第24話 邯鄲《かんたん》、椿のまくら

 わたしは六時になると同時に目を覚ました。


 今日は土曜日。平日と比べてちょっとだけゆっくりしてる。それにしても……


 うーむ、いつも通りわたしの体内時計は正確だ。さてと、はやくシャワーを浴びて椿ちゃんパ……もとい、洗濯物を片付けなくっちゃ。


 と思ってベッドから降りたら、ちょっとくらっと来た。普通に起きられたから大丈夫かと思ったけど、ちょっと昨日の疲れが残っているみたい。


 わたしは昨日、学園を休んで実家の〝祭祀さいし〟というイベントに参加した。これは天王洲家の初代当主を祭るお祭りで、毎年大臣や大使なんかもお呼びして、必ず営まれている。


 これが結構肩がこる。ていうか、正直言って退屈なイベントだ。


 小中学校の時、わたしは祭祀の日は学校を休んでいたんだけど、幼稚園と、そして白鳥学園は、開校記念日がそれぞれ祭祀の日とおなじ。これは天王洲が経営する学校に通う人たちに、自分たちの始祖の誕生日を浸透させるというお父さんの策略だ。


 学園を休む必要はなかったわけだけど、当然ながら椿ちゃんとの時間はなくなってしまった。本当は椿ちゃんも誘いたいんだけど、それは迷惑かなあと思うと言い出せない。


 そんなわけで、わたしは昨日また屋敷に行って、社交用の笑みを張り付けながら祭祀に参加しなくちゃいけなかった。超めんどくさかった。


 だから今日は、メチャメチャ椿ちゃんとイチャイチャしよう。うんざりした椿ちゃんが、思わず怒っちゃうくらい。




 と、思ってたんだけど……


「さくら、大丈夫?」


「え?」


 朝ごはんの後片づけの途中。


 わたしたちは当番制でお皿を洗って、もう一人がそれを拭いてる。今日は椿ちゃんが洗う番。


 お皿を洗いながら、何気ない様子で椿ちゃんに訊かれた。


「なにが?」


「だって、あくびばっかりしてるし。そんなに眠いの?」


「え、ウソ。わたしあくびしてた?」


 なんか眠いし、あくびが出そうな自覚もあるから気をつけてたのに。椿ちゃんにみっともないところ、見られたくないんだけどなあ……


「うぅん。してない。ただ、かみ殺してるみたいに見えたから」


 おお……っ。


 思わず、感動する。


 だって、わたしたちはいま横並びになって片づけをしてる。それなのにわたしがあくびを我慢してるのに気づいたってことは! わたしをチラチラ見てたってことだよね! もう、椿ちゃんったらムッツリなんだから! 抱きしめちゃるっ!


「ありがとうっ! 愛してるよ椿ちゃん!」


「はっ!? 急になに!? なんで今の流れでこうなるの!?」


 あ、椿ちゃんが混乱してる。なんならちょっと怖がってる。そ、そうだよね。いまのはさすがに脈絡がなさ過ぎた。ごめんなさい。


「おっと、ごめん。ちょっとテンション上がっちゃって」


 椿ちゃんは、なにそれ、とまだちょっと怪訝な顔をしてたけど、とりあえず引いてくれた。


「……それで、どうしたの?」


 それからちょっと間をおいて、また訊いてくる。


「なんか、いつもより変だけど……」


「まあ、ね」


 ちょっと抵抗あるけど、心配してくれてるみたいだから、正直に言っとこう。


 わたしは椿ちゃんに、昨日の祭祀のことを話した。すると、彼女は納得したみたいにうなづく。


「昨日帰ってきたときから、ちょっと疲れてたもんね」


 バレてたんだ。気をつけてたのに。……ってことは! 椿ちゃんはそのくらいわたしのことを見てくれてるってことではっ!? もう、椿ちゃんたらムッツリなんだから! 抱きしめ……いや、よそう。これじゃさっきの二の舞だから。


