第12話 一髪 二化粧 三衣装

「んー……」


 洗面所で髪をすきつつ、私は鏡とにらめっこする。


 六月のある日。今日は朝から雨が降っていた。



 ――私は雨が嫌いだ。


 だって、雨が降るとテンパの私の髪はより融通が利かなくなるから。



 もう一度鏡を見て、思わずため息をつく。


 毛質が……毛質が目立つ! 広がりも気になるし、それにパサついてる! これだから雨は嫌いだ!


 ていうか……ホントどうしよう? 今日は平日。学校があるんだから、いつまでもこうしてはいられない。


 いちおう、天パをアレンジするスタイルも勉強してはいる。ファッション誌とか、あとはネットで調べたりして。だから候補はいくつか考えてるんだけど……うーん……



「椿ちゃん?」


 考えている間にも、ドアの向こうからさくらの声が聞こえてきた。


「どうかしたの? 大丈夫?」


「うん。ちょっと髪型に悩んでるだけ」


 答えると、さくらはちょっとドアを開けて、隙間から中の様子を窺ってくる。よく人の着替え覗いてくるくせに、変なやつ。


 そのあとで、ドアを開いて中に入ってきて、鏡を見て納得したみたいにうなづいた。


「今日、雨降ってるもんね。くせっけは大変だ」


 なんて、他人事みたいに言ってくる。いや、実際他人事なわけだけど。ちょっとムカつく。でも……


 私はさくらを見る。正確には、その髪の毛を。


 腰まで伸びた黒髪は絹みたいにサラサラで、思わず見惚れるくらいにきれいだ。それに比べて……



「はあ……」


 ため息が出てしまう。自分の髪の毛との、あまりの落差に。


 私のは天然パーマだから、こう、毛先がくるっとなってるし、それに……ボリュームが、ちょっとアレだ。べつに爆発してるって程じゃないけど……うん、気になる。


「そんなにひどいかなあ」


 さくらはといえば、じっと私の髪を見て、本当に不思議そうに首を傾げている。


「椿ちゃんの髪の毛、わたしは好きだよ。きれいだと思うし」


 え? 本気か? 自分と私の髪を見比べて、私の髪がきれいだって、本当に思うの?


「ねえ、椿ちゃん。髪、わたしがセットしてもいい?」


「えっ、なんで?」


「だって、わたしの言葉、信じてないでしょ? わたしが椿ちゃんに似合う髪型にセット出来たら、信じてくれるかなって」


「なにそれ」


 朝からよく分からんやつ。


「ねえ、いいでしょ?」


「……まあ、いいけど」


 思わずそう答えてしまった。……いや、だって、時間がアレだし。ごねると遅刻しちゃうから。


「うん。まかせてっ」



 そう言ったかと思うと、さくらはリビングからイスを持ってきて、私をそこに座らせる。そして後ろに立つと、まずは髪をすき始めた。


「……っ」


 ん……なんか、ちょっとくすずったい。でも……ちょっと気持ちいい……かも。やさしくて、丁寧で……大切にされてるのかな、みたいな。なんか、そんな感じ。



 さくらが櫛を置いた。あ、もう終わりなんだ……って、いやいや、なんで残念がってるんだ私。


 誤魔化すみたいに頭を振ったら、


「こら、じっとして」


 怒られた。


 それから、まずはくるりんぱを二個作って、毛をまとめて三つ編みにする。そして、毛を引き出してから崩す。


 最後に、前髪をサイドにまとめて、私がいつもつけている、昔さくらがくれたヘアピンで留めて……



「はい、出来上がり」


 その言葉で、微妙に逸らしてた視線が元に戻る。



 …………うん。いい、と思う。


 雨の日は前髪のうねうねがちょっと気になるんだけど、サイドでまとめて留めたことで、それも気にならないし。でも……


「どうかな?」


「いい、と思う」


 私は心の中で言った言葉を繰り返す。その途端、さくらはうれしそうに笑った。


「じゃあ、信じてくれた? わたしの言葉」


「べっ、べつに……疑ってたわけじゃ……」


 言い訳と一緒に髪をいじりそうになったけど、崩れちゃうかもと思ってその手を止める。


「ていうか……ちょっと恥ずかしいよ、これ。私、こんなにおでこ出したことないし」


「え~? いいじゃん、かわいいよ。椿ちゃんおでこ」


「変な言い方すんなばか」


 余計恥ずかしくなるから。でも……



「さくら。その……ありがと」


 素直に、お礼を言っとく。あれ? でもこれ……


 なにに対するお礼なんだろう? 髪を結ってくれたこと? それとも、髪をきれいって、言ってもらえたこと?


