第26話 不満だらけの生徒会選挙
「…………え?」
ある日の夜。午後八時、椿ちゃんも自室に戻って、わたしも部屋でクローゼットから出した椿ちゃん抱きまくらと一緒にベッドで横になっていたときのこと。お父さんから、電話がかかってきた。
正直に言って、この時点でイヤな予感はしてた。そして、当たってほしくない予感に限って当たってしまう。
電話の相手はお父さん。
その内容は、部活にも委員会にも入っていないのはどういうことだ、というものだった。
〝理事長の娘〟が帰宅部というのは見栄えが悪いなんてことも言われた。
正直、この辺りまでは重く考えていなかった。適当に言い訳して言い逃れしようと考えていたんだけれど……
あまり勝手をすると寮での生活を考え直さなきゃならなくなる、なんてことを言われてはそうもいかない!
それは困るっ! 椿ちゃんと一緒に暮らせなくなったら、わたしはもう生きていけない! なんとか……なんとかしなきゃ……あ。
そこで、わたしは思いついた。たぶん、自分で思っている以上に焦ってたんだ。だから、気づいたときには言っていたんだろう。
「待って、お父さん。理由があるんです。部活にも、委員会にも入らなかったのには」
わたしは一拍おいて、堂々と宣言する!
「わたし、生徒会長に立候補するっ!」
なんて言ってしまったことを、わたしは秒で後悔した。
あああああああああああああっ! うかつだった失敗だった軽はずみだったぁあああああああああああああっ!!
ベッドの上でジタバタ暴れて、声にできない叫びを漏らす。
なんてバカなことを言っちゃったんだわたしは! よりにもよって生徒会長って! 椿ちゃんとの時間が減っちゃうからどこにも所属してないのに! それじゃ本末転倒じゃんっ!!
でもなあ……あの場ではああ言う以外なかったよね。下手したら、わたしは椿ちゃんと一緒に暮らせなくなっちゃうわけだし。それだけはなにがなんでも阻止しなきゃっ!
と言って、これからどうしよう? 選挙活動してってなると、椿ちゃんとの時間は減っちゃうかも? ご飯も作り置きしなきゃかもなあ。あ、演説とかスピーチどうしよ。それも考えとかなきゃ……
「――――」
あれ、気のせいかな? 椿ちゃんの声が聞こえる。幻聴が聞こえるほど動揺するだなんて。いけないいけない。いったん落ち着こう……
「ねえ、さくら?」
また声が聞こえる。まさか本当にいるわけじゃないよね? 顔を上げると……
「あ、椿ちゃん。おはよう」
いた。いつの間にか、椿ちゃんが、リビングに。
とっさのことだったけど、なんとか普通にあいさつをする。
「うん……おはよ」
すると、椿ちゃんも返してくれた。
「今日は早いね」
そうだよ! 今日なんか起きるのはやいよ! いつもはわたしが起こし……てるわけじゃないけど! たまに着替え覗いてるのに! 今日覗けなかった! 今日何曜日だっけ!
「さくら、なにか手伝うことある?」
なんてことを考えてる間に、椿ちゃんがキッチンに来た。ていうか……
椿ちゃんってなんていい子なのっ! それに比べてわたしはなんかごめんなさいっ!!
お皿運んでくれると言うと、椿ちゃんは「分かった」と答えてテーブルに並べてくれた。
と言っても、今日はあんまり作れなかった。フレンチトーストとベーコンエッグとサラダ……われながら簡単な朝食だなあ。なんか今日は頭がボーっとしてるっていうか、靄がかかってるみたいなんだよね。
椿ちゃんには、それがバレないよう気をつけてたんだけど……
「なんか、いつもと違うような気がしたから」
バレちゃった。
いつもと……いつもと違うって……それはつまり、いつもわたしのことを見てくれてるってことだよねぇっ! うっ、うれしい!
