第18話 ちくっと罪悪感

 月曜日。その日は、いつもよりも早く起きてしまった。


 時計を見ると朝の六時。いつもより一時間はやい。また、一日が始まるみたい。


 どうしよう、起きようかな……。いや、まだ寝とこう。私は布団をかぶって、スマホをいじったり、枕元に置いてある本を読んだりする。そんなことをしている間に、一時間が経った。早いんだか遅いんだか、体感的にはいまいち分からない。



 私はベッドから降りて、いつものように着替えを始める。


 その間にも、ていうか、起きてからずっと、私の頭にはある光景が浮かんでいた。



 あのとき、雨の中、私のところに駆けつけてくれた、さくらの姿――



 それを思い出すとき、私の胸は火を灯したみたいに温かくなって、不意に口元が緩みそうになる。


 胸に点った火はあっという間に広がって、私の体全体をも熱くしていった……



 ――だめだめっ!



 なんだか、とてもいけないことを考えているような気がして、私は慌てて考えるのをやめようと……



「おっはよう椿ちゃん! 今日もいい朝だね!」

「うきゃあっ!?」



 突然部屋に入ってこられて、思わず変な声を出しちゃった。


 いつものことだし、予想してたはずなのに……なんでこのタイミングで……


「どうしたの? 大丈夫?」

「べっ、べつに。なんでもない……」

「そう? でも、なんか顔赤いよ?」


 そう言うと、さくらは部屋に入ってきた。


「なっ、なんで入ってくるのっ!?」

「なんでって……顔が赤いし、熱でもあるのかと思って……」

「いっ、いい! 大丈夫だから! いまこっち来ないでっ!」


 すると、さくらは足を止めてちょっと言葉に詰まっていた。あ、あれ……? やば、焦って言い方、ちょっと間違えたかも。と思ってたんだけど、


「そんなこと言われたって、放っておけないよ!」


 さくらはあっという間に私に近付いてきて、さらに顔まで近づけてきて……


「ちょ、ちょっと、なに……?」


 鼻先に、さくらの顔があった。


 私は反射的に顔を逸らそうとして、


「だめっ。ちゃんとこっち見て」


 さくらは私の顔を両手で挟んで、無理やり自分のほうを向かせた。



 ……やっぱりきれいだ。目鼻立ちもはっきりしてて、肌もきめ細やか。まつ毛もけぶるように長い。これでマスカラも着けまつげもつけてないんだよね。……やっぱりズルい。


 思わず見とれる。本当にきれいだから。おとぎ話のお姫様みたいに。こうしているだけで、私は自分が不思議の国にでも迷い込んだ気分になる。


 ドキドキした。漆黒の水晶みたいな瞳に吸い込まれそうになって、私は目が離せない。


 あれ……? なんか、さくらが近づいてくる? 私、ホントに吸い込まれそうになってるの……? いやいや、そんなはずない。


 あっ、違う。これ……私じゃなくって、さくらが……



「きゃっ!?」



 状況はまるで理解できていないけど、反射的に悲鳴を上げてしまう。


 体全体に衝撃が来た。でも、痛みはない。どころか、ちょっとふかふかしてて……


 そこまで考えて、私は自分がベッドに倒れているのだということに気づいた。


 あ、あれ? なんで……私いったい……っ!?


 そこで、私はようやく気づいた。さっきまでの私は、半分しか状況を理解してなかった。


 私が理解してなかったもう半分――



 さくらが、ベッドの上で私に覆いかぶさっていた。



「さっ、さくら……!?」


 私は慌ててさくらを引き離そうとする。けど、さくらは全然離れてくれなかった。



 えぇええっ!? こ、これどういうこと!? どうなってるのっ!? 私、さくらに押し倒されたってこと……!?



 そして今さらになって、また気づく。私は今、下着にブラウスを羽織っただけという格好だったことに。


「どっ、どーしたの急にっ!? あのこのその……っ! これあれ……さくらっ! ちょっ、ちょっと待って! 私まだ……」


 頭が真っ白になった。自分がなにを言っているのか、なにを言おうとしているのか、よく分からないままにとにかくしゃべる。そうしていないと、自分が起きていることを忘れそうなくらい、今の私は動揺しちゃってる。


 てゆーか、えっ? これって、そーゆーこと!? いま!? このタイミングで!?


「さくらのことがイヤってわけじゃないけど、こーゆーのは……はじめてはわたしっ……もっとちゃんと……」


 体が熱い。なんだか、沸騰しそうなくらい……! 私だけじゃなくて、さくらも……って、あれ……?



 さくらの体も熱いって思ってたけど……違う。さくらの体が熱いんだ……!


