第14話 伊集院椿のある長い一日①
――ねえ、つばきちゃん。
さくらが言った。でも、今のさくらじゃない。これは……十年くらい前のさくらだ。
――辛いときとか悲しいときは、ここに来てね。そうしたら、わたしは必ず、すぐに駆けつけるから。
そう言って、さくらは私をまっすぐに見て、笑いかけてくれた。でも……
そのときの私は、うまく笑うことができなかった――
ぱっちりと目を覚ますと、見慣れた天井が目に入った。
時計を見ると午前八時。普段なら、もう寮を出なきゃいけない時間だけど、今日は休日だから問題ない。
何分かスマホをいじってみたけど、いつまでも寝てられない。仕方ない、そろそろ起きるか。
私はもぞもぞと寝間着から部屋着に着替え始める。そういえば、休日はこのくらいの時間に私を起こしに来ることもあるっけ。今日は来るかな、と思ったんだけど……
来ないな……
ちょっと待ってみたけど、さくらは入ってこなかった。
……いや、待ってみたけどってなんだ。これじゃ私が、さくらに着替えを見られることを期待してるみたいじゃないか。
部屋を出ると、私はすぐに異変に気づいた。
寮に……というか家に人気がない。だれかがいれば、なにかしら物音がするものだ。足音なんかもそうだけど、テレビの音なんかも。でも、今はなんの音も聞こえない。
まさかと思うけど、さくらもまだ寝てるのかな? それなら、たまには私がご飯を作ろうか。私だって、簡単なものくらいなら作れる。……多分。
「さくら? いる? まだ寝てるの?」
声をかけて、控えめにノックもしてみる。でも返事はなかった。
「さくら、いないの? 入るよ?」
言って、ノブを回す。いや、回そうとしたんだけど、回らなかった。なんか、鍵がかかってるみたい。
……ていうか、え? マジかあいつ。私の部屋にはズカズカ入ってくるくせに、自分の部屋には鍵かけてるの?
なんか……なんだろう? いま、ちょっとチクッとした。私、信用されてないってことかな……?
まあ、一旦いいや。とりあえずリビングも確認してみよう。私は階段を下りてリビングへ行ってみる。でも……
そこにも、さくらはいなかった。
もちろんテレビもついていないから、静かなものだ。それだけじゃなくて、いつもよりリビングが暗く思えるのは気のせいだろうか。
ひょっとしてどこかに隠れてるのかと思って、私はリビングをぐるりと見まわす。その過程で、私はあることに気づいた。
テーブルの上に、なにかが置かれている。見ると、それは書置きと、ラップに包まれた朝食だった。
書置きに書かれていたのは、急に家の用事が入って出なきゃいけなくなったこと、朝も早いし起こさずに行くこと、朝ご飯はチンして食べて、時間がなくて簡単なものしか作れなくてごめん……ということが書かれていた。
そっか。ま、家の用事じゃしょうがないよね……うん。
……ていうか、字、うまいな。
私は朝ごはん――目玉焼きとウィンナーを温めて、冷蔵庫からサラダを出す。それからトーストを一枚焼いて、そこに目玉焼きを乗せて食べた。
目玉焼きはいつもの通り半熟だ。……うん、おいしい。
時間がないと書いてあったけど、味はいつも通り。すごく私好みのものだ。それに……
それを見たとき、私はちょっと笑ってしまった。
ウインナーは、ただ焼いただけじゃなくて、ある形に切られていた。一つはうさぎ、そしてもう一つは亀だ。……かわいい。写メ撮っとこ。
きっと時間のない中で、私のために作ってくれたんだ。そう考えると、さっき感じたチクッは消えて、ちょっと体温も上がった気がした。
妙に自慢したくなって、私はその写メを私たちと葵ちゃんたちとで作ったグループラインにあげてみる。
まずは葵ちゃんの既読がついた。「かわいいね! でもちょっと食べにくいかも……」とのコメント。つぎについたのは御郭良さん。「なかなかやるじゃありませんの! まあ、葵の方がうまくできますけれど! おーーっほっほっほっほっほっほっ!!」。
SNSでも元気な人だ。ていうか、この「おーっほっほっほっほっほっほっ」ってわざわざ打ち込んでるのか。想像するとちょっとおもしろい。……ユーザー辞書で一回で簡単にできるようにしてるのかな?
