第31話 燃え尽き勉強会

 燃え尽き症候群なんて言葉がある。


 人っていうのは、目的を達成した結果、いろいろなことに対して情熱や意欲を失ってしまう場合があるらしい。


 一週間前に文化祭を終えた白鳥峰学園でも、それが起こっているみたいに見えた。


 生徒会役員の先輩にも、なんだか元気のない人がいるし、それはクラスメイトの子にもおなじことが言える。


 ダリアちゃんみたいに、分かりやすく元気な子もいるけれど。葵ちゃんはいつも通り。


 椿ちゃんは……どうだろ? この子、分かりやすくテンションが高いわけじゃないし、普段から「元気!」って感じの子じゃないからなあ。


 とにかく、白鳥峰学園のみんなは文化祭という大きなイベントを終えて、〝やりきった〟と感じているらしかった。けれど……



「みなさん、まさかお忘れではないと思いますが、来週には実力テストが控えています」


 緩み切っていた空気が張り詰めた瞬間だった。


 朝のHR。担任の先生の言葉に、クラスの子たちは固まって、ついでに教室の温度もちょっと下がった。


 ……いや、ウソ。ちょっと大げさに言いました。いちおう覚えてた子もいたみたいだから。


 でも空気が張り詰めたのは本当。ここで教室がざわつかない辺り、みんな育ちがいいんだなあ。なんて、ちょっと他人事みたいに考えちゃったけれど、わたしは見逃さなかった。



 椿ちゃんが、すっっごく渋い顔をしているのを。




 昼休みになっても、椿ちゃんの渋い顔はあまり変わっていなかった。ホント、顔に出やすい子だ。


 でも珍しいな。椿ちゃん、普段からお勉強はしてるみたいで、テストでもしっかり点は取ってるのに。やっぱり文化祭の準備のせいかな?


「伊集院さん、どうかしまして?」


 ダリアちゃんが怪訝な顔で椿ちゃんに話しかける。いったい何を言うのかと思ったら、


「さっきから難しい顔をしていますけれど、あなたのお弁当、そんなに苦いんですの?」


 なんて言い出すので、わたしは思わず笑いそうになった。ダリアちゃんて、ときどき真面目な顔でおもしろいこと言うんだよね。



「そういうわけじゃない……と思う」


 否定しようとしてたのに、最後は疑問形になってた。


 あー、これはアレかな。今日のお弁当、椿ちゃんも一緒に作ってくれたから、ちゃんと作れたのか不安になっちゃったかな。仕方ない。


「うん、大丈夫。お弁当はちゃんとできてるよ」


 いちおうフォローしておこう。すると、椿ちゃんは「よかった」と安心してくれたみたいだけれど、怪訝な表情のままなのはダリアちゃん。



「あら、そうでしたの? では、一体どうされたのです? なにやら浮かない顔をされていますけれど……」


「べつに、浮かない顔なんて……」


 誤魔化そうとしているらしい椿ちゃん。けれどその言葉の途中で、ダリアちゃんはなにかに気づいたみたい。ハッとした顔になって、堂々と宣言!