なんて、感極まってる場合じゃない。
「えーっと、ね……」
一瞬、誤魔化そうかなとも思ったんだけど……ムリだろうなあ。それに、椿ちゃんにウソはつきたくないし。
わたしは正直に「生徒会長に立候補する」と伝えた。
伝えたはいいんだけど、一つ忘れていたことがあった。
白鳥峰学園では、一年生でも立候補すること自体は可能だ。でも、一つ条件もある。一年生だけでなくて、生徒会長に立候補する場合は、生徒三人以上の推薦が必要になる。
だからわたしは、ダリアちゃんと葵ちゃん、そして椿ちゃんに推薦を頼んだんだけど……
椿ちゃんが……椿ちゃんがサインしてくれない……!
推薦を三人に頼んだら、ダリアちゃんと葵ちゃんはすぐにサインしてくれたんだけど、椿ちゃんは……
(――「ごめん。ちょっと待ってくれる?」――)
と言って以来、なんか俯いてらっしゃる。
いったい、どうしたんだろう? ……まっ、まさか、これは……嫉妬っ!?
(――「さくらのバカ……わたしと生徒会長と、どっちが大事なの……?」――)
こういうことではっ!? まったく椿ちゃんたら嫉妬深いんだからっ!!
……ま、それはないだろうけど。一人で盛り上がるだけなら以下略。
でも、本当にどうしたんだろう……?
椿ちゃんとの微妙な時間は続いていく。話しかければ答えてくれるけど、自分からはあまり口を開いてくれなかった。
椿ちゃんが夕食作りを手伝ってくれて、料理は完成。その間も、あんまり会話がなくて……
だ……ダメだっ! もう辛抱たまらん! 息苦しくて仕方ない! それに、椿ちゃんとこんな気まずいだなんてぜっっっったいにイヤだ!!
意を決して、わたしは訊いてみることにした。
「わたしが生徒会長に立候補するの、イヤ……だったりする?」
椿ちゃんはすぐに答えてくれなかった。ちょっとだけ、気まずいような、迷うみたいな顔になった。でも……
「イヤじゃないよ。べつに、イヤじゃない」
思っていたより、素直に答えてくれた。……半分だけ。
「けど、なに?」
「……私そんなこと言ってない」
「分かるよ。あるでしょ? 続き」
「…………あるけど」
やっぱり。わたしは椿ちゃんのことならなんでも分かる! わたしに隠し事なんて百年早いわ! とは、さすがに言えない。
「……私、どうすればいいの? その……ご飯とか……」
そっけない口調で言われて、わたしは一瞬キョトンとしてしまった。椿ちゃんの言葉が、あまりに予想外だったから。それから、思わず笑ってしまう。だって椿ちゃんの口調は、素っ気なかったけれど、同時にちょっと拗ねたみたいだったから。
「そっ、そんなにおかしい?」
今度の椿ちゃんの言葉は、ちょっとムッとしたものになっていた。
し、しまった。笑いすぎたかな……?
悪いなあとは思ったけど、わたしはなかなか笑うのを止められなくて、誤魔化すように続ける。
「椿ちゃん、もうちいさな子供じゃないんだよ?」
すると、椿ちゃんはちょっと黙ってから「分かってる」と言って、それきり口をつぐんでしまった。
どう言ったものか、わたしはちょっと考えて、
「それが、すぐにサインしてくれなかった理由?」
「……うん」
蚊の鳴くみたいな声で答えたかと思ったら、椿ちゃんはまた口を閉じて、それだけじゃなくて視線まで下げちゃった。
……ダメだ。椿ちゃんのこんな姿を見ると、胸がキリキリする。けれど、そう思うよりも早く、わたしの口は開いていた。
「わたしね、本当は立候補するの止めようかなって思ってたんだ」
「えっ、なんで?」
自然に出てきた言葉だったから、返事に止まりそうになる。でも、そうはならなかった。だって、答えなんて分かり切ってる。
「椿ちゃんが推薦してくれないから」
わたしとしては大真面目なんだけど……あ、あれ? 椿ちゃん、なんかジトっとした目でわたしを見てらっしゃる?
……もしかして、ふざけてるって思われてるのかな? くっ。日頃ふざけてばっかりいるツケか。でも、いまさら後には引けない。ここは押すのみっ!
