第9話 あの日よりも高く

 担任の先生が教室から出ていくと、私は軽くため息をつく。


 白鳥峰学園は私立の進学校なだけあって授業のレベルは結構高い。だから一日中受けていると、私なんかは疲れてしまう。


 私がこの学校に入れたのだって、さくらが勉強を教えてくれたからっていうのが大きいし。



「葵っ! なにしてますの!? 帰りますわよ!!」

「ま、待ってよダリアちゃんっ!」



 まあ、変わらず元気な人もいるみたいだけど。


 御郭良さんに急かされた葵ちゃんが、とことこその後を追っている。やっぱり元気だなあ、あの人。



「椿ちゃーんっ!」


 もう一人元気なやつがいた。

 さくらが、私の後ろから抱き着いてくる。


 甘い匂いとやわらかな感触にドキドキしつつ言う。


「なっ、なに……?」

「一緒に帰ろ?」


 なにそれ。それならそうと、普通に言えばいいのに……



 ダメだ、なんか妙にさくらを意識してしまう。なんでだろう。この間一緒に出かけたとき、手をつないだから? でも、こいつ普段からべたべたしてくるし、あのくらいで今さら意識するなんて……


 あの時のさくらの手は、柔らかくて、それに温かくて……そんなことを考えてたからだろうか、私はいつの間にか、自分の肩に置かれたさくらの手に、自分の手を重ねていた。


「椿ちゃん?」


「っ! ご、ごめん……」


 なんだか、とてもいけないことをした気分になって、私は慌てて手を放す。


「? どうして謝るの?」


 しかし、さくらはキョトンとしている。おまけに、今度はさくらが私の手に自分の手を重ねてきた。



「ね、どうかな?」

「えっ、なに?」

「一緒に帰ってくれる?」

「そんなの……いつも一緒に帰ってるじゃん」



 私たちの寮には管理人はいない。……いや、いるにはいるけど、それは形だけ。〝自立心〟を育てるという名目で、家事全般は寮生の仕事だ。本当は当番制になると思うんだけど、そのほとんどはさくらがやっている。具体的には炊事と洗濯。さすがに掃除は私が休日にやっている。でも、さくらの部屋だけはやったことないんだよね。なぜか入れてくれないから。


 でも……確か洗濯はさくらが、自分から立候補してた気がする。なんでだろ……?


