第38話 夜が明けるまで

「じ、事情があるんです……」


 部屋に戻って、紅茶を淹れてもらうのもそこそこに、お姉ちゃんは言い訳するみたいに言った。


「説明して」


「複雑なの」


「説明して」


 憮然とした調子のわたしを見て、お姉ちゃんは委縮したみたいに見えた。けれど、わたしは調子を変えない。だって、わたしの隣に座っている椿つばきちゃんは、まだお姉ちゃんをちょっと警戒しているし。



 幽霊の正体見たり枯れ尾花、なんて言うけれど、その正体は思ってもみない人物だった。


 天王洲てんのうすしおり


 わたしの四つ上の姉だ。



「だってっ!」


 すると、お姉ちゃんはめずらしく大きな声を出した。


「どうしても気になってしまったんです。伊集院いじゅういんさんがいらしてると聞いたもので……」


「わ、私っ!? ……ですか?」


 急に自分の名前が出てきたからか、椿ちゃんはビックリしていた。



「お姉ちゃん、椿ちゃんと面識あったっけ?」


「ありません。だから気になったの」


「どういうこと?」


 わが姉ながらよく分からない。眉をひそめるわたしたちに、お姉ちゃんはまた大声。


「だって、伊集院さんが関わると、さくらは私に構ってくれないじゃないですか!」


 ……わが姉ながらさっぱり分からない。



「幼稚園のときからいつもそう! 伊集院さんと会うためにお稽古まで投げ出して! それまではよく私を慕って傍に来てくれたのに、ちっとも来てくれなくなったじゃないですか! せっかく帰ってきているのに、私に会いに来てくれたのは昨日の一回きり! 体調を崩したって言えば会いに来てくれるかと思ったのにお見舞いすら断られますし! 桜は伊集院さんのことばっかり! だから、伊集院さんがどんな方なのか、どうしても確かめたかったんです!」