二人からはすぐに返事が来たけど……
来ないな……
肝心のさくらからは、いくら待っても既読がつかない。
結局、朝食を終えても、さくらの既読はつかなかった。
片づけを終えた私は、なんとなく部屋に戻る気もせず、ソファーに寝転がってスマホをいじったり、テレビを見たり、共有の本棚においてあるファッション誌を読んだりしたけど、どれも身に入らない。
自分の好きな番組ならどうだろう? テレビ欄を見る。地上波ではなくて、光テレビだ。すると、ちょうど好きなドラマをやっていた。
見た目は編み物を趣味にしていそうな老婦人が、鋭い観察眼と推理力で難事件を解決する。
人間関係やストーリーだけじゃなく、私はこの映像も好きだ。ヴィクトリア王朝期のきれいな街並み、お城のような豪華な家、おしゃれなティーカップ。一度でいいから、こういう場所でお茶をしてみたい。
きれいなイギリス英語で、耳も心地いい。まさに〝クイーンズ・イングリッシュ〟だ。……私はこんなにうまくしゃべれないから、うらやましい。でも……
ダメだ。やっぱり身に入らない。何度か見たやつだから内容は頭に入ってるけど、それを差し引いても、なんだか落ち着かない。
ため息を一つついて、テレビを消す。
しょうがない……。このまま寮にいても仕方ないし、気晴らしにウィンドウショッピングでもするか。
部屋に戻って、着替えをする。どうしよう、なに着ようかな? この間買ったワンピースにしようか。でも、このスカートも穿いたことないんだよね。……まあ、なんでもいっか。どうせ一人だし。
結局、ピンク色のバルーンスリーブブラウスに、さっきの裾がふわふわしたグレーのプリーツミニスカートを合わせることにした。どっちも着るの初めてだ。ブラウスは花小柄の総レースが気に入ったから買った。スカートはブラウスに合うと思って買ったんだけど、結局そのまま着ていなかった。
姿見で自分の姿を確認する。……うん、変じゃない、よね……多分。
うわっ、やっぱり短いなこのスカート。べつに見えてるわけじゃないけど……なんだか落ち着かなくて裾をいじってしまう。制服のときもそうだけど、ミニスカって穿くとすごくドキドキする。
……てか、マジで見えそう。たしか着丈が30cmなんだよね。調子に乗ってなぜかインナーなしを買っちゃったけど、ありにしとけばよかった。だから勇気が出ずに、いままで穿けずにいたわけだし。でも、さすがにこのまま外に出る勇気まではないから、下着の上から黒の見せパンを穿いた。
着替えをすませたら、洗面所で化粧をする。それから髪もセットした。このあいだ、さくらがセットしてくれた髪型に。……どうだろう、大丈夫かな?
……さくらがいればな、大げさに「かわいいかわいい」って言ってくれるんだけど。そういえば、私がオシャレに気を遣いだしたのって、さくらがよく褒めてくれるからだっけ……って、いやいや!
頭を横に振って、頬をペチンと叩く。べつに……それはそれだ。こんなのは、ただの身だしなみ。べつに変なことをしてるわけじゃないんだから。…………もう行こう。
ヒールを履いて、ちいさめのショルダーバッグを肩から斜めに掛ける。それから日傘を持って、玄関の鏡で、一応もう一度確認。……ちょっと整えとこ。
それから寮を見る。そこは、やっぱり薄暗く、物音もしない。なんだか、空っぽの箱みたいだと思った。
「行ってきます」
なんとなく、そう口にしてみる。
言葉を返してくれる人は、だれもいなかった。
寮を出た私は、適当に散歩をした。以前さくらと一緒に遊んだ公園に行ってみる。すると幼稚園くらいの子たちが遊んでいた。
珍しいこともあるな。……べつのところに行こう。
と言って、どこか目的地があるわけでもない。とりあえず、近くのディスカウントストアに向かうことにした。
じつを言うと、こういうお店に来るのは最近になって初めてだ。正確には、高校に入学してからだから……最初に来たのは一か月半くらい前かな?