 ともかく、買いだしのため、私たちは一緒に買い物をして帰るのが日課になっていた。だから今さら確認する必要ないと思うんだけど……


「そうだけど、いいじゃんたまには。今日はそういう気分だったの」


 変なやつ。まあいいけど。


 私はちょっとため息をついて、


「じゃあ、帰ろ」


 と言うと、さくらは、


「えへへ、やった!」


 なんて笑っている。……私と一緒に帰れるのがうれしいのか? いつも一緒に帰ってるのに……なんか、今日のさくらはちょっと変だ。……いや、いつも変は変なんだけど。


 こいつはこういうところがある。こんな反応をされると、ちょっと照れる……


「ていうか、椿ちゃんなんか元気ないね。どうかした?」


「授業のせい。今日の数学、なんだか難しくって」

「え、そうかな?」


 さくらはまたキョトンとした顔をして、


「いつも通り簡単だったと思うけど……」



 ……………………………………………………


 ホント、こいつはこういうところがある。


 むかついたので手をつねってやった。でも、それでもさくらは笑ってた。



 ……やっぱり変なやつ。




「ねえ椿ちゃん。今日のお夕食はどうする?」


 下校途中、さくらがそんなことを訊いてきた。



「うーん……」


 私はちょっと考えて、


「なんでもいいよ」

「えぇー。もう、最近そればっかりじゃん」


 さくらは不満そうに唇を尖らせた。


 そう言われてもな……毎日訊かれてることだし、べつになんでもいいんだよね。さくらの料理なら。


「行ってから決めようよ。タイムセールとかあるし。あれ見たりしてさ。そういうのも楽しみの一つでしょ?」

「もう、都合いいなあ……」


 さくらはまだ不満そうだった。でも、怒ってるってわけでもなさそう。


 それから、他に言い訳が思い浮かばなかった私はさくらの言葉を待つことにしたけど、さくらもまた私とおなじように、なにも言わなかった。



 …………



 な、なんだろ……気まず……くはないけど、なんか変な感じ。考えてみれば、私たちに会話が途切れることが少ないのは、さくらがペチャクチャしゃべるからだ。


 そのさくらが静かだと、なんか……うん。


 ふと隣を見る。当たり前だけど、そこにはさくらがいて……私の視線は、その手に引き寄せられていく。


 あの手と、私は手をつないだんだよね。普段からベタベタくっついてくるし、慣れてると思ってたのに……


 ていうか、こいつ指まできれいだ。細くて、しなやかで……



「椿ちゃん?」

「っうぇ!? な、なに!?」

「? なんでビックリしてるの?」

「べっ、べつに……なんでもない……」


 慌てて手を引っ込める。自分でも気づかないうちに、さくらの手に自分の手が伸びていたから。


 さくらはすこし不思議そうな顔をしていたけど、やがて何かを決心したような顔つきになった……気がする。



「ねえ椿ちゃん。ちょっと寄り道していかない?」




 私たちは夕食の買い物によるスーパーを除けば、寄り道はしたことがない。


 まして、さくらから寄り道をしようなんて、初めてのことだ。


 自分で自分をフォローすると、さくらだけに準備を任せちゃってるのは、朝食だけだ。昼食と夕食は、私も準備を手伝っている。ちょっとだけ。……まあ、学校で食べるお弁当も、さくらが一人で作ってくれてるんだけど……


 さくらは、一体私をどこに連れていく気なんだろう? と不思議だったけど……



「ここ?」


 まったく予想外の場所へ連れていかれた。


 公園だ。


 しかもここは……



「ここ、昔私たちが遊んだところだよね……?」

「そうだよ。椿ちゃんも覚えてくれてたんだね」


 さくらはうれしそうに笑っている。でも……


「なんか、ここ寂しくなった……?」


 たしかに見覚えのある公園だけど、記憶と違う点がある。具体的には遊具だ。鉄棒とブランコが置いてあるだけで、ほかには何もない。昔は滑り台とか、もっと他の遊具もあった気がするけど……


「撤去されちゃったみたいだね」


 さくらが言った。心なしか、その声色はちょっと寂しそうに聞こえる。広い公園だからか、余計にそう感じたのかもしれないけど。



 最後にここで遊んだのは、いつのことだったか。私の記憶では、幼稚園まで遡る。そのくらいまえだ。


 一時期は、毎日にようにここで遊んでたっけ。さくらと二人で。


 その時も人はあまりいなかったけど、いまは一人もいなかった。広い公園に、私とさくらだけ。なんだか、ちょっと不思議な気分だ。



「ねえ、なんで急にここに連れてきたの? こんなこと初めてじゃん」


「うーん、なんとなく……かな」


 多分だけど、これは誤魔化してる。理由は分からないけど。


「椿ちゃんとね、ブランコに乗りたくなって」

「は?」


 あまりに予想外のことを言われたので、間抜けな声を出してしまった。


「一緒に乗ろ?」

「はっ?」


 さくらが同じことを繰り返したので、私も同語反復。


「……なんで? しかも一緒にって……二人乗りってこと?」


 すると、さくらはなぜか「えへへ」とうれしそうに笑った。


「椿ちゃんってさ、なんか結構……アレだよね。一緒に乗ろって言っただけなのに、すぐに二人乗りって結論になるなんて」

「……帰る」

「あん、ごめんごめん。謝るから怒らないで。ね?」


 さくらは私の腕にすがってくる。


 いや、だって……「一緒に乗ろ」って言われたんだから、二人乗りだと考えるでしょ。…………え、考えるよね?


「ちょっとだけでいいからさ、付き合ってよ。二人乗り、しよ?」

「……いいけど」


 顔をそらしたまま答えて、それからチラリとさくらを見る。やっぱりさくらは笑ってた。幸せそうなやつだ。


「じゃ、わたし座るから、椿ちゃん立ってね」


「え、私が立つの?」


「だってわたしスカートだし」


「私もなんだけど……」


 まあ、いいか。私たち以外だれもいないし。それに人通りもすくないから。


「好きにしたら?」


「うん。ありがと」


 ため息交じりに言うと、さくらは満足そうに言う。


 なんなんだ? 今日のさくらは、(いつもとは違う意味で)ちょっと変だ。




 さくらがブランコに座ったので、今度は私がブランコに、まずは右足を乗せて……下ろす。


「椿ちゃん?」

「ちょっと待って」


 二回折っているスカートを、一回分だけ戻す。それから改めて両足を乗せた。


「いい?」


 コクリと頷く。さくらが地面を軽く蹴ると、ブランコはゆっくりと動き出した。


 反動をつけつつ漕ぐと、動きはすこしづつ大きくなっていく……


「あんまり大きく動かさないでよ。久々だから、ちょっと不安」

「はぁい」


 間の抜けた返事。ホントに分かってるのか?