「落ち着いてお姉ちゃん。分かるように説明して」


「落ち着いてなどいられません! もし大事な妹と一緒にいるのがおかしな方だったらケホッ!?」


「ぇええっ!?」


 椿ちゃんがメチャメチャ驚いていた。まあ、それも当然だろうなと思う。だって……



 栞お姉ちゃん、いま吐血したし。



「ちょ、えっ? だ、大丈夫ですかっ!?」


 立ち上がって、慌てて駆け寄る椿ちゃん。いい子だなあ。でも……



「大丈夫だよ椿ちゃん。心配ないから」


「そんなわけないでしょ! だって吐血なんて、そんな……」


「それ、ただの血のりだから」


「ちの…………はっ?」


 目をしばたたく椿ちゃん。これは、たぶん口で説明するより見せたほうがはやいかな。



「お姉ちゃん、もう、椿ちゃんがビックリしてるでしょ? ふざけていないで、はやく起きてっ」


 言いながら、わたしはテーブルに突っ伏したお姉ちゃんの体を揺する。


「わ、分かったから揺すらないでください桜。お姉ちゃん酔っちゃう……っ」


 顔を上げたお姉ちゃんは、相変わらず希薄そうな顔をしているけれど……うん、元気そう。口周りが真っ赤だけど、これは血のりだし。そう、血のり……



「さっきのはね、この人のお家芸なの。昔から病弱なのをいいことに、都合が悪くなったり誤魔化すときによくやるんだ。だから気にしないで」


「やめてください、桜。この人だなんて、そんな冷たい呼び方」


 いまそこ気にするんだ。


 なにも答えずにジトっとした視線をむけると、お姉ちゃんは観念したように肩を落とした。



「ごめんなさい、伊集院さん。私、あなたがかわいい妹をたぶらかしていると考えておりました。それで一言申し上げようと思いずっと機会を窺っていたのです」


「は、はあ……」


 椿ちゃん、どう答えたらいいものか分からずに困惑してる。



「だからって椿ちゃんを怖がらせないでよ。大体、高校の三年間は短いから大切にしなさいって言ってくれたのは、栞お姉ちゃんでしょ?」


「それは……さくらには有意義な学校生活を過ごしてほしかったんです。私はほとんど学校へは通えずに、お屋敷に先生方をお招きして講義を受けていましたから……」


 そういえば、栞お姉ちゃんは大学にもほとんど行けていないんだっけ。


 この人、たまに変になるけれど、基本的にはいいお姉ちゃんなんだよね。そう思ったら、なんだかため息が出てしまった。



「ねえ、お姉ちゃん。椿ちゃんと話す機会を窺ってたって、それ、夜中も?」


「ええ。お話ししようと思ってはいましたけど、いざとなると勇気が出なくて……」


 なのにストーカーする勇気はあるのか。よく分からない人だ。



「じゃあ、私が見たのって、もしかして……?」


「私だと思います。暗かったもので、つまずいて転んでしまって……」


「そうだったんですか」


 自分が見たモノが得体の知れない幽霊ではないと分かり、椿ちゃんはホッと胸をなでおろしたみたいだった。



「まったく」


 わたしの口からもため息が出る。もちろん、椿ちゃんとは意味が違うけれど。


「見てたなら分かったでしょ? 椿ちゃんがやさしくてかわいい、いい子だって」


「ちょ、ちょっと……」


 椿ちゃんは照れた様子でなにかを言おうとした。けれど、それよりもはやく、


「はい。それはよく分かりました」


 お姉ちゃんが答える。


 口を開きかけた椿ちゃんだけれど、今度は声にすらならなかった。この子人見知りだからなあ。なにか思うところがあっても、まだ口にすることができないんだろう。



「しかし、見ていて気づいたこともあります。あなたたち、すこし距離が近くありませんか?」



「「えっ」」



 わたしと椿ちゃんの声が重なった。


「そうかな? そんなことないと思うけれど……」


「いいえ、近いです! 歩いているときは手でも繋ぎそうな距離感ですし、胸壁でアフタヌーンティーをしているときもすごくいい雰囲気でしたし、しかも二人で白いドレスを着て写真を撮るなんて! あれじゃあ、まるで結婚写真みたいじゃないですか!」



 …………なんていうか、アレだね。姉妹なんだね、わたしたち。



「へっ、変なこと言わないでください!」


 さすがに椿ちゃんが声を上げた。



「ああああああ挙句の果てに二人でおなじベッドで寝たでしょう!? あなたたち、ひょっとして恋人同士なんですか!?」


「ちちちちちち違います違います! そんなわけないじゃないですか!」


「じゃあ恋人同士でもないのに夜伽をっ!? い、いやらしいっ! ハレンチです!!」


「だから違います! 私そういう経験一回もありませんっ!!」


 なんか、二人で盛り上がってて、ズルい。椿ちゃんを照れさせるのはわたしの役目なのにっ!


 こうなったら強引に参加しちゃえっ!



「椿ちゃんったら照れちゃって! かわいいなあ、もう!」


「てっ、照れてない! 私たちはべつにそういうんじゃないし、それに……」


 そこで椿ちゃんの言葉は止まった。バツの悪そうな顔で口をつぐんで、それからうつむく。……どうしたんだろう?



 気になって椿ちゃんをじっと見る。いつもならすぐに切り替えることができるけれど、なぜか今はそれができなかった。


 なんだか、いままで目をそらしてたことに触れられた気がしたから。


 それに、のあと、なんて言おうとしたんだろう……?



