第25話 ちょっぴり不安な生徒会選挙
目覚ましの音で目を覚ますと、時間はきっかり七時。私はいつもみたいにゆっくりと身を起こす。
やっぱりこの瞬間が一番気が重い。ベッドの中で、そろそろ起きなきゃと思っている時間が一番つらくて、とても長く感じる。一度起きれば、そうでもなくなるんだけど……
けど、今日はほんのすこしだけ気持ちが軽い。
今日から十月。白鳥学園も衣替え。つまりは冬服になる。私は今日のために、制服に合うような新しいカーディガンを買った。今日はそれを着るのを楽しみに起きることにしているから。
ベッドから出て、パジャマを脱いで下着も変える。そしてブラウスを着て、そうこうしているうちにさくらが……
…………来ない。
まあ、いいんだけど。毎日来ているわけでもないし。……いや、いいんだけどってなんだ。別にいいじゃん。入ってくるなって言ってるわけだし、そもそもこれが普通だ。
そんなことを考えているうち、私は着替えをすませて部屋を出た。
さくらは、普通にリビングにいた。もっと正確にいえばキッチンにいた。
「おはよう」
いつもならすぐに返ってくる返事が、返ってこない。……聞こえなかったのかな?
「ねえ、さくら?」
もう一度呼ぶと、
「あっ、椿ちゃん。おはよう」
「うん……おはよ」
今度は、普通にあいさつもされた。
「今日は早いね」
「いつもとおなじ時間だけど……」
「本当だ……」
初めて気づいたみたいに、さくらはちょっと驚いていた。
さくらはキッチンで、まだ料理しているみたいだった。珍しい。いつも私が起きるときにはできてるのに。
「ねえ、なにか手伝うことある?」
キッチンに行って訊いてみると、さくらは「じゃあ、お皿運んでくれる?」と言った。
さくらの様子は、はた目にはいつもと変わらない。でも……
なんだろう? なんか、変。焦ってる? みたいな、そんな感じがする。
「さくら、どうかしたの?」
食事中。
訊いてみると、さくらは食事の手を止めて、
「? どうもしないけど……どうして?」
逆に訊き返された。
「なんか、いつもと違うような気がしたから」
ボカシて言ってみる。すると、さくらはほんの一瞬だけ、ちょっと驚いたみたいな顔になった……気がする。それから、さくらはちょっと困ったように笑う。
「えーっと、ね……」
口を開きかけたさくらだけど、なにかを考えるみたいに一度つぐんで、あたらめて口を開く。
予想外の、言葉を。
「わたし、生徒会長に立候補することになっちゃった」
「あら、生徒会長に? 意外ですわね。あなた、生徒会に興味があったんですの?」
学校で、私とおなじ疑問を口にした人がいた。
昼休み、さくらが生徒会長に立候補するという話を聞いた、御郭良さんの言葉だ。けど……
ちょっと意外だ。御郭良さんとは違う意味で、私もそう思う。この人のことだから、
(――「あなたが立候補するというのであれば、わたくしも致します!」――)
とか言い出すと思ってたのに。
さくらはといえば……
「うーん、興味があるってわけでもないんだけどね……」
いつも通り……いや、いつもより、ちょっと元気のない答え。それは多分、今朝言っていたことが原因だろう。つまり……生徒会長に立候補するハメになった理由だ。
「でも、ちょっと意外だな。さくらちゃんが生徒会長に立候補するだなんて。お父さんが理事長先生だから、当然といえば当然かもだけど……」
「ま、まあね……」
葵ちゃんの疑問に、さくらはちょっと苦笑いをした。
そう、正直、その点は私も驚いた。
葵ちゃんの言葉は、ある意味正解ではある。さくらが立候補する理由は、お父さんにあるわけだから。
――――
――――――――
「お父さんにね、言われたんだ」
今朝、生徒会長に立候補すると言ったあと、さくらはちょっと困ったような顔をして、そう切り出した。
「部活にも入らないで、毎日遊び惚けていると聞いたぞって」
まえ、さくらはいくつもの部活に体験入部をしたことがあった。それは「合う部活がなかった」って口実を作るためだったけど……
「お父さん的にはね、仮にも理事長の娘が帰宅部っていうのはイヤなんだってさ」