 それに気づいたとき、ようやく気づく。



 さくらが顔を真っ赤にして、苦しそうに、荒い息をしていたのを。



「さっ、さくら!? どうしたの!? だいじょう……っ!?」


 おでこに手をやって、思わず離す。思った以上に、熱くなっていたから。


 どうしよう!? これって救急車呼ぶべき!? でも、熱だけで救急車って来てくれるのかな!? ど、どうしよう!? どうすれば……



「……ごめ、んね……つばき、ちゃん……」



 それは、とてもちいさな声だった。普段のさくらからは考えられないくらいの、ちいさくて、苦しそうな声……


 今のさくらは、熱にうなされて、意識がもうろうとしてるんだ。そんな状況でも、私のことを考えて……


 これじゃあ、動揺してる私がバカみたいだ。とにかく落ち着かなきゃ。


 私は一度深呼吸をする。それから、さくらをベッドから起こすと同時に自分も起きる。


 さくらの腕を自分の肩に回して、さくらの部屋まで連れていこうとしたけど……そういえば、昨日は鍵かかってたよね。今日もかかってたらどうしよ……と思ったけど、幸いにも、鍵は開いていた。……本当に、外してくれたのかな? 気になるけど、いまはそれどころじゃない。


 さくらのことだから、かわいいぬいぐるみとか小物とか、そういうのがたくさんあるのかと思ったけど、そういうのはほとんどなかった。どっちかというと、機能性重視というか、あまり無駄なものがない。それでいて女子っぽいという、ちょっと不思議な部屋だ。


 さくらをベッドに寝かせ、私は寮の固定電話を使ってある番号にかけた。それは、緊急時にだけ掛けるように言われていた番号で、すこし余裕を取り戻したことで、私はようやく思い出した。


 相手はワンコール……というか、半コール? 一回目のコール音がなっている途中に出てくれた。


 なるべく落ち着いて、状況を説明する。うまく説明できたかは分からないけど、相手は「すぐに伺います」と言ってくれた。


 通話の後、私はとりあえず水枕を用意した。それからさくらのおでこの汗を拭いて、冷えピタを張る。……多分、これだけでも違うよね?


 その直後、私は自分の格好がアレなことに気づいた。正直、いまのさくらからはあまり目を離したくないんだけど、人も来るわけだし、半裸でいるわけにもいかない。私は一度自分の部屋に戻り、ブラウスを脱ぎ捨て、ワンピースだけを着た。


 すぐにさくらのところに戻ろうとしたけど、その直後、玄関のチャイムが鳴った。ドアを開けると、そこにはメイド服を着た二十半ばくらいの女性が立っていた。


 綾瀬さんというらしい女性は、さくらのお世話係で、私もまえに一度会ったことがある。医師免許も持っているから、彼女がさくらの診察をするんだとか。


 綾瀬さんの手際はじつによかった。さくらの口の中を見ただけで「風邪ですね」と言っていた。そんなに簡単に分かるものなのかなと思っていると、「こうした症状は何度も見ているので間違いありません」と言われた。


 ……顔に出ちゃってたのかな? 悪い癖と分かってはいるんだけど、なかなか直せない。でも、綾瀬さんは特に気分を悪くした様子もなく「インフルエンザなどではありませんのでご安心ください」と言っていた。



「伊集院様は学園へお向かい下さい。ひいさまの看病は私が致しますので」

「えっ」


 部屋を出てリビングへ行ったとき、突然そんなことを言われて、私は今日が平日だったことを思い出した。そうだ、今日は学園があるんだ。


 時計を見ると、たしかに、そろそろ寮を出なくちゃいけない時間だ。でも……


 私は思いもよらない滑稽話を聞いたみたいに、その場で呆けてしまった。


 そうだ、なんで気づかなかったんだろう。この人は、なにもさくらを診察にだけ来たんじゃない。看病しに来たんだ。


 この人はさくらの家の人で世話係、それに医師免許も持ってる。てことは、私は別にいる必要がなくなっちゃったんだ……



「あ、あのっ!」


 その言葉は、無意識のうちに出ていた。けど、私は自分がその次になんて言うのか、簡単に予想できた。


 その瞬間、私は世界をとても遠いものに感じた。綾瀬さんとはもう一人の私が話していて、私は離れた場所からそれを見ている、そんな感覚だった。



「さくらの看病、私がしてもいいですか……?」



 もう一人の私が言った。


「学園はどうされるのですか?」


「休みます」


 すると、綾瀬さんは一瞬黙って、それから言う。


「恐れ入りますが、それには及びません。看病は私にお任せください」


「で、でも……っ!」


「自分のせいで伊集院様が学園を休んだと分かれば、姫さまはきっと気に病まれます」


「そっ、それは……」


 たしかに、さくらは絶対気にする。気にしないでって言っても、気にするだろう。じゃあ……でも……


 私が答えられずにいると、


「なぜ」


 綾瀬さんがちいさく、平坦な声で言った。


「そこまで姫さまを気にされるのですか?」


 でも、私は言葉を返せないでいた。


 自分の気持ちが、自分でも分からなかったから。さくらが心配なのは本当だ。でも、さくらが風邪をひいたのは、私のせいだ。私を心配して、雨の中来てくれたんだから。



 私がさくらを看病したいのは、心配だからなのか、それとも、罪悪感からなのか……



「私のせいだからです」


 気持ちとは裏腹に、言葉はビックリするほどさらりと出てきた。


 それと同時に、私の胸には針が刺さったみたいに、ちくっとした痛みが来る。


「さくらが……いえ、さくらさんが風邪をひいたのは、私のせいだと思うので……」


 だけど、言葉はどんどん小さくなっていって、私は最後には綾瀬さんの顔を見ることもできなくなった。


 綾瀬さんはすぐには口を開かなかった。彼女はここに来てから、一度だって感情を表に出していないけど、私には、それが怖くて仕方がなかった。まるで、判決を待ってる罪人みたいな――



