第36話 特別な時間

 私は選択を強いられていた。


 それは、とてもつらい選択。もし選択を間違えたら、私はいろいろなことを我慢しなきゃいけなくなる。


 でも……それでも……!



「ふう……」


 ボタンを押して、私は一人息を吐く。


 そして自動販売機から、いま買ったばかりのホットのお茶を取り出した。さっそく飲もうと思ったんだけど、私の視線は、自然とあるものに吸い寄せられていた。


 ……キャラメルラテ、飲みたかったな。でも我慢しなきゃ。冬は脂肪がつきやすいし……でもちょっとくらいなら……っていやいや! 慌てて顔を横に振る。


 ダメだ、ここにいたら決心が鈍りそう。図書館に戻らなきゃ。




 年の瀬が迫った十二月の三十日。私は白鳥峰学園に来ていた。さくらが生徒会の仕事納めとかで来ているから、一緒に。


 といっても、べつに仕事を手伝いに来たわけじゃない。それは生徒会の人たちとやるらしいから、私は図書館で勉強……をしてるんだけど、お昼になったので昼食をすませて食後のティータイム……と思ったんだけど、やめた。カロリーとか糖質的なアレがあるから。


 食堂もだったけど、年末の図書館は、いつもと比べて閑散としてる。ゼロってわけじゃないけど、私を入れて十人くらいだ。


 それは校舎もおなじで、こうして図書館への外廊下を歩いていても、生徒の姿はほとんど見えない。さすがに先生はいるけど。人込みがキライな私的には、この静かな感じはすごく好きだ。



 いつもこのくらい静かだと……

「ぅひいいっ!?」



 冬の静けさを壊したのは、まさかの私。


 急に背中に、つつつーっとくすぐったい感触が走ったので、反射的に声を上げてしまった。


 まえは驚くばかりだったけど、いまではどこか冷静な私がいる。だって、私にこんなことするやつは一人しかいない。



「ちょっと! もう、なんなの?」


「いやあ、なんか構ってほしそうな背中があったから、つい」


 さくらはいつもみたいにヘラヘラ笑っている。いつもながら変なやつ。もう文句を言う気にもならない。いまさら言う気もないけど。


「生徒会はいいの?」


「うん。もう大丈夫。先生たちへのご挨拶もすませたから、今年のお仕事は全部おしまい」


 そこで、冷たい風がびゅうとふいたので、私たちは身を縮めてやり過ごして……って、ちょ、なにこれっ!?



 風が全然おさまらない! それどころか、どんどん強くなってきてない!?


 私は右手で髪を、左手でスカートを抑えてたけど、風邪の力が強すぎてあんまり意味がない。


「もう、なにこの風……っ」


 ちょっとイライラしてきた。せっかく髪セットしたのに崩れちゃうじゃん。さくらは大丈夫かなと思って隣を見ると、


 髪を抑えながら、顔はちょっと上をむいて、口は半開き。驚いたみたいな顔をしてる。どうしたんだろ? 風に驚いてるわけじゃなさそう……



 バラバラバラバラバラバラバラバラ!!



 私の思考を中断させたのは、うるさいくらいのプロペラ音。……プロペラ音?


 まさかと思って上を見る。そこには……



 ヘリがいた。



 あたり前みたいにヘリが飛んでる。


「な、なんなの……?」


 あまりにも予想外過ぎた。思わずつぶやくと、


「ごめんね、椿ちゃん」


 思わぬところから返答が来て、



「あれ、うちのヘリみたい」


 もっと思わぬことを言われた。




 白鳥峰学園にはいろいろなものがあるのは知ってる。〝図書室〟じゃなく〝図書館〟とか、音楽堂とか、テニスをするときに使う天然芝のグラスコートとか。でも……



「ヘリボートなんてあったんだ……」

「あるのは知ってたけど、こんな形で使ってるところを見るなんて思わなかったなあ……」



 さすがのさくらも、驚いているらしかった。ちょっと苦笑いをしてる。



 ヘリが着陸すると、ドアが開いてメイド服を着た女性が下りてきた。


「ご無沙汰しております、ひいさま」


「うん、綾瀬さん。元気そうだね」


「恐れ入ります。姫さまにおかれましても……」


「ねえ、急にどうしたの? こういうことするなら、せめて事前に連絡が欲しいな」


 メイド服の女性……綾瀬さんの言葉を遮るみたいにしてさくらが言う。ていうか……気のせいかな? さくら、ちょっと怒ってる?