「イヤ?」
「ようするにね、わたしが帰宅部だと、ウィキペディアでの見栄えが悪いってことだよ、きっと!」
さくらは怒ってた。こういうさくらは滅多に見れないから、ちょっと新鮮だ。
「委員会にも入ってないから、どういうことだって訊かれて、それでね、ついこう言っちゃったの……
部活にも委員会にも入ってないのは、生徒会長に立候補するためなんだよ! ……って」
――――――――
――――
「なんだか、あなたも大変ですわね」
さくらは、まだ自分の発言を後悔してるみたいだったけど、御郭良さんは他人事だった。ま、実際そうなわけだけど。
「そうかもね……」
さくらは曖昧に笑って、
「それより、ごめんね? みんなにもちょっと協力してもらっちゃって」
そのあとで、ちょっと申し訳なさそうに言った。
朝のHR前、さくらは立候補することを職員室に伝えたらしい。そこで、立候補するには一つ条件があると伝えられたんだとか。それが、〝生徒三人以上から推薦を受ける〟というもの。そこで、さくらは私たちに推薦してくれないかって頼んできたんだけど……
「このくらいなんでもありません! 当然のことですわ!」
「うん、そうだよ。選挙、がんばってね、さくらちゃん」
二人は友達として、純粋にさくらを応援してくれている。
私はといえば、なんとなく居心地が悪くなって、視線を下に下げてしまった。
だって私は、まださくらの推薦書に、自分の名前を書けていなかったから……
居心地の悪さを感じたまま、昼休みは終わり、午後の授業も終わり、放課後になった。
それでも私はまだ名前を書けずにいて、いつの間にかさくらと一緒に下校していた。
その途中、
「椿ちゃん、今日のお夕食はどうする?」
「……パスタ、とか?」
「パスタかあ。そういえば、最近食べてなかったね。じゃあ、そうしよっか」
そんな会話をしつつも、私の頭の中にはさっきからおなじ考えだけがぐるぐる回っている。
さくらは、なにも言ってくれない。
どうして書いてくれないの、とか、なにも。……いや、言ってくれないっていうのは、ちょっと違うかも。なんか変な言い方しちゃった。
けど、大丈夫だよね、べつに。私が書かなくても、ほかの人が書けばいいわけだし。
「――ちゃん」
さくらは人気者だから、頼めばだれでも、喜んで推薦してもらえるはず……
「椿ちゃんっ」
「っ! な、なにっ?」
急に名前を呼ばれてビックリする。と思ったら、顔を覗き込まれていたので思わず身を引く。
「わたしのセリフだよ。大丈夫? なんか、ボーっとしてたみたいだけど……」
「なんでもない。大丈夫だから」
「そう? ならいいけど……」
さくらは、いちおうは納得してくれた……みたい。
「あのね、今日はパスタを卵で包んでみようと思うの。オムそばみたいな感じで。どうかな?」
「……うん。いいと思う」
「じゃあ、そうしよっか。えぇっと、ベーコンと生クリームは入れたから、卵とチーズと……あれ、オリーブオイルってまだあったっけ?」
さくらがブツブツと考え始める。私が「まだあったと思うよ」と言うと、そっかとうなづいて、「じゃあお会計に行こう」と言った。
会計をすませて、スーパーを出たあと。
私たちは荷物を分けて持って、寮へと帰る。だけど……
会話が……ない。いや、あるにはある。さくらは、いつもみたいに私に話しかけてくれてる。
会話が続かないのは、私のせい。
原因は分かってる。罪悪感と、それにちょっぴりの……
頭に浮かびかけた感情を、慌てて振り払う。それはあまり認めたくないものだったから。
でも、大丈夫。認められる。そのためにも、寮に帰ったら推薦書にサインしよう。ただ名前を書くだけでいいんだから……
そんなことを考えているうちに、寮について、制服を着替えて、さくらが夕食を作ってくれるのを手伝った。
けど私は、未だ推薦書に名前を書けないままだった。
だから私は、さくらの顔をまっすぐに見ることができなくて……
「ねえ、椿ちゃん」
名前を呼ばれて、顔を上げる。するとそこにはさくらがいて、目が合った。なぜだか、ひどく久しぶりに顔を見た気がするのは、どうしてだろう……