「分かりましたわ! あなた、来週の実力テストが不安なんですのねっ!」


「う”っ!?」


 図星をつかれた椿ちゃんは、おかしな声を出していた。



「だっ、ダリアちゃん……」


 遠慮のないダリアちゃんに、葵ちゃんが困った顔をしている。椿ちゃんはといえば、諦めたようにため息をついた。


「まあ、うん、そう、そういうこと。最近、あんまり勉強できてなかったから」


「文化祭の準備で忙しかったもんね。仕方ないよ。ボクもね、今回はちょっと自信ないんだ」


 葵ちゃんのフォローがキラリと光る。よし、ここはありがたく、わたしも便乗しておこう。



「じゃあさ、みんなで勉強会しようよ」


 勉強会? と首をかしげる椿ちゃん。


「うん。四人で勉強会しよ? 分からないところは教え合ってさ」


「いいね、それ! ボク、そういうのちょっと憧れてたんだ」


 葵ちゃんがちょっとうれしそう。めずらしい。



「どうかな、椿ちゃん?」


「うん。私は……うん、いいけど……」


「おーーっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほ!!」


 椿ちゃんの声をかき消すのは、ダリアちゃんの元気な高笑い。お腹から声が出てていいと思うけれど、ちょっとうるさい。



「いいですわね! このわたくしが何でも教えて差し上げますわっ!」


「あ、うん」


 あ、椿ちゃんが引いてる。ダリアちゃんと話してるとき、椿ちゃんはよくこうなってるけれど、肝心のダリアちゃんは気づいてるのかな?


「でも、いいの? 御郭良さん、お店は大丈夫?」


「問題ありません。もともとテスト期間中はお休みをいただいてありますし、それに……友人が困っているというのであれば、手を貸すのは当然ですわ」



 いつもみたいに堂々とした態度のダリアちゃん。こういうところ、じつはちょっと尊敬してる。


 普段の言動がアレだから忘れそうになっちゃうけれど、ダリアちゃんって基本的に友達思いの常識人なんだよね。


「安心なさい、伊集院さん! このわたくしがいるからには、必ずあなたに素晴らしい成績を取らせてご覧に入れます! どうぞ笹船に乗ったつもりでいてくださいな! おーーっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほ!!」


 大船だよ、ダリアちゃん。という葵ちゃんのツッコミは、たぶん高笑いにかき消されて届いていない。




 放課後、わたしたち四人は図書館にむかった。もちろん、勉強会のために。


 行ったんだけど……もう他の生徒の子たちでいっぱいだった。


 白鳥峰学園は、その敷地内に「図書館」がある。「図書室」じゃなくて「図書館」が。校舎から独立した、体育館よりもすこし大きい、二階建ての建物。そこには一般文芸から椿ちゃんが好きな推理小説、自伝とか詩集に参考書、ライトノベルまで取り揃えてる。


 だからもともと人の出入りは結構あるんだけど、テスト前になるといつもより多くなる。静かで資料もたくさんある図書館に、みんな自然と集まるみたい。


 だからこそ、出遅れると場所がなくなっちゃうんだけど……



 そんなわけで、ところ変わって教室。


 わたしたちはお弁当を食べるときみたいに机をくっつけて、でもその上に広げているのは教科書とノート。わたしたちはいま、それぞれ苦手な教科を勉強してる。


 わたしがいまやってるのは数学。けれど、それは自分のためっていうよりは……


「さくら、これどう?」


「えっと……うん、大丈夫。あってるよ」


 数学を一番苦手をする椿ちゃんは、現在数学を勉強中。わたしは自分が苦手なところを整理しつつ、椿ちゃんの勉強を見ていた。



 数式を見ただけでうんざりした顔になる椿ちゃんだけれど、それでも中学生レベルの問題なら解ける。だから、まずは椿ちゃんが解ける問題をわたしが作って、それを解いてもらう。解けたらすこしずつ難しくして行って……そうしているうちに椿ちゃんが苦手にしている箇所が分かってきた。あとは、そこが克服できるように問題を作って、教えていくだけ。そんなことを続けていると、


