第40話 世界で一番甘いチョコをあなたに

 その日、私が街に出たのには理由がある。


 日曜日っていうこともあってか、人通りはかなり多い。こういう日は、ましてや一人では、あまり外出しないんだけど……


 でも、今日は出かけなきゃいけない理由があった。明日のために、準備をしなきゃいけないから。



 駅前について辺りを見回す。人込みにあふれているし、すぐには見つからないかもと思ったけど、意外にもすぐに見つかった。


「ごめん。待たせちゃった?」


 速歩きで行って声をかける。すると、


「ごきげんよう、伊集院いじゅういんさん! まだ集合時間前ですから、気にする必要はありませんわ!」


 元気よく声をかけられた。


 スラリとした長身にきれいな金髪を冬の風に靡かせるのは御郭良みかくらさんだ。


 人込みの中でも目立つなあこの人。その隣であおいちゃんも控えめに立っているけど、もし葵ちゃんだけだったら、見つけるの時間かかったかもしれない。



「おはよう、御郭良さん。葵ちゃんも」


 葵ちゃんは控えめに返事をくれる。……いや、普通のかな。御郭良さんのあとに聞くと、大抵のことは控えめに感じる気がする。


「さあ、挨拶もすんだことですし、さっそく参りましょうか!」


 言うや否や、歩き出す御郭良さん。この人が絡むと、話の進みがスムーズっていうか、なんか早くなるな。


 ……私としては、ちょっと話してからっていうか、小休止を挟みたかったんだけど。まあ、いっか。多分、はやく行くに越したことはないから。




 そこは戦場だった。


 もちろん比喩だけど。すくなくとも、私にはその表現で間違いない。


「おお、やっぱり、人たくさんいるね」


 葵ちゃんが思わずといった様子で声を漏らす。


「うん。時間、ずらしたほうがよかったかな?」



 私たちの視線のさきにいるのは、人、人、人……人ばっかりだ。私たちと同い年くらいか、すこし年上の女性ばかり。


 あの人込みに交じって買い物するのか……ちょっと気が重い……


「意味ないですわ。多分、今日はずっとこの人込みでしょうから」


 たしかに。まあしょうがないか。今日は二月の十三日。


 つまり、明日はバレンタインなんだから。



「椿ちゃん! 今年のバレンタイン、期待しててねっ!」


 なんてことをさくらが言いだしたのは、先週のことだ。


 そして今日――



「じゃあ、わたしチョコレート作ってくるから! 帰りは五時過ぎると思うから、もしお出かけするなら戸締りよろしくね?」



 なんて言い残して、浮足立って出て行った。


 なんていうか……いや、まあいいんだけど……なんでそんな堂々と言うんだろう? もっとこう、ロマンチックな雰囲気は出せないんだろうか。



 さくらが寮を出たのが今朝の九時。私はといえば、お昼過ぎに御郭良さんたちと約束をしていた。その理由はもちろん、


「でも、御郭良さんがバレンタインの買い物に付き合ってくれるのは、ちょっと意外。こういうの興味ないと思ってたから」


「そうでもありません。ただ、バレンタインはどうにも疲れるものですから……」


 疲れる? チョコ作りに気合入れすぎちゃう、ってことかな? 思っていると、


「ダリアちゃんはね、バレンタインがちょっと苦手なんだ。どっちかっていうと、チョコをあげるんじゃなくもらう側だから」


「あー……」


 たしかに、この人はそういう感じかも。



「好意を持っていただくのはありがたいですけれど、お返しとか大変ですから」


「ダリアちゃん、こういうところはしっかりしてるからね。おなじくらいのお返しをとか、手作りには手作りでとか、いろいろ考えてるから」


「テンションがおかしいだけで、基本的には常識人だもんね」


「聞こえていますわよ伊集院さん! だれのテンションがおかしいですって!?」



 いまのあなたのテンションです、とはさすがに言えないから、代わりに、


「ごめんごめん。付き合ってくれて感謝してるよ。ありがと」


 正確には、私が約束をしたのは御郭良さんじゃなくて葵ちゃんだ。バレンタインのチョコを手作りしようと思って、一人じゃちゃんとできるか分からないし、といってさくらに教えてもらうわけにもいかないし。


 文化祭のとき、葵ちゃんはスイーツを作るって言っていたから、教えてもらえないかと思って頼んだら、快く引き受けてくれた。


 それを聞いたらしい御郭良さんも、一緒に教えてくれるらしい。



「お気になさらず。ご安心なさい、伊集院さん! 葵はわたくしのお菓子作りの先生でもありますから、きっと天王洲てんのうすさくらも満足するはずですわ!」


「うん……うん?」


 あれ、いまなにかおかしなことを言われたような……?


