第32話 冬の始まりと椿の決意
――――?
あれ? なんだろ……なんか、寒い……? 寒いけど、眠くて……? 眠いのに、なんか……
目を開くと、見慣れた光景が入ってくる。いまさら確認するまでもない。私の部屋だ。時間を確認するとまだ七時前。まだちょっとはやい。でも二度寝するような時間じゃないし。起きよう。
…………
……………………
いや、起きなきゃなんだけど……体がいうことをきいてくれない。ベッドの外が、あまりに寒すぎて。
どうやら私は、寒さに起こされてしまったらしい。いちおう、寝るまえには暖房をつけてたんだけど、タイマーを設定してたから、もうとっくに切れて部屋は冷たくなっている。
あー、寒いなあ、ヤダ、起きたくない。でも起きなきゃ……なんて思っているうちに、スマホからアラームが鳴った。六時だ。いよいよ起きなきゃ。
寒いからはやく着替えちゃおう。……さむい。どうしよ、スカート折るのやめようかな。でもなあ、それはなんか負けな気がするし。タイツを穿くのも、負けな気がする。オシャレで穿くのはいいけど、寒いからっていうのは、なんかヤダ。
そうだ、この間新しいマフラー買ったんだっけ。じゃあ、それをすることを楽しみに元気を……いや、ムリ。もう、全然元気なんて出ない……
「おっはよう、椿ちゃんっ! ちゃんと起きれてる? 今日はふっ!?」
元気なやつもいるみたいだけど。
本当ならもっと寝ていたいところだけど、そういうわけにもいかない。
今日は、終業式があるから。
「うー、さむい」
寮を出るなり、さくらが微妙に舌足らずな声で言った。
「なんでこんなに寒いんだろ」
「十二月だからでしょ」
「それはそうだけど……うー」
なんかさくらが唸ってる。こんなに愚痴を言うなんてめずらしい。そんなに寒いのが苦手か。
たしかに、寒いは寒い。ていうか、冷たい。とくに足がぁ……っ!?
「へぁあああっ!?」
急に首筋が冷たくなって、思わず変な声が出る。ビックリしすぎて体が前のめりになって……
「えっ? ちょっ、や……っ!?」
地面がどんどん近づいてくる。私、ころ……
「椿ちゃん!」
びそうになったところで、急に体感が安定する。と思ったら、ぐいと引っ張られて、ぽすんと何かにぶつかった。
なんだろ? なんかやわらかくて、それにちょっといい匂い……
「ごめんね、椿ちゃん。大丈夫?」
すぐ近くにさくらの顔があっって……!?
状況に気づいた瞬間、私は慌ててさくらから離れる。
「もっ、もう! 転ぶかと思ったじゃん! いきなり変なことしないでよ!」
「ご、ごめんね? なんか、寒いの一生懸命我慢してる子がいるなあと思って、つい……」
まったく、なにがついだ。
「でも、本当に大丈夫? ムリしてない?」
さくらの眉はハの字になっていて、私を心配してくれていることが分かる。
「大丈夫。オシャレは我慢っていうでしょ? 寒いは寒いけど……」
さくらが黒のタイツを穿いて、ブレザーの上からコートを着てマフラーをしてるのに対し、私はいつも通りスカートは二回折ってるし、コートも着てない。さすがにマフラーはしてるけど。
「なんかムリにでもタイツ穿かせたくなる足だねえ」
なんて言いながら、手をワキワキさせてる。
「やめて。スパッツ穿いてるし、お腹は冷やしてないから」
「それ、ちゃんと暖かいの?」
「ん、んー……ないよりはマシ、くらい?」
普段スカート穿くときにつけてる見せパンだし、正直あんまりだ。
「枯れ木も山の賑わいかあ」
さくらが言った瞬間、冷たい風が落ち葉と共に私たちを追い越していった。……さっ、さむっ!