「さくらちゃん、教えるの上手だね」


 葵ちゃんに褒められた。


「そうかな? ありがとう」


 自分で勉強してるうちにするようになった方法だけど、役に立ってよかった。



「ふっふっふ。椿ちゃん、わたしを先生って呼んでもいいよ」


「遠慮しとく」


 遠慮しなくていいのに。照れ屋だなあ、もう。



「葵ちゃんたちは、なんか勉強しなれてる感じだね」


「当然ですわっ!」


 わたしの言葉に答えてくれたのは、なぜかダリアちゃん。


「だってわたくしと葵は、いつも一緒に勉強してるんですのよ!」


 いつものことながら、脈絡のない子だ。……ていうか、いつも? いつも図書館なんかで勉強してるのかな? と考えていると、


「そういえば、二人って一緒に暮らしてるんだっけ?」


 椿ちゃんから衝撃発言。



「え、えっ? そうなの?」


「あら、あなたにも言ってませんでしたかしら。葵は御郭良みかくらのお屋敷で暮らしていますのよ」


 初耳ですのよ。たしかに、寮に住んでいる生徒の名簿に、二人の名前はなかった。でも、まさかおなじお屋敷で暮らしてるなんて。


 年頃の女子二人が一つ屋根の下で暮らすだなんて! いやらしい! ていうか……



「椿ちゃん、どうして知ってるの?」


「文化祭で聞いたから。三人で出店回ったときに、そんな話になって」


「そうなんだ……」


「本当は四人で回ろうと思ってましたのに、あなたったらいないんですもの」


「うぅ。面目ない……」


 生徒会の仕事が、思ったよりも忙しかった。見回りの他にも、いろいろあったから。でも、来年……来年こそは……!



「それはそうと伊集院さん、そこのスペル、間違っていますわよ」


「え? ……ど、どこ?」


「ほら、ここです」



 勉強はすすんで、今度は英語……ではなく、イギリス英語。


 白鳥峰学園では、基本的には英語は習わない。生徒のほとんどが、上流階級のお嬢様ばかりだから、英語は当然しゃべれるものとして、ほかの言語を習う。中国語、ドイツ語、イタリア語、フランス語の選択科目だ。


 それとはべつにもう一つ、習うことがあるんだけど、それがいま椿ちゃんが勉強してるものだ。


 それがイギリス英語。正確には、アメリカ英語とイギリス英語の違いだ。



「アメリカ英語では、フランス語の影響を受けた単語には〝u〟を用いません。ですから〝colour〟は〝color〟です。理由は諸説ありますけれど、独立したアメリカを象徴するためにイギリスのスペルと差をつけたという考えが一般的ですわね。

 発音についてはご存じかしら? ええ、おっしゃるとおりですわ。アメリカ英語のアクセントは〝r〟を強調しますが、イギリス英語はほとんど〝r〟を発音しません。

 それともう一つ、アメリカ英語では文章を書く際、動詞を省きがちですが、イギリス英語では省くことはしません。例えば……」



 ……なんか、ダリアちゃんの講義が始まってる。しかも結構分かりやすい。ときおり椿ちゃんを褒めながら、やる気を出させながら。葵ちゃんはわたしを褒めてくれたけど、ダリアちゃんも結構上手だな。


 わたしはといえば……ちょっと疎外感。


 葵ちゃんも、たまに椿ちゃんと話したり、勉強を教えたりしてて……あれれ……?


 なんかこれ、おかしくない? 四人っていうより三人と一人って感じじゃない? あれあれ? こっ、これはまずいんじゃない!? このままいくと、わたしの先生としての立場がっ!



「つ、椿ちゃん、どこか分からないところある?」


「大丈夫。ちょっと自分でやってみたい」


「そ、そう……」


 教科書とにらめっこしながら、ノートにペンを走らせる椿ちゃん。まじめな顔もかわいいなあ。ふへっ。……いやいや、笑ってる場合じゃない。これじゃいよいよわたしの立場が危ないっ! なにか……なにかないかな、椿ちゃんが感心してくれるような、豆知識みたいな……そうだっ!



「椿ちゃん、知ってる? イギリス英語で手術室って聞いたアメリカの人が、シェイクスピアの劇をする外科医を思い浮かべたって……」


「うるさい。勉強の邪魔しないで」


「……ごめんなさい」


 つ、冷たい……! 椿ちゃんが冷たい! ……いや、いつもこんな感じの気もするけど、それでも冷たい!



