第42話 冬の終わりとさくらの想い
「じゃあ、行ってくるね」
玄関でそう言うと、椿ちゃんは「うん」とうなづいてくれた。
土曜日。今日も今日とて生徒会の仕事だ。休日登校、いまさらだけどブラック部活だ。でも……
「気をつけてね」
という椿ちゃんの言葉で、憂うつな気持ちは吹き飛んだ。
なんていい子なの! しかもちいさく手まで振ってくれて! きゃわゆすぎるっ! 抱きしめちゃお!
「椿ちゃ」
と思ったら、短い悲鳴と一緒にひょいと避けられた。
「ちょっと! 朝から脈絡のない行動はやめてっ!」
「ごめん……」
わたしとしては意味ある行動なんだけどなあ。
本当はもうちょっとこんなやり取りをしていたいけれど、そろそろ行かないと遅刻してしまう。
わたしは改めて「行ってきます」と言って、寮を出た。
歩いていると、朝の清涼な風がわたしの髪を靡かせた。
ちょっと身構えたけれど、凍えるほど寒くはない。それどころか、ちょっと気持ちがいいというか、心地のいい風だった。
何日かまえまでは積もっていた雪も、いまではほとんど溶けているし……試しに息を吐いてみると、それは透明なまま朝の空気の中を漂っている。これなら、もうタイツは一枚だけでもよさそう。
なんだか、ここ数日で、すっかり雰囲気も変わった。冬だけど冬じゃない、でも中途半端ってわけでもない、とても不思議で短い期間。
そして、そのあとにはあの季節がやってくる。昔。わたしが大嫌いだった、あの季節が。そういえば……
椿ちゃんと一緒に暮らすことが決まったときも、こんな日だったっけ。
一年前――
わたしは白鳥峰学園を受験して、首席合格を果たした。もっとも、これはずっとまえから予定されていたことだ。
……いや、首席合格の件じゃなくて、白鳥峰学園を受験するっていうことね。
お父さんは子供の教育には特別熱心で、わたしたちが産まれるたびに学園を創立した。そして、学園の理念を将来子供になってほしい人物像に合わせて、そこに入学させて家でも外でも教育を施す。
例えば、天王洲家の後継者であるお兄ちゃんの場合は「
栞お姉ちゃんの場合は、「
そして白鳥峰学園は「
それが白鳥峰学園の理念であり、つまりはわたしへの教育方針だ。
冗談みたいな話だけど本当の話で、つまり白鳥峰学園はすこしの誇張もなく、わたしのために設立された学校だ。
いやー、我ながら見事にその理念を体現してるよなあ、わたしって。
……まあ、それはともかく。
お屋敷でも学校でもおなじ教育をされて、という状況は、考えただけでも憂うつだった。
といって、家の方針に逆らってどうにかなるわけじゃない。だから、わたしは方針に従いつつも一つ頼みごとをした。
それが、椿ちゃんと一緒に寮で暮らすこと。
我ながら「なに言ってんだこいつ」と思わなくもない。お父さんに話したときも「なに言ってんだこいつ」みたいな顔をされたし。
でも、そう思われても、それはわたしには譲れないものだった。
そのとき、わたしは焦りにも似た感情を抱いていたから。思い出すのも苦しいけれど、それは椿ちゃんが告白されているのを目撃した、中学二年の春のことだ。
まずお父さんからは入試で主席となることを条件に出された。それをクリアすると、仕方なしといった様子で寮を手配してくれた。
そして白鳥峰学園は〝生徒の自立心を育てる〟という大義名分のもと、寮生活を選択できるようになった。
同時に、わたしと椿ちゃんとの生活も始まったんだ――
あれから、一年が経った。
この一年、いろいろあった。すくなくとも、わたしの中では。
この一年、椿ちゃんと作ったたくさんの思い出と、すこしの変化。
それを考えたとき、自然と思いだすのは寮生活の初日、わたしが椿ちゃんに言った言葉だ。
(――「ここでたくさん思い出を作ろうね。学校を卒業して大人になっても、しわだらけのおばあちゃんになっても、こんなことあったねって、楽しかったよねって、そうやって笑いあえるように」――)
ふと目を閉じると、椿ちゃんが思い浮かぶ。それと一緒に、この一年でできた思い出も。
もちろんそれ以前のことも思い出せるけれど、やっぱり、この一年のものはわたしにとっては特別だ。
寮で迎えた初めての朝、始めて椿ちゃんの部屋に入るときは緊張したなあ。結局、あのときは着替えを終えちゃっていたけれど。
思い出すと自然と顔が緩むえへへぇ……
おっといけない、ひさしぶりに発作が。
慌てて顔を引き締める。いまは生徒会の仕事中。仕事中に笑ったら変に思われるし。
わたしは生徒会長なわけだし、仕事はきっちりやらないとね。
夕方の五時になって、ようやく仕事がひと段落ついた。
後片付けをして、校舎を出る。そこで、副会長から「これからお茶でもいかがですか」と提案があった。椿ちゃんが(たぶん)待っているし、わたしは断ろうかと思ったんだけれど……
どうしよう? 前回も断ってるんだよね。二回連続で断るのもなあ。それに、ほかの役員の人はみんな行くみたいだし。会長のわたしだけ不参加ってわけにもいかないか。仕方ない、今回はわたしも参加することにしよう。
参加する旨を伝えると、みんなは喜んでくれた。
椿ちゃんに帰りは遅くなると連絡を入れて、わたしたちは近くのカフェに移動した。
カフェでアフタヌーンティーをしつつ、とりとめのない会話をしてお店を出たとき、時刻はもう七時を過ぎていた。寮の門限は本来七時。生徒会などの仕事でやむを得ない場合は多少の延長はできるけれど、あまり遅くなるわけにもいかない。だれからともなく、今日はもう帰りましょうと言い出した。こういうところを見ると、うちに通う人たちは育ちがいいんだなあと思う。
みんなに別れのあいさつをして、一人帰路につく。三月になって日は伸びたものの、さすがに七時を回ると真っ暗だ。
はやく帰らなきゃ。椿ちゃんが(たぶん)待ってる。……待ってるよね? いままでも待っててくれてたし。
自然と速歩きになっていたけれど、その足が止まる。突然吹いた風が、思いのほか冷たかったから。
朝は温かくなったように感じたけれど、まだ冬は元気みたい。ためしに息を吐いてみると、ほんのすこし白い息が出た。
うぅ、寒い。はやく帰ろう……
また、いつの間にか速歩きになって……また止まる。
風が吹いたわけじゃない。そうじゃなくて……
「椿ちゃんっ!?」
たとえ夜道でもわたしが見間違えるはずはない。カフェからほど近い歩道で、フェンスに寄りかかるみたいにして退屈そうにスマートフォンをいじっているのは、椿ちゃんだ。
それにあのマフラー! わたしがプレゼントしたやつ!