「もしかして、だけどさ……」
さくらはちょっと、ちょっとだけ、言いにくそうに口を開いた。
「わたしが生徒会長に立候補するの、イヤ……だったりする?」
予想通りのことを言われ、でもだからこそ、私はすぐに答えることができない。
答えはもう決まってる。今日の朝から。言わなきゃって思ってるし、推薦を頼まれてから、余計にそう思った。
でも、思ってるだけだ。きっと、私は思うだけで言わなかっただろう。適当に誤魔化して、推薦書にサインしてた。……いままでの、私なら。
けど、この間決めたばっかりだ。さくらに対して、もうちょっと素直になるって。
そう思ったら、私の口はまえよりも素直に開いてくれた。
「イヤじゃないよ。べつに、イヤじゃない」
「けど、なに?」
「……私そんなこと言ってない」
「分かるよ。あるでしょ? 続き」
「…………あるけど」
そっちは言うつもりなかったのに。だって、言っても仕方ないし。いや、でも……素直になるって、決めたんだっけ。じゃあ、それも言ったほうが……うぅん、言わなきゃ、だよね。
「イヤじゃないよ、それは本当。けどね……」
さみしくなるなって思ったの。
ただ、そう続けるだけだ。それだけ。そうするって、決めたんだから。それなのに……
「……私、どうすればいいの? その……ご飯とか……」
口から出てきたのは、全然違う言葉だった。……ていうか、なに言ってるんだ私! ご飯どうするのって!
なんか急に恥ずかしくなって、またさくらの顔が見れなくなった。顔が赤くなっているのが自分でも分かる。でもすぐに、私は顔を上げることになる。さくらのおかしそうな笑い声が聞こえてきたから。
「な、なに……」
顔を上げると、さくらも顔を赤くしていた。でも、それは照れているんじゃなくて、笑っているからだ。
「そっ、そんなにおかしい?」
さすがにイラっとしたので、ちょっとムッとした口調になってしまった。今回は、とくに悪いことをしたとは思わないけど、さくらはやっぱり笑ってた。それからちょっとだけ楽しそうな声で、こんなことを言ってきた。
「椿ちゃん、もうちいさな子供じゃないんだよ?」
どう答えたらいいのか分からなくて、
「……分かってる」
結局、それだけを言った。
さっきから目を背けていた居心地の悪さが、また大きくなってくる。
それはやっぱり、ちょっぴりの罪悪感と。そして……
そう、不安だ。私は不安なんだ。
高校に進学して、さくらと一緒に暮らすようになった。いつもさくらと一緒にいるようになって、それが当たり前になった。
だから、私は不安なんだ。その〝当たり前〟が変わってしまうことが。いまの私の生活は、すごく不安定なバランスで立っていて、すこしでも変わってしまったら、全部バラバラと崩れてしまう気がしたから。
そう考えたら、私の口は縫い付けられたみたいになって、全然開いてくれなかった。
さくらはしばらく黙って、それから、さっきまでとは違う静かな声で言う。
「それが、すぐにサインしてくれなかった理由?」
「……うん」
そんなはずないと分かってはいるけど、私の視線はまたどんどん下がっていった。責められているような気がしたから。多分、それはさっきからずっと私を支配してる罪悪感のせいだ。
「わたしね、ホントは立候補するの止めようかなって思ってたんだ」
「えっ、なんで?」
反射的に顔を上げてさくらを見る。ふざけてるのかと思ったけど、さくらは稀に見る真面目な顔をしてた。
「椿ちゃんが推薦してくれないから」
…………。
いや、やっぱりふざけてるのかも。
「わたし、本気だよ。椿ちゃんが推薦してくれないなら、立候補しない」
さくらの声色は、いつもよりちょっと強い。それに、その目はまっすぐに私を見ていて、決して離してくれない。
本気で言ってるんだ。冗談みたいなことを、本気で。なんでコイツはいつも……
さくらは、いつもこうだ。何事に対してもまっすぐで、それは私へも変わらない。それなのに、私はこの期に及んで素直になれずにいて……
そう考えたとき、私の心には黒い影が降りる。これは……そう、劣等感だ。自分とさくらを比べて、あまりの違いに辟易する。一人で、勝手に。そんな自分にほとほと嫌気がさす。