「まったく、豆知識を披露するなら、時と場を選びなさいな」


 ダリアちゃんにも怒られた。正しいのは、うん、むこうなんだけど……なんか、納得いかない。


 葵ちゃんも苦笑い。椿ちゃんは相変わらず勉強に集中……うん、やっぱりかわいい。でもなあ、こんなときに限ってほっぺをぷにっとしたくなる。怒られるからやらないけど。



 仕方ない。わたしもまじめに勉強しよう。時間を空費くうひするな、つねに価値あることに使え、なんて言葉もあるしね。


 なにしようかな……そうだ、一つ課題が出てるんだっけ。文化祭のレポート。ルーズリーフ一枚程度でいいんだけど、日本語以外で書かなくちゃいけない。うーん、英語で書こう。


 といっても、わたしの文化祭の思い出って、ほとんど生徒会での仕事なんだよね。


 見回り以外にも、備品が壊れちゃったクラスのフォローをしたり、来賓の人のあいさつとか、いろいろあったからなあ。思い出と呼べる思い出は……


 ふへへへへっ!


 おっといけない、顔がにやけちゃうところだった。


 慌てて引き締めるけど、思い出すたびに緩みそうになる。



 夢みたいな時間だったなあ。あのときの椿ちゃん、なんだかいつもよりやさしかった気がするし。


 あのとき、わたしは罪悪感でいっぱいだった。


 中学生のときの文化祭を話す椿ちゃんが妙にさみしそうで、だから笑顔になってほしくて、一緒に楽しもうって言ったのに……


 結局、仕事で一緒に回れなくなっちゃった。これでも、いちおうプランは練ったのに。ムダになっちゃった。


 だから最後に、どうしてもなにか一つ思い出を作りたくて、ちょっとムリをしちゃったけれど。



 わたしはとっても楽しかった。それでいて幸せで、いまもキラキラ輝いている時間。実際は短かったのかもしれないけれど、正直よく分からない。ワルツを踊っている間は、時間の感覚がまったくなかったから。


 すぐ傍に椿ちゃんの体温を感じて、わたしを暖かく包み込んでくれて……。すごくうれしかった。この子を好きになってよかったって、心の底から思えて……うへっ。うへへへっ!



 おっといけない、また発作が。


 でもなあ、あのときを思い出すと、どうしてもなあ……


 椿ちゃん、ああ椿ちゃん、椿ちゃん。


 うーむ、われながらいい詩だなあ。



 あのときは、あんなに近くに椿ちゃんを感じたのになあ。なんか、いまは……ちょっと遠い、かも。


 はあ。椿ちゃん……



 椿ちゃん椿ちゃん椿ちゃん椿ちゃん椿ちゃん椿ちゃん椿ちゃん椿ちゃん椿ちゃん椿ちゃん椿ちゃん椿ちゃん……



「さくらっ」

「ぅひゃい!?」



 ビックリした! 驚かせるのはわたしの役目なのに!



「きゅ、急にどうしたの?」


「急にって……」


 すると……あれ? なんか、椿ちゃんの眉がひそめられてる。


「さっきから呼んでるんだけど、なにしてるの?」


「? なにって……」


 レポートを書いてるんだよ、と言おうとした口が止まる。そのレポートに、書いてあることが目に入ったから。



 そこに書かれていたのは、名前。筆記体で書かれた、椿ちゃんの名前。


 名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前……



 ひっ!? ひぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!? なにこれ怖い! これだれが書いた……あ、わたしか。


 どうも、無意識のうちに椿ちゃんの名前を書いてしまっていたらしい。心の中で呼んでたせいかなあ……って、いやいや!


 それどころじゃない! これはさすがにマズい! まるでわたしが変態みたいじゃん! こんなの椿ちゃんに見られたら……



「さっきから無心でなにか書いてるみたいだけど、なに書いてるの? ……なんか、名前っぽい?」


 とか考えてるうちにのぞき込んでくるので、わたしは慌てて体でルーズリーフを隠す。っていうかなんて勘のいい子!