「私、さくらに作るなんて言ったっけ?」


「あら、違いますの?」


「違くないけど……」


「ほらご覧なさい。というか、言わなくても分かりますわ」


 葵ちゃんを見ると、「うんうん」とうなづいている。



「べっ、べつに深い意味はなくって。ただ、その……普段から世話になってるし。いままではね、あいつは毎年くれるから、市販のチョコ買って渡してたんだけど。でも高校に入ってから、いろいろアレだし。だから……友チョコ的なアレだから」


「べつに聞いていませんが……そうですか」


 心なしか、御郭良さんの口調が呆れたものになっている気がする。この人、ときどきこんな口調になるんだよね。



「そっ、そういう二人はどうなの? チョコ、作るんでしょ?」


「正直言うとね、ボクたち、バレンタインにチョコを渡したことはないんだ」


「え、そうなの?」


 意外過ぎる。毎年渡し合っているものと思ってた。



「ええ。わたくしはこういったイベントが好きではないので。他人の戦略に踊らされているような気がするものですから」


「そうなんだ……」


 意外だなと一瞬思ったけど、こっちはそうでもない。変なところで流れに逆らって歩く感じ、すごく御郭良さんっぽい。



「あなた、いまなにか失礼なことを考えませんでした?」


「うぅん、べつに」


「……まあ、いいですわ。そろそろ行きますわよ。せっかくのプレゼントなんですから、包装にも拘りませんと!」


「う、うん……」


 ヤダなあ。人込み、ホントに嫌いなんだよね。でも、仕方ない。


 私は意を決して、人込みの中に入っていく。


 なんか、さくらは妙にやる気満々だし、私も気合入れなくっちゃ……!




 と思ったし、実際がんばったと思うんだけど……



「天王洲さん、あの、このチョコ、受け取ってください……!」

「天王洲会長! 私のチョコもどうぞ!」

「わたし、とってもがんばって作ったんです! どうか受け取ってください!」



 バレンタイン当日、休み時間が来るたび、さくらはだれかに呼ばれてはそんな甘い言葉と一緒にチョコレートを受け取っていた。


 私はといえば、それを廊下の隅からじっと見ていることしかできなくて……あ、さくらが一人になった。よしっ!


「さく……」

「天王洲さん! いまよろしいでしょうか?」


 声をかけようとしたところで、だれかの声がかぶせられる。


 その人がチョコを渡し終えたので、


「さく……」

「会長! 私のチョコ、食べてくださいっ!」


 今度こそ!


「さ……」

「天王洲さん、このチョコレート、受け取ってくださいませんか?」



 …………



 ……………………



 ぜんっっぜん、渡せない! 私が行こうとするたびに別のだれかも出てくる。なんだろうこれ、タイミングが悪すぎる。


 まあ、じつを言うと、チョコを渡せずにいる理由はもう一つあるんだけど。


 でも、今度こそ!