「ごめんね。みっともないとこ見せちゃって」


 そう言うだけに止めておこう。これ以上抱き着いたら怒られそうだから。


「べつに、そんなふうには思ってないけど……」


 椿ちゃんはお皿を洗って、それを渡してくれる。それから、また何気ない口調で続けてきたんだけど……


「もし辛いなら、休んでれば? 片づけは私がやっておくから」


 その内容はまったく予想外だった。


「どっ、どうしたの急に?」


「べつに……どうも。ただ、ムリして前みたいに倒れられたら大変だし……」


 前みたいに……風邪ひいちゃったときのことだよね。たぶん。



「大丈夫だよ。あのときみたいにはならないってば」


 お皿を洗い終わって、二人でリビングに戻る。


「ホントに? せっかく休みなんだし、ちょっと寝たら?」


 わたしは軽く言うけど、椿ちゃんはまだ心配そうだった。本人は隠してるつもりだろうけど、ちょっとだけ……顔に出てる。


 大丈夫って言っても、信じてもらえなさそう。……あ、そうだ。


 わたしは思いついて、言ってみることにした。いつもみたいにふざけて、安心させようとして。


「じゃあさ、椿ちゃん膝枕してよ。椿ちゃんのお膝でなら、疲れなんてすぐなくなっちゃうと思うなあ」


 こう言ったら、いままでの椿ちゃんからして――


(――「なっ、なにバカなこと言ってんの! 寝るなら一人で寝て!」――)


 とか言うに違いない。


 これなら椿ちゃんも安心するだろうし、照れた顔も見れるしで一石二鳥……



「……いいよ」

「…………えっ?」


 あ、あれ? 気のせいかな? なにかいま、あり得ない言葉を聞いたような……


 うつむいた椿ちゃんは、耳を真っ赤にしてる。だから、多分顔も赤くしてるんだと思う。


 椿ちゃんは、そのままもう一言。


「だから、いいよ」



 …………



 ……………………




「ゑ?」


「だっ、だから! べつに膝枕くらいいいって……もういいっ! やっぱりやらない!」


 椿ちゃんがリビングから出ていこうとしちゃうので、わたしは慌ててその手を掴んだ。


「あん、待って待って! からかってるわけじゃないの! ただ……え、いいの? ホントに?」

「……さっきからそう言ってるじゃん」


 うつむいて、さっきよりも顔を赤くして言う椿ちゃん。


 こ、これは……本気っぽい? ていうか、そんな反応をされると、わたしまで恥ずかしくなって……


「じゃあ、えっと……お願いします……?」


 たのに、口から出てきたのは、そんな一言だった。


「う、うん。じゃあ……はい」



 !!??


 つ、椿ちゃんが……! 椿ちゃんがカーペットの上に正座してるっ!!


 なんでこんな受け入れ態勢なのこの子! これじゃわたし我慢できなくなっちゃう! もう辛抱たまらんダイブしちゃるっ!!


「……じゃあ、えっと……失礼します……」


 あれ……? 思ってた言葉と違う。


 ダイブして抱き着こうとまで思ってたのに、わたしは控えめな足取りで椿ちゃんに近づいていく。


 なっ、なんか、緊張してきた……


 おかしいな。自分から言い出したことのはずなのに……なんか、こっ、心の準備が……


 わたしの目は、自然と椿ちゃんの足へと吸い寄せられていく。椿ちゃんは、いまミニスカートを穿いてるから、足がむき出しの状態で……うぅっ! 太ももが……太ももが眩しいっ!


 やっぱり、今日はいいよって言おうかな? いや、でも……そんなこと言ったら、椿ちゃんに恥をかかせちゃうかも?


 覚悟を決めなきゃ! なにもやましいことをするんじゃない! ただお膝に寝るだけ! 椿ちゃんだっていいよって言ってくれたんだし! 合意の上なんだから!