「分かりました」



 その言葉を聞いた瞬間、私は心臓が締め付けられたみたいになった。反射的に顔を上げたけど、やっぱり綾瀬さんは無表情だ。


「しかし、私はご当主様のご命令でここにいる身です。一存でのお返事はできかねます。恐れ入りますが、すこしお待ちいただけますか?」


 それから、綾瀬さんはリビングを出た。そして、すこしして帰ってくる。



「ご当主様と話しました。こう仰っておりました。『使用人より、友人に傍にいてもらった方がさくらも安心するだろう』と。伊集院様さえよろしければ、姫さまをよろしくお願いいたします」


 そう言われて、でも私はすぐに意味を理解できなかった。


「は、はい……」


 結局、絞り出せたのは、それだけ――。


 綾瀬さんは無感情に、「恐れ入ります」と言っただけだった。




 綾瀬さんを玄関まで見送る。そこで「学園へは連絡しましたか」と訊かれ、私はまだ連絡していなかったことを思い出した。


 私の反応で察したらしい。綾瀬さんは「では連絡はこちらから致します」と言う。


 今日は私も休むわけだし、ついでだから私がしますって言おうとしたんだけど……



「分かりました。よろしくお願いします」



 出てきたのは、全然違う言葉だった。一瞬ビックリして、誤魔化すみたいに頭を下げる。


 なんだか、さっきから変だ。ボーっとしているっていうのとも違う。なんだか、半分眠っているみたいな、変な気持ち……


 綾瀬さんはといえば、やっぱり無感情に「かしこまりました」と答えただけだった。





 部屋に戻ると、さくらはまだ眠っていた。相変わらず息が荒い。それに、ときどき呻き声まで上げている。……なにか、怖い夢でも見てるのかな?


 ……


 …………えっと、こういうのでも、ちょっとは違うんだっけ?



 さくらの布団の中に手を入れて、手を探して……掴んだ。



 すると、すこしして、さくらの息はほんの少しだけ穏やかになった……気がする。いや……やっぱり気のせいかも。分かんないや。でも……


 呻き声は、聞こえなくなった。よかった。



「……んっ」

「さくら?」



 声がしたから、起きたのかと思って話しかけてみる。でも、返事はなかった。いつもならすぐに返事してくれるのに。


 ちょっと身を乗り出して見ると、さくらは目を瞑っていた。寝てるみたい。



 拍子抜けして、すぐにまた座ろうとしたんだけど……どうしてだろう? 私はさくらから目を離すことができなかった。


 さくらのこんな姿、初めて見る。紅潮した顔で眠るさくらは、おとぎ話の眠り姫のように見える。そう、まるで毒リンゴを食べて、眠ってしまったお姫様……


 なんだか、さくらがさくらじゃないみたい。


 眠り姫……


 ふと思い浮かべた単語を反復して、私の視線は、いつの間にかある一点に吸い寄せられていた。


 さくらの唇。昨日帰ってきたとき、さくらは私のプレゼントをつけてくれていた。今はつけてない、のかな……?



「んん……っ」

「っ!!」



 私の体はビクンと跳ねた。勢いそのままに私は座りなおして、空いている方の手でなんとなく髪を整える。


 なんだか妙にビックリして、なにかは分からないけど、大きな音が聞こえてくる。反射的に胸に手をやると、それは自分の心臓と音だと分かった。うるさいくらいに脈打って、まるで私の胸まで傷つけているかのようだった。



「椿ちゃん……?」


 さくらに名前を呼ばれたのは、その直後だった。


「っ!」


 一瞬息を詰めて、なるべく冷静を装う。


「……さくら?」


「えへへぇ、つばきちゃんだー……」


 寝ぼけているのか、さくらはへらへら笑ってた。と思ったら、


「椿ちゃんっ!?」


 くわっ、と目を見開いて、がばっ、と起き上がった。


「きゃっ!?」


 突然のことだったので、驚いて悲鳴を上げてしまう。……な、なにっ?


 やっぱり寝ぼけてるのかな? と思っていると、なぜかさくらは安心したような顔をしてた。…………私を見て安心した、とかじゃない、よね……?