 綾瀬さんの「申し訳ありません」っていう妙に機械的な謝罪を聞いて、さくらはちいさくため息をついていた。それから、


「お父さん、今度はなに言ったの?」


「いえ、姫さま。ご当主様ではありません。しおりさまです。栞さまが、クリスマスの埋め合わせがしたいと仰っております」


 すると、さくらはちょっとだけ顔をしかめたように見えた。


 栞さんって、だれだろう? クリスマスの埋め合わせ……ひょっとして、さくらのお姉さんかな?



 どうやら綾瀬さんは、さくらを迎えに来たってことらしい。……それでヘリで来るとか、スケールが違う。


 ていうか……さくら、どうするんだろう? このあとは、一緒に下校して夕食の買い物をして、ってなると思うんだけど、さくらがお姉さんに会うってなると、私は一人で帰るのかな? それはちょっとさみし……くはないけど、そっか、じゃあ私、今日は一人になるのか。



「椿ちゃん」

「うぇっ!? べっ、べつにさみしくないから!」

「そ、そうなんだ?」



 さくらは首をかしげてる。しまった、焦って変なことを言っちゃった。


「えっと、うん。なに?」


 誤魔化すみたいに言うと、さくらはちょっと笑って、こんなことを切り出した。



「あのね、ひとつ提案があるんだけど……」




 五分後――。


 私たちは空を飛んでいた。



「よかったあ。椿ちゃんが一緒に来てくれて」


 私の隣で、さくらが安心したみたいに笑ってる。


 外にいるとあれだけうるさかったプロペラ音も、機内ではほとんど聞こえない。機体の揺れもほとんどないし、席も広々としていて結構快適だ。


 それにしても、つい十分くらいまえまで自動販売機で買ったお茶を飲んでたのに、いまは大空を飛んでいるなんて。アップダウンが激しすぎてちょっと酔いそう。



「申し訳ありません、伊集院様。姫さまはすこし……おてんばな一面がありますので」


 まえに座る綾瀬さんが平坦な声で言う。


「綾瀬さん、言葉を選んでくれてありがとうだけど、全然フォローになってないよ」


 ちょっとムッとした口調で言うさくら。なんだか子供っぽくて、それは私のまえではあまり見せない姿だから、なんだか新鮮だ。


「気にしないでください。どうせ用事もありませんでしたから」



 さくらの提案は、私もさくらについていくこと。


 そのため、私はさくらのお姉さん……栞さんがいるっていう本宅にむかっていた。ヘリで。



「でも、ホントによかった。椿ちゃんも一緒に来てくれて。夜までには帰れるようにするから……そういえば、椿ちゃんてうちに来るのって初めてだったよね?」


「別宅には行ったことあるけど、本宅っていうのには行ったことないかな」


 そういえば、まえに別宅に行ったときは、アフタヌーンティーをしたんだよね。サンドイッチにデザート、スコーンまで用意してもらって。頼んだら、もう一回やってくれるかな?


 呼んでくれたこともないし。まえに一度訊いてみたら、「ちょっと行き来しにくい場所にあるから」ってなぜか誤魔化すみたいに言われたっけ。どういう意味だろ……



 なんて、考えるまでもなかった。


 だって、見た瞬間に、私は言葉の意味を理解できたから。


 そこは、島だった。


 家でもなく、屋敷でもなく、島。



 あるところでは木々がうっそうと生い茂り、またあるところには住宅街があり、デパートらしき建物も見えた。なかでも一番目立つのは、島の中心……岩山の上に建っている、それ。


 中世のヨーロッパからタイムスリップしてきたみたいな、真っ白なお城が建っていた。


 まさか、と思うよりもはやく、隣に座るさくらが言う。



「ようこそ、椿ちゃん。ここがうちの本宅だよ」




 港(あたり前のようにあった)の近くにあるヘリボートに着陸。そのあとで、私はちょっと混乱したままヘリから降りた。


 降りて……いや、どうすればいいんだこれ。ここが本宅だよって言ってたけど、え、どこが? 島全部? ホントに?


「椿ちゃん、どうかしたの? ここ潮風来るし、はやく行こうよ」


 私の混乱なんてつゆ知らず、さくらは相変わらずのマイペースさ。


 私としては一度落ち着きたいんだけど、といって、いつまでもここにいるわけにもいかない。私たちは近くに停まっていたリムジンに乗った。



 乗っていれば落ち着くかな、なんて考えてたけど、考えが甘かった。全然落ち着かない! だって家なのに森があるし! 鳥が何匹も飛んでるし! 