 結局、ブランコは緩やかな速度で安定した。ちゃんと分っていたらしい。いや、っていうか……こいつ漕いでないな。自分から乗ろうって言ったくせに。まあ、いいんだけどさ。


 ……なんだか、風が心地いい。


 柔らかな風に乗せられて、私の記憶は過去へと流されていくみたいだった――



 昔もよくこうやって二人で乗っていた。


 私たちがこの公園で遊ぶようになったそもそものキッカケは、本当に偶然だ。


 幼稚園のとき、私とさくらは幼稚園を抜け出したことがある。理由は……うん、いまでも、昨日のことみたいに思い出せる。


 幼稚園から抜け出した私たちは、あてもなく街を歩いてた。そこで見つけたのが、この公園だ。


 結局、その時はすぐに先生たちに見つかって連れ戻されたけど、以来私たちは、家に帰った後で、この公園にこっそり遊びに来るようになった。


 来るたびに、こうやってブランコに乗ってたっけ……



 小さかったときは、ママやパパには、この場所は知られてないと思ってた。


 ほかに人がいることも滅多になかったから、「ここは私とさくらの秘密の場所なんだ」って、そう思ってたっけ。



「――椿ちゃん?」


 さくらに名前を呼ばれて、一気に現実に引き戻された。


「え? な、なに……?」


「どうかしたの? ボーっとしてちゃ危ないよ」


「べつに。なんでもない」


 昔のことを思い出してた、なんて言えないから適当に誤魔化す。だって、なんか恥ずかしいし。


「そう? ならいいんだけど……」


 さくらはまだ気になってるみたいだったけど、それ以上は追及してこなかった。こういうところは正直ありがたい。


 ……ていうか、いまさらだけど……私の両足の間にさくらがいるって、なんか変な感じ。


 だ、大丈夫だよね? 見えてない、よね? 私今日どんなのつけてたっけ。あんまりみっともないのは見られたくないな。いや、みっともなくなければいいってわけでもないけど。いやいや、そもそも見せパン穿いてるから大丈夫か……



「えいっ」


 さくらのちいさな掛け声が、私の思考を遮った。


 何事かと思ったら、さくらの足から離れたローファーが、放物線を描いて遠くへ落ちた。


「なにやってんの?」


「天気占い。よくやってたのを思い出したから」


 そうだ、それもやってた。毎日のように公園に来ていた私たちは、明日もまた来れるように、天気占いをしてた。……ま、やってたのは主にさくらだったけど。


 当然といえば当然だけど、ローファーは以前よりも高く飛んでいた。


「あれ、どっちかな? よく見えないや。椿ちゃん、分かる?」


「ん……表みたい」


「そっか」


 それから、さくらはほんの少しだけ黙った。けど、すぐに口を開く。


「ねえ椿ちゃん。今日はありがとね」


「え?」


「急に言い出したのに、付き合ってくれて」


「べつに……そんなのいつものことでしょ」


 そう、さくらはいつもそうだ。気分屋で、よく分からない言動で私を惑わしてくる。


 でも、そんな日常を楽しんでいる私が確かにいる。この時間を何物にもまして大切に感じ、失いたくないと思っている自分が。


「ねえ、さくら」


「んー?」


「また、いつか来よっか。いっしょに」


 気づけば、そう言っていた。自分でもビックリするくらい、自然に。


 言ってから、しまったと思う。これは、またさくらにからかわれるんじゃないか、と身構えたけど、


「うん。また来よう。一緒に」


 さくらの声は、ちょっと弾んでいたと思う。それに、私からは見えないけど、多分笑ってた。だから、私も自然に笑顔になった……気がする。




 すこし屈んで、体で反動をつける。以前よりも、ブランコはすこしだけ高く上がった。

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