「い、行こっか、椿ちゃん」
「そうしよ」
終業式に遅刻はできないし。……寒いからとか関係なく。
白鳥峰学園では、二学期の終業式はちょっとはやい。通っている人のほとんどが上流階級の子供たちだから、年末年始は家の用事で忙しくなる。それを考慮して、毎年十二月の上旬に終業式が行われるらしい。ちなみに、今年は八日だ。
なんていっても、終業式ってかなり退屈なイベントだ。
冬休み中も節度ある行動を~とか、「ちゃんとしましょう」みたいなことを繰り返し言われるだけ。
あくびを噛み殺しながら終業式を終えて、帰りのHRで成績表が配られる。
ようやく終わりか、と思ったら担任の先生からも話があった。
「みなさん、すでに話がありましたが、冬休みだからといって、くれぐれも羽目を外しすぎないように。
時間というものは平等に与えられた財産ではありますが、決して無尽蔵ではありません。その中でも、学生という時間は驚くほどにはやく尽きます。ムダな時間などない、あらゆる時間に価値を見出し、一瞬一瞬を有意義に過ごせるようにしてください。
ではみなさん、また来年ここでお会いしましょう」
いい感じのことを言ってくれたけど、クラスの人たちはさっそく席を立って、友達と話し始めたり教室を出て行ったりしてる。でも、それは無視してるとはじゃなくて、言われるまでもなく分かってるって感じだ。
白鳥峰学園にいる人たちは、みんな分かってるんだ。自分の立ち位置を。それを守るために、そこにいるために、なにをすべきなのか。だから、なにを分かり切ったことをって感じなのかも。そう考えると、ここの生徒は先生にとってはかわいげのない生徒なのかな。
「つーばきちゃんっ」
「なに?」
例のごとく、うしろから抱き着いてきたやつがいた。だから返事をしたんだけど、そしたらなぜか「あれ?」と怪訝そうな声が。
「なんか、驚いてないね?」
「いつものことだし。もう慣れただけ」
「そっかあ……なんか残念。椿ちゃんのかわいい悲鳴が、もう聞けないだなんて」
なんて、さくらは残念そうに冗談めかして笑ってる。……こっちは最初のころ、何度か怖い思いもしたっていうのに、人の気も知らないで……
「なにそれ。私を怖がらせて楽しいの?」
ちょっとムカッとしたので、きつい言い方になってしまった。すると、さくらは今度は焦ったみたいに言う。
「ごめんごめん、そういうわけじゃないの。ただ椿ちゃんの背中がさ、なんか構ってほしそうっていうか、ちょっかい出したくなっちゃうんだよね」
……なんか、まえも言ってたよねそれ。私、どんな背中してるんだ。
「お二人とも、ちょっとよろしいかしら!」
教室に響く元気な声。それは私たちに対してむけられたものだった。
「どうしたの、ダリアちゃん?」
普通に返答するさくら。クラスの人たちも全然驚いた様子はない。クラスの人たちは、すっかり御郭良さんになれてしまったらしい。私はまだ……ちょっとだけ苦手なんだけど。
「あなたたち、このあとなにか予定はありまして?」
「うぅん、ないけど……ないよね?」
さくらは答えたあとで確認してくる。素直にないと答えると、なぜか御郭良さんは満足そうに笑う。
「それでしたら、このあと御郭良の屋敷に来ませんこと? お茶をご馳走しますわよ! ねえ、葵!」
御郭良さんのうしろで、葵ちゃんが「うん」とうなづく。
「ダリアちゃんのお家かあ。そういえば、一度もお邪魔したことなかったね……」
そこまで言って、さくらは私をちらっと見た。多分、また確認してるんだと思う。私がちいさくうなづくと、
「じゃあ、お言葉に甘えようかな」
「そうこないとですわね!」
さっきよりも高くなる御郭良さんのトーン。あ、これはアレだ。アレが来る。
「ご安心なさい! あなたといえども客人は客人、存分におもてなしを致しますわっ! おーーっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほ!!」
来た、アレこと、いつもの高笑い。
けど、事前に察知して身構えていた私は、大したダメージを受けずにすんだ。クラスの人たちもみんな驚いてなかったから、やっぱり慣れちゃったんだろう。……私以外。
車で十分くらいの場所に、その屋敷はあった。
大きな鉄門をくぐって、曲がりくねった道を進むと、やがて大きな建物が見えた。二階建ての、黒い西洋館だ。
「みなさん、ようこそお越しくださいましたわねっ! ここが我が家です!」
黒いリムジンから降りるなり、御郭良さんが胸を張って宣言する。いつもは自転車で通学してるけど、今日は私たちのために呼んでくれたらしい。
……ていうか、そうなんだ。御郭良さん自転車で来てるんだ。失礼かもだけど、想像するとちょっとおもしろい。
