第4話 星と野良猫

「え、さくら部活やるの?」


 ある日の放課後。さくらが急に「部活見学しようよ」と言い出した。


 いや、急に……ではないのかな? 今日の帰りのHRで、担任の先生が言っていた。「まだ部活動をしていない人は、興味のある部を見学してみて下さい」って。白鳥峰学園では、部活動に所属することが〝推奨〟されてるから。


 でも、私もさくらも部活には入ってない。そんな話も今までしたことないけど……


「やるって決めたわけじゃないよ。ただ、見学だけでもしてみようかなって。先生にも言われちゃったし」


 真面目なやつ。さくら一人に言ったわけじゃないのに。まあ理事長の娘だし、体面があるのかも。


「ねえ、椿ちゃんも一緒に行こうよ。いいでしょ?」


「え? うーん……」


 どうしよ。正直、あんまり部活とかには興味ないんだよね。


 でも……まあ、いっか。


 どうせ、帰っても大してすることないしね。それに、さくらがいなきゃ、ご飯の準備もできないし……なんて言い訳をしながら、私はさくらと一緒に教室を出た。




 まず行ったのはテニス部だ。


 白鳥峰学園のテニス部は全国大会常連の強豪らしい。なんだけど……


 さくらはそのレギュラーメンバーを相手に、一歩も引けを取らない……どころか、これ……さくらの方が強いっぽい?


 すこし離れた場所で、私はそれを見学してる。……だって、私テニス下手だし。


 最初は軽く流していた部員の人も次第に本気になっていって、それでもゲームを取ったのはさくらだった。


 ゲーム中、黄色い声援を送っていた部員たちがさくらに集まっていって、ぜひ入部してくださいと勧誘してる。でも、さくらは入部するとも断るとも言わず、のらりくらりとかわしてた。



 つぎに行ったのはバスケ部。そこでもさくらは大活躍して勧誘されてた。陸上部でも同じ。私はといえば……見学してた。だって、運動苦手だし。


 合唱部とか吹奏楽部には行かないのかなって思ったけど、訊くのは止めといた。多分、音楽関係の評価に辟易してるんだと思う。


 汗をかいたさくらがシャワーを浴びた後、もういい時間になったので、私たちはつぎの見学で最後にすることにした。



 最後は調理部だ。


 体験っていうことで、調理実習をすることになった。さくらはクッキーを作るらしい。


 こう、二種類の生地を使ったチェック模様のやつ。チェックアイスボックスクッキーっていうらしい。


 私はといえば……それを見学する。


 だって、私は大して料理できないし。邪魔になるのもアレだし、ちょっと離れたところで見てることにした。



 ――――


 ――――――――


 ――――――――――――



 さくらがオーブンからトレイを出している。どうやら完成したらしい。


「わあ、すごいっ」

「天王洲さん、お菓子作りとってもお上手ね」

「普段からされるんですか?」


 部員たちはさくらの周りに集まって、なにやらワイワイ言っている。


 さくらは部員たちの誉め言葉に、毒にも薬にもならないような言葉を返していた。


 さっきまでと……うぅん、いつものことだ。朝、皆からあいさつをされているときだって。


 さくらはいつも、どこにいても、どんな時でも、みんなの中心だ。


 さくらは星で、みんなその引力に引き寄せられて、周りをぐるぐる廻っている。


 私はといえば、引き寄せられることもなく、かといって近づいていくこともできず、すこし離れた場所から、それをただ見ているだけ。


 そう、すこし。そのはずなのに……



 ――遠い。


 こんなとき、私はいつもさくらとの距離を感じる。


 遠いはずない。すぐ傍にいる。手を伸ばせば、届くくらいに。でも……



 ――遠い。


 なんだか、さくらが遠い世界の人みたいに思えて、私はひどく不安になった。


 いま私が見ているさくらは、本当に私の知ってるさくらなのか? それに……


 さくらに、私は見えているんだろうか?