「だ、大丈夫? まだ寝てなよ。すごい熱だからさ」


 とりあえず寝かしつけようとすると、さくらは「熱?」と首を傾げていた。


「うん。覚えてない? 私の部屋で倒れちゃったの」


 すると、さくらは記憶を探るみたいに左を見ていた。でも結局、首を横に振る。


「ごめんね、よく覚えてないの。椿ちゃんを起こしに行ったところまでは、なんとなく覚えてるんだけど……」


「そ、そう……」


 てことは、私を押し倒したことは覚えてないのか。……いや、まあいいんだけど。熱があったわけだし。でもなあ……


 釈然としないままでいると、さくらは大人しくベッドに横になる。うん、そう。そうやって大人しくしててほしい。なんて思っていたら、



「っ!?」



 さくらの顔が、急に青ざめた。


「さ、さくら!? どうしたの!? どこか苦しいの!?」


 私は慌てた。どうしたらいいのか分からず、握ったままだった手に力を込めて、それからさくらの顔を覗き込む。


「う、うぅん、大丈夫」


 答えたさくらの顔色は、たしかにさっきよりはよくなってる。なんだろ? さっきのは、一瞬だけ波が来たのかな? とりあえず、取り繕ってるって感じではなさそう。いちおう、あとでエチケット袋だけ用意しとこう。



「ご、ごめんね、椿ちゃん。迷惑かけちゃって」


 さくらがバツが悪そうに言う。


「わたしのことなら気にしないで。もう学校行かないと、遅刻しちゃうよ?」


「大丈夫。私、今日休むことにしたから」


「えぇっ!? なんで!? ダメだよそんなの!」


 大きな声を出したからか、さくらはちょっと苦しそうにしてた。


「ちょっと、そんな大声出しちゃダメ。大人しくして」


「ごめん……」


 さくらは一度深呼吸をしてから、


「でも、どうして? もしかして、椿ちゃんも具合悪いの?」


「そういうわけじゃないけど……だって、ほっとけないでしょ? それに……」


 そこで、言葉に詰まってしまう。言う言葉は決まってるけど、なんだか、言うのがちょっと怖かったから。


「たぶん、私のせいでしょ? さくらが風邪ひいたのって……」

「違うよっ!」


 さくらは私の言葉を遮るように言って、また起き上がった。


「ちょ、ちょっとさくら……だから寝てなきゃ……」

「椿ちゃんはなにも悪くないよ! これは、わたしが自分の体調管理ができてなかっただけ!」

「で、でも……」



「わたしは椿ちゃんのせいだなんて思ってないから、椿ちゃんにも自分を責めてほしくないの。そっちの方が悲しいもん」


 そう言ったさくらの表情は、本当に悲しそうで、見ていると私まで悲しくなってきた。


 と、不意に、さくらの表情が緩む。


「だから、ね? 椿ちゃんは悪くないよ。椿ちゃんも言ってみて。自分は悪くないって」

「もっ、もういい……分かったから……」


 こんなときでも、私をまっすぐに見て、冗談みたいなことを言うさくら。でも、それは冗談なんかじゃない。心からの言葉だってことは、顔を見れば分かって……。なんだか照れ臭くなって、私は顔をそらした。



「椿ちゃん顔真っ赤だよ。風邪ひいちゃった?」

「うっ、うるさい。こっち見んなばか」


 そんな私を見て、さくらはおかしそうに、ちょっと笑った。それから、妙に真面目な声で続ける。


「でも、今日はあんまりわたしに近づかないほうがいいよ。うつしちゃったらイヤだし」

「気にしないでってば。看病する。さくらの家の人にも、そう言ったし」


 すると、さくらはちょっと驚いたような顔をした。


「え? だれか来たの?」


「うん。綾瀬さんって人。さくらが急に倒れたからビックリしちゃって、もしもの時にかけるようにって番号にかけたらその人が来て診てくれたの。薬ももらったから。……ダメだった?」


