第19話 たまにはわたしを大切に

 わたしが起きたとき、まだ町は眠っていた。


 なんて、ちょっと詩的なことを言ってみたけど、いつもより一時間はやく起きただけだ。カーテンの隙間から外を見てみるけど、外はまだ薄暗い。



 昨日は本当にいい日だったなあ。まさか椿ちゃんが、わたしにプレゼントをくれるだなんて。……ふへへっ。


 しかも口紅だよ口紅! プレゼントに口紅くれるだなんて! 椿ちゃんったら、大胆なんだから!


 ……なーんて、たぶん他意はないんだろうけど。一人で盛り上がるだけなら自由だよね。


 昨日は変にテンションが上がっちゃって、なんにも手につかなかったしなあ。口紅の写真を撮って、それはスマートフォンの待ち受けにした。ほかにも口紅を眺めて一人でニヤニヤしたり、椿ちゃんを思い出してニヤニヤしたり、とにかくテンションがおかしかった。


 だから、わたしには朝の四時に起きてまでやらなきゃいけないことがある! それは――



 この、椿ちゃん一色の部屋掃除だ!



 そう、わたしが部屋に鍵をかけている理由は、もちろん椿ちゃんを信用してないとか、部屋に入ってほしくないとか、そんなあり得ない理由じゃない。


 ……いや、入ってほしくないっていうのは、あながち間違いではないんだけど……



 私の部屋で一番目立っているのは、なんといっても等身大の椿ちゃん(フィギュア)だ。身長体重はもちろんスリーサイズは完ぺきに再現してるし、お着替えさせることも可能です。椿ちゃん(フィギュア)にわたしの服を着せて遊ぶのが、最近のわたしのトレンドだったりする。でもこのフィギュア、結構場所取るんだよね。あと夜中、ふと目が覚めて目があったとき、結構怖かった。悲鳴を上げそうになった。正直、「ひっ!?」くらいは言ってた。


 あとは椿ちゃんパネル。こっちも等身大にしようと思ったんだけど、そうするとさすがにスペースがアレだから、こっちは三分の一スケール。


 椿ちゃんぬいぐるみもある。等身大はないけど、色々な表情(笑ってるところ、怒ってるところ、照れてるところ、わたしに呆れてるところ、わたしに引いてるところ、など)の椿ちゃん(ぬいぐるみ)。何十個と作ってたら、最近は十分に一個のペースで作れるようになった。


 つぎは椿ちゃんポスター! 椿ちゃんの盗撮写真を使ってポスターを作ってみました。背景は合成して、服なんかも好みと状況に合わせられる。椿ちゃんだけが映ったポスターもあるけど、わたしと椿ちゃんのデートスポットでのツーショットポスターも作った。いつか二人で行きたいなあ。


 そして椿ちゃん抱きまくら! フィギュア同様、スリーサイスや身長を完璧再現! ……いや、べつに変なことして知ったんじゃなくて、身体検査の結果を盗み見ただけ。椿ちゃん抱きまくらを抱きしめながら、わたしは毎晩寝てる。これがもう抱き心地が最高。最高級のウールを使ってるから、当然といえば当然なんだけど……とにかく、わたしはもう椿ちゃんを抱きながらじゃないと眠れない体になってしまった。


 以上がわたしの、わたしが真心こめて作ったコレクションたち。お金では買えないこの子たちを、約一時間で丁寧に丁重に大事に大切にしまわなくちゃいけない。


 いままでにはない、わたしの聖戦が始まろうとしていた――




 時計を見ると、時間は五時六分だった。確認した直後、ピピピピピという電子音が鳴る。スマートフォンで設定しておいた、タイマー音だ。よかった、なんとか予定した時間内に終わったみたい。


 はあ……なんか、疲れちゃったなあ。心なしか、体がちょっと重い。これから一日が始まるのに、もう終わった感じだ。わたしの体感的に。


 部屋のどこにも椿ちゃんがいない。なんだか閑散としちゃった……とか言っていられない。はやく着替えて、椿ちゃんのご飯を作らなくっちゃ。……っと。


 あれ……? ずっと下向いてたからかな? ちょっといま、くらっときたかも。……いや、大丈夫っぽい? 気のせいだったかも。


 ああ、急がないとなんだった! わたしはシャワーを浴びて制服に着替えて、いつもと変わらない朝の仕事をいつものように進める。でも……なんか、今日は椿ちゃんパンツの誘惑に簡単に勝てた気がする。……あれ?


