第47話 〝歳々年々人不同〟《さいさいねんねんひとおなじからず》
――人は変わらない。
顔も、性格も、時には価値観さえ、歳月と共に移ろっていく。
それでも、人は変わらない。
そう、変わるのは――
「
「えっ?」
ある朝、急にダリアちゃんが言うので、ボクはちょっとマヌケな声を出しちゃった。ダリアちゃんはいつも急なんだもんなあ……
「ど、どういうこと?」
「そのままの意味ですわ」
ダリアちゃんは食後の紅茶を一度置いて、
「わたくしたちは、今日から着物店で働くの」
なんて、言い出すのだった。
ダリアちゃんのお母さんは、世界的に有名な着物デザイナーだ。
ダリアちゃんとは幼稚園のときからの付き合いだから、彼女がパーティーの席でもお母さんと一緒に着物を着て出席していたことを知ってる。ダリアちゃんがお母さんを尊敬してるってことも……多分。
だから、お母さんが経営する着物店で働くっていうのも、考えてみれば自然な話なのかもしれない。
「今日からお世話になります、
アルバイト初日。
元気よく自己紹介をしようとしたダリアちゃんは、元気よく噛んでいた。
「だっ、大丈夫、ダリアちゃんっ!?」
「いっ、いふぁいれふわ……」
慌ててダリアちゃんに駆け寄るけど、まだうまく話せないみたいだった。
「う、うん……ホントに痛そうだね……」
ホント、大丈夫かな? まあ、大丈夫だよね。割といつものことだし。
――――
――――――――
それから少しして、ダリアちゃん、復活。
仁王立ちしてドヤ顔のダリアちゃんだったけど……
パチ……パチ……パチ……
拍手はまばら。皆反応は薄い。それはボクが挨拶をしても、変わることはなかった。
なんだか、ちょっと妙な感じだな……
ダリアちゃんは着物に詳しいから、お店での仕事も不自由はしてなかったけど、ボクはほとんどといっていいくらい知識がないから、ダリアちゃんの講義を受けなきゃいけなかった。
だからボクは、最初受付や掃除を担当して、休憩時間や勤務時間外に教えてもらってた。
そんなある日のことだった。
「まったく、お嬢様の気まぐれにも困ったものね……」
「ホント、こっちの気持ちも考えてほしいわ」
そんな会話が聞こえてきたのは。
その瞬間、ボクは頭が熱くなるのを肌で感じた。自分でもビックリするほどの速さで、頭に血が上っていく。
同時に、ボクはなんだか昔の自分に戻ったような気さえした。
「っ!」
「待ちなさい」
ダリアちゃんに肩を掴まれて一瞬血が引いた気がしたけど、またすぐに上っていくのを感じる。
「言わせておきなさい」
「で、でも……」
ボクを牽制するような言い方だけど、とても納得することができなかった。だって……
「ダリアちゃんはいいの? あんなこと言われて……」
自分の声を聴いて、自分で驚いた。
なんだか、自分が自分じゃないみたいだ。体の感覚が鈍い。頭だけが熱くて、燃えるかのようだ。こんなのは初めて……いや、久しぶりだ。こんなボクは。
そう、さっきも感じた……昔の自分。それが、ぼんやりとした影となって現れる。
こんなのはダメだ。ちゃんと言っておかないと、エスカレートしてしまう。
「ダリアちゃ」
「当然です」
ボクの言葉はすぐに遮られてしまった。出鼻を挫かれた形になって、ボクは黙ってダリアちゃんを見る。すると、彼女もこっちを真っすぐに見ていた。
普段はちょっとドタバタしてる感のあるダリアちゃんだけど、こういう時は冷静だ。いつものように堂々とした態度で、その目には強い意志と光が宿ってる。ボクは、その目から視線を逸らせなくなった。
「これもわたくしが選んだ道。であれば、迷わず進むのみ。他の方に何を言われようと、関係ありませんわ。葵、あなたが教えてくれたことじゃありませんの」
ダリアちゃんの言葉が呼び水となって、さっき現れたぼんやりとした影が、たしかな姿となって脳裏に浮かぶ。
そして当時の出来事が走馬灯みたいに駆け巡って……すぐに消えた。
江戸時代に海運業で財を成したのが、
それから順調に栄えてきた家だけど、早乙女家には一つ大きな問題があった。それは、女子は長生きをしないこと。早乙女家に生まれた女子は、病に倒れ、あるいは不幸な事故に遭って、十になるまでに死んでしまう子供が多かった。