「わたし、本気だよ。椿ちゃんが推薦してくれないなら、立候補しない」
こういうことでふざけてるって思われたくない。ここは、ハッキリ言っておかなきゃ。
すると、椿ちゃんの顔に、サッと陰が降りた気がした。椿ちゃんはわたしから目をそらして、
「なんでそんな……さくらなら、頼めばだれにでも推薦してもらえるでしょ」
「それじゃ意味ないよ! わたしは椿ちゃんに推薦してもらいたいの!」
わたしは身を乗り出していた。
ホントになにを言ってるんだろうこの子は。椿ちゃんに推薦してもらわないきゃ、意味なんてないのに。ていうか、ほかの子に推薦してもらうなんて考えてもいなかった。
「だから、椿ちゃんが立候補しないでって言うなら、しないつもりだよ」
「そんなこと言ったら、またパパさんに叱られちゃうよ」
「そんなのなんとかするし、してみせる。わたしにとって、一番大切なのは椿ちゃんだから」
そう。それがわたしにとって、一番重要なこと! それ以外は、ぜーんぶ些細な問題だ。
わたしは椿ちゃんが推薦してくれるなら立候補するし、してくれないならしない。
「だから、もう一回訊くね? わたし、立候補してもいいかな?」
「……なんか、その訊き方ズルい……」
椿ちゃんは、ちょっと困ったように言った。でも……ズルいって言葉は、ちょっと予想外。
「そうかな? ……うん、そうかも。でもね、どうしても、椿ちゃんの口からききたいの」
たしかに、椿ちゃんの言うとおりだ。わたしはズルい。だって、わたしには分かってる。椿ちゃんが、わたしを推薦してくれるってことは。
それでも、直接聞きたい。推薦するって、椿ちゃんの口から。だから、これはわたしのわがままだ。
「椿ちゃん、わたしのこと、推薦してくれる?」
「……うん」
端的に、そう答えてくれた。
けれど、わたしにはそれで十分すぎる。
その言葉で……うん、わたしの心は決まった。
そんなわけで、今日からわたしが生徒会長です。
というか、わたし以外に立候補した人がいなかった。最初はいたらしいけど、わたしが立候補するって知って辞退しちゃったらしい。
なので信任投票をすることになり、結果、わたしは生徒会長になりました! いやいや、これもわたしの人望のなせる業に違いない。
なんて、学生の信任投票なんて、よっぽど変な人でない限り落ちることはまずないけれど。
いつも通りハイテンションなダリアちゃんと、それから葵ちゃんも「おめでとう」と言ってくれた。クラスの子たちも。けど……
わたしが一番聞きたかった言葉は、学園では聞けなかった。
聞けたのは、下校中のこと。
「おめでとう、さくら」
何気なく、それこそ天気の話でもするみたいに言われた。けど……
おお……! おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!
わたしにとって、それは〝何気ない〟言葉なんかじゃない! わたしがずーっと聞きたかった言葉だっ! きょおおおおおおおおおおっ!! テンション上がってきた!!!
……こほん。いったん落ち着こう。内心の歓喜を表に出したら、いままで築き上げてきたわたしのキャラに関わる。
「ありがとう、椿ちゃん」
よし、普通にお礼を言えた。ああ、よかった。
でも喜びを抑えるのは大変だ。仕方ない、ちょっと話をそらそう。
「でも、これからは……椿ちゃんのご飯、作れなくなっちゃうかもね」
からかうみたいに言うと、椿ちゃんはキョトンとしてしまった。
あ、あれ? これはまた予想外の反応。まさか椿ちゃん、この間の自分の言葉忘れちゃった?
と思うと、なんか急に恥ずかしくなってきた。誤魔化しとこ。
「なーんて、じょう……」
「あのね、さくら」
そうとしたら、遮られた。
「そのことで話があるの」
椿ちゃんは、いつになくまじめな顔。
どうしたんだろうと思って尋ねてみると、口ごもっていた。
「椿ちゃん?」
名前を呼んでみても、答えてくれない。そんなに言いにくいことなのかな?
いったい、なんだろう? 言いにくいこと、言いにくいこと……はっ!?
気づく。気づいてしまった。
まさか……別れ話っ!!??