だから私は、それを誤魔化すみたいに口を開く。
「なんでそんな……さくらなら、頼めばだれにでも推薦してもらえるでしょ」
「それじゃ意味ないよ! わたしは椿ちゃんに推薦してもらいたいの!」
さくらが身を乗り出してきたので、私はちょっと身を引く。
「だから、椿ちゃんが立候補しないでって言うなら、しないつもりだよ」
「そんなこと言ったら、またパパさんに叱られちゃうよ」
「そんなのなんとかするし、してみせる。わたしにとって、一番大切なのは椿ちゃんだから」
「……っ!」
うぅ……なんか……なんか、なんだろう。
さくらのことだ。深い意味の発言じゃないことくらい分かる。けど……
「だから、もう一回訊くね? わたし、立候補してもいいかな?」
さくらが訊いてくる。けど、これは形だけだ。もうさくらは、どうするか決めてあるんだ。
私の答えを、もう分かっているから。
「……なんか、その訊き方ズルい……」
だから私は、またそんなことを言ってしまった。
「そうかな? ……うん、そうかも。でもね、どうしても、椿ちゃんの口から聞きたいの」
さくらはちょっと笑って、改めて私を見た。そして続ける。
「椿ちゃん、わたしのこと、推薦してくれる?」
「……うん」
さっきまでがウソみたいに、私の口は簡単に動いてくれた。
それは、さっきのさくらの言葉のおかげだ。深い意味がないことくらい分かるけど……
それでも、これだけは確信することができた。
すこしくらいの変化じゃ、私たちの関係は変わったりしないって。
翌日。
さくらは推薦書を、選挙管理委員会に提出した。そして……
さくらは他の立候補者たちに大差をつけて、当選した。
一年生ながら、見事に生徒会長になったのだ。
「おーーっほっほっほっほっほ!!」
体育館での、生徒会長とほかの役員たちの紹介が終わり、教室へ戻ったときのこと、御郭良さんが急に高笑いをし始めた。
「見事当選するとは、さすがはわたくしのライバルですわねっ!!」
なぜか自慢げな御郭良さん。さくらは「どうもどうも」なんて言っている。
葵ちゃんやクラスの人たちもさくらの当選を祝福してて、やっぱりコイツはクラスの中心なんだなあ、なんて思った。
きっと、それはこれからも変わることはないに違いない。
けど、変わっていくこともある。……うぅん、変えるんだ、私が。
「おめでとう、さくら」
下校中、ちょっと遅くなったけど、いちおう言っておいた。
「ありがとう、椿ちゃん」
さくらは素直に受け止めてくれた。……多分、うれしそうに。
そう、さくらはもう生徒会長になったんだ。引き継ぎなんかもあるから、正式にはまだだけど。でも、これからは……
「でも、これからは……」
自分の心の言葉をなぞられたので、私はビックリしてさくらを見た。その顔に浮かんでいるのは、からかうみたいな笑顔だった。
「椿ちゃんのご飯、作れなくなっちゃうかもね」
一瞬キョトンとしてしまったけど、不意に思い出す。この間、さくらに対して言った言葉を。
「なーんて、じょう……」
「あのね、さくら」
さくらはまだ何か言おうとしてたみたいだけど、私はそれを遮った。
いまだ、と思ったから。このタイミングを逃したら、私はまた怖気づいて、ずっと言えなくなってしまう気がしたから。
「そのことで話があるの」
「? なに?」
「えっと、ね……」
尋ねられて、口ごもってしまう。
「椿ちゃん?」
そんな間に、さくらは不思議そうな顔で私を見ていた。
私は覚悟を決めて、一度息を吸って、勢いに任せて言う。
「料理教えてくれない?」
あ、あれ? ちょっと早口になっちゃった。勢いに任せすぎた?
ちゃんとさくらに聞こえたかな……?
「え?」
聞こえなかったっぽい。仕方ない、じゃあ……もう一度。
「だから、料理を、教えてほしいの」
今度はゆっくり言えるよう、言葉を区切りながら言う。
「……え?」
ま……またっ!? 声がちいさかったのかな?
「だ、だからっ! 料理を教えてよっ!」
「ゑ?」
「ちょっと! 何回おなじこと言わせる気!?」
こっちは頑張って勇気を振り絞ってるのに!