 それだけじゃなくて、ヘリから見たものは見間違いじゃなかった。普通に住宅街があるし、スーパーやファミレス、病院まであった。もう家っていうか街だ。


「ここにはね、家族だけじゃなくて、いろんな人たちが住んでるんだ」


 道すがら、さくらがそんな説明をしてくれた。



「住宅街にはお屋敷で働いてる人たちが住んでて、そういう人たちのためにデパートとか、ファミレスとか、コンビニとか、病院とか、薬局とか、そういう施設もあるの。島から出なくても、不自由なく生活できるようになってるんだ」


「そーなんだ」


 そうとしか言えなかった。私のパパも結構なお金持ちだけど、さくらの家は別格というか、規格外って感じがする。


 でも……あ、なんか逆に冷静になってきたかも。



「なんか、すごいね。いままで呼んでくれなかったのって、どうして?」


「あー。それは、えっと……」


 すると、さくらは急に口ごもった。どうしたんだろう、と思ってると、



「お帰りなさいませ、桜姫」

「あら。お帰りなさいまし、桜姫」



 すれ違う人たちが、さくらを見ると足を止めて、きれいなお辞儀とともにそんなことを言う。老若男女問わず。


 さくらは優雅に微笑んでリムジンの中から「ごきげんよう」なんて返してるけど、近くにいる私には分かる。眉毛がちょっとピクピクしてる。ていうか……



「さくら姫?」

「うっ」


 さくらは断末魔みたいな呻き声を上げた。


「さくら、さくら姫って呼ばれてるの?」

「うぅ~~~~~~~~~~~~~っ!」


 さくらは両手で顔を抑えるとフルフル横に振った。



「ち、違うんだよ椿ちゃん! 私が呼んでって言ったわけじゃなくて! そういう決まりなの! ルールなの!!」


 手を離すと、さくらの顔は真っ赤になっていた。それがなんだかおかしくて、私はちょっとからかいたくなった。


「分かったよ、さくら姫」

「やめてってヴぁあ……」



 さくらの顔が一層赤くなる。


 なるほど。さくらが私をここに呼んでくれなかった理由が、ちょっと分かった気がする。




 岩山に人工的に作られた坂を登ると、大きな大きな鉄の扉が現れた。


 リムジンが近づくと、扉は内側にゆっくりと開いていく。


 リムジンが道に入ると、手入れの行き届いた色とりどりの庭園の中を縫うみたいに進んでいく。


 庭のそこかしこには、切妻屋根の小屋が立ち並んでいて、花壇の真ん中には噴水まであった。


 跳ね橋のむこうには、私の身長の三倍はありそうな、荘厳で重厚な扉が見える。


 まるで不思議の国に迷い込んだようで、私は夢でも見ている気持ちになった。



 私たちはリムジンを降りて、はね橋を渡る。近づくにつれて、大きいと思っていた扉がより大きくなってくる。


 重く低い音を立てて扉が開いていくと、吹き抜けの玄関ホールが顔を見せる。なんだかトランペットの吹奏でも聞こえてきそうな雰囲気だけど、私たちを出迎えてくれたのは……


 玄関ホールを埋め尽くさんばかりのメイドさんたち。彼女たちのまえに、メイド服を着た五十代くらいの女性と、黒のスリーピースを着た年配の男性がいた。



「お帰りあそばしませ、おひいさま」


 彼女たちを代表してか、五十代くらいの女性が一歩前に出て丁寧にお辞儀をした。


「ようこそお越しくださいました、伊集院様」


 そして、おなじように今度は私にお辞儀をしてくる。圧倒されてたので、反応がちょっと遅れてしまった。それでもなんとかお辞儀とあいさつを返して、そこでようやく気づいた。人の家(城? 島?)に来るのに、なにも持ってきていなかった。けど、


「そのようなお気遣いはどうぞご無用に願います」


 謝罪しても、そんな平坦な答えが返ってきただけだった。




 さくらに部屋で待っててと言われたため、私はさくらの部屋に通された。さくらは一度着替えてから、お姉さんにあいさつをしに行くらしい。


 それで、私はさくらの部屋で一人帰りを待ってる。出された紅茶を飲んだり、ケーキを食べたりしながら……



 お、落ち着かないっ! 案内してくれたメイドさんは「ごゆるりとお過ごしください」なんて言ってくれたけど、ムリ!