「コホン」


 わたしの意識を引き戻したのは、咳払い。それはお姉ちゃんのものだった。と、


「けほけほけほけほっ!」


 お姉ちゃんが咽始めた。……よわい。



「だ、大丈夫ですか!?」


 背中をさすりながら「これどっち」という感じの視線をわたしへむけてくる。これは本当のやつです。まったく、仕方のない。


「ほらお姉ちゃん。落ち着いてお茶でも飲んで……」


 立ち上がって、紅茶を飲ませようとしたけれど、


「けほっ!?」


 それよりもまえに、お姉ちゃんがこと切れた。




 お姉ちゃんのお付きの人を部屋に呼んで引き取ってもらうと、わたしたちは示し合わせたみたいにため息をついた。


「お姉さん、ホントに大丈夫なの?」


「うん。昔からあんな感じだから、気にしないで」


「そうなんだ……」


 あ、椿ちゃんがちょっと引いてる。けど引かれたのはお姉ちゃんだし、まあいいいか。


 引いてるだけじゃなく、疲れてもいるみたい。わたしたちはお茶を飲みなおすことにした。



「雨、止まないね」


「うん。いちおう弱くはなってるみたいだけど……」


 窓の外、たしかに雨足は弱くなってる。風も止んできたみたいだし、この分なら夜には止んでくれるかも。でも……


 雨が止んだら、椿ちゃん帰っちゃうよね。雨の中をヘリは飛ばせないってことでお泊りをしてるわけだし。そう考えると、



「いい天気だなあ」


「さくら、雨好きだっけ?」


「雨が降ってれば椿ちゃんといられるわけだし、そう考えると悪くないなあって」


「はあっ!?」


 なぜか椿ちゃんが大声を上げた。なんか驚いてて、顔も赤くなってるような……?



「だって、一人でいても退屈だから」


「ああ、そういう……」


 今度は、椿ちゃんは拍子抜けした顔になった。忙しい子だ。



「でも大晦日に雨って、なんかイヤじゃない? 幸先悪い感じ」


「たしかにそうかもね」


 ていうか、そっか、今日大晦日だったっけ。椿ちゃんの添い寝とか、椿ちゃんストーカー事件とか、朝からいろいろありすぎてすっかり忘れてた。



 今日が大晦日ってことは……明日にはお父さんたちが帰ってくるんだ。いまはわたしと栞お姉ちゃんしかいないけれど。うちは家族全員揃うのは、一年のうちで元旦くらい。今年の梅雨の日みたいに、例外が起きたりもするけれど。