 洗濯物を干して、今日は部屋に突撃してみようかな。時間を見計らって……よしっ。



「おっはよう椿ちゃん! 今日もいい朝だね!」

「うきゃあっ!?」



 うんうん、タイミングバッチリ。椿ちゃんの下着によって曜日も確認。今日は月曜日だ。でも……


 椿ちゃんの反応が、なんかいつもと違う。どうしたんだろ? 見てみると……あれ? 椿ちゃん、なんか顔赤い?


「どうしたの? 大丈夫?」


 心配になって訊いてみると、椿ちゃんはわたしから目をそらした。あ、あれ……?


「べっ、べつに。なんでもない……」

「そう? でも、なんか顔赤いよ?」


 なんか、ちょっと様子がおかしい。やっぱり心配で、わたしは部屋に入る。


「なっ、なんで入ってくるのっ!?」


 すると、椿ちゃんはすっごく驚いていた。


「なんでって……顔が赤いし、熱でもあるのかと思って……」

「いっ、いい! 大丈夫だから! いまこっち来ないでっ!」


 ガーン! という効果音が耳を通り抜けた気がした。こ、これは、ひょっとしてアレかな。わたしが部屋に鍵かけてたこと、まだ怒ってるのかな? それでわたしが部屋に入るのをイヤがってるとか?


 どうしよう、入らないほうがいいかな? ……いや! 椿ちゃん、ちょっと様子がおかしいし、ここはムリにでも行かなきゃ!



「そんなこと言われたって、放っておけないよ!」


 わたしは勢いに任せて椿ちゃんに近づく。引いたらダメだ。だって椿ちゃんは変なところで遠慮するし、もしホントに体調を崩してたら、ちゃんと看病しなきゃ!


「ちょ、ちょっと、なに……?」


 でも、椿ちゃんは顔をそらしちゃった。……やっぱり怒ってる? いや、まずは確かめなきゃ! 謝るのはあと!


「だめっ。ちゃんとこっち見て」


 わたしは椿ちゃんの頬を両手で挟んで、ちょっと強引にこっちを向かせる。……こんなことしたら、もっと嫌われちゃうかなぁ。でも心配だし。



 ……うーん、熱はないっぽい? いや……なんか、熱い。椿ちゃん、やっぱり熱があるんだ!


 だって、顔も赤くなってるし、こんなに熱くて、それに喉もちょっと変な感じ。目もかすんできたし、おまけにクラクラして……あ、あれ…………?



「きゃっ!?」



 あれ……? いまのわたしの……違う。椿ちゃんだ。どうしたんだろ? なにがあったの……?


 たしかめなきゃ……ぁれ? なにも見えない。なんで……? うぅん、それより、なんか、椿ちゃんの声が聞こえる。なんて言ってるんだろう? もし不安がってたりしてるなら、安心させなきゃ……。うぅん、それもだけど、まずは鍵のこと、謝らなきゃ……



「……ごめ、んね……つばき、ちゃん……」



 なんとか、口を動かしてみる。


 ちゃんと言えたかな……? わたしには分からなかった。だって……



 もうわたしには、なにも見えないし、なにも聞こえなかったから。





 ――――




 ――――――――





 ――なんだろう? なんだか、すごく苦しい。息が、うまくできない。それに、体が重くて、全然動かせない。まるで、海の底にでもいるみたい……


 これ、そっか……具合が悪いのは椿ちゃんじゃなくて、わたしだったのか……


 うー、体だるい……と、


 あれ? 気のせいかな……? なんだか、すこしだけ楽になった気がする。左の手のひらだけ、なんだか温かい……そう思ったとき、わたしの意識はなにかに吊り上げられるようにして上っていった――




 真っ暗だった視界に、ちょっとずつ光が差してくる。でも、霞がかかったみたいにボンヤリしていて、なにがあるのかは見えない。わたし、起きたのかな? それとも、まだ眠って?