 こうしてる間にも、椿ちゃんは待ってくれてる……! はやく……はやく……


 気持ちとは裏腹に、わたしの体はゆっくりとしか動いてくれない。でも、それでも……



 ぽすんっ



 わたしは、自分の頭を椿ちゃんの膝の上に――


「きゃっ!?」


 置いたら、なんか悲鳴を上げられた。


「えっ、な、なにっ!?」


 あれ!? わたし寝ていいんだよね!? セクハラで訴えられたりしないよねっ!?


「なっ、なんで上むくのさ……っ」


 焦るわたしの視線のさきで、椿ちゃんはわたしから視線を外して、ちょっと上ずった声で言った。


「横むいててよ。なんか、はずい……」


「う、うん。分かった……」


 よかった。告訴はされずに済みそう。


 わたしは大人しく、頭を動かして横をむく。すると、椿ちゃんがちょっと声を上げたので、わたしはなんかドキッとした。


 おかしいな。椿ちゃんの膝枕、椿ちゃん抱きまくらを使って何度もしてもらったんだけど……やっぱり、実物はなんていうか……想像を絶する。


 さっきも言ったけど、椿ちゃんは今日ミニスカートを穿いてる。だからその……わたしの頭は、直接太ももに置かれてて、至近距離に……なっ、生足が……っ!


 椿ちゃん、やっぱり足キレイだなあ。なんかテカテカしてるし。



 …………



 ……………………



 ちょっと、ちょっとだけなら……


「っっ!?」


 瞬間、上から悲鳴になってない悲鳴が降ってきた。


「な、なにっ!?」


「あ、その……ちょっと頭の位置を変えようと思って」


「べつに、そのままでいいでしょ。……てか、足さわんないでよ、くすぐったい……」


「うん。ごめんね……」



 おおぅ……


 すべすべ! すっごいすべすべだった! それになんかもちっとしてた! にゅーえきでもぬったのかなあ!



 …………



 ……………………



 なんか、テンション上がってテンションおかしくなってた。……うん、いったん落ち着こう。



 うぅ……やっぱりだめ。落ち着かない。なんか、無性に……むしょーーにイタズラしたいっ! 具体的には触ったりスカートの中に手を入れたりしてみたいっ!


 ……いやいや、だめだめ。えっと、もうそう……違うっ! そう! 想像力! 


 アインシュタイン曰く、〝想像力は世界を包み込む〟!


 わたしの妄想……じゃなかった、想像力で煩悩を包み込むんだ!




 ~ 想像① ~



「おはよう椿ちゃん」

「うん。おはよう、さくら」


 わたしたちは、そうやってあいさつを交わして、一緒にご飯を食べて、後片付けなんかも一緒に……って、あれ? これ今日……ていうか、毎日やってる。


 やり直し。




 ~ 想像② ~



「これ、椿ちゃんによく似合ってるよ」


「さっ、さくら、恥ずかしいよ……」


「いいじゃんべつに。ほら、椿ちゃんもちゃんと見て」


「う、うん……」


「ほら、このピンクの下着、よく似合ってる。椿ちゃん、こういうの好きでしょ? 持ってる下着も、ピンクが多いもんね」


「いっ、言わないでよ……ばか……」


 うんうん、こんな感じで、わたしが椿ちゃんの下着を……


 …………


 いや待って。これもやったことある。まったくおんなじじゃないけど、ほぼほぼ同じことやった。


 おかしい。わたしの妄想って、じつはほとんど叶っているのでは!?


 妄想力は世界を包み込むって言ったくせに! アインシュタインのウソつき!


 いや、わたしは諦めない! 自分の妄想力を信じなきゃ! よし、もう一回!