 ということは、今日だけってことだよね。こうやって椿ちゃんと二人で過ごせるのは。


 そのあとは、また無機質な時間がわたしを待っているわけだ。久しぶりに家族に会えるのはうれしいけれど、でも、でもなあ……



「さくら?」


 いつの間にかボーっとしちゃってたらしい。椿ちゃんが不思議そうな顔でわたしを見てる。


「どうかしたの?」


「うぅん、なんでもないよ」


 椿ちゃんに愚痴を言っても仕方ないし、誤魔化しておこう。


 二人で過ごせる時間が限られてるなら、その時間はすこしでも有意義なものにしなきゃ。



 それから、わたしたちは一緒にいろいろなことをした。映画を見たり、本を読んだり……いつも、寮でもやっていることだ。でも……


 楽しい。


 椿ちゃんと一緒にいると、なにをしていても楽しくて、特別な時間のように感じる。


 それは、きっと気のせいなんかじゃなくて、本当にそうなんだ。


 椿ちゃんと過ごす時間が、わたしにとっての、きらきらと輝くゴールデンタイム。


 できるなら、椿ちゃんにもそう思っていてほしいけれど――



 わたしの頭をぐるぐる回るのは、椿ちゃんのさっきの言葉。


「それに」のあと……ただの幼馴染だから? それとも……




「――姫さま」

「っ!」


 どこかから聞こえてきた声にハッとなった。


 身を起こす。どうやらわたしは、ベッドで横になっていたらしい。


 見慣れた場所、ここはわたしの部屋だ。でも、いつの間にか椿ちゃんはどこにもいなくて、代わりにいるのは……



「もう、綾瀬さん。驚かせないでよ」


「申し訳ありません」


 綾瀬さんはいつもどおり、感情のこもっていない声で言った。



「お部屋の外からも何度かお声掛けしたのですが、お返事がなかったものですから……」


「うん。寝ちゃってたみたい。……いま何時?」


「二十時を回ったところです。ご入浴の準備が整いましたので、ご報告に」


 もうそんな時間か。わたし、いつの間に部屋に戻ってきてたんだろう。


 ……今年も、あと四時間を切ったんだ。




 当然といえばそうなんだけれど、椿ちゃんはもう入浴を終えているらしい。一回くらい一緒に入りたいんだけれど、椿ちゃん、絶対入ってくれないしなあ。


 一人さみしく入浴をすませ部屋に戻る。そういえば、昨日はこのあとも椿ちゃんとお話ししてたっけ? 呼べば来てくれるかな、と思って言ってみたら、


「なりません」


 にべもなく、そう答えられた。



「明日には、ご当主様もお帰りあそばされますので、本日はお早くお休みください」


 正直、そう言われるんじゃないかとは思ってた。うん、知ってた。


 相変わらず、天王洲にいると、わたしに自由はほとんどない。



 思えば、昔からそうだった。わたしは天王洲で、一人で行動した記憶がほとんどない。


 それはわたしには許されないことだから。うぅん、わたし以外も、みんなそう。お姉ちゃんたちもお兄ちゃんも、お父さんやお母さんたちでさえ、一人では行動しない。必ずお付きの人と一緒に行動して、身の回りの世話をさせる。


 みんなは、それを〝当然のこと〟として受け入れていたみたいだけれど、わたしはそれがイヤだった。いつ、どこにいても監視されているみたいで、どうにも落ち着かなかった。



 それは今回もおなじだ。せっかく椿ちゃんが来てくれているのに、これじゃあ椿ちゃんだって疲れちゃうだろう。


 ていうか! わたしと椿ちゃんの時間を邪魔しないでほしい! ちょっとは空気読んでよ! うちで働いている人はほんとーーに頭が固い融通が利かないっ!


 はあ……


 暗くなった部屋のなか、ベッドの上でうずくまって、わたしはため息をついた。



 せっかく椿ちゃんが来てくれてるのに、なんだかつまらない。こうなったら夜這いでもかけちゃおうか。


 まあ、さすがにそれは冗談だけれども。昨日みたいに、椿ちゃんのほうから来てくれても……



「さくらっ」



 あれ? 幻聴かな? いま、椿ちゃんの声が聞こえたような……


「さくらってば」


 声だけでなく、体を揺すられた。目を開くと……



 …………



 ……………………



 いた、椿ちゃん。いた、わたしの目のまえ。


 ベッドのまえにしゃがみ込んで、ちょっと体を隠すみたいにしている。



「つ、椿ちゃんっ!?」


 がばっと身を起こす。幻覚なんじゃないかと思って手を伸ばす。すると、


 むにっ


 普通にさわれた。


「ちょ、ちょっと……なに?」


 すると、椿ちゃん(幻覚)は体をよじるような仕草をした。幻覚じゃない! 本物の椿ちゃんだ!



「なんでもない。でも、どうしたの? なにかあった?」


「どうしたのって……」


 おや? 椿ちゃんの顔がみるみる不満そうになっていくぞ?


「覚えてないの? 一緒に初日の出を見ようって、さくらが言ったくせに」


 …………ごめんなさい、全然覚えていません。わたし、そんなこと言ったっけ?



「迎えに行くから一緒に行こうって言ったの、さくらでしょ? 私、ずっと待ってたのに」


 そんなことまで言ってたんだ……全然覚えてない。


 椿ちゃんの言葉が気になって、意識が散漫になってたのかな。でも……



 初日の出か。うん、それ、いいかも。




 十分後――


 わたしたちはお城を出て郊外を歩いていた。郊外には〝景観をよくするため〟に人工的に作られた山がある。わたしたちは、いまはその山を登っていた。


 といっても、そこまで本格的な山じゃない。道はアスファルト舗装されているから登りやすいし。標高は二百メートルだから、山というか丘って感じだ。



 本当はアフタヌーンティーをした胸壁でと思ったんだけれど、邪魔が入ったらイヤだから、外へ行くことにした。


 でも……うぅっ。ドレスの上からコートを着て、マフラーもしているとはいえ、さすがに寒い。手がかじかんで耳が痛いし、吐く息も白い。



 でも、いまわたしが巻いているのは椿ちゃんが編んでくれたマフラー! これさえあればどんな寒さだって苦じゃない!