 霞がちょっとづつ晴れていく。影が二重になって、ゆっくりと重なる。これは……



「椿ちゃん……?」


 わたしが見間違えるなんてありえない。それは、大好きな幼馴染の顔だった。


「……さくら?」


 椿ちゃんもわたしの名前を呼んでくれる。それがなんだか嬉しくて、わたしは笑ってしまった。


「えへへぇ、つばきちゃんだー……」


 あれ? ここ、わたしの部屋っぽい。椿ちゃんがわたしの部屋に来るなんて……椿ちゃんが……


「椿ちゃんっ!?」


 くわっ、と目を見開いて、がばっ、と起き上がった。


 椿ちゃんがわたしの部屋に!? それはまずい! だって、ここには愛すべき椿ちゃんコレクションが……ない……あれ?


 部屋を見回しても、等身大のフィギュアも、パネルもぬいぐるみもポスターもない。あと抱きまくらも抱いてない! ……どうして……って、そうか。わたし今日、クローゼットの中に片づけておいたんだった。


 それに気づいたとき、安心しすぎてため息をつきそうになる。もしあれらを椿ちゃんに見られてたらと思うと……うぅっ、想像するだけで恐ろしい。



「だ、大丈夫? まだ寝てなよ。すごい熱だからさ」


「熱?」


 言われてみれば、なんか体がだるい。それに、節々も痛いし。自分の体が熱いことは、寝ていても分かる。


 ていうか、あれ? そういえば、どうしてわたしベッドで寝てるの?


「うん。覚えてない? 私の部屋で倒れちゃったの」


 ……わたしが、椿ちゃんの部屋で……?


 そういえば、椿ちゃんコレクションを整理したあと、わたしは普通に朝の支度をして、椿ちゃんを起こしに行って……



「ごめんね、よく覚えてないの。椿ちゃんを起こしに行ったところまでは、なんとなく覚えてるんだけど……」


「そ、そう……」


 すると椿ちゃんは、なんか不満そうな顔になっちゃった。納得いかないというか、釈然としないというか、そんな感じの顔に。


 どうしたんだろ……? とりあえず、椿ちゃんに従って横になり――



「っ!?」



 顔が青ざめたのが、自分でも分かった。仰向けになって、初めて気づいた。ていうか、思い出した。



 天井に、盗撮写真で作った特大の椿ちゃんプロマイドを張っているのを!



 それは、椿ちゃんがお風呂上りに薄着でアイスを食べている写真! お気に入りだから引き延ばしてプロマイドにしました! 夜眠る前と朝起きたとき、最初に椿ちゃんが目に入るように! わたしの一日は椿ちゃんで始まり椿ちゃんで終わるのだ!



 なんて場合じゃない。どどど、どうしよう!? いま椿ちゃんに上をむかれたらわたしは終わる! いろんな意味で!