 考えてみたけど、自分でも分からなかった。


「どういたしまして」


 なぜかさくらは嬉しそうだったけど、私はちょっとモヤっとした。まるで、今日の天気みたいに。


 結局、微妙にモヤっとしたままで、私はさくらと一緒に寮を出た。





 学校の教室に入った瞬間、


「ごきげんよう伊集院さん!」


 元気な人にあいさつされた。そして、


「そして来ましたわね、天王洲桜! 今日こそあなたと決着をつけますわ!」


 さくらに絡んでいた。



 毎朝元気な人だ。でもこの人、毎朝私にあいさつしてくれるんだよね。私も返そうとするるんだけど、それより早くさくらに絡むから、毎朝口を半開きするハメになっている。


「おはよう、伊集院さん」


 今日も今日とて口が半開きになった私に、またあいさつをしてくれた子がいる。葵ちゃんだ。


「おはよ葵ちゃん」


 今度はあいさつを返せる。御郭良さんにもこうできればいいんだけど、なんであの人いつも元気で忙しいんだろう? なんて考えていると、


「今日の髪形、ちょっといつもと違う感じだね」


 葵ちゃんが私の髪を見て言ってくる。私はといえば、反射的にでこに触れた。ちょっと、隠すみたいにして。


「うん。私くせっけで、雨の日はちょっとアレだから……さくらがセットしてくれたんだ」


「そうなんだ。よく似合ってるよ。なんかいつもと雰囲気が違くて、ちょっと新鮮」


「ありがとう……」


 なんだか気恥しくなって、私の手は髪に伸びたけど、結局また途中で止まる。だって、崩れたりしたらアレだし……



 私は席に座り、カバンからタオルを取り出して、湿っぽくなった足を拭く。


 これがあるから雨はキライだ。ミニスカやショートパンツを穿くと足が濡れる。かといってロングだと、今度は裾が気になる……


 なんてことを考えたのは、多分、気恥ずかしさを誤魔化すためだ。



 褒められたのは、単純にうれしい。それは多分、自分が褒められたからじゃなくて、さくらが褒められたような気がしたからかも。


 そう考えると、寮を出るときに感じたモヤっが消えた……気がした。


 けど、私が確信を得るよりも早く、担任の先生が入ってきて、その考えも消えてしまった。




 雨が降ると、教室内の様子もちょっと変わる。


 じめじめしてて、なんだか空気が重いっていうか、薄暗いっていうか、みんなの声が、いつもよりちょっと小さく感じる。私は、それがあまり好きじゃない。


 あと……これは個人的なことだけど、蒸れるから。その……スカートの中とか。それが気持ち悪くて、ちょっとやな感じだ。


 男子がいないからか、ときどきスカートをバサバサしてる子もいる。お嬢様でも、親や先生の目がないところではちょっと開放的になるんだなあ……なんて、いいかそんなこと。



「おーーっほっほっほっほっほっほっ!! 天王洲桜、今日こそあなたに勝ってみせますわよ!」


 いつもと変わらず元気な人もいる。


 昼休み。昼食を終えた私たちは机をくっつけたまま、トランプに興じていた。今やっているのは大富豪だけど、ほかにもブラックジャックとか、ポーカーなんかをすることもある。