 椿ちゃんは大丈夫かな? 椿ちゃんが巻いているのも、わたしがプレゼントしたマフラー! だから寒さも大丈夫! と思いたいけれど……



「ごめんね、椿ちゃん。あやまるから、そろそろ許してよ。ね?」


 さっきから、椿ちゃんがあんまり口をきいてくれない。わたしが忘れていたことを、まだ怒っているみたい。……いや、まだ思い出してないんだけれど。


 椿ちゃんは、ずっとわたしのまえを歩いている。それほど距離が離れているわけではないのに、なぜかわたしには、それがとても遠いものに思えてならなかった。



「べつに……そういうわけじゃない。もともと怒ってるわけじゃないし」


 それ、怒ってる人しか言わないセリフだよ……って言ったら、怒られるから言わない。



「でも、あんまりはやく歩くと危ないよ? もっとゆっくり歩いたほうが……」


「大丈夫。道も舗装されてるし、懐中電灯も持ってるんだから……っ!?」


「椿ちゃん!」


 バランスを崩した椿ちゃんに、反射的に手を伸ばす。腕を掴むことはできたけれど……


 わたしたちは、いまヒールを履いている。結局バランスを崩して、その場に倒れこんでしまった。それでも、なんとかわたしが下敷きになることはできた。転んだ衝撃で懐中電灯や、わたしの持ち物も地面に転がる。



「だ、大丈夫っ!? ケガはない?」


「う、うん。さくらこそ……」


「わたしも大丈夫だよ」


 笑って答える。視線のさきに、椿ちゃんの顔があった。わたしたちはいま倒れた状態で、わたしは椿ちゃんに見下ろされている……


 これって、傍から見たらわたしが椿ちゃんに押し倒されているように見えるんではっ!?



「ごめん……」


 一人で盛り上がるわたしを冷静にしてくれるのは、椿ちゃんの短い謝罪だ。


「いいよ、べつに。椿ちゃんにケガがなくてよかった」


「そうじゃなくて、それもだけど……さっきまでのこと。私、ホントは……」


「それも気にしないで。忘れてたわたしが悪いんだから」


「うん……」


 そう言いつつも、椿ちゃんはまだ気にしちゃってるみたい。勢いで怒ってしまった後にこんなことになって、感情のやり場に困ってるのかな?



「本当に気にしてないから。だから、えっと……そろそろ行こう?」


「あ、ごめんっ」


 言葉の意味を理解してくれたらしい。椿ちゃんは慌てた様子で立ち上がって、ちょっと迷ってから、わたしに手を貸してくれた。


 わたしは自分が落とした持ち物を、椿ちゃんは懐中電灯を持って歩き出そうとした……直後、光が消えた。懐中電灯の。



「あ、あれっ?」


 突然のことに、焦ったみたいな声を上げて電源を入れたり切ったりしてる。でも……


「点かない?」


 コクリ、とうなづく椿ちゃん。それ、お城の廊下に備え付けられてる非常用のなんだよね。ひょっとして、電池の入れ替えを怠ってたんだろうか。それか、落とした衝撃で壊れちゃったかな。



「どうしよう? 戻る? でも、ここまで来たんだし……」


 椿ちゃんは、どうしたものか迷っているみたいだった。


「うん、そうだね。街灯はあるし。懐中電灯はあくまで念のためだから、大丈夫だよ」


 それでも、椿ちゃんはちょっと不安そうな顔をしてる。たしかに、街灯は等間隔に建っているけれど、街中ほど明るいわけじゃないもんね。



「心配しないで。ほら、こうやって手を繋いでおけば、はぐれたりしないし。ね?」


「っ! ……うん」


 椿ちゃんはちょっと体を震わせてから、ちいさな声で答えてくれた。


 椿ちゃんも安心してくれたみたいだし、手を繋ぐこともできたし、役得だ。



 さっきまで感じていた寒さなんて、もうどこかに消えていた。胸の内からポカポカして、わたしの体を芯から温めてくれる。


 隣には椿ちゃんがいる。さっきはあんなに遠くに感じたのに、いまはこんなに近くに感じるなんて、我ながら単純だ。


 ゆっくり、一歩一歩、踏みしめるみたいに歩く。どっちに合わせたわけでもないのに、わたしたちの歩測はさっきよりも遅い。まるで、すこしでもこの時間が長く続くように――



 ガサッ



「「っ!?」」


 突然だった。後ろで、なにか音が聞こえたような……


 わたしたちは同時に振り返る。けれど、頼りない街灯に照らされた道には、だれの姿もなかった。



「気のせい、かな?」


「たぶん……」


 自信がなかったので頼りない返答になってしまった。なので「風じゃないかな」と付け足した。



 椿ちゃんの手を握る力がちょっと強くなったのは、気のせいじゃない。この子はいま不安がっているんだ。だから、わたしが守らなきゃって思うし、それに……不謹慎かもしれないけれど、その姿すらかわいくて、愛おしいって、そう思ってしまう。