……………………
いや、べつに付き合ってるわけではないけど、つまりこれは、アレじゃないかな。寮で一緒に暮らすのを止めようっていう。
(――「私の世話しないさくらに用はないし。勝手にすれば?」――)
こういうこと!? たっ、たしかに生徒会の仕事が始まったら、今までみたいにはいかなくなるかもしれないけれど……
それでも! 椿ちゃんのお世話は今まで通りするつもりだし、生徒会の仕事なんて学園で終わらせればいいだけだもんっ!! だから――
「料理教えてくれない?」
「え?」
あれ? 椿ちゃん、いまなにか言ってた、よね? なんて言ったんだろ……?
「だから、料理を、教えてほしいの」
「……え?」
料理教えて? ……いや、リョウ・リシエテ? だれだろうそれ。知らない人だ。
「だ、だからっ! 料理を教えてよっ!」
「ゑ?」
「ちょっと! 何回おなじこと言わせる気!?」
あ、椿ちゃんが怒った。
いやいや、だってだって!
「ごっ、ごめんね? ちょっと予想外で……あ、あれ? 一緒に暮らすのやめるって話じゃないの?」
「な、なんでそんな話になってるのっ!?」
おや? なんか椿ちゃん、メチャメチャ驚いてらっしゃる? ひょっとしてわたし、勘違いしちゃったかな?
なんて思っていると……
「さくら、やめたいの……?」
「やめたくないよ! ずっと椿ちゃんと一緒にいたいもんっ!」
わたしは慌てて椿ちゃんの腕を掴む。
「椿ちゃんはわたしと一緒にいるのイヤなの!?」
勢いに任せて言うと、椿ちゃんはちょっと引いてた。あ、あれ? 引くほどイヤなの!? そんなこと言われたら、わたしショックで死ぬかも。
「さ、さくら……! みんな見てるから……っ!」
気を失いかけていたわたしだけど、気づく。椿ちゃんの顔が、真っ赤に染まって、困ったようにわたしを見たり、かと思ったら周りを見てて……
あっ。で、また気づく。
わたしたち、周りの人にすっっごく見られてる。なんか、なんか……わたしまで恥ずかしくなってきて……
「ごめん……」
ど、どうしよう……さっきまでの勢いがそがれちゃった。
ていうか! なんでわたし謝っちゃったのさ! これじゃまるで、さっきの言葉までなしにしてるみたいじゃんっ!
ど、どうしよ……こうなったら、無意味に抱き着いちゃおうかな。でも、そんなことしたら余計に目立つし、椿ちゃんもっと怒るよね……
「私が料理を教えてほしいのはね……私たちのため、と思う……」
わたしの思考の間を縫うみたいにして、椿ちゃんの言葉が聞こえてきた。
柄にもなく動揺してるのに、どうしてだろう? その言葉は、驚くくらいにすっぽりと、わたしの中に入ってきた。
「わたしたちの……?」
無意識のうちに、気になった部分だけをなぞってた。
どういうことだろ?
わたしは、椿ちゃんの言葉をただじっと待った。
「だって、さくらはこれから、生徒会の仕事で忙しくなるでしょ? だから、その……私が作るよ……さくらが忙しいときは……」
待って。
聞こえてきた言葉に、わたしは耳を疑った。
いま、椿ちゃん、わたしに、ご飯を、作るって。
毎日、作ってくれるって。
そっ、それってつまり……
つまりつまりつまりつまりっ!
「うぅ……っ!」
「さ、さくらっ!? なんで泣くの!?」
「だって、椿ちゃんが……椿ちゃんが、わたしに毎日お味噌汁作ってくれるって……」
「私そんなこと言ってない! さくらが忙しいときだけ作るって言ってるのっ!」
そうだっけ。まあ、似たようなものだよね。
「それでも……あはは、そんなこと言ってもらえるなんて、思わなかった。ありがとう、椿ちゃん」
「べつに……普通でしょ、このくらい」
ちょこっとひねくれた返事。まったく、この子はいつもこうなんだもんなあ。
「それでも、ありがとう」
「ん……」
けどもう一回言ったら、まだ微妙に視線をそらしつつも答えてくれた。……一言……というか、一文字だけだけど。
あ、そうだ。
そのとき、わたしの頭に名案が思い浮かんだ。
もう、名案も名案。とびっきりの名案。気づいたときには、わたしはそれを口に出していた。
「じゃあ、今日から一緒にご飯作ろうよっ」
そんなわけで、スーパーでのお買い物を終えたわたしたちは、並んで台所に立っていた。
そんな状況に、わたしは……わたしは……!