幕末、当時の当主がある神主に相談した結果、こんな助言を受け取ったらしい。曰く――
十になるまで、女子には男装をさせること。
その言葉に従い、早乙女家の女子は男装することが義務付けられて、それは明治以降も続けられた。戦後は廃れてたみたいだけど、ボクのお父さんは信心深い人だったし、子供はボクしか生まれなかったことや、ボクが他の子と比べて小柄だったこともあったかもしれないけど、とにかくボクは男装して過ごし、また男として育てられることになった。
正直言って愉快な話ではなかったけど、反発したりはしなかった。ボクは物心ついたころから、「早乙女家の唯一の跡取り」として育てられていた。小さな体にプレッシャーを感じることも少なくはなかったから、むしろ自然なこととさえ思ったくらいだ。
ボクのお父さんはシェイクスピア作品が好きな人だ。昔は、よくボクを劇に連れて行ってくれた。いくつも劇を見たけど、その中でも一つ、強く記憶に残っているものがある。
――『お気に召すまま』。
その劇で、印象に残ったセリフがある。
「この世は舞台。男も女も役者に過ぎない」
現実を生きる人間も、物語を生きる人間のように、しっかりと〝目的意識〟を持って生きなければならない。それができる者だけが、人間たり得る。
このセリフには、多分そんな意味が込められている。
だからボクは、自分に〝目的意識〟を与えることにした。
強い自分。例えばいじめっ子に立ち向かって、懲らしめてやるような自分。困っている人がいたら助ける、強くしなやかな自分だ。
幼稚園の頃には、ボクはもうその〝目的意識〟を持って生活してた。
そんなある日のこと――
ボクはある場面に遭遇した。それは、男子たちがある女子の持ち物を取って、園内を逃げ回っているというもの。
追いかける女子のことを、ボクは知っていた。
すこし前、ハーフの子が幼稚園に来たと、ちょっと話題になったことがあった。クラスが違うから話したことはおろか会ったこともなかったけど……その子だと思った。
当時のボクは、幼稚園では浮いて、嫌な目に遭うこともあった。女子なのに男子の制服を着てたわけだから、当然といえば当然だけど……。そうした理由から、自然と身を守る術が身についた。だからいじめっ子たちから、彼女の持ち物を取り返せたんだと思う。
だれかを助けたことは初めてじゃなかった。大抵は女子で、みんなすごく感謝してくれて、そのことは単純にうれしかった。お礼を言われるたびに、自分は正しいことをしてるんだと思えたから。でも……
「アノ、アリガトウ……ゴザイマス……」
彼女の片言のお礼は、いままで受けた謝儀の言葉よりも、深く心に刻まれた。
彼女はとてもきれいな人だった。
まだほんの五歳くらいのはずなのに、おなじ少女とは思えないくらいに。
雪みたいに白い肌に、宝石みたいに輝く金色の髪。青い澄んだ瞳には、吸い込まれそうな気さえする。
ボクは一瞬で目を奪われた。正確には、背中を覆い隠すくらいに長い、そのキレイな金色の髪。とんでもなく色素は薄いのに、ひとたび集まれば光り輝く黄金の髪に。
金髪っていうのは、昔から美男美女の象徴とされた色で、世界でも人気の高い髪色らしい。
髪っていうのは、紫外線から人間の頭皮を守ってくれるもの。だから髪は黒い。でも、直射日光の少ないところでは、違う髪色の人が産まれる。それが「ブロンド」だ。
ブロンドは、本来あるべき色に逆らっているんだ。でも、だからこそ……
――自分とは真逆だ。
そう思った。この子は、「あるべき姿」であろうとしてるボクとは、何もかもが真逆だ。
それに、うらやましかった。その、眩いくらいの輝きが。
どんな子なんだろう、とか、話したい、とか思ったけど、実際には何もできなかった。だって、「強くしなやか」な早乙女葵はただの演技だ。本当のボクは、おとなしい、ただの子供だったから。
きっとこの子とは、もう関わることはないだろう。そう、思っていたのに……
ある日、ボクはあるパーティーに出席することになった。以前からお父さんが懇意にしてもらっている仕事仲間の人が開くというパーティーだ。
当時のボクは、パーティーに出るのが好きだった。
だって、パーティーに出るときは、ボクは「女の子」になれたから。