 まず部屋が広い。一人部屋のはずなのに、教室の四倍くらいの広さがある。広大な部屋を照らすのは日差しだけじゃなくて、天井から下がる大きな照明型のシャンデリアだし。それに、第一……



 ここ、さくらの部屋、なんだよね。



 意外というか、やっぱりというか、ぬいぐるみはほとんどない。普段の言動を考えれば、もっとこう……ファンシーな、頭の悪い部屋でもおかしくはないと思うんだけどな。


 まえに入った寮の部屋とか別宅の部屋とおなじで、ムダなものがほとんどないシンプルな部屋だ。言われなかったら、ここがさくらの部屋とは気づかないかもしれない。それに……


 しばらくこの部屋は使ってないのかな? あんまりさくらの匂いも……



「お待たせっ! ごめんね、待たせちゃって……」


 急にドアを開けてさくらが入ってきたので、ビックリして飛び上がりそうになった。


「もう、ビックリさせないで……」


 私の言葉は、多分さくらには聞こえなかったと思う。思ったよりも、大きな声を出すことができなかったから。



 そこにいたのはたしかにさくらだった。けど、その雰囲気は、いつもとはまったく違う。


 純白の総レースのロングドレスを着たその姿は、まるで不思議の国から迷い込んできたお姫さまみたいに見えた。


「椿ちゃん、どうかしたの?」


 気づけば、私はボーっとさくらを見ていたらしい。不思議そうな顔をしたさくらと目が合った。



「なんでもない。えっと……似合ってるね、それ」


 すると、さくらは照れたような、困ったような顔になった。


「ありがとう。でもあんまりジロジロ見ないでね。人に見られるのはなんだか恥ずかしくって……」


「ごめん。……お姉さんはいいの?」


「うん。あいさつもすませて、ちょっとお話もしたから。もう大丈夫」


「そうなんだ?」


 なんか、ちょっと引っかかる言い方のような。まあいいか。


「ねえ、さくらってさ、ここではいつもそんな格好してるの?」


「まあ、ね。パーティー用とか、お客様が来たとき用とか、普段着るのとか……いろいろあるんだけど。ここにあるのは、大体こんなだから」


「ふーん……」


 別宅にお邪魔したときもそれと似たドレスを着てたっけ。



 なんか、本当にお姫様みたいだな。そんなことを考えていたら、


「椿ちゃんも着たいの?」


 急にそんなことを言われた。


 まえにも言われたけど……



「はっ? いや、べつに……」


「じゃあ着てみなよ。きっと似合うから! ねっ?」


「ちょ、ちょっと待ってってば!」


 私の言葉が聞こえていないのか、さくらは部屋にある電話を使ってどこかにかける。すると、待つほどもなく扉がノックされ、綾瀬さんが現れて――




 一時間後――。


「すごい! 椿ちゃん、すっごく似合ってるよ!」


「そ、そうかな……」


 部屋に戻ると、さくらはニコニコ笑って私の手を取ってきた。



 綾瀬さんに着付け部屋に案内されて、大きな鏡のまえで制服を脱がされ、髪をセットされ、化粧もし直され……私は全部されるがまま。そうしているうち、私は鏡に映る自分を見てため息に近い声を漏らしてしまった。



 私はさくらが着ているような純白のドレスを着ていて、髪や化粧もそれに合わせてしてくれたみたいだから、普段の自分とはまったく違う。なんだか、別人みたいだった。


 なんか落ち着かない。気のせいかもしれないけど、戻ってくるときにも視線を感じたし。


 やっぱり変なのかな? 私には、こういうの似合わないのかも。なんて考えちゃったけど、



「うん、ホントホント! とってもキレイで、なんだかお姫様みたい!」


 さくらの言葉は、いつものようにどこまでもまっすぐで、ウソなんかじゃないって分かる。


 だから、余計に恥ずかしくなって、私は目をそらしてしまった。



「でも、椿ちゃんがわたしのお洋服着てるのって、ちょっと不思議な感じするなあ」


 そうなんだ。このドレス、さくらのなんだ……うぅ、変に意識しちゃう。


「それね、わたしが中学生のときに着てたやつなの」


「へー」


 べつにいいけど。へー。



 でも、じつを言うと、こういう格好には憧れてもいた。パーティーに出席するときに着ることはあるけど、その時は自分の格好を気にしてる余裕ないし。


 だから、着れてうれしい……んだけど、


「ね、せっかくだから一緒に写真撮ろうよ」


 それとこれとは話がべつだ。



「はっ!? や、やだ」


「えー、なんで?」


「なんでって、なんか恥ずいし……」


「いいじゃん。椿ちゃんのこういうカッコ、もう見られないかもしれないし。一枚だけ。一回だけでいいから、お願い。ね?」


「う、ん……」


 まあ、そこまで言うなら。写真撮るくらいだし。一枚だけって言ってるし、うん。



 それから、綾瀬さんが準備をしてくれて写真を撮ることになったんだけど……


 近い……


 すぐ近くに、さくらの顔がある。頬が触れあいそうなくらいの、至近距離に。


 夏の花火大会でも、こんなふうに写真を撮ったっけ。あの後でさくらが送ってくれた写真、私は印刷してクリップボードに貼ってあるけど、さくらはどうしてるのかな?