最初に行ったときは物珍しくて、色々と見て回ったっけ。生活用品を買うって話だったのに、最初にスマホ売り場があったのでちょっと驚いた。カップ麺がたくさんあったから買いたいと言ったら、体に悪いからダメってさくらに言われて買えなかったんだよね。その体に悪い感じのものを、時々妙に食べたくなるのは、元とはいえ庶民の性かなあ……
結局、その時は洗剤やティッシュを買った。今日はどうしようかな……。ちょっと迷ったけど止めておいた。化粧品売り場に行って、気になったテスターを試してみる。けど試しただけで、結局、私はなにも買わずに店を出た。
それから商店街を歩いていると、人だかりを見つけた。普段は無視するんだけど、今回は近づいてみた。人だかりにいるのが、私と同い年か、ちょっと年上の女の人ばかりだったから。
来てみたはいいけど、何をやっているのかは分からない。思っていたより人が多くて、よく見えなかった。
……さくらがいれば、近くの人に訊いたりしてくれるんだけどなあ。なんて、考えても仕方ない。そこまで興味があるわけじゃないし、もう行こう。
「よろしければ、お客様もどうぞ」
歩き出そうとしたところで、そんなふうに声をかけられた。
見ると、そこには制服を着た若い女性がいた。その手には、なにかが握られている。どうやら、ここの店員さんらしい。
「こちら、新作の乳液と化粧水のサンプルです。どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
半ば押し付けられるようにして、私はそれを受け取った。……どうしよう、これ。
「もし興味がおありなら、商品をご覧になりませんか?」
「えっ? まあ、ちょっとはありますけど……」
「でしたら、ぜひ! さあ、こちらへどうぞっ」
店員さんは人の間を縫うようにして、私を奥に連れていく。
なんだか強引な人だ。でも、こういう人でないと、販売員って仕事はできないのかも。だとするなら、私には無理だな。
商品は、乳液と化粧水以外にもあった。例えばリキッドファンデーションや口紅なんかもあった。しかも、それらは全部色が違って、たくさんの商品が並んでいた。
どうしよう……。勢いに押されてきてみたけど、ここのブランドは、今まで使ったことないっぽいし……
「お客様は今もおかわいいですけど、もっとかわいくなれば、きっと彼氏さんも喜んでくれますよ」
店員さんは営業スマイルを浮かべながら、私を見てくる。でも私は、愛想笑いすら返せなかった。
彼氏……
彼女としては、単なる営業トークに過ぎないのだろうけど、私は、なぜだが心臓を掴まれたような気持になった。
周りに目を向けると、たしかに比率は若い女性が圧倒的だけど、男性の姿もあるにはあった。多分、彼女とのデート中だろう。彼女にせがまれたのか、それか自主的に思い立ってプレゼントするのか、なんにしても、多分目的はおなじ……
あ、そっか。べつに自分用でなくてもいいんだ。
これは、さくらへのプレゼントに買っていこう。
……だ、大丈夫だよね? これはただのプレゼント。だっていつもお世話になってるし。それに、さくらはあまり化粧をしないから、これを機にしてくれるかも……
なんて、べつにしなくてもいい言い訳を並べ立てる。
ちょっと悩んで、私は口紅を選んだ。
商品名は――『ラ・ブリュイエール』。
パッケージの色は黒だけど、金色でなにかの花が刺繍してあった。
この薄い色の口紅なら、きっとさくらに似合うに違いない。
値段は思っていたよりも高く、4980円。パパから貰った今月のお小遣いは、約半分なくなった。でも、不思議と高い買い物をしたとは思わなかった。