ボクはきれいなドレスを着て、すこしお化粧もしてパーティーに出た。ウィッグもかぶったけど、あの子の輝きには遠く及ばない。
うれしいような、虚しいような、よく分からない気持ちのままパーティーに出た。そして、会場である人を見かけたとき、ボクは思わず息を詰めた。
彼女が、そこにいた。
着物を着て、髪をセットした彼女を見たとき、ボクは非日常の世界に迷い込んだ気分になった。
話しかけたかったけど、どうしても勇気が出ない。やっぱり遠目に見るだけにしよう、そう思っていたのに……
お父さんから、彼女と話すよう言われた。
彼女は、このパーティーの主催者の娘ということだった。主催者さんがイギリス人ってことは聞いていたけど、それがまさか彼女のお父さんだったなんて。ちょっと運命めいたものを感じて、胸が熱くなった。
――これは、お父さんの頼み。
そう思ってボクは彼女に話しかけることにした。自分以外のことを言い訳に使えば、いつものボクになれるような気がしたから。
「御郭良さん?」
すると、彼女……ダリアちゃんは、ゆっくりとボクを見た。吸い込まれそうな、青い瞳で。
いま考えれば、この一言を絞り出すのに、ずいぶん言い訳をしたんだなと思う。
それでも、あの時のボクには、アレでも精一杯だった。
「今日はお招きいただきありがとうございます。えっと……幼稚園以外で会うのは初めてだよね?」
なんとか冷静を装ってそう言ってみたけど、あの時のダリアちゃんは、なかなか返事をしてくれなかった。
だからボクは、どんどん不安になっていった。自分がなにか変なことを言っちゃったのかとか、嫌われてるのかとか、そもそも自分だと気づいてないんじゃないか、あるいは忘れられてるのか、そう思い始めたときだった。ダリアちゃんのお母さんが来て、橋渡し役になってくれたのは。
ダリアちゃんはお母さんに「お友達のお相手をしなさい」と言われてた。ボクと同じようなことを言われてると思うとちょっとおかしかったけど、「お友達」という単語に、ボクは胸がざわつくのを感じた。
「ごめんね。急に話しかけて、ビックリしちゃったかな……?」
「イエ……だいじょうぶ……デス……」
ダリアちゃんの言葉は短いものだったけど、ボクはボクで、一体なにを話せばいいのか分からずに困ってしまった。
お互いに相手をしろと言われたのに、はやくも会話が途切れてしまうなんて……ちょっと他人事みたいに思ってたときだ。
「あの……アリガトウ……ゴザイマシタ……」
「え?」
そう言われて、一瞬なんのことか分からなかった。でも、すぐに分かった。
ボクが彼女の持ち物を取り返した、あの時のお礼を言ってるんだって。彼女も、あの時のことを覚えてくれてたんだ。そう思うと、なんだか無性にうれしくなった。
「いいよ、べつに。気にしないで。課題、ちゃんと出せた?」
だから、声が弾まないように、気をつけてしゃべった。
「……ハイ。だいじょうぶ、でした」
「ならよかった」
あ、しまった。会話終わった。
なんだよ「ならよかった」って! そっけなさすぎるだろ、ボクのバカ!
マズい、どうしよう……いつもやっていることのはずなのに、考えれば考えるほど言葉はどこかに消えて行って、ボクはしゃべり方さえ忘れたかのようになった。
――いや。
こんなんじゃダメだ。こういうときこそ、ちゃんとしなきゃ!
ボクは一度深呼吸をして、ダリアちゃんを見た。
そして、頭に浮かんだ言葉を、口にする。
「その着物、とってもよく似合ってるね」
そんな、率直な言葉。
けど、それはボクの心からの言葉だった。
金色の髪に青い瞳を持つ彼女は、それでも日本のだれよりも、着物を着こなしているように思えた。
それからは、すこしだけ自然に話せるようになった気がする。いつもみたいにつぎの話題の布石を打ちつつ話して、そこから会話を広げていって……みたいな感じだ。
やっていることはいつもと同じはずなのに、でもやっぱり、いつもみたいには口は回ってくれなかった。
それから、ボクとダリアちゃんはちょっとだけ仲良くなった。
幼稚園でも話すようになったけど、ボクにこんなことを訊いてきたことがある。
――どうしたら、ボクみたいになれるのか?