「さ、さくら!? どうしたの!? どこか苦しいの!?」



 その言葉で、わたしのよこしまな考えは一瞬で霧散した。


 椿ちゃんは、本気でわたしを心配してくれてるんだ。迂闊にも、ここでわたしは初めて気づいた。椿ちゃんが、わたしの手を握ってくれているのを。


 ……そっか。わたしがさっき感じたぬくもりは、椿ちゃんだったんだ。



「う、うぅん、大丈夫」



 それに気づいたとき、なんだか体のだるさが和らいだ気がした。同時に、罪悪感が。……なんか一人で盛り上がってごめんなさい。



「ご、ごめんね、椿ちゃん。迷惑かけちゃって。わたしのことなら気にしないで。もう学校行かないと、遅刻しちゃうよ?」

「大丈夫。私、今日休むことにしたから」

「えぇっ!? なんで!? ダメだよそんなの!」


 ビックリして大きな声を出してしまったら、自分の声が頭に響いちゃった。……うぅ、痛い。


「ちょっと、そんな大声出しちゃダメ。大人しくして」


「ごめん……」


 わたしは深呼吸をして、一度自分を落ち着かせる。


「でも、どうして? もしかして、椿ちゃんも具合悪いの?」


「そういうわけじゃないけど……だって、ほっとけないでしょ? それに……」


 椿ちゃんが言葉に詰まった。それだけじゃなくて、視線もそらしてる。この子がこういう反応をするときは、大きく分けて二つ。一つは照れているとき。そしてもう一つは……


「たぶん、私のせいでしょ? さくらが風邪ひいたのって……」

「それは違うよっ!」


 椿ちゃんの言葉を強引に遮って、わたしはまた起き上がる。ちょっとふらつくし、頭もキーンとなったけど、そんなこと気にしていられない。


「ちょ、ちょっとさくら……だから寝てなきゃ……」

「椿ちゃんはなにも悪くないよ! これは、わたしが自分の体調管理ができてなかっただけ!」


 屋敷に帰った後、すぐにシャワーを浴びて、ずっと暖かくしてた。でも風邪をひいちゃった。それは運が悪かっただけで、絶対に椿ちゃんのせいじゃない。


「で、でも……」


 椿ちゃんはすぐには納得してくれない。さみしそうな、申し訳なさそうな表情をしてる。そんな椿ちゃんを見ていると、わたしまでさみしくなってきた。



「わたしは椿ちゃんのせいだなんて思ってないから、椿ちゃんにも自分を責めてほしくないの。そっちの方が悲しいもん」



 そのためにも、まずは椿ちゃんを安心させなきゃ。



「だから、ね? 椿ちゃんは悪くない。椿ちゃんも言ってみて。自分は悪くないって」

「もっ、もういい……分かったから……」


 すると、椿ちゃんはまた顔をそらした。でも、これは罪悪感からじゃない。だっていまの椿ちゃんは、耳まで真っ赤になっているから。



「椿ちゃん顔真っ赤だよ。風邪ひいちゃった?」


 ちょっとからかってみると、椿ちゃんは余計に照れていた。かわいいなあ。


「うっ、うるさい。こっち見んなばか」


「でも、今日はあんまりわたしに近づかないほうがいいよ。うつしちゃったらイヤだし」


 ここだけは重要だ。もし椿ちゃんに風邪をうつっちゃったら大変だし。


「気にしないでってば。看病する。さくらの家の人にも、そう言ったし」



 家の人?


 どうやら、綾瀬さんが来ていたらしい。彼女がわたしを診察して、薬まで置いて行ったとか。椿ちゃんからわたしの様子を聞いて、薬を何種類か持ってきたんだろう。相変わらず準備のいい人だ。


 そういえば、制服に着替えたはずなのにいまわたしはネグリジェを着てる。綾瀬さんが着替えさせてくれたのかな? まっ、まさか椿ちゃんがっ!? ……いや、それはないよね。


「……あのさ、なにか言ってた? 綾瀬さん。わたしのこと」


 ないとは思うけど、いちおう訊いてみる。綾瀬さんの言葉で、椿ちゃんが余計に罪悪感を持ってる可能性も、ゼロではないし。


 でも、椿ちゃんは顔を横に振った。


「言ってなかったと思うけど……どうして?」

「深い意味はないよ。あの人、わたしの世話係だから、怒ってたかなあと思って」


 それから、わたしたちはちょっと話をした。


 わたしは何とかして、椿ちゃんの罪悪感を消したかったんだけど――



「ごっ、ごめんね。まだちょっと調子悪いみたい」



 我慢してたけど、限界みたい。わたしは椿ちゃんから顔をそらして、何度か咳をしてしまった。……うぅー、喉痛い。頭ガンガンする。


「気にしないでいいから」


 椿ちゃんが背中をさすってくれてる。その間だけは、痛みもだるさもやわらいで思えるんだから、わたしは自分で思ってる以上に単純みたい。


 わたしが落ち着いたあと、椿ちゃんはゆっくりベッドに寝かせてくれた。


「一度眠りなよ。寮のことは、私がやっておくから」

「うん。ありがとう……」


 椿ちゃんがやさしい。なんかちょっと泣きそう。……まあ、洗濯も朝ごはんの準備も終わってるから、あとは掃除くらいしかないけど。



「……じゃあ、えっと……私部屋にいるから。なにかあったら呼んで。声を出すのが辛かったら、ラインにメッセージとか、壁叩くとかでもいいからさ」

「はあい」



 思わずクスクス笑ってしまった。椿ちゃんが超やさしい。こんなにやさしい……ていうか、わたしを甘やかしてくれる椿ちゃんは幼稚園以来じゃないかな?