いや、これ変かな……? ただ料理教えてって言うだけで勇気とか……
「ごっ、ごめんね? ちょっと予想外で……あ、あれ? 一緒に暮らすのやめるって話じゃないの?」
「な、なんでそんな話になってるのっ!?」
あまりに予想外の言葉に、声がちょっと上ずってしまう。ていうか……
「さくら、やめたいの……?」
「やめたくないよ! ずっと椿ちゃんと一緒にいたいもんっ!」
さくらが私の腕を掴んで、身を乗り出すようにして近づいてくる。けど、私が身を引いちゃったのは、それが理由じゃなくて……
「椿ちゃんはわたしと一緒にいるのイヤなの!?」
この、率直すぎる言葉のせいだ。
「さ、さくら……! みんな見てるから……っ!」
絞り出すように言ったら、ようやくさくらは気づいてくれたらしい。
通行人たちが、遠巻きに私たちを見ていたのを。
「ごめん……」
バツが悪そうに視線をそらしたさくらは、それきり黙ってしまった。
だから、代わりに私が口を開く。今度こそ、正直に。
「私が料理を教えてほしいのはね……私たちのため、と思う……」
「わたしたちの……?」
さくらが不思議そうにしてる。
……やっぱり、ちょっと照れ臭い。でも言わなきゃ。
「だって、さくらはこれから、生徒会の仕事で忙しくなるでしょ? だから、その……私が作るよ……さくらが忙しいときは……」
絞り出すみたいにして、なんとか言うことができた。
これで、あとはさくらの答えを待つだけ。待つだけ……まつ……
待っても、答えが返ってこない。どうしたんだろ? まさか、聞こえてない!? じゃあ、また今とおなじこと言うの!? そんなの絶対ムリっ!!
「さくら……?」
待ちきれなくなってさくらを見ると……
「うぅ……っ!」
なんか、泣いてた。
…………って、えぇ!?
「さ、さくらっ!? なんで泣くの!?」
「だって、椿ちゃんが……椿ちゃんが、わたしに毎日お味噌汁作ってくれるって……」
「私そんなこと言ってない! さくらが忙しいときだけ作るって言ってるのっ!」
なんなんだコイツ。……まあ、どうしても毎日食べたいって言うなら、作ってあげないこともない。でも、まずは練習しなきゃだけど……
「それでも……あはは、そんなこと言ってもらえるなんて、思わなかった。ありがとう、椿ちゃん」
「べつに……普通でしょ、このくらい」
ふざけてるのかと思ったら、今度はまっすぐにお礼を言われて、私はなんだか気恥ずかしくなった。
「それでも、ありがとう」
「ん……」
重ねて言われると、さすがに頷くしかない。
「じゃあ、今日から一緒にご飯作ろうよっ」
今度の言葉には一瞬詰まる。だって、今日からもなにも……
「私、いちおう毎日手伝ってるけど……」
「そうじゃなくて、もうちょっと実践的なこと。だって、いま椿ちゃんがやってるのは、ご飯よそったり、野菜洗ったりでしょ?」
「それは……だって、さくらが包丁握らせてくれないんじゃん」
「それは椿ちゃんの手つきが危なっかしいからだよ」
うっ。……それはまあ、たしかに。なんか怖いんだよね。
「だからね、そういうところを、わたしと一緒に練習しようよ。ごはん、作ってくれるんでしょ?」
「う、ん……作ってもいいなら」
「もちろん作ってほしいよ! 椿ちゃんが作ってくれるごはんなんて、おいしいに決まってるもんっ!」
私は、思わずちょっと笑ってしまった。
どうして、さくらはこんなことをまっすぐに言えるんだろう? これじゃあ、なかなか言い出せずにいた私がバカみたいだ。
頭に思い浮かぶのは、そんな考え。けど、それは劣等感なんかじゃなくて……うん、これは、単純にうれしいんだ。さくらの、冗談みたいにまっすぐな言葉が。
つられたみたいにさくらも笑って、
「じゃあ、まずは材料を買いに行こ? おいしい野菜と果物の見分け方も教えるね?」
「……ん。その……よろしく」
「まかせてっ! 今日からわたしを先生と呼んでくれて構わないよ」
「やだ」
「ちぇ。ケチー」
そんな会話をしながら、私たちはスーパーにむかった。
いつもの道に、いつもの会話。けど……
私たちの関係は、すこし……すこしだけ、変わろうとしている……のかも。
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