「さ、さく……」

「天王洲会長!」



 声をかけようとした瞬間、私の声はだれかに上書きされる。ていうか、マジか。またか。そろそろいい加減にしてほしい。


 体を引っ込めて声のさきを見ると、話しかけたのは二年生っぽい。


 ていうのも、私はその人に見覚えがある。たしか、生徒会の人だ。


 生徒会の人が渡したのは、きれいに、そしてかわいらしく包装された小箱だった。



 どうするのかなと思っていると、さくらは「ありがとうございます」と言って受け取っていた。まあ、それが自然だし、普通だよね。さっきまでもそうだったんだから。


 普通……なんだけど……



「伊集院さん?」

「ひゃあっ!?」



 突然後ろから声をかけられて、思わず飛び上がりそうになった。


「失礼ですわね。そんなに驚かないでくださる?」


 振り向くと、不満そうな顔をしている御郭良さんと目が合った。



「ごめん。急だったからビックリして……」


「なにか見てたみたいだけど、どうかしたの?」


 御郭良さんの隣にいる葵ちゃんに訊かれて、思わず言い淀んでしまう。だって、さくらがチョコ渡されるところを盗み見してたとは言えないし。



「天王洲桜にチョコを渡せないようですわね」


 御郭良さんが、いつもみたいに無遠慮な言葉をかけてくる。


「まったく、変なチョコを作るからですわ」


 そのあとで、呆れたみたいに言われた。



「うるさいな……」


 変なチョコ……


 たしかにそうだ。自分が作ったチョコを思い浮かべる。われながら、変なチョコを作っちゃった。


 それが、私がさくらにチョコを渡せずにいる、もう半分の理由だ。



「そうですわ! こうなったらわたくしが……」


 御郭良さんの言葉を遮るみたいに鳴る授業開始の予冷。助かった……と一瞬思ったけど……



 結局、私はまたさくらにチョコを渡せなかった。




 そうこうしているうち、あっという間に昼休みになった。


 食事のときに渡そうと思ったんだけど、生徒会の用事があるとかでさくらは昼休みが始まってすぐ教室を出てしまったため、結局、まだチョコは渡せていない。


「はあ……」


 だからだと思うけど、ため息をついてしまった。



「あなたも分かりやすい方ですわね」


 御郭良さんの口調が、また呆れたものになっている。


「あ、ごめん食事中に。つい……」


「気にしないで。さくらちゃん、今日は忙しいみたいだね」


「うん。そうみたい」


 さくらがいないから、今日私たちは三人で昼食をとっていた。このままいけば、チョコが渡せないかもしれない……



「しかし、どうして今朝、寮で渡さなかったんですの? こうなることは半ば予想できたでしょうに」


「それはそうなんだけど……生徒会の仕事とかで、朝はやくに出ちゃって渡せなかったから」


 ホント、タイミング悪い。わざとやってるんじゃって疑いたくなる。



「しかし伊集院さん、渡せなかったじゃ困りますわよ。せっかくの葵の好意がダムになります」


「ムダ、だよダリアちゃん」


 葵ちゃんは律義に言い間違いを訂正する。


「ボクのことは抜きにしても、ちゃんと渡してほしいな。伊集院さん、すごくがんばってたから、さくらちゃんには食べてもらわなきゃ」


「うん……」


 たしかに、私はがんばったと思う。……いや、自分で言うのもなんだけど。



 でも、こうもうまくいかないと、ちゃんと渡せるのかどうか不安になってくる。ていうか、さくらもさくらだ。「期待してて」なんて言ったくせに、私のことなんてほったらかしで、ほかの人からばっかりチョコを貰って……


 いやいや! また私はそういうことを考える。ホント、悪い癖だ。



「大丈夫。ちゃんと渡すよ。私も、食べてもらいたいし……」


 その言葉は、特に意図したものじゃない。ほとんど独り言にも近い言葉だ。でも……


「あなた、なんだか変わりましたわね」


 御郭良さんに思ってもみないことを言われた。



「え、そうかな?」


「うん。ボクもそう思うよ。まえの伊集院さんなら、いまの言葉は口には出さなかったと思うから」


「それは……」


 そうかも。以前の私なら、思うだけで口には出さなかっただろう。いや、それどころか、心の中でも長々と言い訳をしてたはずだ。


 さくらとの関係が変わっていくにつれて、私自身もすこしずつ変わっていってるんだ……多分、いい方向に。



「応援してるよ、伊集院さん」


「わたくしも、応援していますわよ」


 うぅ……うれしいけど、面と向かって言われると、なんか照れる。さくらといい、なんでみんなこんなことが言えるんだろ。


 でも、せっかく二人にも手伝ってもらったんだし、ちゃんと渡さなきゃね。


 よし、目標を決めよう。



 寮に帰るまでに、さくらにチョコを渡す!




 なんて思っていたのに……


「はあ……」


 思わず、ため息が漏れる。


 放課後になっても、私はチョコを渡せていなかった。



 昼食をすませたあと、生徒会室に行ってみたらもうだれもいなかった。やっとさくらを見つけたと思ったらチョコを渡されていて、渡そうとしたらまた別のだれかが来て……


 そんなことをしている間に、気づけば放課後。窓の外ではカラスが鳴いていた。



「はあ……」


 思わずもう一度ため息をつく。


 放課後にもおなじことが繰り広げられて、さくらと一緒に私もあっちへ行ったりそっちへ行ったり……正直、ちょっと疲れた。


 ていうか……


 私のチョコ、受け取ってもらえるかな? だって、さくらは朝からいろんな人からチョコを貰っているわけだし。もしいらないとか言われたらどうしよう?