「じゃあ、おやすみ……」

「あっ、待って。一個だけいい?」


 椿ちゃんが腰を浮かしかけたので、わたしは慌てて声をかけた。


 あぶないあぶない、忘れるところだった。


「? なに?」

「ごめんね。部屋に鍵かけてて。もうつけないから」


 これをちゃんと言っておかなきゃ。だって椿ちゃん、さっきたぶん怒ってたもんね。


「べつに……もう気にしてないから、大丈夫」


 そう言った椿ちゃんは……うん、本当に気にしてないっぽい。許してくれたのかな? よかったあ。



「そっか。ならよかった」

「ん……じゃあ、おやすみ」

「うん。おやすみ、椿ちゃん」



 わたしはゆっくり目を瞑る。わたしの意識は荒れた波に乗って、鈍い微睡の中へと落ちていった――





 ――――



 ――――――――




「――くら? ――る?」


 あれ……? なんだろ? なんか、聞こえるような……


「さくら? 大丈夫……?」

「……んっ。椿ちゃん……?」


 聞こえてきた声に反射的に名前を呼び、うっすらと目を開ける。すると、椿ちゃんがわたしを覗き込んでいた。



「あっ、ごめん……起こしちゃった……?」

「うぅん、大丈夫。ちょっとまえに起きて、目を瞑ってただけだから。どうしたの? なにかあった?」


「べつに。てか、私もそれを訊きに来たんだけど……あの、大丈夫……?」


 やっぱり、椿ちゃんは心配そうに訊いてくれる。……ふへへっ、なんだかうれしいなあ。



「大丈夫だよ。ちょっと汗かいちゃったけど。それくらい」

「じゃあ、私体拭こうか?」



「ほんとっ? そうしてくれると、うれしいなあ……」


 熱が出てるからかな。汗かいて、ちょっと気持ち悪いし。それに……


 これなら、椿ちゃんにわたしの裸も見てもらえるしね! 合法的に!


 なんて言ったら、怒られるかなあ。いや、この状況じゃ、心配されちゃうかも。熱でおかしくなったのかとか言って。



「えっと……じゃあ、ちょっと待ってて」


 椿ちゃんはいったん部屋を出ていった。たぶん、洗面器にお湯を入れに行ったんだろう。


 それはそうと……ふへへっ。これから椿ちゃんに裸見られちゃうのかあ、ふへへぇっ!


 なんて思ってる間に、椿ちゃん、ご帰還。



「おかえりー」


 もちろんわたしは笑顔で出迎えた。


「……起きれる?」

「うん。なんとか」


 起き上がろうとすると……っ!


 倒れそうになっちゃう。けれどそれよりも早く、椿ちゃんが体を支えてくれた。


「大丈夫?」

「うん……」


 訊かれて、でも私は妙に恥ずかしくなっちゃった。だって、いまの椿ちゃんの言葉があまりにまっすぐっていうか、わたしを心配してくれてるんだってことが分かったから。だから……


「いつもすまないねえ、椿さん」


 誤魔化すために、ついとぼけたことを言ってしまう。


「それは言わない約束でしょ」


 でも、椿ちゃんは意外にも気の利いた返しをしてくれる。いつもはもっとそっけないのに。やっぱり、なんだか今日は、いつもよりもやさしい。


 うれしいような、気恥ずかしいような感じがして、ちょっと笑ってしまう。すると椿ちゃんも笑ってくれた。


「なんか、すごくテンプレなことしちゃったね」

「ん……てか、さくらがフルからでしょ」

「え~。ノリノリだったくせに」



 言いながらネグリジェを脱いだら、椿ちゃんにビックリされた。


「ちょっ、ちょっとさくら! なんで急に脱ぐのっ!?」

「なんでって……」


 あ、あれ?


「だって、体拭いてくれるって言うから。……あれ? 言ってたよね?」


 あれはわたしの幻聴だったのかな? さすがにそんなはずないよね。……まさか椿ちゃんも幻覚なんてことは……


 振り返ってみると……よかった、いた。


「うっ、うん、そうだった。ごめん」

「じゃあ……お願いできる?」

「う、うん……」


 わたしはネグリジェを胸に抱えるように持って、じっと待つ。


 今さらだけど、ちょっと恥ずかしくなってきちゃった。あれ、大丈夫だよね? 自慢じゃないけど、わたしスタイルはいい方だし。それにお肌のお手入れもムダ毛の処理も欠かしてないもん。……うん、だからだいじょ



「くちゅんっ」



 くしゃみしちゃった。やっぱりまだ調子悪いんだなあ。


 そのすぐあと、椿ちゃんはタオルをわたしの体に押し当てるようにして体を拭いてくれる。


「大丈夫? 痛くない?」

「うん。ちょうどいい感じ」


 強すぎず弱すぎず、心地のいい刺激だった。


「分かった」


 それから、椿ちゃんはおなじくらいの力加減で体を拭いてくれる。背中が終わったら腕、そして腋も……



「ひゃっ!?」


 今まで感じたことのない刺激に、変な声を出してしまった。そ、そうだ! すっかり忘れてた!