「うぅん、そんなことない。ありがとう……あのさ、なにか言ってた? 綾瀬さん。わたしのこと」


「言ってなかったと思うけど……どうして?」


「深い意味はないよ。あの人、わたしの世話係だから、怒ってたかなあと思って」


 そんな感じはしなかった。ていうか、終始無表情だったから、なにを考えてるのかまるで分からなかった。


 そう言うと、さくらはまたちょっと笑った。


「うちで働いてる人は、みんなあんな感じだよ。感情を全然顔に出さないの……みんな椿ちゃんみたいに分かりやすかったらいいのに」


「えっ」


 急にそんなことを言われて、私は言葉に詰まった。


「やっぱり、そうかな? そんなに分かりやすい?」


 さっき、綾瀬さんと話してるときにも自覚しただけに、ちょっと気になってしまう。するとさくらはいたずらっぽく笑って、


「ちょこっとだけね」


 と言った。


「いまだって、わたしが風邪ひいたことに罪悪感あるままでしょ? 気にしないでって言ってるのに」


「そんなこと言われたって……」


 さっきよりは気分が軽くなったのは本当だ。でも、それで完全に罪悪感を消すのはムリ。だって、雨に濡れて体が冷えたのは事実だから。


 それに、私が感じてる罪悪感は、それだけじゃ――


「もう、しょうがないなっ」


 言い終わるより前に、さくらは私から顔を背けて何度か咳をした。


「ごっ、ごめんね。まだちょっと調子悪いみたい」


「気にしないで」


 背中をさすってやって、さくらが落ち着いたら、ゆっくりベッドに寝かせる。


「一度眠れば? 寮のことは、私がやっておくから」


「うん。ありがとう……」


 ここで、私は黙ってしまった。いや、もう部屋から出ていくだけでいいんだけど、私はまだ、さくらの手を握ったままだったから。


 …………


「……じゃあ、えっと……私部屋にいるから。なにかあったら呼んで。声を出すのが辛かったら、ラインにメッセージとか、壁叩くとかでもいいからさ」

「はあい」


 なにがおかしいのか、さくらはへらへら笑っている。変なやつ。


「じゃあ、おやすみ……」

「あっ、待って。一個だけいい?」

「? なに?」


 すると、さくらはちょっと申し訳なさそうに眉をハの字にして、


「ごめんね。部屋に鍵かけてて。もうつけないから」

「べつに……もう気にしてないから、大丈夫」


 なんで急にそんなこと言うんだろ? やっぱり、熱で頭がボーとしてるのかな?


「そっか。ならよかった」

「ん……じゃあ、おやすみ」

「うん。おやすみ、椿ちゃん」



 さくらが目を瞑る。待つほどもなく、寝息が聞こえてくる。だから私は、そっと手を離して。


 私は物音をたてないように気をつけながら、静かに部屋を出た。




 寮のことはやっておくからとは言ったけど、洗濯も朝食の準備ももう終わっていたから、私がやることといえば朝食の後片づけをするくらいだった。さくらの分も用意はあったので、そっちにはラップをかけて冷蔵庫に入れておく。


 片づけを終えた後、掃除をしようかと思ったけど、止めた。さくらが寝てるわけだし、物音立てるのもアレだと思うから。


 だから私は部屋に戻って勉強を始めた……んだけど、なかなか思うように進まない。やっぱり難しいな、白鳥峰の勉強って。


 ノートや授業でもらったプリントだけじゃなくて、参考書なんかも引っ張り出して、私は勉強を続ける。


 そんなことをしてる間に、時間は午後の十二時を回っていた。お昼になって、ちょっとお腹が空いてきた。ずっと頭を使っていたからか、甘いものを食べたい気もする。


 でも、まずは……着信音はなかったけど、一応スマホを確認する。葵ちゃんと御郭良さんから、心配するメッセージが届いていた。時間を見るとかなり前。私がまださくらの部屋にいたときだ。無視してるみたいになるのもイヤだし、返信しなきゃ。二人には「大丈夫だよ。ありがとう」と返して、一応さくらからのメッセージがないかもチェックする。……ない。


 大丈夫かな? メッセージを打てないほど辛いってこと? でも、壁を叩いてもいいって言ったけど、それもしてこないし……まだ寝てるんだろうか? ならいいけど、起きているなら食欲が出てるかもしれない。ないにしても、ちょっとくらいお腹に入れたほうがいいだろうし。ちょっと、ちょっとだけ、様子を見てみよう。



 さくらの部屋まで行って、ちょっと考えてから、ちいさめの声を出してみる。


「さ、さくら? 起きてる?」


 でも返事はなかった。まだ寝てるのかな? で、でも、返事ができないだけかもしれないし。それに……そう! そろそろ冷えピタ変えた方がいいだろうし、汗も拭かなきゃ、体が冷えて余計悪くなるかもだし。


 なぜか言い訳をしてから、私はさくらの部屋に入る。


「さくら? 大丈夫……?」


「……んっ。椿ちゃん……?」


 覗き込むみたいにして顔を見ると、うっすらと目を開けたさくらと目が合った。


「あっ、ごめん……起こしちゃった……?」


「うぅん、大丈夫。ちょっとまえに起きて、目を瞑ってただけだから。どうしたの? なにかあった?」


「べつに。てか、私もそれを訊きに来たんだけど……」


 さっきよりは、よくなってる……? 一度寝たからかな?


「あの、大丈夫……?」


 それでも訊いてみる。……いや、だって気になるし。こういうのは心象じゃなくて、本人の口からきかなきゃ。


「大丈夫だよ。ちょっと汗かいちゃったけど。それくらい」

「じゃあ、私体拭こうか?」


 なんか、すごく自然にそう言ってしまった。けど……


 あ、あれ? いま一瞬、変な考えになったような……? これべつに、変なことじゃないよね? だって、さくらは風邪ひいてるんだし。お風呂もシャワーも無理だろうから、体拭かないとだし。なんて、なぜかまた言い訳をしていると、


「ほんとっ? そうしてくれると、うれしいなあ……」


 茶化したりもせず、さくらはそう言った。多分、汗をかいて気持ち悪いんだ。私は一瞬出てきた変な考えを霧散させる。今さくらは苦しんでるんだ。綾瀬さんにも「自分が看病する」って言ったんだから、もっとしっかりしなきゃ!