「うぅ……っ」
「ちょっ、なんで泣くのっ?」
椿ちゃんが半分心配したみたいに訊いてくる。でもこれ……もう半分で引いてるよねこれ。
「ちょっとテンション上がっちゃっただけ……」
「? 変なの」
今度は眉を顰められたけど、それでもわたしは、上がるテンションを押さえつけるのに必死だ。
だってだって! 椿ちゃんがわたしのためにご飯作ってくれるって言うんだもんっ! こんなんテンション上がるに決まってるよ!!
「ね、シチューだっけ……? 作るの」
「え? あ、うん。そうだよ」
唐突に現実に戻る。
そうだった。一緒にご飯作ろうって話なんだった。
改めて、並べた食材を見る。
ジャガイモとにんじん、そして玉ねぎ。ベーコンとバターと牛乳と小麦粉……なんてことから分かるように、作るのはクリームシチューだ。
今日は初めてだし、簡単なレシピにしとこうと思う。
「じゃあ、まずは野菜から切ってこうか」
「うん……」
椿ちゃんは、わたしが教えたとおりに野菜を切っていく。いくんだけど……
だ、ダメっ! もう見ていられない!
「椿ちゃん、それじゃ危ないよ」
わたしは後ろに回り込んで、椿ちゃんの手を握ろうとして……
「っ!?」
その直前、椿ちゃんは体を震わせて短く悲鳴を上げた。
「だ、大丈夫っ!?」
まさかと思ってみると……やっぱり。椿ちゃんは指を切っちゃったらしい。
「ん……大丈夫。ちょっと痛いけど……」
ちょっと顔をしかめながら言う椿ちゃん。まったく、仕方ない子だ。
「ちょっと待ってね」
えぇっと、まずは消毒……いや、消毒液って雑菌は消毒してくれるけど、皮膚も傷つけちゃうんだっけ? とか思っているうちに、切り傷から血が溢れてしまっていた。だから私は、
ぎゅっ
傷口にティッシュを巻いて、その上から手で包み込むようにした。
「こういう時はね、まずは止血するんだってさ。そのあとで傷口を水で洗うの。消毒はしないほうがいいんだって」
「そっ、そうなんだ……」
「…………」
「…………」
あ、あれ?
どっ、どうしよう? なんか……ちょっと、気まずい……っ。
「あのね、あと五分くらいはこうしてると思うの」
「うっ、うん……」
答えたきり、椿ちゃんは俯いちゃった。だから顔はよく見えないけれど、心なしか、耳は真っ赤に染まっているように見えて……だから、たぶん、顔も……
そういう反応をされると、なんかわたしまで恥ずかしくなって……
大丈夫かな? もう痛くないかな?
椿ちゃんの指、細くてきれいだなあ。爪なんかも、適度な長さできれいに磨かれてて、お手入れがんばってるんだなあって感じがする。椿ちゃんのこういうところも、わたしは大好きだ。もう指を舐めてしまいたい。
……って、あれ? そこで、気づく。気づいてしまった。
いまのって、椿ちゃんの指を口にくわえることができたのではっ!?
だってだって! 血が出てたんだもの! だったらさあ! ぱくっとしちゃってもよかったんじゃないかなあ! だって治療の一環だもの! しょーがないものっ!
「さっ、さくら……」
「ぅえっ? な、なあに……?」
いけない、ちょっと声が裏返っちゃった。大丈夫かな? 変に思われてないかな……?