 ――星だ。



 さくらは、夜空に燦然と輝く星。とするなら、きっと私は野良猫だ。


 星を見上げて、ただ鳴くことしかできない野良猫……


 あまりに距離が遠すぎて、どれだけ鳴いても聞こえないし、さくらには、私の姿は見えないかもしれない。だから……


 今すぐ手を掴まないと、どこか遠くへ行ってしまうんじゃないかと思って、気づけば私はさくらに手を伸ばして……



「はい、椿ちゃん」


 その手のひらに、ぽんと何かが乗せられた。


 それは、ちいさな紙袋だった。中に何かが入っているみたいで、ちょっと重くて、それに温かい。


 いつの間にかこっちへ来ていたさくらが、私の手のひらに乗せてくれたらしい。


「えっ、なにこれ」


「クッキーだよ。調理部の人たちにもあげたから。これは椿ちゃんにあげる」


「あ、ありがと……」


「うん。ね、どうかな? おいしくできてるといいんだけど」


 さくらは袋からクッキーを一つ出して、私の口の中に入れてきた。


 ……うん、おいしい。あ、口に出さなきゃ意味ないか。


 言うと、さくらは「よかった」と笑ってた。


 調理部の人たちもさくらを勧誘してたけど、結局さくらはそれにも明確な返事はせずに、私たちは調理実習室を後にした。




 見学を終えた私たちは、自動販売機でジュースを買って、ベンチで休むことにした。


「うん、ホントだ。ちゃんとおいしくできてるね」


 さくらは自分で作ったクッキーを一つ食べて言った。


「さっきそう言ったじゃん。信じてなかったの?」


「そういうわけじゃないけど……これでも不安なんだよ? 椿ちゃんはいつもおいしいって言ってくれるけど」


「それは……まあ、うん」


 さくらの料理はおいしいけど、それ以上に私好みの味だから。ご飯もお菓子も。でも恥ずかしいから言わない。



 それから、私たちはジュースを飲んだりクッキーを食べたりした。聞こえてくるのは、吹奏楽部の楽器の音や運動部の掛け声。


「ねえ、さくら」


「なあに?」


「結局さ、どうするの?」


「? なんの話?」


 私はあいまいな訊き方しかできなかった。やっぱりっていうべきか、さくらはキョトンとした顔をしてる……と思う。


 分からない。だって、私はさくらの顔を見ることができなかったから。それは、ちょっぴり感じる不安のせいだ。


「部活。なにに入るの?」


 私には、どうにもそれが気になった。いや、だって……さくらが部活をすることになったら、ご飯とかの準備は、私がすることになるだろうし。ちゃんと話し合っておかなきゃいけないと思うし。


 でも、そうなったらさくらと一緒の時間は減っちゃうのか。ちょっと……ほんのちょっとだけ、さみしい気がしないこともないこともない……かも。



「わたし、部活には入らないよ?」



「……えっ?」


 さくらを見るとキョトンとした顔をしてたけど、私もキョトンとした顔になった。


「そ、そうなの?」


「うん。最初に言ったでしょ? 見学だけでもしてみようって。見学だけで、入る気はないよ」


 そうなんだ。よかった。


 …………いや、よかったってなんだ。なんか変なこと考えてしまった。


「でもさ、いいの?」


 なぜか安心して、そのあとで、またちょっと不安になる。


「あれだけ体験してどこにも入部しないって、冷やかしって思われたりしないかな?」


「大丈夫だよ。そんなこと思う人いないってば」


 すると、なぜかさくらはちょっと笑った。


「椿ちゃんってさ、たまに変なこと気にするよね」


「え、そう……?」


 普通だと思うけど……


「私はただ口実が欲しかっただけなの。このあいだお父さんに電話で訊かれたんだ。部活には入らないのかって。だから体験入部させてもらったの。これだけやれば、合う部活がなかったって言えるよね」


 最初からそれが目的だったらしい。それならそうと、最初から言ってほしかったな。おかげで、私は一人で……いや、一人でなんだろ?