「なっ、なんでもないなんでもない! 気にしないでっ!」


「えっ、でも……」


「いいから! べつに大したことじゃないのっ! こっ、これはその……」


 えぇっと……ど、どうしよう!? なにか、なんとか誤魔化さなきゃ……そうだっ!



「これは、ベンジャミン・フランクリンごっこ! はい、今日は署名の仕方を勉強していきたいと思います。(裏声)じゃあ、まずは美しい筆記体の書き方から!(裏声)」



 …………



 ……………………




「……大丈夫?」

「ダメかも……」


 ちょっと……いや、かなり動揺してるみたい。いったん落ち着こう。



「あなた、今日はなんだか変ですわね。どうかしまして?」


 またダリアちゃんには言われたくないことを言われた。


「なんでもないよ。その……生徒会の仕事で、ちょっと疲れてるのかも」


「生徒会の人たち、文化祭は忙しそうだったもんね。ちょっと休憩する?」


 葵ちゃんのやさしさが染みる。



「そうだね。私、なにか飲み物買ってくるけど、みんなどうする?」


 椿ちゃんのやさしさに、ちくりと罪悪感が。ていうか、椿ちゃんがこんなこと言うなんて珍しい。わたしと二人のときはともかく、いまはダリアちゃんたちもいるのに。


「あ、じゃあボクも一緒に行くよ。二人はなに呑む?」


「そうですわね……では、お水を」


 あれれ、なんかどんどん話が進んでる。わたしは……どうしよ。椿ちゃんが行くならわたしも行こうかな。でも、ダリアちゃん一人残していくのも、ちょっと変な感じだよね。仕方ないか。



「じゃあ……ミルクティーお願いしていい?」


 椿ちゃんが分かったと答えてくれて、二人は教室を出て行ったので、ダリアちゃんと二人になった。



「それで、いったいどうしたんですの?」


 なるなり、ダリアちゃんに訊かれる。


「べつに、どうってわけじゃないけれど……」


 ホントに、どうってわけじゃない。いや、さっきは動揺して変なこと言っちゃったけれど……


 いや、そっか。わたし、動揺してるんだ。



 いままで、椿ちゃんはちょびっとだけ人見知りをする子だった。社交的なあいさつはきちんとできるけれど、そこから外れた、日常会話や冗談なんかは、ほとんど自分からは口にしない。することがあってもどこかぎこちなかったり、適当な相槌を打つくらいなのがほとんどだ。椿ちゃんがそんなことする相手なんて、わたしくらい。そのはずだったのに……


 さっきの椿ちゃんは、ダリアちゃんたちとも普通に会話してるし。それに葵ちゃんと二人きりになるなんて、いままでの椿ちゃんならきっと避けてた状況だ。


 そんな状況に、わたしは動揺してるんだ。それに……そう、もう一つ。べつの感情も……



「椿ちゃん、勉強すごくがんばってるから。あんまり根を詰めすぎないように笑わせようと思ったんだけれど、失敗しちゃったみたい」


 正直には言えないから、それらしく誤魔化す。


「ダリアちゃん、ありがとうね。椿ちゃんってお勉強はきちんとしてるし、海外ドラマもよく見てるから、英語を聞きなれてはいるみたいなんだけど、スペルは間違えちゃうみたいで」


「べつに。あなたにお礼を言われることじゃありません」


 言いながら、ダリアちゃんは自分の勉強を進めてる。冷静だなあ……



「なんか、ちょっと意外」


「なんの話です?」


「だって、ダリアちゃんのことだから……『どちらが伊集院さんによりうまく勉強を教えられるか勝負ですわっ! まあ、わたくしが勝つに決まっていますけれど! おーーっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほ!!』って言うかと思って」