「どっ、どうしたの?」

「ご、ごめん。わたし腋が弱いから。そこはいいよ」


 さすがに恥ずかしくて、まともに椿ちゃんの顔を見れなかった。


「そ、そう……」


 それから妙に恥ずかしくなってしまう。きょっ、今日はこのくらいでいいかも。


「ありがとう椿ちゃん。ちょっとさっぱりした」


 言って、わたしはいそいそとネグリジェを着なおす。



「大丈夫? 寒くなってない?」

「大丈夫だよ。もう、心配性だなあ」


 やっぱり、今日の椿ちゃんはやさしい。いや、いつもやさしいけど、いつもより。


 こういうのって、やっぱりうれしいなあ。大切にされてるんだってことが、よく分かるから。



「あの……お腹、大丈夫?」


 椿ちゃんが訊いてくる。でも、お腹?


「? べつに冷えてないよ?」

「そうじゃなくて……!」


 すると、椿ちゃんは視線をあっちこっちにさまよわせて、


「お腹、すいてない……? もしよかったら、なにか作るけど……」


 あまりに予想外なことを言われて、わたしはちょっと間抜けな顔をしちゃったかもしれない。


「えぇっ!? 椿ちゃんが!? わたしに作ってくれるの!?」

「な、なにそれ……! 私だって簡単な料理くらい作れるんだからね!?」


 あ、ヤバい。椿ちゃん超怒ってる。


「ご、ごめんねっ? そういう意味じゃないの。ただビックリしちゃって……」


 どっ、どうしよう。とにかく誤解を解いて、機嫌直してもらわなきゃ!


「じゃあ……おかゆ作ってくれる? それなら、いまあるものだけて作れるから」

「……分かった」


 まだちょっと納得いかない顔をしてたけど、椿ちゃんは「ちょっと待ってて」と言って部屋を出た。




 でも、大丈夫かなあ? 椿ちゃん、そんなにお料理したことないだろうし、ケガとかしちゃったらどうしよう? 包丁で指切っちゃったり、火傷とかしちゃったら……ちょっと様子見に行ってみようかな? でもなあ、そうしたら「大人しく寝てて」って怒られそうだし。でも、椿ちゃんがケガしちゃうよりはましだよね。よしっ! ちょっと様子を……


 と、わたしがベッドに身を起こした時だった。椿ちゃんが帰ってきた。


「おかえり」


 ので、冷静を装って声をかける。


「ただいま。……寝てなくていいの?」


「うん。ちょっと気分がよくなってきたから」


 様子を見に行くところだった、とは言えずに誤魔化す。なんてタイミングだろう。危なかった。


「ならよかったけど……あの、いちおう作ってみた。卵おかゆってやつ」

「へえ。風邪にはいいって言うよね。ありがとう」


 とくには言わないと思うけど。でも卵は消化にいいし、間違ってはいないと思う。


「ま、まあね」


 椿ちゃんはベッドの上に卵おかゆを置く。……おいしそう。少なくとも見た目では、失敗した感じはない。


「わあ、おいしそうだね」


 素直な感想として言ってみたけど、椿ちゃんはなにも言わなかった。あれれ? どうしたんだろ? と思っていると、



「じゃあ、これ……食べて。その、無理しなくっていいから。食欲なかったり、おいしくなかったりしたら、残してね……」


 ちょっと早口で言って、逃げるように出ていこうとするので、わたしは慌ててその手を掴んだ。


「待ってっ」

「な、なにっ」


 どっ、どうしよう。わたしとしたことが、見切り発車をしてしまった。ただ、椿ちゃんをこのままいかせたら行けない気がして……


「あのね、お願いがあるんだけど……」

「う、うん……」


 考えながらしゃべっていたけど、唐突に思いついた。いつもなら絶対してくれないだろうけど、今日なら、もしかしたら……?



「食べさせて、ほしいな……」



「えっ」


「だからね、食べさせて」


 あれ、椿ちゃん固まってる? ま、まさか、引いちゃったとか……? やっぱりやめ……うぅん、ここまで来て後には引けない! 今日はとことん甘えちゃえ!