 無意識のうちに、わたしの手を握る力も強くなる。でも、それでもわたしたちの歩測は変わらなかった……



 やがて山頂についた。標高は二百メートルだから、寒さは普通の道と大差ない。わたしたちはベンチに腰掛ける。そして、バッグに入れておいたホットドリンクを出して、椿ちゃんに渡した。


「ありがとう」


 わたしから受け取ったキャラメルラテを、椿ちゃんは両手で挟んだり顔に押し付けたりしている。それから、白い息を吐いた。



「私、無料の自動販売機なんて初めて見た」


「あれかあ、ここではね、ウォーターサーバーみたいなものなんだ。まあ、売れた分の代金は、メーカーさんに天王洲が払ってるみたいだから、本当にタダってわけではもちろんないけれど」


「ふーん……」


 軽く聞き流してはいるけれど、椿ちゃんの声にはすこしの呆れが含まれていた。


 キャップを開けて、ラテを一口飲む。その口元はちょっとだけ緩んでいて、さっきの緊張も大分解けたみたいだ。



「ねえ、いま何時?」


「五時過ぎ。例年からいうと、あと一時間くらいかな」


「そっか」


 夜風がふいて髪が靡く。……寒い、けれど寒くない。なんだか不可思議だった。なんだろう、クリスマスのときにも感じた、この気持ち……



 理由の一つは、きっとまだ手を繋いでいるからだ。この温もりが、なによりわたしを温めてくれる。


 もうちょっと……うぅん、もっと温かくなりたい。だからわたしは、ほんのイタズラ心のつもりで、


 ぎゅ


 手を握る力を強めてみる。すると、椿ちゃんもおなじように強めてきた。わたしより、ちょっと控えめに。


 わたしが弱めると、椿ちゃんも弱めて。わたしが強めたら、また椿ちゃんも。


 なんてことないやり取りなのに、なんだか秘密のやり取りでもしているみたいで、わたしはドキドキしてきた。そのあとで、なぜだか急におかしくなってきた。



「えへへへっ」


「なっ、なに?」


 わたしが急に笑ったからか、椿ちゃんはビックリしたみたいに言った。



「なんでもない」


「ウソ。急に笑ったりして、なんなの?」


「なんでもなーい」


 椿ちゃんはしばらくわたしをジトっとした目で見てたけれど、やがて拗ねたみたいにそっぽをむいた。



「ありがとね、椿ちゃん。一緒に来てくれて」


「……なに、急に?」


 椿ちゃんはまえをむいたままで答えた。


「さっき、わたしの部屋まで来てくれて。わたしを外に連れ出してくれて。なんか、幼稚園のときのこと思い出しちゃった」



 あの日。椿ちゃんはわたしの手を取って、外に連れ出してくれた。おかげで、わたしの世界は驚くくらいに広がった。


 だからわたしには、あのときの椿ちゃんが、物語の世界から飛び出してきた王子様みたいに見えた……


 そこまでは、さすがに恥ずかしくて言えないけれど……



「べっ、べつに……今回のは……さくらが約束忘れてただけじゃん」


「あはは。ごめんてば」


 会話がなくなると、本当に音が聞こえなくなる。冬の夜って、本当に静かだ。


 そして会話がなくなると、思い浮かぶのは、椿ちゃんの言葉……



(――「てっ、照れてない! 私たちはべつにそういうんじゃないし、それに……」――)