 うーん、葵ちゃんたちのまえでは偉そうなこと言っちゃったのに、一人になるとイヤなことばっかり考えてしまう。


 そもそも、さくらいまどこにいるんだろ? まさかもう帰ったんじゃ……



「おかえり、椿ちゃん」


 教室に入った瞬間、声をかけられた。


 今日一日、全然捕まらなかったさくらが、あたり前みたいに教室にいて、しかも私の席に座っていた。



「もう、どこ行ってたの? ラインにメッセージも入れたのに」


 さくらは席を立って、私の近くまで歩いてくる。


「それ、私のセリフなんだけど……」


「? 椿ちゃんもわたしを探してたの?」


「う、うん。まあ……」


 探してたっていうか、一日中追いかけてたっていうかだけど。



 まあ、そんなこと言えないから濁すしかないけど……いや、あれ?


 べつに濁す必要なかったんじゃない!? チョコ渡すために探してたって言えば、それで自然に渡せたのに!



「そっかあ。じゃあ、入れ違いになっちゃってたのかもね」


 それはたしかにそうかも。


 放課後、さくらを追ってあっちこっちへ行って、そのうちに見失って……ずっと探してたのに。


 スマホを見ると、たしかにさくらからのメッセージが来てる。いっぱい来てる。画面がさくらからのメッセージで埋め尽くされてる。ちょっと怖い。


 ていうか……そっか。スマホがあるんだから使えばよかったんだ。なんで気づかなかったし。



 夕暮れの教室には、もうさくらしか残っていなかった。


 みんな、もう帰ったみたい。だからここには、私とさくらの二人だけ……


 つまり、いまならもう、だれにも邪魔はされないってこと、だよね?



「「あ、あのっ!」」



 と思ったのに、また、声が重なる。今度はいったいだれと思ったけど……


 それは他でもない、さくらの声だった。



「「えっと……」」



 …………



 ……………………



「椿ちゃんさきにどうぞ!」

「いいよ、さくらから言って!」

「うぅん、椿ちゃんから!」

「いやいや、さくらから!」


 そんなふうに、私たちは譲り合っていたけど……


 なんだか急におかしくなって、顔を見合わせて笑いあった。



「じゃあ、わたしから言うね?」


 私は、ここで初めて気づいた。さくらの手に、手のひら大の小箱が握られているのを。これって、もしかして……?


「わたしからのチョコレートだよ。受け取ってくれる?」


「う、うん……ありがと」


 手を出すと、その上にゆっくりと、小箱が置かれる。その重みが妙に心地よくて、ちょっと笑いそうになってしまった。



「本当はね、もっとはやくに渡そうと思ってたんだけど……」


 ここでさくらは言葉を止めて、困ったみたいに笑った。


「なんだか、今日は朝から忙しくって……」


「知ってる。朝からずっと渡そうと思ってたのに、全然隙がないんだもん」


 なんて言っちゃったのは、果たしてよかったのか悪かったのか、私の言葉を聞いたさくらは、一瞬キョトンとした後でイタズラっぽく笑った。



「朝からずっと? 椿ちゃん、朝からずっとわたしのこと見てたの?」


「っ!? そっ、そんなこと一言も言ってない!」


「え~そうかなあ? 言ったようなものだと思うけどなあ」


 言いながら、さくらはうつむき気味な私の顔を覗き込んできた。



「~~~~~~っ! じゃあウソ! さっきのウソだから、忘れて!」


 目をそらす。けど、すぐに引き戻された。私の手のひらを包み込む温もりに、吸い寄せられるみたいにして。


「じゃあさ、渡そうと思ってたって言ってたけれど……それもウソ?」


「それは……」


 ウソじゃない。ウソのはずない。


 葵ちゃんに、御郭良さんに協力してもらって、私なりに一生懸命がんばって、だから……


 私のこの気持ちが、すこしでもさくらに伝わってくれたら……



「あのね、さくら。渡したいものがあるの――」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る