 最初はなぜか余裕綽々だった御郭良さんだけど……


「か、革命ですって!? 葵、ズルいですわよ!」


「そ、そんなこと言われても……」


 葵ちゃんが困っていた。ていうか御郭良さん、その言葉でおおよその手札が分かっちゃうけど、大丈夫? この人、ゲームをするには正直すぎる気がする。


「こっ、こうなったら、捨て札のジョーカーを使うしかありませんわね!」


「あ、わたしスペードの三持ってる」


「なっ!?」


 捨て札(切り札)もあっさりさくらに潰されていた。


 トランプは地域ごとにルールが微妙に違うのも面白い。ジョーカーにスペードの3で勝てたり。


 御郭良さんは一人で盛り上がっている。この人、私たちの中で一番ゲームを楽しんでるよね。


 ま、結局ビリになったんだけど。




 ――私は雨が嫌いだ。


 だって、雨が降るとテンパの私の髪はより融通が利かなくし、スカートを穿くと足元が濡れちゃうから。それに……



 下校時刻になっても、まだ雨は降っていた。


「雨、やまないね」


 窓の外を見ながらさくらが言った。


「うん……」


 放課後。葵ちゃんや御郭良さんたちクラスメイトが帰ったあとも、私たちはまだ教室に残っていた。


 私は自分の席に座って、さくらはその前の席に座っていた。


 天気予報によると、雨は午後の四時にはやむらしい。私たちは帰宅途中に夕食の買い出しでスーパーに寄るから、やむまで待とうかって話になったんだけど……


「やまないなー」


「ま、あくまで予報だし」


 なんて、ちょっと腑抜けた会話をする。


 雨はちっとも止んではくれなかった。それどころか……



 ザア、ザア……



 雨脚は余計に強くなっているような気がする。いや、どうだろ?


 雨の代わりに私たちの会話が止んだから、そう感じるだけで、気のせいかも?



「……」


「え、なにか言った?」


 ボーっとしてたから、さくらの言葉を聞き逃すところだった。


「だからね」


 すると、さくらはちょっとイタズラっぽい笑みを浮かべていた。


「椿ちゃん、今日は鏡見る回数がいつもより多いねって」


「え……」


 言われて、私は自分が手鏡を見ていることに気づいた。


 そう言われれば……そうかも。髪型が崩れてないか、どうも気になって。でも……


「べ、べつに……いつも通りでしょ」


 なぜだか気恥しくなって、私は隠すみたいにして手鏡をしまう。


 私としては、この話はもう終わったつもりだったんだけど、


「もしかして、そんなに気に入ってくれたの? その髪型」


 さくらが追撃を仕掛けてきた。


 だから私はちょっと変な声を出してしまい、反射的にさくらを見る。すると、その顔に浮かんだイタズラっぽい笑みが、どんどん深くなっていった。


「いやあ、照れるなあ。そんな気に入ってくれるなんて。セットした甲斐があるよ」


「べつに、そういうわけじゃ……」


「じゃあ、ダメだった? その髪型……」


「そっ、れは……」


 なんで、そこでちょっと悲しそうな顔をするんだコイツは。


「そういうわけじゃ、ないけど……」


「じゃあ、気に入ってくれた?」


「それは……もうっ! いいでしょこの話は!」


 そこは察してほしい。今日一日この髪形でいることが答えなんだから。



 さくらにはくせっけの気持ちなんて分かんないだろう。


 ちらっと見る。……うん、やっぱりきれいだ。絹みたいに繊細で、サラサラの黒髪。私の髪とは比べ物に……いや、ていうか比べたくない。


 ホント、なんでコイツの髪、こんなにきれいなんだろ……


 さくらの髪、私がセットしたいな。髪が長いと、色々な髪形を試すことができるのに。さくらならどんな髪型でも似合いそう。


 例えば……



「椿ちゃん?」


「え、なに?」


「なにって……どうしたの?」


「え…………っっ!?」



 言われて、私は驚きのあまり心臓が止まりそうになった。



 無意識のうちに、私の手はさくらの髪に伸びていたから。



「ご、ごめんっ!」


 慌てて手を引っ込める。けど、私の指先には、まだ感触が残っていた。


 繊細で、それにサラサラで、そしてちょっと柔らかい……


「べつに謝ってくれなくていいんだけど……」


 さくらはキョトンとしてる。


 くっ。人の気も知らないで……って、あれ? 私、なんでさくらの髪に触ったんだろ? 単純に羨ましいから? でも、前から触ってみたいとも思ってて……それはつまり……あれ? なんか、分かんなくなってきた。