 それに、のあと。椿ちゃんは、なんて言うつもりだったんだろう? ただの幼馴染だから? それとも……


「あのさ、椿ちゃん。わたしのこと、どう思ってる?」


「はあっ!?」


 自分の言葉に、わたし自身ビックリした。椿ちゃんの声が、一瞬自分のものじゃないかと思ったくらいに。こんなこと、言うつもりじゃなかったのに。



「どうって、その……えっと……」


「あ、その……寮で一緒に過ごすようになってずいぶん経つけれど、どうかなって」


 それとなく、付け足す。動揺を見透かされないように。


 すると、椿ちゃんは拍子抜けしたように体から力を抜いたように見えた。でも……


 なんか、思っていた反応と違った。もっと適当にあしらわれると思ってたのに……



「……まあ、悪くない……感じ?」


「そ、そっか」


 また会話がなくなる。


 ど、どうしよう? なにを話したらいいのか分からなくなっちゃった! わたし、いつも椿ちゃんとどんな話してたっけ!?



「「あのっ!」」



 わたしたちの言葉が重なった。互いに向き合って、


「椿ちゃんどうぞ!」「さくらからさきに言って!」


 なんて、同時に言う。息ピッタリ! さすがわたしたち!


 なんて、言っていられない。このままじゃ……



 がさっ



 後ろで葉っぱがこすれるみたいな音が聞こえる。


 わたしたちは同時に後ろをむく。けれど、やっぱりそこにはだれもいない。



「……また、気のせい……?」


 椿ちゃんの呟きにかぶせるみたいにして、



「うぅ~~~ぅ~~~」



 低い唸り声が聞こえてきた。


 さすがにわたしの体も強張る。それと同時に、反射的に椿ちゃんを抱き寄せていた。



「こっ、これ、気のせいじゃない、よね……?」


 椿ちゃんの声は隠しようもなく強張っていて、体もちょっと震えて、手をわたしの背中に回している。


 普段ならテンションが上がる場面だけれど、さすがにそれどころじゃない。



「大丈夫だよ椿ちゃん」


 わたしはやさしい声色を心がけながら言って、握ったままの手に力を込めた。


 うん、大丈夫。忘れがちだけれど、ここは日本海に浮かぶ絶海の孤島だ。いるのは天王洲家の人間と、そこで働く人間だけ。変な人や、危険な動物がいるわけじゃない。



「だれかいるの? いるなら出てきて!」


 声のしたほうにむけて、鋭い声を飛ばす。まるで答えるみたいにして、ガサガサッ! と葉がこすり合う音がする。最後に一際大きな音がなって、そこから飛び出してきたのは……



「二人とも、一体なにをしてるんですかぁっ!」



 白いドレスにロング丈のカーディガンを羽織り、この寒いのにコートも着ずに膝まで伸びた長い黒髪を夜風に靡かせているのは、


「おっ、お姉ちゃん!?」


 いまさら見間違えるわけもない。それは栞お姉ちゃんだった。



「どっ、どうしてお姉ちゃんがここに……」


「それは私のセリフです!」


 お姉ちゃんは怒ったみたいな声で言った。


「窓の外を眺めていたら、城を抜け出すあなたたちを見て、ここまで追って来たんです! きっと邪なことを考えているんだって思ったから! 案の定あなたたちは、手なんか繋いじゃって……それにいまだって抱き合ってるじゃないですか離れなさいっ!」