「えっと……じゃあ、ちょっと待ってて」


 言いおいて、私は一度部屋を出て、お風呂場へ行って洗面器にお湯を入れる。それからタオルも持ってさくらの部屋へと戻った。



「おかえりー」


 出迎えてくれたさくらは、なぜか笑っていた。


「……起きれる?」

「うん。なんとか」


 さくらがふらふらと起き上がろうとしたので支えると……その体は、やっぱりいつもより熱かった。いや、いつもよりっていうか……まえに手をつないだときより。


「大丈夫?」

「うん……いつもすまないねえ、椿さん」

「それは言わない約束でしょ」


 それから二人で顔を見合わせて、なんとなく笑った。


「なんか、すごくテンプレなことしちゃったね」

「ん……てか、さくらがフルからでしょ」

「え~。ノリノリだったくせに」


 なんて言いながら、さくらが急に寝間着を脱いだので私はビックリした。


「ちょっ、ちょっと! なんで急に脱ぐのっ!?」

「なんでって……」


 すると、さくらはなぜかキョトンとしてた。


「だって、体拭いてくれるって言うから。……あれ? 言ってたよね?」


 ちょっと振り返って言ってきたので、私は慌てて目をそらした。


「うっ、うん、そうだった。ごめん」


 忘れちゃってた。あ、いや、覚えてたんだけど、さくらが急に脱ぐから……


「じゃあ……お願いできる?」


「う、うん……」


 答えて、私はなるべくさくらを見ないよう、タオルを洗面器に沈めて、そのあとでお湯を絞る。でも……


 体を拭くときは、どうしたって、直接見ないとだよね……



 一瞬、なにも考えられなくなった。



 白い体は、熱のせいかわずかに火照っていて、汗のしずくが滴っている。けど、とても細くてしなやかで、きれいな……


「くちゅんっ」


 いきなり現実に、縄で引っ張られるようにして引き戻された。それがさくらのくしゃみだということを認識すると同時に、勝手に体が動いた。タオルをさくらの体に抑えて前後に動かす。


「大丈夫? 痛くない?」

「うん。ちょうどいい感じ」

「分かった」


 それから、背中全体を、なるべくタオルをこすらないようにして拭いていく。でも……


 やっぱり見入る。こんな時に不謹慎なのは分かってるけど、さくらはきれいだ。華奢な体は、こうして拭いているだけでも、力を籠めれば折れてしまいそう。ていうか、こいつ腰も細いな。胸も大きいのに腰も細いとか。ちょっとズルい。……ウエスト、いくつなんだろ? たしか私が六十……いや、私の話は止めよう。悲しくなるから。


 背中の後は、一度タオルをゆすいで、そのあとで腕を拭いて、腋も拭く……


「ひゃっ!?」


 そこで、さくらが悲鳴を上げたので、私もちょっと声を上げてしまう。


「どっ、どうしたの?」


 訊くと、さくらは恥ずかしそうに笑っていた。


「ご、ごめん。わたし腋が弱いから。そこはいいよ」

「そ、そう……」


 へー、そっか。腋、弱いんだ。……いや、だからどうってわけじゃないけど。それだけ。いちおう覚えとこ。


 ていうか、腋は大丈夫ってことは、あとは……まえ、も……? いやいや、それはさすがに、アレだよね。いや、でもさくらのことだしあるいは


「ありがとう椿ちゃん。ちょっとさっぱりした」

「あ、うん」


 さくらは寝間着を着なおしてる。



 ……大丈夫らしい。まあ……うん。さっぱりしたなら、よかった。いや……なんでガッカリしてるんだ私。


「大丈夫? 寒くなってない?」


 私は誤魔化すみたいに訊く。


「大丈夫だよ。もう、心配性だなあ」


 さくらはちょっと笑う。……気のせいかな? ちょっとうれしそう。


 私はといえば……どうしよう? そもそもなにしに来たんだっけ? そう、さくらの様子を見に来たんだ。でもそれは済んだし、体も拭いたから、えっと……



「あの……お腹、大丈夫?」

「? べつに冷えてないよ?」

「そうじゃなくて……!」



 さくらが予想外のことを言い出したので、私は妙にヤキモキした気持ちになった。


「お腹、すいてない……? もしよかったら、なにか作るけど……」


 すると、さくらはキョトンとした顔になる。え、なんだろうこの反応……


「えぇっ!? 椿ちゃんが!? わたしに作ってくれるの!?」

「な、なにそれ……! 私だって簡単な料理くらい作れるんだからね!?」


 レシピ見ながら慎重に作れば……多分。……ていうか、なんて失礼なやつ!


「ご、ごめんねっ? そういう意味じゃないの。ただビックリしちゃって……」


 さくらはちょっと焦ったように言ってから、


「じゃあ……おかゆ作ってくれる? それなら、いまあるものだけて作れるから」

「……分かった」


 微妙に納得いかないけど、一旦いいや。こうなったら、吠え面かかせてやるから。


 私はちょっと待っててと言って部屋を出た。




 さて、まずはレシピを調べなきゃ。


 だって家にいたときは、食事は専属の料理人さんが作ってくれてたから。料理はまともにしたことがない。


 なので、まずはスマホを使ってレシピを調べる。


 調べてみると、「卵おかゆ」というのを見つけたので、それを作ってみることにする。



 まず、鍋に水とご飯を入れて火をつける。この隙に青ネギを切っておく、といいらしい。


 なんか、包丁持つのって緊張する。手を切らないよう気をつけなくっちゃ。一回ずつ、ゆっくり切ろう。……って、なんだろこの音?