「わたしまだ本調子じゃないけど、椿ちゃんが食べさせてくれたら、全部食べられそうな気がするの」

「なにそれ……」

「ねえ、ダメかな?」


 なんか恥ずかしくなってきた。窺うように訊いてみると……



「……まあ、いいけど」



 答えてくれた。


 でも、まさか本当にしてくれるなんて……やっぱり、今日の椿ちゃんはいつもよりやさしいなあ。思わず笑っちゃう。だって、こんなにわたしを甘やかしてくれるなんて、本当に久しぶりだから。


「こ、今度はなに?」


「うぅん、べつに。ただ、椿ちゃんがこんなにわたしに優しくしてくれるのっていつ以来だろうなあって考えてたの」

「そんなの……いつもやさしいでしょ。私」

「うん。そうだね」


 わたしの答えを聞いた椿ちゃんは、自分から言い出したくせに照れていた。こういうところ、本当にかわいい子だ。



「もうっ。食べるんでしょ? ほらっ」


 と言って、椿ちゃんは本当におかゆを食べさせてくれた! しかもふーふーって冷ますオプション付き! きょおおおおおおおっ!!


 ……おっといけない。テンションが上がりすぎちゃった。今日いきすぎると死にかけないし、自重しよ。



 味は……



「おいしい……」



 それが素直な感想だった。


 素朴な……言ってしまえば、普通の味だ。でも……



「ホントにおいしい。わたし、こんなにおいしいもの、初めて食べた……」



 本当に、そう思った。


 これは、椿ちゃんがわたしの為に作ってくれたおかゆ。そう思うと、どんなに豪華な食事よりキラキラ輝いて見える。



 ……普段、椿ちゃんも、そう思ってくれてるのかな? そこだけ、ちょっと気になっちゃったけど……。



「普通でしょ? レシピ見て作っただけだし……」

「そんなことないよっ」


 また、椿ちゃんがひねくれたことを言う。本人は冗談半分かもしれないけど、わたしとしては聞き逃せない。ここだけはハッキリさせておかなきゃ!