 言われて、わたしたちは同時にお互いの体を引き離す。そのはずみで、いままで繋いでいた手もほどけてしまった。


 それが分かった瞬間、なんだか無性にムカムカしてきた。ベンチを立って、ツカツカお姉ちゃんのところに歩く。



「わたしたちはただ、初日の出を見に来ただけ! それなのにお姉ちゃんったら変なことばっかり言って! 止めてよそういうの!」


「それならお城で見ればいいじゃないですか!」


「こうやって邪魔されるのがイヤだから外に出たの!」


「邪魔ってなんですか! 私はただ桜が心配で……くしゅんっ!」



 やっぱりって言ってもいいのか、お姉ちゃんはくしゃみをした。寒いのにそんな格好で来るから。……いや、わたしたちも大きな違いはないかもだけれど。



「だ、大丈夫ですかっ?」


 後ろから椿ちゃんの心配そうな声が聞こえてきた。


「あの、よかったらこれ、どうぞ」


 と、椿ちゃんはポケットに入れていたカイロを渡した。



「あ、ありがとう……ございます……」


 お姉ちゃんはといえば、おずおずと受け取って、大事そうに両手で包み込むように持った。


 ……それ、わたしが椿ちゃんに渡したやつなんだけどなあ。まあいいんだけどさ。



「あ、あのっ!」


 聞こえてきた言葉に、わたしたちは同時に目をむける。


 椿ちゃんはなにやら考えている顔をしていた。やがて、


「お姉さんも、一緒に見ませんかっ?」


 なんてことを言い出すのこの子。



「えぇっ!? わっ、わたしも、ですか……?」


 お姉ちゃんにとっても予想外だったらしくて、目をパチパチとしている。


「椿ちゃん、いいよこんな人、放っておこうよ」


「こんな人とはなんですか!」


「そ、そうだよさくら。ダメじゃん、お姉さんにそんなこと言ったら」


 と、なぜか椿ちゃんはお姉ちゃんの肩を持つ。



「それで、あの、どうですか?」


 ためらいがちに訊く椿ちゃん。人見知りする椿ちゃんが、こんなこと言うなんて。さっきわたしたちが言い合いをしちゃったから、気を遣ってくれてるんだよね? たぶん……


 その心遣いを無碍にするなんてできないし、仕方ない。



「お姉ちゃんも見ていけば? 一人で帰られて、途中で倒れられても困るし」


 わたしとしては、こう言うほかない。すると、お姉ちゃんは、


「で、では……ええ。お言葉に甘えて。ご一緒します……」


 照れた様子で、そう答えるのだった。



 なんてことをしている間に、空のむこうが白んできた。わたしを真ん中にベンチに座りなおして、白くなってきた空をじっと見ている。


 自分の飲み物をお姉ちゃんに渡して、それからマフラーを首に巻く。世話の焼ける人だ。わたしのまえに自分の体のことを考えてほしい。



 わたしの頭をぐるぐる巡るのは、さっきのこと。


 椿ちゃんは、なにを言おうとしたんだろう? いや、それ以前に、わたしはなにを言おうとしたんだろう……?


 自分のことなのに分からないだなんて、なんだか変な話だ。



 お姉ちゃんの言葉で、椿ちゃんと一緒に寮生活をしようと決めて、実際にするようになって、すこしだけ関係が変化して、それで……


 それで、わたしはこれ以上なにを望むんだろう? いや、そんなの考えるまでもない。


 隣を見ると椿ちゃんがいる。それだけのことが、たまらなくうれしい。だから、もし叶うなら、これからもずっと――



「くしゅんっ!」



 わたしの思考は、お姉ちゃんのくしゃみで無理やりに中断された。



「大丈夫ですか?」


「はい。あなたがくださったカイロ、とても温かいので」


「ならよかったです」


 ちっともよくない。わたしを挟んでいい雰囲気にならないでほしい。



「もう、お姉ちゃんやっぱり帰ってよ」


「さ、さみしいこと言わないでさくら。お姉ちゃん悲しいです……」


 思わず、ため息が出る。でも……


 今回ばかりは、わたしたち以外にだれかがいてくれるのは助かるかも。



〝椿ちゃんと二人だったけど、お姉ちゃんが来たから三人になった〟



 そういう言い訳っていうか、逃げ道ができるから。……考えすぎかな?



 空を見る。さっきよりも、空は白んでいる。今年も、また一年が始まるんだ。


 今年は、どんな年になるんだろう? あるいは、わたしがするのか……



「っ!」


 椿ちゃんの体が震えた。寒いのかなって心配になったけれど、そうじゃない。わたしが、無意識のうちに椿ちゃんの手を握っていたから。


「っ!」


 今度はわたしの体が震える。わたしを手のひらを、やさしく包み込んでくれる感触があったから。


 頬が緩みそうになって、わたしは唇を引き締める。なんだか、今年はいい一年になりそうだ。


 根拠なんてないけれど、わたしの胸は期待に膨らんでいった。




 椿ちゃんがラテを飲むまであと二十秒。


 わたしの頬が結局緩んでしまうまであと三十秒。


 お姉ちゃんに手を繋いでいることがバレるまであと四十秒。


 夜が明けるまで、あと――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る