「わっ!?」


 見て、私は鍋が沸騰していることに初めて気づいた。それだけじゃない。吹きこぼれちゃってる! 私は慌てて火を止め……じゃない、弱火にするんだった……!



 ネギを切りつつ、水気がなくなったかどうかを確認。水気がなくなったら、今度は卵を溶いて入れて、ご飯と混ぜたら火を止めて蒸らす。


 蒸らし終わったら、鍋からすくって器に移す。その上から切った青ネギをかけて……



「よしっ!」



 出来上がったおかゆを見て、私はちょっと得意げな気分に浸る。どうだ、私だってやればできるんだから!


 あっ、そうだ。吹きこぼれたところ、ちゃんと掃除しなきゃ。いや、でもおかゆ……。迷った挙句、私はクッキングシートで簡単に掃除をした。あとでまたちゃんとするとして、まずはさくらに食べてもらおう。




 部屋に戻ると、さくらが笑顔で出迎えてくれる。寝ていると思ったら、ベッドの上に身を起こしていた。


「おかえり」


「ただいま。……寝てなくていいの?」


「うん。ちょっと気分がよくなってきたから」


「ならよかったけど……あの、いちおう作ってみた。卵おかゆってやつ」


 すると、さくらは「へえ」と言った。


「風邪にはいいって言うよね。ありがとう」


 そうだったんだ。食べやすいものとか消化にいいもので調べたから、それは知らなかった。


「ま、まあね」


 誤魔化すみたいに答えて、私はベッドの上に卵おかゆを置いて、さくらの近くに座る。


「わあ、おいしそうだね」


 なんて、さくらは言ってくれたけど……


 なんだか、いまになって緊張してきた。ちゃんとできた……つもりだけど、もし失敗しちゃってたり、おいしくなかったら……


 だ、ダメ! とても見ていられそうにない……!


「じゃあ、これ……食べて。その、無理しなくっていいから。食欲なかったり、おいしくなかったりしたら、残してね……」


 ちょっと片言になりつつ、私は逃げるように部屋から出ていこうとする。けど、


「待ってっ」


 さくらにその手を掴まれた。


「な、なにっ」


 いきなりだったので、ちょっと声が上ずってしまう。


「あのね、お願いがあるんだけど……」

「う、うん……」


 珍しく、さくらが口ごもっている? それに、顔も赤くなってる……いや、これは熱のせいかな……?


 どっちだろう……? 判断がつかないまま、さくらがゆっくりと続けてくる。



「食べさせて、ほしいな……」



「えっ」


「だからね、食べさせて」


 予想外の言葉に固まっていると、さくらはいつもと同じような笑みを浮かべていた。


「わたしまだ本調子じゃないけど、椿ちゃんが食べさせてくれたら、全部食べられそうな気がするの」

「なにそれ……」


 こんなときまで、よく分からないことを言うやつだ。


「ねえ、ダメかな?」


 さくらが、珍しく阿るみたいに訊いてくる。


 熱があるわけだし。一人じゃ食べにくいよね。それに……そう、こぼしたら大変だし。


「……まあ、いいけど」


 そう答えると、なぜかさくらは笑っていた。さっきとおんなじように。


「こ、今度はなに?」


「うぅん、べつに。ただ、椿ちゃんがこんなにわたしに優しくしてくれるのっていつ以来だろうなあって考えてたの」

「そんなの……いつもやさしいでしょ。私」

「うん。そうだね」


 ボケたつもりだったのにあっさり同意された。なんか、ちょっと……いや、かなり恥ずかしい。



「もうっ。食べるんでしょ? ほらっ」


 レンゲでおかゆをすくう。……どうしよう? 冷ました方がいいかな? いや、蒸らしてあるから大丈夫? まあ、いちおうやっとこ。


 私は息を何度か吹きかけて、おかゆを覚ましてからさくらの口元へもっていく。


 さくらは垂れてきた長い黒髪を抑えつつ、ぱくっと食べた。躊躇なく。いや、いいんだけど……


 ど、どうだろう……? ちゃんとレシピ通り作ったんだけど、おいしくできてるかな? なんかめっちゃ緊張する。こんなことなら味見しとくんだった。



 とても長い時間だった。私の周りでだけ重力が増したみたいになって、私はうつむいたまま、まるで身動きが取れなくなってしまう。実際にはほんの数秒だったかもしれないけど、私には何十時間にも感じられた。