「その、もう五分経ったと思うんだけど……」
「えっ? あ、うん。そうだね……」
えっと……どうしよう? いや、どうしようもなにも、手を離せばいいんだけど……
離したくないなあ。もっとこうしていたい……
と、わたしの考えに割り込むみたいにして、なにか変な音が聞こえる。これって……
「あっ!」
見ると、お鍋が沸騰していた。慌てて火を止めて、一息つく。
あ……
それでまた気づく。手、離しちゃった。
「さくら?」
肩を落としていると、椿ちゃんが心配そうな顔でわたしを見ていた。
「大丈夫? まさか、火傷したんじゃ……」
「う、うぅん、違うよ。ちょっとビックリしちゃっただけ!」
わたしは内心のどーよーを隠すみたいにちょっと待っててと言って、救急箱を取ってくる。その間に、椿ちゃんには傷口を水で洗ってもらった。そのあとで
「ありがと」
お礼を言ってくれた。けど、微妙に視線がそれてる。やっぱりさっきのせいかなあ、なんて、わたしも人のこと言えないけど。
「う、うん。気にしないで」
……………………
えっと、あれ? わたしたち、なにしてたんだっけ……? あ、そうそう、お夕飯作ってたんだった。
えっと、じゃあ……
「ど、どうする? 今日は包丁使うのやめとく?」
「う、うぅん、大丈夫……やる」
わたしとしては日を改めてほしい気もするけど……本人がやる気なら仕方ない。これ以上ケガしないように、ちゃんと見てないと。
「そう? じゃあ、ちょっとごめんね」
今度こそ、わたしは椿ちゃんの手に、自分の手を重ねた。
「えっとね、包丁使うときは、猫の手にしなきゃ危ないよ。さっきみたいにケガしちゃうから。それで、こんなふうに切っていくの」
説明しながら、一緒に野菜を切っていく。
切りながら、心の中で息を吐く。わたしが椿ちゃんに包丁を持たせたくないのは、手つきが危なっかしいから。いまにも自分の指を切っちゃいそうなんだもん。
……ていうか、あれ? なんかいい匂い。なんだろ、ちょっと甘くて……にんじんってこんな匂いだっけ? あ、違う。これ椿ちゃんの匂いだ。こんな至近距離にいられる機会はめったにないし、堪能しとこ。
野菜を切り終えたら、耐熱容器に入れてラップをかけ、レンジで温める。これで時間も節約できる。野菜はちいさめにカットしておくのがポイント、ってところも、ちゃんと伝えておく。
お鍋にバターをしいて、ベーコンと一緒に温めた野菜も炒める。そのあとで小麦粉も入れて、粉っぽさがなくなるまで炒めたら牛乳を混ぜて……
という工程を、椿ちゃんはおっかなびっくりではあったけれど、きちんとできていた。
最後は調味料で味付け。塩コショウを入れるのが一般的と思うけれど、椿ちゃんは甘いのが好きだから、ここは砂糖にしておこう。
そして、シチューは完成。テーブルに運んで、準備を整える。
椿ちゃんが、わたしのために、わたしと一緒に作ってくれたお料理……
これは……これはもう……子供を作ったってことと同義ではっ!?
………………………………
いや、やめよう。食事前だし。うん、いったん落ち着こう。
二人で「いただきます」と手を合わせる。
スプーンでシチューをすくって食べてみる。……うん、おいしい。すこし甘いけれど、ちゃんと椿ちゃん好みの味になってる。野菜がちょこっとだけ不格好だけれど、そんなのお腹に入れば関係ないし。と考えていたら、
「どっ、どう……かな……?」
椿ちゃんはちょっと心配そうに、そして不安そうに、阿るみたいに訊いてきた。
見ると、椿ちゃんはまだスプーンを持ってすらいない。じっとわたしを見て、返事を待っているみたいだった。
緊張しているのか、ちょっと落ち着かないみたいで……
「おいしいよ」
だから、わたしはシンプルに答えることにした。
「ほっ、ほんと?」
やっぱりそう来たか。椿ちゃんの性格からいって、そう返ってくることは分かってる。だからわたしは……
「ホントにホント。ウソだと思うなら、ほら、食べてみてよ」
わたしはスプーンでシチューをすくい、それを椿ちゃんに差し出す。
差し出す……うん、さしだ……っ!?
差し出してから、気づく。
こっ、これ、間接キスではっっ!!??
何気なくやっちゃったけど、これを椿ちゃんが食べたら、わたしたちはキスをしたことになるのではっ!?