 ~ 妄想③ ~



「いってきます、椿ちゃん」

「うん。いってらっしゃい」


 こうやって、毎日椿ちゃんは、仕事に行くわたしを見送ってくれる。


「あの、さくら……」


「? なあに?」


 でも、出ていこうとすると、椿ちゃんはわたしのスーツの裾を掴んでくるの。


「いつもの……しないの……?」


 それで、ちょっと顔を背けて訊いてくるから、


「いつものって?」


 わたしはイジワルをしてしまう。


「そ、それは……」


 それでそれで! 椿ちゃんが顔をそむけたまま真っ赤にして口ごもるから……


「ちゃんと言ってくれなきゃ分からないよ。ねえ、いつものって何? ちゃんと教えて」


 わたしは椿ちゃんの顎を掴んで、無理やり顔を上げさせるの。


 すると、椿ちゃんはもっと顔を赤くして、ちょっと震えた声で言うの。


「だっ、だから……き、きすっ…………しよ?」


「よくできました」


 わたしは、ゆっくりと椿ちゃんに顔を近づけて、唇を塞いであげる。


 それでそれでそれでぇ! お互いの唾液がまじゃりあうくらいのディープキスを……


 うへへへへへへへへへへへへへっ!




「ちょ、ちょっとさくらっ!」


「ふぇあ? どーしたの、椿ちゃん?」


 なんか、わたしいつのまにか寝てたみたい。椿ちゃんの膝枕が、あんまり気持ちよくって。


「どうしたのって……それこっちのセリフ!」


 ……あれ? 椿ちゃん、なんか驚いて……怒ってらっしゃる?


「どういうって……じゅる」


 じゅる? ……て、なんだろ?


 …………あ。


 気づいた。いつの間にか、自分がよだれを垂らしていたことに。



「っ! ご、ごめん椿ちゃん!」


 反射的に跳ね起きる。


 見ると、椿ちゃんの足には、わたしの涎がかかっちゃってた。……わたしの涎が、椿ちゃんの太もも……生足にっ!



 ………………………………………………………………………………………………



 はっ!?


 いやいや、べつになにも思ってない! 煽情的だなーとか、写メ撮りたいなーとか、舐めたり吸い取ったり舐めまわしたいとか思ってない!


 とにかく、ちゃんと謝らなきゃ!


「ホントにごめんね!? すぐに拭くから!」


 わたしは立ち上がって、急いでティッシュを持って戻ってくる。


 それで椿ちゃんの太ももについた自分のよだれを拭きとって……なんか、これもちょっとアレな気分に……あっ。


 拭いてて、気づいた。結構長い時間寝てたのかな? 椿ちゃんの太ももに、わたしの髪の毛の跡が。とってもきれいな足なのに、そこだけ赤い、細い跡がついていて、なんか……なんか…………いやいや!


 わたしは急いで考えを中断する。また涎が垂れてきたら、いよいよマズい。


「ホント、ごめんね? せっかく好意でしてくれたのに、こんな……」


 怒ってるかなあと思って、ドキドキだった。ていうか、怒って当然だ。けど……


「いいよ。べつに」


 椿ちゃんは、とくに怒ってる感じじゃなかった。どころか、声色もちょっとやさしい気がする。


「熟睡するほどよく眠れたってことでしょ? 休んでもらうためにしたんだから、よかったと思うし……」


 それから、椿ちゃんは黙っちゃった。こういうときは、大体椿ちゃんは言葉を続けてくる。だからわたしは、それをじっと待った。


「汚いとか、べつに思ってないから。気にしないで……」


 なんて、照れくさそうに、言ってくれて……くれて……


「椿ちゃぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああんっ!!」

「きゃっ!?」


 この子は……この子はなんていい子なの! こんなの抱きしめるなっていうほうがムリ!!


「ごめんねぇえええ! ホントごめんねぇええええええええええええええええええええええええっ!!」


 煩悩まみれでごめんなさい! アインシュタインのウソつきとか思ってごめんなさい! そもそもさっきのは煩悩で煩悩を包んでただけでしたごめんなさい!!


「こ、今度はなにっ!? さくら、ちょっと怖いってば! ああもう、膝枕なんてやらなければよかった!」



 とかなんとか言って、頼めばまたやってくれるんでしょ? なんて、さすがにこの場面じゃ言えない。けど……


 わたし、ホントに幸せ者だなあ。


 想像より、妄想よりも、わたしはこの現実が一番好きだ。だって……



 わたしの世界を包み込んでくれてるのは、いつだって椿ちゃんなんだから。

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