「おー、キレイなお屋敷だねー」
すこし間延びしたさくらの声。さくらの屋敷も大きいだろうし、驚いてるってわけではなさそうだけど。
たしかに、キレイなところだった。
鉄門をくぐった先は、手入れの行き届いた庭園が広がっていた。そしてそのさきに建っているのはお城みたいな屋敷。玄関ホールでは正装した執事とメイドの人たちが出迎えてくれた。
屋敷の中も、外見とおなじく西洋風。でもところどころで電気のコードなんかが見えるし、あくまで外見だけなんだろう。
御郭良さんの部屋は二階にあるらしい。けど、私たちが通されたのはそこではなくて、一階にある客間だった。
床に敷かれているのは重厚な絨毯。足の長いテーブルにいかにも高級そうな調度品が置かれ、白い壁には絵画、そして天井から下がるのは照明型のシャンデリアがかかっている。
その豪華な客間で、私たちは四人でお茶を飲んでいた。
「この紅茶、おいしいね」
さくらが言うと、御郭良さんは「そうでしょう!」と胸を張って答えた。
「うちは紅茶には拘っておりますから! 味は保証いたします! 茶葉はもちろんですが、お湯を沸騰させて、蒸らす時間も完璧に計算し……」
あ、さくらがちょっと引いてる。何気なく言った言葉にガチの言葉が返ってきて、反応に困ってるっぽい。
「うちで一番紅茶を淹れるのがうまいのは、葵なんですのよ!」
なぜか自慢げな御郭良さん。この紅茶とお菓子、メイドじゃなく葵ちゃんが持ってきてくれたっけ。たしか文化祭のとき、御郭良さんの屋敷で働いてるって言ってたけど……
「ありがとう。がんばって練習したんだ」
葵ちゃんは、ちょっと照れ臭そうに笑っている。
「でも、急にどうしたの? お家に呼んでくれたの、初めてだよね?」
会話が途切れた隙を逃さず、さくらが話を変えた。
「ええ! 今日お招きしたのは、あなた方にお願いしたいことがあるからですわ!」
「お願い……?」
私は無意識のうちに、一番気になった部分だけをなぞっていた。この人がお願いって、なにかイヤな予感が……
「お二人には、モデルをお願いしたいんですのっ!」
――三十分後。
私は着物に着替えて外に出ていた。着替えてといっても自分で着替えたわけじゃなくて、葵ちゃんが着つけてくれたんだけど。
赤い生地に、細かい模様……
私たちがお願いされたのは着物のモデル。葵ちゃんと御郭良さんが働いているお店で使うパンフレットやポスターに、私たちの写真を使いたいらしい。
「……ねえ、葵ちゃん。私、本当に大丈夫? 変じゃない?」
「うん。大丈夫。とってもよく似合ってるよ」
どうも不安で落ち着かない。葵ちゃんは、そんな私を落ち着かせるみたいに褒めてくれた。
手持無沙汰で、髪をいじろうとして止める。髪も着物に合わせてセットしてもらったから、崩さないようにしなきゃ。
後頭部でちいさなポニーテールを作ってほぐして、横の髪の毛を後ろで結んでくるりんぱしてほぐして、残った髪の毛を三つ編みにしてほぐして、三つ編みを上むきにくるくる丸めてアメピンで留める。最後に、飾りとして左側につけてくれた赤いバレッタがかわいくて気に入った。
「ありがと。髪も、ありがとね。今度やり方教えてくれない? 気に入ったから、自分でもやってみたくて」
「うん、もちろん。気に入ってもらえたなら、ボクもうれしいよ」
そんな会話をしながら、私たちはいまさくらと御郭良さんを待っていた。
そう長い間は待たないと思うけど、もう十二月だから、さすがに寒い。そんなことを考えていたら冷たい風が吹いてきて、ちいさくくしゃみをしてしまった。
「大丈夫? 伊集院さん」
「うん」
答えて、マフラーの中に首をうずめるみたいにした。それで、葵ちゃんがしてるマフラーにも目が行く。じつを言うと、さっきからずっと気になってた。
「ねえ、葵ちゃん。そのマフラーなんだけど、どこで買ったの?」
「え? ああ、これはね……」
すると、葵ちゃんはどこかうれしそうに笑ってマフラーを触った。
「買ったんじゃないんだ。ダリアちゃんからのプレゼントなの」
「それって……御郭良さんの手編みってこと?」
「うん。ダリアちゃんて、お裁縫が得意だから」
そういえば文化祭の準備をしてるときも、中心になってやってたっけ? ……私は指を針で刺しちゃってたけど。
「でも、どうして?」
「うぅん。どうってわけじゃないんだけど、いいデザインだなって思ったから」
シンプルなデザインのマフラーだけど、キレイな純白で、そこが雪をイメージとさせるというか、季節感みたいなものを感じていいなと思う。
それで思い出すのは、今朝のさくら。すごく寒そうにしてたっけ。昔から、寒いの苦手みたいだしぃ……っ!?