どどど、どうしようっ!? いまさらスプーンを引っ込めることなんてできないし……それにそれにそれに! そのあとはどうするの! 椿ちゃんが口をつけたスプーンを、わたし使っていいの!? いつもよりゆっくり口をつけてもいいの!? ペロペロしちゃっていいの!? わたしどうしたらいいの!?
「いっ、いい。自分で食べるから……」
言うなり、椿ちゃんは自分のスプーンで自分のシチューを一口食べていた。
…………
……………………
うん。まあ、こうなるよね。よかった、問題解決。
べつにガッカリなんてしてない。いや本当。
「ね? おいしいでしょ?」
「……うん」
控えめな答え。けど、納得はしたみたい。変にひねくれたことは言わなかったから。
それから、わたしたちは静かに食事を進めていたんだけど、
「あのさ、さくら……」
「? なあに?」
けど、椿ちゃんはまた口をつぐんでしまった。あれ? 言いにくい話なのかな? まっ、まさか……今度こそ別れ話っ!?
「さくらって、物識りだよね」
「えっ?」
なんか、いままでで一番予想外のことを言われた気がする。モノシリ?
「料理の仕方とか、その……料理時間の節約とか……掃除なんかもだけど……さっき指切っちゃったときも、すごく丁寧にやってくれたし」
ああ。なんだ、そういうことか。……って、椿ちゃん! わたしの家事スキルを褒めてくれた!? これは遠回しに「いいお嫁さんになるね」って言ってくれてる!? ってことはこれは! さらに遠回しに「私のお嫁さんになって」って言ってる!! つまり回りまわって告白なのではっ!?
…………なんて、また一人で盛り上がっちゃったけれど、褒めてもらえたのは単純にうれしい。たしかに、ここ一年でわたしの家事スキルはかなり上がったと思う。といっても、
「じつはね、お屋敷の人に習ったんだ。綾瀬さん。ほら、椿ちゃんも会ったことあるでしょ?」
「うん。さくらのお世話係の人でしょ?」
「そうそう。あの人にね、いろいろ教えてもらったの。椿ちゃんと寮で暮らすってなったときに。できなきゃ困っちゃうから」
「……そう、だったんだ……」
わたしとしては何気ない言葉のつもりだったんだけど、椿ちゃんは申し訳なさそうな顔になっちゃった。いけないいけない、フォローしなきゃ。
「気にしないで。自分のことを自分でしてるだけなんだから」
「うん……」
まだ気にしてるっぽい? うーん、もう一押しかな。
「椿ちゃんだって、これからはもっと手伝ってくれるんでしょ? それとおなじことだよ」
「うん……うん? ……まあ、そうかも」
ちょっと強引すぎたかな? けど、いちおう納得してくれたみたい。
椿ちゃんがまたシチューを食べ始めたので、わたしも食事を再開。そして改めて確認する。……うん、きっとこれは椿ちゃん好みの味だ。
いままではわたしが椿ちゃんの口に合うようにって作ってきたけど……
ふと心配になる。椿ちゃん、ちゃんと自分好みのお料理作れるかな? まあ、いざとなったらレシピを渡そう。
わたし抜きでお料理して、ケガとかしないかなあ。ちょっぴり不安。
例えば、わたしが生徒会の仕事で寮をはやくに出るとしたら……したら……
……………………っ!?
それに気づいたとき、驚きのあまり立ち上がってしまった。
「えっ? な、なに? なんなの……?」
椿ちゃんが驚いた……ていうか、ちょっと怯えてた。…………なんか、これはこれで、新たな扉が開きそうな気もするけど……
「うぅん、なんでもない。ごめんね急に」
誤魔化すみたいに笑って、おとなしく着席する。けど、わたしの心の中では、あることがぐるぐると回っていた。
もし早くに寮を出ることになったら……なったら……
椿ちゃんの洗濯物を楽しむ時間も減ってしまうのではっ!?
マズい! これはマズイ! 由々しき事態だ! 椿ちゃんのブラウスとかソックスの匂いを嗅ぐために早起きしてるところが無きにしも非ずなのにっ!
ちょっぴり……いや、かなり不安かも。
どうしようかなあ……
わたしの生活、思った以上に変化するのかも。
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