「あなた、わたくしをなんだと思っていますの?」


 ノートから顔を上げて、ジトっとした目で、ダリアちゃんはわたしを見てくる。だ、だって……



「ご、ごめんね? いつもがいつもだから、つい……」


「あなた、意外と失礼ですわよね」


 ダリアちゃんの眉間のしわが、ちょっと深くなる。しまった、フォロー間違えた。まだ動揺してるのかな。


「人にお教えするのに上も下もありません。わたくしたちが張り合って、困るのは伊集院さんでしょう?」


「おっしゃるとおりです」


 返す言葉もない。一人で張り合ってごめんなさい。



「ところで、文化祭のとき、三人でどんな話したの?」


 恥ずかしくなったので話を変える。さっきから気になってることでもあるし。


「大したことは話してませんわよ。休日の過ごし方ですとか、あとはお気に入りのコスメですとか。伊集院さん、なかなかお詳しくて、すこし驚きました。身だしなみには気を遣っておられるようですし、当然かもしれませんけれど」


「あー、よくファッション誌読んでるから、それでだと思うよ」


「あとはこんな話も聞きましたわ。あなた方が寮で二人暮らしをされていると」


 ペンを走らせていた手が止まる。



「寮が定員いっぱいでほかの寮に入ることになったとおっしゃってましたけど、その寮が一軒家で、しかも炊事洗濯もすべてあなた方でなさっているとか。伊集院さんに申し上げたものがどうか迷ったもので黙っていましたが、これって……」


「いっ、いやべつに? やましいこととかはないんだよ? ただホントに、寮に入れなくて、だからね、緊急避難的なやつなの」


「……わたくし、まだなにも言ってませんけど」


 ダリアちゃんに呆れた目で見られた。先走っちゃった。なんか、今日は調子悪いなあ。


 ダリアちゃんはまたジト目。けれど、そのあとすぐに「まあいいですわ」と言った。



「あなた方の問題ですもの。深くは訊きません」


「ありがとう」


 でいいのかは分からないけれど、とりあえずお礼を言っておこう。わたしたちの問題っていうか、わたしの問題なんだけどね。


「それに、わたくしも葵と一緒に暮らしているんですもの! お払い箱ですわっ!」


「あはは、そうだね」


 なんて、わたしの相槌は、


「お互い様、だよ。ダリアちゃん」


 戻ってきた葵ちゃんのツッコミにかぶさって、ダリアちゃんには聞こえなかったかもしれない。





 そう、これはわたしの問題だ。


 椿ちゃんはいい子だ。やさしくて、頑張り屋で、世界一魅力的な女の子。だから、椿ちゃんにお友達ができるのはごく自然なことだし、それは喜ばしいことだ。第一、ダリアちゃんたちとは、もともとお友達なわけだし。