そう聞いたとき、正直なにを言ってるんだろうと思った。
ボクみたいになる? ダリアちゃんが見てるボクは、ボクだけどボクじゃない。演技なんだから。
でも、そうは言えなかった。あのときのダリアちゃんの目は、とてもキラキラしてたから。
ボクは仕方なく、自分の考えを教えた。〝目的意識を持って生きる〟ということを。でも――
それ以降、ダリアちゃんの性格は大きく変わった。あるいは、本当は明るい子だったのかもしれないけど……
幼稚園の子たちも驚いてたな。まあ、いままで大人しかった子が急に自信満々になって、しかも微妙に言葉を間違えてるんだから、当然といえば当然だけども。
そして、ボクの性格も。いや、ボクの場合は本来の性格に戻ったっていうべきかも。
「でも、これからどうするの?」
ダリアちゃんの自信家っぷりはいつものことだし、見ていてちょっと気持ちもいいけど、今回は状況が違う。ボクたちだけじゃなくて、お店の進退もあるわけだし。
「どうもこうもありません。当初の予定通りに、ですわ」
やっぱりダリアちゃんの自信は揺るがない。っていうか、いつも以上に自信ありそう。
お店で働くことに関して、ボクがダリアちゃんから受けた説明はすこしだけ。
働くにあたって、お母さんから条件を出された。それが、お店を盛り上げること。
そのために、ある程度自由にやっていいということ。その二つだけ。
「葵、あなたにも手伝ってもらいますわよ!」
「それはいいけど……どうするの?」
結局のところ、気になるのはそこだ。だって、ボクたちを快く思わないお店の人たちは、積極的に協力してくれないかもしれないから。
でも……
「かもしれませんわね。仮にもお母様のお店で働いている方々ですし、公私コンドームはしないでしょうけれど」
「ダリアちゃん、それお店の人たちのまえで絶対言わないでね」
こんなときでも、ダリアちゃんは相変わらずだ。いろんな意味で。それに……
「言われなくても分かってますわ! きっとお母様は、それも含めてわたくしを試しておられるのです。この程度で諦めるようでは、目的を果たすなど夢のまた夢ですもの。それに……」
ダリアちゃんにそんなこと言うのは野暮だよね。だって、こんなに使命に燃えてるんだから。それなら、ボクのすることはたった一つだ。
ダリアちゃんを支える。
そのために、ボクのできることは何でもやる。
ボクを見つめるダリアちゃんに視線を返すと、彼女は満足そうに笑った……気がする。
「わたくしたちが一緒にいれば、不可能などありませんわっ!」
結論からいって、ダリアちゃんの政策は成功した。
それによって、ボクたちに対する不安ややっかみも、少しずつではあるけど、雪解けを迎えていった……
でも、これは通過点に過ぎない。
ダリアちゃんはそう言った。
じゃあ、これからどうするの?
ボクがそう訊くと、彼女はニヤリと笑って、ボクの口を塞いできた。
次の日も、また次の日も、そのまた次の日も、同じようにしてきて、お仕事が終わって他の人が帰ったあと、キスをするのが日課になった。
「ねえ、ダリアちゃん……」
「なんですの?」
「やっぱり、マズいんじゃない……? だって、こんなところでんむっ!?」
言う間に口を塞がれる。屋敷や、学園でするよりも激しい、むさぼるようなキスだ。
……苦しい。息が……できない……ッ! ちょっと肩を叩いてみたけど、ダリアちゃんはキスを止めてくれない。
それから何分か……いや、数秒だったかも。ダリアちゃんが顔を離した。
「なにもマズいことはありませんわ。だって、ここはわたくしたちの城ですのよ」
そして、もう一度。いつもはボクが主導権を握る場合が多いけど、今回はボクがされるがままで、どうするとこもできなかった。
「城……?」
ダリアちゃんの言葉の、最後の部分をなぞるのがやっとだ。
それすら言えたかどうか疑問だったけど、ダリアちゃんは短く「ええ」と答えてくれた。
「葵、いつかわたくしは、目標を達成して見せますわ。必ず。それが叶ったら……」
ダリアちゃんは、じっとボクを見る。その、青い瞳で。
言葉を失う。なにも考えられなくなる。まるで、物言わぬ人形にでもなったみたいに。
ボクは、青い瞳に吸い寄せられるみたいに、ダリアちゃんに顔を近づけていく。そして――
「わたくしと、ずっと一緒にいなさい」
昔と比べて、ボクとダリアちゃんの関係もずいぶん変わった。
昔のボクに言っても、きっと信じてくれないだろうなあ。でも……
――人は変わらない。
顔も、性格も、時には価値観さえ、歳月と共に移ろっていく。
それでも、人は変わらない。
そう、変わるのは――
いつだって、自分以外のものだ。
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