 やがて、さくらがゆっくりと口を開く。



「おいしい……」



 と、それだけ。でも、私の心はウソみたいに軽くなった。増していた重力はあっさり消えて、気づけば私は顔を上げていた。


 さくらと目が合う。いつもの、ちょっとふざけた笑いとは違う、自然な、とても柔らかい笑みのさくらと。



「ホントにおいしい。わたし、こんなにおいしいもの、初めて食べた……」



 普通なら、お世辞に決まってると思うような、大げさな言葉。でも……どうしてだろう? 私には、それがお世辞なんかじゃなく本心だと確信できた。


「普通でしょ? レシピ見て作っただけだし……」


 でも私は素直になれなくて、そんなことしか言えない。


「そんなことないよっ」


 急に言われて、私はちょっとビックリした。いや、言われたからじゃない。さくらが、私の手を握ってきたから。


「椿ちゃんがわたしの為に作ってくれて、食べさせてくれたんだもん。おいしくないわけないじゃん。……だから、ありがとう」


「……べつに。いつもは私が作ってもらってるから……」


 やっぱり、どうしても言い訳するみたいになってしまう。でも、さっきまでの罪悪感は、ちょっと落ち着いたみたい。


「椿ちゃん。もう一口ちょうだい?」

「ん……」


 レンゲですくって食べさせる。さくらはゆっくりと食べていた。そのあとも、何口か食べさせる。


 ちらっと見ると、さくらと目が合う。するとなにも言わずに笑いかけてきたので、私もつられて笑い返す。


 無理して食べてるって感じはしないけど……それでも、無理、してるんだろうなあ。熱が四十度近くあったのに、急に食欲が出るはずないし。


 無理させて悪化してもイヤだし、そろそろ寝かせたほうがいいかも。


「さくら。そろそろ寝たほうがいいよ。ほら」


「う、うん……」


 さくらはまだおかゆに未練があるっぽかったけど、結局横になった。




 それから少しして、


「椿ちゃん、ありがとうね」


 急にさくらが言った。


「え、なにが?」

「今日のこと」


 そう言ってから、本当に珍しく、さくらはちょっとうつむいた。


「じつはね、今日ちょっとだけ不安だったの。だから、すごくうれしかったし安心したんだ。椿ちゃんが傍にいてくれて」

「そ、そう……」


 でも、言葉を続けたときには、私をしっかり見ていた。


 いつものようなまっすぐな言葉に、私はすぐに言葉を返せない。


 本当に、さくらはいつもこうだ。私を照れさせて遊んでるんじゃないかって、疑いたくなる。


 だから私は、誤魔化すみたいに言う。



「分かったから、一旦眠りなよ。病人は寝るのが仕事でしょ? ご飯もちょっと食べたし、綾瀬さんがくれた薬も飲んで」

「はあい」



 今度は間の抜けた笑顔を見せたと思うと、薬を飲んで、おとなしく目を瞑るさくら。



「おやすみ、さくら」



 静かに声をかける。でも、声は返ってこなかった。


 代わりに、ちいさな寝息が聞こえてくる。



 ちくっとした罪悪感は、いつの間にかなくなっていた。





 つぎの日、私はいつもより早くに目を覚ました。


 朝五時過ぎ。いつもさくらはこのくらいの時間に起きるらしいから。いつもなら寝てる時間だけど、さくらが心配だ。ちょっと様子を見てみよう。


 今日は学園はどうしようかな? 二日も休んだら、さくらも気にするかも……。ま、いいや、いちおう休むつもりで、部屋着に着替えておこう。私は寝間着を脱いで――



「おっはよう椿ちゃんっ! 今日も今日とていい朝だねっ!」



 バァン! と音がつきそうなくらい勢いよくドアが開かれ、やつが現れた。


 いつもと違う時間なのに、なんでこのタイミングで……!?


「あれ? 椿ちゃん私服に着替えるの? 今日平日だよ? まったく寝ぼけちゃって、かわいいぽふっ!?」


 侵入者……さくらは、私が投げつけた枕を生意気にもキャッチした。


「もう、ひどいよ椿ちゃん! わたし病み上がりなのにぃ!」

「うるさい! 病み上がりならもっと大人しくしてて!」


 えへへと笑うさくらは、無理をしてるわけではなさそう。本当に元気になったみたいだ。ていうか、ついいつもの癖で枕投げちゃったけど……


「もう起きて大丈夫なの? あと一日休んだ方が……」

「うぅん、もう大丈夫」


 私の声を遮るみたいにして、さくらが言った。


「あんまり休むと勉強も遅れちゃうから」


 余裕でついていけてるくせに、そういうこと言うか。


 私が呆れていると、


「ありがとね、椿ちゃん」


 急にお礼を言われた。


「わたしが元気になったのは、椿ちゃんのおかげだよ」

「べつに……お礼なら、昨日も言われたし……」


「それでも、ありがとう」


 さっきまでのテンションはどこへやら、さくらは真面目な声で続けてきた。


「う、うん……じゃあ……どうも?」


 おかげで、私もちょっとつられてしまう。けど……



「お礼に今日はわたしが椿ちゃんの面倒を見てあげるから! 手始めにわたしが着替えさせてあげぷっ!?」



 襲い掛かってきたのでクッションを投げつける。




 どうやら、いつもの日常が帰って来たらしかった。

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