プレゼント用の包装を頼むと、店員さんはすこしだけ不思議そうな顔をした。けれどすぐに営業スマイルを取り戻して、素早く、それでいてキレイに口紅を包んでくれた。
私は「ありがとうございます」と言うと、なぜか逃げるようにして、足早にその場を後にした。
さて、これからどうしようかな。
そう考えていた時だった。
「伊集院さん?」
ちょっと控えめな声で、名前を呼ばれた。
「えっ?」
振り向くと、そこには見知った顔があった。
「葵……ちゃん?」
そう、そこには確かに葵ちゃんがいた。でも……
その姿は、初めて見るものだった。
葵ちゃんは、着物を着ていた。
白を基調とした、青い花柄の着物で、髪にしてかんざしを挿している。
なんだか落ち着いた雰囲気で、ちょっと大人っぽい。普段とは違った雰囲気で、ちょっと新鮮だった。
「どうしたの? こんなところで」
訊かれて、でも私は返答に困った。どう言ったものかな……いや、べつに困ることなんてないか。正直に言おう正直に。
「ちょっと暇だったから、ウィンドウショッピングでもしようと思って」
「そっか」
それから葵ちゃんは黙った。私もしゃべらないので、ちょっと気まずく……
「あ、写真見たよ。あのウィンナー、かわいいね。さくらちゃんが作ったの?」
なりかけたとき、葵ちゃんが言った。
「う、うん。そう」
葵ちゃんはもう一度「そっか」と言った後で、
「そういえば、そのさくらちゃんは? 今日は一緒じゃないの? 珍しいね」
「まあ、ね……。なんか、家の用事があるみたいで……」
なんか、うまく話せない。いや、元々会話がうまいってわけじゃないけど、なんか、いつも以上に。
せっかく身体測定のときに仲よくなれたと思ったのに、声も小さくなっちゃうし……これじゃ私、感じ悪いかな……?
そんなことが気になりだした時、葵ちゃんはちょっと笑って、こんなことを言った。
「ねえ、よかったら、ちょっと付き合ってくれない?」
葵ちゃんに案内されたのは、大通りから一本奥に入った道。駅からは徒歩十分ほどのところだった。
歩いている間に、なにやら雲行きが怪しくなってきた。雨降りそう。ひょっとしたら、日傘が雨傘になるかも。でも、降らなきゃいいな。
というか……
「ここ?」
「うん。そうだよ」
その場所は、ちょっと予想外のところ。いや、葵ちゃんの服装を考えると、ある意味予想通りかな。
そこは着物店だった。ショウウィンドウには高級そうな、鮮やかな着物を着たマネキンが置かれており、通行人の目を引く。でも、一番予想外だったのは……
「葵っ! 遅いですわよ! どこでお醤油を売っていましたのっ!?」
「油、だよ」
その人は私を見ると、意外そうな顔をしてトーンを落とした。
「あら、伊集院さんじゃありませんの。どうしてあなたがここにいますの?」
御郭良さんがいた。しかも、彼女も葵ちゃんと同じように着物を着ている。御郭良さんが来ている着物は、赤を基調としていて、葵ちゃんとは対照的。言ってしまえば派手だった。そして髪をアップにして、かんざしを挿している。
金髪ブロンドの青い目をした少女が和装をしているのに、不思議と「似合わない」とは思わない。なんというか……様になっていた。
「ボクが誘ったんだ。偶然会ったから、ちょっと来てみないって」
「そうでしたの」
「ご、ごめん。迷惑だったらすぐに帰るから……」
「そんなこと思ってませんわ。お客様はおもてなしするのがわたくしの流儀です。さ、奥へいらして」
そう言われても……気後れしてしまう。やっぱりこの人はちょっと苦手だ。悪い人でないのは分かってるけど……
