですわね……ごめんなさい、伊集院さん」


「まあ、うん。いいけど……」


 なんか謝られた。ていうか、やっぱり私を下に見てたのかこの人。いいんだけどね。たしかに体力検査の結果はアレだったから。



「じゃあ、椿ちゃん。今度はわたしとやろうよ」


「え、まだやるの?」


 正直、もうやりたくないんだけどな。とまではさすがに言えないけど、顔には出ちゃってたかも。だって、さくらは不満そうな顔になったから。


「いいじゃん。ダリアちゃんとはできて、わたしとはできないって言うの?」


 と思ったら急に面倒なことを言い出した。一体なんだって言うんだろ?


「ねえ、いいでしょ? やろうよ」

「まあ、いいけど……」


 勢いに押されるみたいにして、私は机に肘をつく。そのあとで、さくらもついて、そして……



「……っ」



 私の手を握ってきた。


 いや、腕相撲するわけだから、当然なんだけど……


 なんか、落ち着かない。


 さくらを見る。彼女はじっと私を見てた。アーモンドみたいに大きくて、水晶みたいにきれいな、黒い瞳で。


 目が合うと、微笑みかけてくれた……気がする。けど、私は妙に恥ずかしくなって、視線をそらしてしまった。


 あ、どうしよう……そんなつもりなかったのに。気を悪くしちゃったかな。はやく謝らなきゃ……いや、大丈夫かな? 急に謝ったら、逆に変に思われるかも……


 御郭良さんとのときは何も思わなかったのに……どうしてさくらのときだけ、こんな……


 やばい。なんか、腕相撲どころじゃなくなってきた……力も全然入んなくて……あれ?


 そこで気づいた。さくらが、全然力を入れてない。これじゃあ、腕相撲にならないじゃん。


 なにを考えてるんだろうと思って、顔を上げてさくらを見る。彼女はまだ私をじっと見ていた。


 今度は微笑んではくれない。でも、私をじっと見ていて……



「あなたたち、一体なにしてますの?」


「うひゃぁっ!?」


 突然のことで、声を上げてしまった。


「い、いきなりなにっ?」


「それはわたくしのセリフです。いつまでもじっとして、なにしてますの?」


「べっ、べつに、なにってわけじゃ……」

「占いだよ」


 私の言葉にかぶせるようにして、さくらが言った。ていうか……え?


「占い?」


「うん。さっきダリアちゃんから借りた本に書いてあったのを、やってみたの」


「どういう占いなの?」


 まだ動揺してる私に代わって葵ちゃんが訊いてくれる。


「相性占いだってさ。手を握って、一分間離さなかったら、相性バッチリ! らしいよ」


 そこでさくらは嬉しそうに笑って、


「だから、わたしたちは相性バッチリだね」


 それで視線を落とす。私もつられるようにして下ろして……気づいた。


 私が、まださくらの手を握ったままなのを。


「っ!」


 反射的に離そうとしたけど……あれ?


「さっ、さくら……?」


 離せなかった。さくらが、私の手を掴んだままだから。……ていうか、力強いなコイツ。いや、私が弱いんだっけ?


「あの、離して」


「えぇ~、なんで? いいじゃん。せっかく相性バッチリなんだからさ」


「べつにそんなの……ていうか、腕相撲するんじゃなかったの? 占いなんて聞いてない」


「だって言ったら占いにならないし」


「でも、もう終わったんでしょ? 離して」


「やだ」


 子供かコイツ。


「いいじゃんべつに。それとも、わたしとこうしてるの、イヤ?」


「そっ、そうとは言ってないでしょ、べつに、じゃあ……いいよべつに、うん……」


 自分ではなにを言ってるのか分からなくなってきたけど、さくらは満足そうだった。


「そっかそっか! 椿ちゃんがそんなこと言ってくれるなんて、たまには占いもいいもんだねえ」



 なんでそんなに引っ張るんだ。占いにはそんなに興味ないって言ってたくせに。


 そもそも、本当にそんなことが書いてあったんだろうか?



 結局、わたしたちは手を握ったままで、それはチャイムがなるまで続いた。


 妙に緊張して、私は自分たち以外が目に入らなくなった。


 葵ちゃんと御郭良さんが不思議そうに見てたことにも、気づかないくらいに。

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