 だから、これはわたしの問題だ。


 椿ちゃんが、わたしが知らないところでだれかと仲よくなって、知らないことを話してる。


 わたしは、それに嫉妬してるんだと思う。


 なんだかなあ……



 下校中、わたしは心のうちでそっと息を吐く。


 文化祭も終わり、実力テストも近いため、生徒会はしばらくお休み。だから、今日は椿ちゃんと帰ることができる。それ自体はうれしいんだけれど……


 わたしはもう一度、心の中でもう一度ため息をつく。なんだかなあ。ちょびっと自己嫌悪。喜ぶべきなのに、嫉妬するだなんて……



「さくらってばっ」


「ぅえい!? な、なあにっ? 急にどうしたの?」


「いや、さっきから呼んでたんだけど……」


 椿ちゃんがちょっと引いてる。けれど、それ以上に、


「どうかしたの? なんか、今日変じゃない?」


 心配、してくれてるみたい。


 まあ当然か。ベンジャミン・フランクリンのくだりは、いま思い出しても意味が分からないし。



「なんでもないよ。ちょっとボーっとしちゃって、それだけだよ。それよりさ、椿ちゃんはどう? お勉強、はかどった?」


「なんとか。数学、ありがとね。寮に帰ったら復習してみる」


「うん。分からないことがあったら、遠慮なく訊いてね」



 会話、普通にできてるよね? なんか不安だ。こんな気持ちになったことなんて、いままでないのに。


 と思ったら、今度は会話が途切れる。こんなとき、いつもはわたしが適当に話をふるんだけれど……今日は黙ってたほうがいいかも? でもなあ……


 ああっ、なんか袋小路に入っちゃった。



 文化祭で、改めて自覚した。


 わたしは、椿ちゃんが好きだ。


 好きで好きで、本当に大好きで……一緒にいるだけで幸せで、暖かい気持ちになれる。


 大好きな子が、自分の知らないところでだれかと仲よくなっている。


 大好きな子が、取られちゃうような気がして……


 だから、わたしは嫉妬してる。


 そう、言ってしまえば、ただそれだけのことだ。でも……


 ただそれだけのことが、ひどく辛くて……悲しい。なんだか、自分が自分じゃないみたいだ。


 いままであたり前にできていたことが、急にできなくなって……



 好きだよ。



 ただ、そう言うだけ。それだけで、たぶんこの気持ちは消えてくれる。


 けど、もし言えたとしても、たぶん椿ちゃんはにはとってくれない。


 その点はわたしが悪い。そういうキャラでいままで来ちゃったわけだし。でも……


 でも、もし言えたら? もし言えて、椿ちゃんが、にとってくれ……たら……



「さくら?」


 気づけば、わたしと椿ちゃんの間には距離があった。いつの間にかわたしは立ち止まっていて、椿ちゃんが不思議そうな顔で振り返っている。


「あのね、椿ちゃんっ!」


「うん、なに……?」


「その……す……す……」



 ――好きだよ。



 たった一言を言うだけで、いいんだけど……



 うぅっ! うぅ~~~~~~~~~~~~~~~っっ!!


 ムリムリムリムリ! 告白してそれでフラれでもしたら、わたしもう生きていけないっ!



「すき焼きにしないっ? 今日のお夕食!」


「……いいけど」


 椿ちゃんはいよいよ怪訝な顔。でもとりあえず頷いてくれた。


 そうと決まればさあ行こうよし行こう。わたしの足は、なぜかいつもよりはやく動く。まるで、なにかを誤魔化す……うぅん、逃げてるみたいに。



「ねえ、さくら」


 名前を呼ばれて足を止める。でも、隣に椿ちゃんはいなくて。後ろをむくと、そこに椿ちゃんがいた。立ち止まって、わたしをじっと見てる。


 ま、まさか……! 椿ちゃんもわたしに告白してくれるとかっ!? そんなのOKに決まって……


「今日のご飯、私が作ろうか?」


 全然違った。



「疲れてるんなら、ちょっと休みなよ。ムリして体壊しちゃってもアレだし……」


 でも、態度から、言葉から、椿ちゃんがわたしのことを想って、心配してくれていることが伝わってくる。それは、とてもやさしくて暖かい、あのときとおなじ気持ちだ。


 だからこそ、ちょびっと罪悪感。椿ちゃんはこんなにいい子なのに……


 わたしは、思わずちょっと笑ってしまった。自分自身が、おかしかったから。



「な、なにがおかしいの? 私、いま真面目な話してるんだけど」


「ごめんごめん。違うよ、椿ちゃんがおかしいんじゃなくって、おかしいのはわたし」


 本当に、おかしい話だ。


 わたしは、一人でなにを嫉妬してるんだろう。椿ちゃんは、こんなにもわたしを想ってくれてるんだ。それだけでも、十分幸せなことなのに。


 ……まあ、それはそれとして、嫉妬心は継続してるんだけれども。


 本当、おかしい。自分に呆れちゃう。



「ありがとう、椿ちゃん。でも大丈夫だよ。一緒に作ろ?」


「……まあ、そう言うなら」



 今度は、歩幅を合わせて、肩を並べて、わたしたちは歩きだす。


 いまはまだ、気持ちを伝える勇気は出ないけれど……



 もし……もしいつか、この気持ちをあなたに伝えられたなら――

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