「ボクたちね、ここでアルバイトしてるんだ。でも今はお昼の休憩中なの。他の従業員の人たちも、外でお昼食べてるから、遠慮しないで」
葵ちゃんにそう言われて、ようやく私の足は動いた。
「……うん。じゃあ、お言葉に甘えて……」
お店の奥は和室だった。
色の深いタンスにちゃぶ台も置いてある。なんというか、日本の部屋って感じがする。
「どうぞお座りになって。葵、お茶をお持ちして」
「うん」
いつものように控えめな返事をした葵ちゃんは、部屋の奥へと消えていく。
「いや、いいよ。気を遣ってくれなくても……」
「そういうわけには参りませんわ! 理由は先ほど申し上げたとおりです!」
御郭良さんは胸を張って言ってる。あんまり固辞するのもアレだし、ここは素直に受けとこう。
御郭良さんが勧めてくれた座布団に座る。すると彼女はその近くに座って、
「そういえば、今日は天王洲桜は一緒じゃありませんのね」
「うん。なんか、家の用事があるみたいで……」
いや、ていうか……
「それ、葵ちゃんにも言われたんだけど、そんなに意外?」
「だってあなたたち、基本的に一緒にいるじゃありませんの」
そうかな……? まあ、そうかも。
でも、それを言うなら葵ちゃんと御郭良さんもそうだ。この二人も、大体いつもセットだし。
言ってみると、
「当然ですわっ! わたくしの傍にいることが、あの子の役目ですもの!」
「そ、そうなんだ……」
「なんの話?」
あまりに堂々と言われて呆気に取られていると、葵ちゃんが戻ってきた。両手にはお盆が握られていて、人数分の湯飲みとお菓子を置いてくれた。驚いたことに、この時葵ちゃんは全然音を立てなかった。
「何でもありませんわ。こちらの話です」
御郭良さんが言うと、葵ちゃんは「そっか」とだけ言って、それ以上食い下がらなかった。
葵ちゃんが淹れてくれたお茶を飲んだ御郭良さんは、気管にでも詰まらせたのか、ケホケホ咽ている。
「だっ、大丈夫、ダリアちゃんっ?」
「お”っ、思っていたよりも熱くて……ビックリしましたわ……」
「ごっ、ごめんね? まえにダリアちゃんが『お茶はホットじゃなきゃいやですわ!』って言ってたから……」
「ぞっ、そうでしたわね……っ」
そうなんだ。江戸っ子だな。見た目白人なのに。
ケホケホ咽る御郭良さんの背中を、葵ちゃんが優しく撫でる。もう見慣れた光景だ。でも今日はそれだけじゃなくて、口の周りを拭いたりもしていた。ていうか……
前から思ってたけど、この二人、ちょっと距離近いよね。近寄りがたい……うーん、違うな。えっと……そう、二人だけの世界っていうんだろうか。他人が入り込めない何かがある気がする。だってこうしていても、「三人」っていうよりは「二人と一人」って感じだし。……ときどきコントを見てる気分にもなるけど。
「お騒がせしましたわね……」
微妙にしゃがれた声で言う御郭良さん。ようやく落ち着いたらしい、葵ちゃんは、今度はテーブルを拭いていた。
「いいけど……大丈夫?」
「ええ。もう問題ありません」
それから私は黙った。御郭良さんも黙る。……えぇっと、どうしよう。あ、そうだ。
「じゃあ私、そろそろ失礼するね」
「いや待ちなさいな!」
御郭良さんに腕を掴まれる。
「どうしてこの流れで帰りますのっ!? まだ話は始まってもいませんわ!」
そうなんだ。てっきり終わったものと思ってた。
「まったく……あなた、今日は様子が変ですわよ」
そうかな? 私はいつもと同じつもりなんだけど……と言うと、
「いいえ、変ですわ!」
断言された。ていうか、この人に〝変〟って言われるのは、なんか納得がいかない。
「葵もそう思いますでしょう!?」
「う、うん」
葵ちゃんは控えめに同意する。……え、ホントに?