「はひゃあっ!?」
突然、背中にくすぐられたみたいな、変な感覚が走った。
ビックリして、飛び跳ねるみたいにして体がつんのめる。
「えっ? ちょ、やっ……」
ヤバいヤバい! 着物って動きにくい! このままじゃ転ぶ……ところを、後ろからだれかが支えてくれて、なんとか事なきを得た。
いったいだれの仕業と思ったけど、考えるまでもなかった。私にこんなことするやつ、一人しかいないし。
「ちょっと、さくら。今度は……」
なに、と続けようとした口が止まる。さくらの姿を、見てしまったから。
さくらは紺色の着物を着ていた。紺の生地に、花の小紋がされた着物。長い髪をアップにして、かんざしを挿している。
夏にも見た、さくらの和装……
きれいだ。まるで完成された日本人形みたいに。こうして見ているだけで、その黒い水晶みたいな瞳に吸い込まれそうに……って、あれ?
な、なんか、さくらが本当に近づいて来てるような……!?
「きゃっ!?」
一瞬、浮遊感みたいなものに支配されたあと、今度は体を打ちつけたみたいな衝撃がきた。
「ごっ、ごめんね、椿ちゃん。大丈夫っ?」
「だっ、大丈夫二人とも!?」
「まったく、一体なにをやっていますの!」
三人の声が一気に聞こえてきて、一瞬混乱する。けど、二人に引っ張られたことで、自分が倒れてたんだとようやく理解できた。
「お怪我はありませんこと?」
「う、うん。大丈夫……と思う」
いま着物着てるからな。ケガしたかどうか、ちょっと分かりづらい。
「まったくあなたという人は! なにを考えてますの!?」
さくらを助け起こしつつ、御郭良さんが言う。今回ばかりは心から同意だ。
「その……いつも通りの隙だらけな背中があったから、つつついっと……着物って踏ん張りきかないね。椿ちゃん、ごめんね? ケガしてない?」
「多分。さくらは?」
さくらが「大丈夫だよ」と言うと、御郭良さんがまた呆れたみたいなため息をつく。
「はあ、仕方のない。一度中に戻りますわよ。ケガの有無を確認しませんと。まったく、これじゃ二度寝ですわ!」
二度手間だよ、ダリアちゃん。という葵ちゃんのツッコミ。本当、その通りだ。私が考えていたことも、どこかへ吹き飛んでしまったから。
ケガがないことを確認して、着物を着つけ直してもらって、写真撮影を終えて帰路についたとき、午後の二時を回っていた。
お昼は屋敷でごちそうになった。イタリア料理のフルコースが出てきてちょっとビックリ。マナー、大丈夫だったかな? たまにフランス料理とごっちゃになっちゃうんだよね。まあ……友達同士の食事なわけだし、そこまで気にする必要ないかもだけど。
御郭良さんは寮まで送るって言ってくれたけど、それは丁重に断った。夕食の買い出しにスーパーに寄らなきゃいけないから。
「すっかり寒くなったねー」
さくらがポツリと言った。それは独り言のようでもあったから、私は答えるべきか迷って、そのうちにさくらは続ける。
「はやく暖かくならないかなあ……」
さくらがはあと息を吐くと、それは白い煙になって空気に溶けていった。
「まだ十二月でしょ。これからじゃん、寒くなるの」
その言葉に引き寄せられるみたいにして、さっきどこかに吹き飛んでしまった考えが、また私の中に戻ってくる。
そうだ、これからだよね。寒くなるの。なら、やっぱり……
その日の夜、私は迷った挙句、ついに決心をして、ある人に電話をかけた。その人は、すぐに出てくれた。
「もしもし? 伊集院です。あっ、あの、ちょっとお願いしたいことがあって……」
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