「椿ちゃんがわたしの為に作ってくれたんだもん。おいしくないわけないじゃん。……だから、ありがとう」


「……べつに。いつもは私が作ってもらってるから……」


 まったく、この子はまだ言うか。しょうがないなあ……


「椿ちゃん。もう一口ちょうだい?」

「ん……」


 椿ちゃんはまた食べさせてくれる。言葉で言って分からないなら、行動で示すしかないよね。全部食べたら、椿ちゃんもきっと……


 何口か食べさせてもらって……でも……


 だめ、食欲が……。せっかく椿ちゃんが作ってくれたのに、全部食べたいのに……


 椿ちゃんが、わたしのために作ってくれた、初めての料理。食べられないなら、防腐処理して保管したい。


「さくら。そろそろ寝たほうがいいよ。ほら」


 言われて、わたしは内心ビックリした。椿ちゃんの言葉が、わたしの気持ちを見透かしたみたいだったから。


「う、うん……」


 なんか、今日の椿ちゃんはちょっと強引だ。まさか、わたしがこんな風に押し切られるなんて。


 いまなら、添い寝してって頼んだらしてくれるかな? ……いや、止めとこう。熱が上がりそうだし。でも……


 わたしが風邪をひくと、椿ちゃんはこんな風に甘やかしてくれるんだ。


 そう思うと、たまには風邪をひくのも悪くない、かも……って言ったら、怒られるよね、たぶん。


 代わりに、わたしはこう言うことにした。



「椿ちゃん、ありがとうね」

「え、なにが?」

「今日のこと」


 一つだけ、椿ちゃんに秘密にしてることがある。……いや、コレクションのことじゃなくて、べつのこと。



「じつはね、今日ちょっとだけ不安だったの。だから、すごくうれしかったし安心したんだ。椿ちゃんが傍にいてくれて」

「そ、そう……」


 あ、椿ちゃんが照れた。ホント、よく照れるかわいい子だ。


 そんな椿ちゃんを見ると、なんだかちょっと元気が出てくる。



「分かったから、一旦眠りなよ。病人は寝るのが仕事でしょ? ご飯もちょっと食べたし、綾瀬さんがくれた薬も飲んで」

「はあい」



 誤魔化すみたいに言った椿ちゃん。かわいい顔も見せてもらったし、ちょっと休もうかな。


 薬を飲んで、わたしは目を瞑る。



 さっきまでの体のだるさがウソのよう。わたしの意識は穏やかな波に乗って、微睡の中に落ちていった――




 翌朝、わたしはいつものように五時に目を覚ました。


 体のだるさはウソみたいに消えていて、のどの痛みも、耳鳴りもまったくしなかった。うん、風邪は治ったみたい。


 これも椿ちゃんが看病してくれたからかなあ……ふへへっ。


 昨日を思い出すと、どうしても頬が緩んでしまう。椿ちゃんがあんなにわたしを甘やかしてくれるなんて……ふへへへへぇっ!


 なんて、笑ってばかりいられない。熱も下がったし、今日は学園に行かなきゃ。今日も休むってなったら、椿ちゃんも休みかねないし。そうなったらさすがに困る。もちろん気持ちはうれしいけれど。



 さてと、制服に着替えて……あ、そうだ。天井の椿ちゃんプロマイドはがさなきゃ。


 ベッドの上に立って、慎重に、万が一にも破かないよう細心の注意を払ってはがす。よし、OK。これもクローゼットにしまっておこう。


 

 わたしは部屋を出て、いつものように朝の支度を始め……ようとして、気づく。椿ちゃんの部屋から、物音が聞こえる。


 あれ? もう起きてる? 椿ちゃんがベッドから起きるまで、わたしの体感では、あと一時間四十分二十八秒あるんだけど……


 気になる。確かめてみよう。ドアに耳を押し当ててみると、やっぱり物音が聞こえる。ま、まさか、もう着替えてるっ!? けしからん!


 音を立てないよう、ゆっくり、静かに、すこしだけドアを開ける。隙間から中の様子を見ると、



「っ!?」



 つ、椿ちゃんが着替えてるぅううううううううううううううううううううううううっっ!!??



 けしからん! わたしがのぞく前に着替えるなんて! ていうか、なんで私服! やっぱりわたしに気を遣って休む気!? そうはさせるか!



「おっはよう椿ちゃんっ! 今日は早起きだね!」


 もともと開けていたドアを勢いよく開くと、ちょっと大きめの音がなった。しまった、気をつけなきゃ。建付けが悪くなるから。



「あれ? 椿ちゃん私服に着替えるの? 今日平日だよ? まったく寝ぼけちゃって、かわいいぽふっ!?」


 言い終わるより早く、いつもみたいにまくらが飛んできたので、わたしはありがたくそれを顔に押し付けて匂いを嗅ぐ。楽しんだ後で、



「もう、ひどいよ椿ちゃん! わたし病み上がりなのにぃ!」

「うっさい! 病み上がりならもっと大人しくしてろ!」


 いつもみたいに怒る椿ちゃんだけど、不意にその顔に影が差す。あー、これは、病み上がりのわたしに攻撃したことを気にしてるっぽい。


「もう起きて大丈夫なの? あと一日休んだ方が……」

「うぅん、もう大丈夫」


 だからわたしは、椿ちゃんの言葉を遮って言う。


「あんまり休むと勉強も遅れちゃうから」


 正直、勉強はしなくてもできるけど。学生の言い訳って強いなあ。


 なんて思っていると、椿ちゃんは呆れた顔になった。ので、払拭しよう。


「ありがとね、椿ちゃん。わたしが元気になったのは、椿ちゃんのおかげだから」

「べつに……お礼なら、昨日も言われたし……」


 椿ちゃんが照れてる。ホント、よく照れる子だなあ。


「それでも、ありがとう」

「う、うん……じゃあ……どうも?」


 うむうむ、またまた照れておる。愛いやつよ。


 いいもの見れた。元気になってよかった。


 そして止めだ!



「お礼に今日はわたしが椿ちゃんの面倒を見てあげるから! 手始めにわたしが着替えさせてあげぷっ!?」



 今度はクッションが飛んでくる。……おぉう、新パターン。


 でも椿ちゃん、当たったら痛いものは絶対投げてこないんだよね。だからわたしも、安心してふざけられるわけで。そういうところも大好きだよ。



 ともかく――




 わたしの愛すべき日常は、どうやら無事に帰って来たみたいだ。

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