「ストレートなのが羨ましくて。それだけ。深い意味はないの」


 誤魔化すみたいに、言い訳を並べる。


 するとさくらは、「そうかな?」とちょっと首を傾げて、自分の髪を触った。それから私に……いや、私の髪に視線を移してくる。


「朝にも言ったと思うけどさ、わたしは好きだよ。椿ちゃんの髪の毛」


「ん……てか、なんか変態っぽいそれ」


 どう答えていいものか分からず、私は曖昧なことしか言えない。……いや、変態っぽいは本心だけど。


「それに、今朝の椿ちゃん、かわいかったよ。すっごく真剣に鏡とにらめっこしてるんだもん」


「それ、髪関係ないし。それに、天パがいいって言う人は、みんな天パじゃないし」


 また答えにくいことを言われて、ぶっきらぼうに返してしまう。


「ねえ、さくらってなにか特別なことしてる? トリートメントとか」


 そのあとで、また誤魔化すみたいに訊いてみる。


「うぅん。たまにお手入れしてるくらいだよ」


 まじか。それでそれか。


 おなじ寮……というか、家に住んでるわけだし。予想はしてたけど。


「そんなにうらやましがることかなあ……」


 さくらは不思議そうな顔をして、自分の髪をいじっている。いや、ていうかさ……


「ねえ、そんな触り方止めなよ。髪が傷んじゃう」


「えっ?」


 なぜかキョトンとした顔をされた。


「大げさだよ。このくらい」


 なんて、軽く笑ってる。


 でも私は、軽く流すなんてことはできそうにない。


「ダメだってば。ちょっと待って」


 私はブレザーのポケットから櫛を出して、席を移動する。さくらが座っている席の、隣に。だけど……


 あれ? なんか流れで来ちゃったけど、勝手にすいてもいいのかな? いちおう訊いたほうがいい……よね?



「椿ちゃん、髪すいてくれるの?」


「うぇっ!?」


 それよりも早く言われて、変な声を出してしまう。多分そのせいだと思うけど、さくらもちょっと声を上げてた。


「ご、ごめん」


「いいけど……大丈夫?」


「うん。その……うん、髪、すいたげる。だって、傷んじゃったらアレだし」


 誤魔化し全開の私の言葉にも、さくらは無邪気に笑って「ありがとう」と言ってくれた。


 そして私は、そっと櫛を入れて……


 うわっ。


 すぐにその手を止めてしまう。ちょっとビックリして。それから、また櫛を入れて髪をすいていく。


 すごい……。サラサラだ。さらっさらだ。


 全然櫛に絡まる気配がない。本当に絹みたい。これが私とおなじ髪の毛か?


 なんか……もう、羨ましいを通り越した。これは私のとは別物なんだ。だから羨ましがっても仕方ないんだ。そう思うことにしようそうしよう。



「えへへっ」


 急にさくらがマヌケな笑い声を出したので、ちょっとビックリする。


「え、どしたの?」


「うん。あのね、なんか、こういうのいいなって思って」


「いいって?」


「大切にされてるのかなって感じがするから。これ、好きだな」



 ――ドキッ



 心臓が、大きくはねたのを感じた。


 今朝、私が想ったこと。さくらもおなじように想ってくれているんだ。




 ――私は雨が嫌いだ。


 だって、雨が降るとテンパの私の髪はより融通が利かなくなるし、スカートを穿くと足元が濡れる。


 それに、あの日のことを思い出してしまうから。でも……



「ねえ、椿ちゃん」


「? なに?」


「わたしはね、椿ちゃんの髪の毛、本当に好きだよ」


「……それ、もう聞いた」


 しかも何回も。今ので三回目だ。でも、さくらの言葉は終わってなかったらしい。すぐに続けてくる。



「くせっけくせっけって言うけど、枝毛はないし、ちゃんときれいだよ。お手入れ頑張ってるんだなっていうのも分かるから」



「う、ん……」


 それは、まあ、うん。頻繁にブラッシングしたり、髪を乾かすときもドライヤーの使い方に気を遣ったり、いろいろと。


「だからね、椿ちゃんには、もっと自分に自信持ってほしいな」


 どう答えたらいいのか分からず、私は黙って櫛を動かす。


 さくらは、私によくそんなことを言ってくれる。ていうか、私を手放しに褒めてくれるのは、さくらくらいだ。


 それは、とてもありがたいことなんだろうけど……こんなときって、どう返せばいいんだろ?


「……そうする」


 考えても分からないから、結局、毎回そっけないことしか言えないでいる。


「うん」


 それでも、さくらは満足そうだけど。


 でも……さくらにそう言ってもらえるのは、素直にうれしい。これからも、お手入れ頑張らなくっちゃ。



 ふと外を見る。まだ雨は降っていた。雨足は、しばらく弱まりそうにない。





 ――私は雨が嫌いだ。


 だって、雨が降ると天パの私の髪はより融通が利かなくなるし、スカートを穿くと足元が濡れてしまう。


 それに、のことを思い出してしまうから。でも……


 今この時は、さくらと一緒にいると、雨も嫌いじゃない。


 これは音楽だ。アスファルトを叩く、無数のオーケストラ。


 さくらが鼻歌を歌いだす。雨音に、そっと乗せるようにして。


 教室の時計の音はいつしか消えて、私の耳には壮麗な音楽だけが届く。



 私はたった一人の観客として、歌声の中に身を任せていた――

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