ど、どうしたんだろう!? 寒い中あんなところで……まさか、料理に失敗して寮を爆発させちゃったとか!?
……いや、そんなわけない。さすがにそれはない。
椿ちゃんもわたしに気づいたみたい。スマートフォンをコートのポケットにしまうと速歩きで近づいてきたので、わたしは小走りをした。
「どうしたの? なにかあった?」
「べつに、どうもしないけど……なんで?」
「だって、寒いのに外にいるなんて……まさか、本当に料理に失敗して寮を爆発させたのっ!?」
すると、椿ちゃんの顔は見る見る不機嫌そうなものになっていった。
「……そんなわけないじゃん」
だよね。知ってた。
「ご、ごめんね? でも……じゃあ、なにしてたの?」
用もないのにこんなところにいるはずない。バッグも持っていないし、いつもみたいにお化粧をしているわけでもない。通行の邪魔にならないように歩道の隅に立っていて。まるで、だれかを待っているみたいな……
「椿ちゃん、もしかして……わたしを迎えに来てくれたの?」
すると、椿ちゃんは体を震わせた。それからわたしから顔をそらす。こ、この反応は……
「そっか。そうなんだあ……わたしを迎えに……えへへ」
思わず笑ってしまう。それに反応したみたいに、椿ちゃんの顔がどんどん赤くなっていく。
「だって……帰り遅くなるって言ってたけど、なかなか帰ってこないし……もう遅いし。カフェに行くって言ってたから、ここで待ってれば会えるかなって思って……だからその、いちおう……念のため」
口からこぼれてくるのはいつもみたいな言い訳的な言葉。それを聞いたわたしは、余計に笑ってしまう。
「ちょっ、ちょっと、なに?」
「べつにー。そっかあ、椿ちゃん、わたしを心配してくれたんだねー」
「私心配なんて……」
「もう、照れなくってもいいのにぃ」
「~~~~っ! もういい! 一人で帰って!」
あ、しまった。またからかいすぎた。椿ちゃんが踵を返してしまったので、わたしは慌ててその手を掴んだ。
「ごめんごめん。謝るから怒らないで? ね?」
まだすこしムスッとしているけれど、一人で帰らないところを見ると許してくれたみたい。
「もうすっかり暗いねー」
「うん」
「朝はちょっと温かくなってきたなって思ったけど、暗くなるとやっぱり寒いよね」
「うん」
「えいっ」
「きゃっ!?」
塩対応だった椿ちゃんの手を掴むと、かわいい悲鳴と一緒に体を震わせた。
「もう、なに?」
「やー、なんだか手が冷たくってさ。椿ちゃんの手って、温かくて気持ちいいし、貸してもらおうと思ったの」
「それならそう言ってよ」
「えー? ……じゃあ、手、繋いでもいい?」
「ヤダ。ポケットに入れて」
そう言いながらも、椿ちゃんは手を振りほどいたりはしない。
「そう言うと思った」
それがなんだかおかしくて、うれしくて、わたしはまたクスクス笑った。
椿ちゃんがはあ、と息を吐く。白い息が、ゆっくりと夜の中に消えていった。
「生徒会の仕事、忙しいの?」
何気ない口調で椿ちゃんが訊いてくる。まるで、息を吐いた、そのついでみたいに。
「うん。送別会と卒業式の準備。もうほとんど雑用係だよ」
ため息と一緒に、わたしの口からこぼれるのは絶対に生徒会では言わない言葉だ。
「それが終わったら、しばらくは暇になるかな。そのころは、わたしたち二年生だね」
「もうそんな時期だっけ。なんか、あっという間の一年だったかも」
また白い息を吐いた。
椿ちゃんの言うとおり、あっという間の一年だった。
この分じゃ、二年生もあっという間に終わって三年生になって、気づけば卒業式を迎えているんだろう。
栞お姉ちゃんの言うとおり、高校の三年間って、本当に、ほんの一瞬の出来事なのかもしれない。
でも、だからこそ……
これからも、いままでみたいに……うぅん、いままで以上に、悔いのない毎日を送っていきたい。
いつかこのときを振り返ったときに、「わたしたち楽しかったんだね」って笑いあえるように。
歩道のわきを見ると、すこしだけ雪が残っていた。
でも、すぐに溶けてしまうだろう。まだわずかに残っている冬の名残も、すぐに雪解けを迎えて、そして……
そして、また、わたしたちの季節が来るんだ。
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