「というかね、ボクも様子が変だなって思ったから、誘ったんだ」
「そう、だったんだ……」
と言われてもな。私は普段と変わらないつもりだし。変わっていることといえば……
「あなたもしかして……天王洲桜がいないのがさみしいんですのねっ!」
「っ!」
自信満々にそんなことを言われて、私は息が詰まりそうになった。
「だ、ダメだよダリアちゃんっ! そんなにハッキリ言ったら……」
葵ちゃんの言葉も、なんかちょっと引っかかる。
「遠回しに言っても仕方ないじゃありませんの。それに、本当のことでしょう?」
いや、ていうか……
「べつに、さくらがいないからって、さみしいわけ……ないこともないけど、それはそれ。私はいつも通りだってば」
「その言葉自体がいつも通りじゃないですわよ」
呆れられてしまった。なんか悔しい。
それから、私はまた黙った。なにを言えばいいのか、分からなかったから。せっかく誘ってもらったのに、これじゃ感じ悪いかな? 自分が愛想がいい人間とは思ってないけど、そんなふうに思われるのは、ちょっと嫌かも。
「ねえ、伊集院さん」
一人で自己嫌悪しかけていた私だけど、唐突に現実に引き戻される。
顔を上げると、葵ちゃんと目が合った。彼女の目はまっすぐに私を見ている。
「ボクが伊集院さんを誘ったのはね、同情してるとか、そういうことじゃないよ。単純に心配なんだ。だって、目に見えて元気がないんだもん。きっとダリアちゃんも、おんなじ気持ちだよ」
「その通りですわ!」
御郭良さんは、また胸を張って言う。
「友人を心配するのは友人の努め! 相談に乗るのもまた碇ですわ!」
「しかり、だよ。ダリアちゃん」
……この人って、なんでこんなことを堂々と言えるんだろ。本当に同い年なんだろうか? でも、そっか……二人も、私のことを友達だと思ってくれてるんだ。そう思うと、不思議と胸のあたりが温かくなって、気づけば私の口は開いていた。
「今日、朝起きたら、もうさくらはいなかったの。いつもは一緒にご飯食べて、後片づけしてって、するんだけど……」
さすがにたまに着替え覗かれてるんだけどとは言えないので、そこは割愛する。
「でも、今朝は全部一人で……だからちょっとだけ調子が狂っちゃったっていうか、なにをしても身に入らないっていうか…………そんな感じ、かな」
最初は二人の顔を見ながらしゃべれてたけど、途中から視線は下がっていって、最後にはうつむいてしまっていた。……だ、大丈夫かな? 声も小さくなっちゃってたけど、聞こえただろうか?
「そっか」
やがて私の耳に届いたのは、葵ちゃんの声だった。
「伊集院さんは、さくらちゃんのことが、とっても大切なんだね」
「まっ……まあ、ね……」
特に意図していないのに、私は反射的にそう言っていた。
「……幼馴染で……友達、だから……」
その後で、言い訳をするようにそう付け足す。
私はまた黙ってしまったけど、今度は御郭良さんが口を開く。
「なるほど。自分たちの空間に天王洲桜がいないのがさみしいと」
「ダリアちゃん……」
だから、そんなハッキリ言わないでほしい。もうヤダ。帰りたい。
「伊集院さん、このお店、わたくしのお母様が経営するお店の一つなんですのよ」
御郭良さんが急にそんなことを言った。
「わたくしが葵に言いましたの。あなたもここで働きなさいと。それは今のわたくしたちの為でもありますし、将来を見据えてでもありますわ」
「う、うん……?」
話の終着点が見えず、私はちょっと首をひねる。つ、つまり……?
「ダリアちゃんはね、『待っていないで行動したら』って言いたいんだよ」
葵ちゃんが通訳してくれる。ていうか、今ので意図が分かるのか。すごいなこの子。
「葵の言う通りですわ! 逢いたいなら逢いに行けばいい、簡単な話じゃありませんの」
「そんなこと言われたって……」
〝家の用事〟ってことは、逢いに行っても、逢えるかなんて分からないし……
「そんなも何もないですわ! いいですこと、伊集院さん? このお店は、わたくしたちの意思を確認し合う場でもあるのです。いわば、ここは〝約束の場所〟。行動を起こせば、可能性は生まれるんですのよ。月並みな言葉ですけれど」
約束の場所……
私たちに置き換えれば、それは、あの公園だろうか? いや……
ある。私とさくらの、〝約束の場所〟。
私の脳裏に、あのときの出来事が鮮やかによみがえる。
気づけば、私は腰を浮かせていた。
「ごめんね二人とも。私、行くところがあるから、これで失礼するね」
私の足は、自然とある場所に向かっていた。
あの時、さくらと誓いを立てた、〝約束の場所〟へ――
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