「安心した?」


 急にそんなことを言われて、私は胸を掴まれたみたいにキュッとなった。


 気づけば、さくらは私の顔を覗き込むみたいにして見ている。その顔には、いたずらっぽくて、からかうみたいな笑みも浮かんでる。


「安心って……私、べつに不安がってないし」


「え~? ホントかなあ」


 目をそらしたら、さくらは余計にいたずらっぽく笑った。目はそらしちゃってたけど、声を聞けば分かる。


「大丈夫だよ。私部活には入らないから。だって部活に入ったら、こうやって椿ちゃんと過ごす時間が減っちゃうもんね」


「そ、そう……」


 やっぱり、こいつ私をからかってるな。


 それが分かっているのに、私はさくらを見ることができなくなった。


「椿ちゃん、照れてる?」


「照れてないし。てかこっち見んな」


 手のひらで顔を隠すみたいにすると、その手を包み込むみたいにして、さくらが手を重ねてきた。そして手を下げて、


「え~? 顔真っ赤なのに? 照れてないなら、それはそれで心配だなあ。風邪かもだし」


 からかうみたいに笑った後で、さくらは私のでこに触れてきた。


「ひゃっ!?」


 ので、変な声が出た。


「うーん、熱はないっぽい。じゃ、やっぱり照れてるんだ?」

「……う、うるさいっ。もう私帰る!」


 さくらを見ることもできないまま、私は立ち上がって教室に戻ろうとするけど、


「あん、待って待って。ごめんね? もう言わないから」


 さくらにまた手を掴まれた。


 まったく、なんなんだコイツは。私をからかってそんなに楽しいか。と思ってると……



「ふふっ。あははははっ」



 なんて楽しそうに笑うので、ちょっとムッと来た。


「楽しそうだね」


「ごめんね? からかってるわけじゃないんだよ。ただ……」


 一度言葉を止めて、さくらはじっと私を見てきた。そのきれいな、水晶みたいに瞳に、私は自分の姿が映っているのを見た気がした。


「わたしね、この時間が好きなの。椿ちゃんとお話しして、かわいいところを見せてくれる、この時間が。だから、部活はやらない」


「……分かったってば」


「椿ちゃんはどう?」


「え?」


「部活。するの?」


 私は言葉に詰まった。答えはもう決まってる。私も部活をする気はない。知らない人ばっかりがいる環境って苦手だし。それに……



 ――私も、さくらと過ごす時間が好きだから。



 ふと過ったのは、そんな言葉。でもそんなこと、絶対に言えない。だって、言ったらさくらは絶対調子に乗るし。それに第一……恥ずかしい。


「しない」


 だから、そっけなく返すのでも精一杯だ。


「どうして?」


 だというのに、なぜかさくらは食い下がってきた。


「それは……」


 また言葉に詰まる。水晶の瞳はじっと私を捉えていて、さっきまでは見ることもできなかったのに、今度は目を離すことができなくなった。その目に、やっぱり自分の姿が映っているような気がしたから。だから私は……


「いいでしょ理由は。ただその……苦手なだけ。部活みたいな集まりが」


 そう誤魔化した。……いや、べつにウソは言ってないし。誤魔化したわけじゃない。


「そっか」


 でも、さくらはなんだか満足そうだった。




「じゃあ、そろそろ帰ろ、椿ちゃん」


 そう言ったさくらの目は、やっぱり私を見ていて。それだけのことが、なんだかすごくうれしく思えた。


 さくらの目には、ちゃんと私が映ってる。ちゃんと私がいる。


 野良猫みたいにちっぽけな存在だとしても、私はちゃんとさくらの隣にいて、声を上げて鳴いているんだ。


 ふと目に入ったのは、さくらがカバンにつけているキーホルダーだ。この間の休みに、私がプレゼントした、猫のキーホルダー……


「それ、つけたんだ」

「うん。せっかく貰ったものだから」


 その鳴き声の意味を、さくらはきっと分かってないだろうけど。でも……


「ふーん」


 もし、もし鳴き声の意味を、さくらが分かったら……いや、分かられたら……


 私たちの関係は、どう変わるんだろう?



 漠然とした疑問は、遠くから聞こえてきた楽器の音にかぶさって、どこか見えない場所に行ってしまった。

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