 あのときは浴衣を着ていたけど、いま私たちが着ているのは、純白のドレス。


 お姫様みたいに着飾って、本物のお姫様みたいにキレイなやつと並んで……


 なんだか、頭がぼーっとしてきた。私、ひょっとして夢でも見てるんじゃ……



「…………」


「えっ? な、なにか言った?」


「だからね、写真もう撮り終わったから、動いても大丈夫だよ」


「あっ、うん……」


 いつの間に。全然気づかなかった。



 大丈夫だったかな、表情とか。変な顔になってないかな? ポーズとか、なにかとればよかったかも。


 でも……まあ、いっか。さくらはなんか満足そうにしてるから。



「じゃあ、行こ」


 と思ったら、今度は意味の分からないことを言う。


 行くって、どこに?


 混乱する私に、さくらはちょっと笑って続けた。


「椿ちゃんが着つけてもらってる間に、頼んでおいたの」




 胸壁。


 なんて場所に、私は初めて来た。


 そこは、本来城壁最上部で活動する兵士を守るために作られた背の低い壁面のこと……らしい。


 それを忠実に再現した、いわばイミテーション。そしていまは……


 胸壁の歩廊の一角に、アフタヌーンティーの準備が整っていた。ピカピカに磨き上げられた陶器のカップに銀色のヤカン。一点の汚れもない真っ白なクロスがテーブルにかけられていて、風邪にのって甘い香りが漂ってきた。



「椿ちゃん、まえにお茶会やったとき、とっても楽しそうだったでしょ? だから、またどうかと思って」


「そうなんだ……」


 覚えててくれたんだ。



 私はさくらにエスコートされるみたいにして席についた。綾瀬さんは「ごゆるりとお過ごしください」と言って城内に戻っていったので、私たちは二人きりになった。だから、お茶はさくらが直接淹れてくれた。



「どう?」


「……おいしい」


 一杯目はストレート。甘くさわやかな香りと、しっかりとした味の紅茶だ。


「よかったあ。お茶はね、いちおうわたしが準備したの。お菓子は出来合いなんだけれど……」


「うん……ありがと」



 サンドイッチの他には、一口サイズのマフィンやケーキ、スコーンにチョコレートなんかも用意されていた。


 えぇと、たしか下から順番に食べていくんだよね。おなじ皿は味や色が薄いものから食べていくと……


 記憶を頼りに、ちょっとたどたどしく食べる。すると、まえからクスクスとちいさな笑い声が聞こえてきた。



「な、なに……?」


「うぅん、べつに。ただ、一生懸命マナーを守ろうとする椿ちゃんが、なんだかかわいくって」


「……バカにしてるの?」


「褒めたつもりだったのになあ」


 正気か本気かマジかコイツ。



「でも、気にしなくてもいいよホント。ここにはわたしたちしかいないんだから」


「まあ、そうかもしれないけど……」


 私は一度手を止めて答える。


「だからって気を抜いたら、ちゃんとしなきゃいけないところでもミスするかもだし。そうなったらヤバいじゃん」


 言い終えてから、また「真面目だなー」とか言われるかなと思ったけど、意外にも、さくらは「それもそうだね」と答えてきた。



「椿ちゃんのそういうところ、とってもいいと思うけれど、でも、やっぱりもうちょっと力を抜いてほしいな……」


 さくらにしては珍しく、ポツリと言う。なんだか独り言のような気もして、私はどう答えていいものか分からなかった。


「ごめんね、さくら姫」


 だから、ちょっとからかってみることにした。いつもさくらがしてくるみたいに。



「うっ、それやめてよぉ……」


 照れ顔のさくら。こいつのこういう顔は滅多に見られないから、なんか新鮮だ。ちょっと笑ってしまう。


 ……いや、ていうか、なんか呼んだ私まで恥ずかしくなってきたな。やめよ。……あれ?


 なんか、いま視線を感じたような? 気のせい、だよね。場所が場所だし。



「ねえ、生徒会って、やっぱり忙しい?」


 ちょっと強引に話を変える。でも、それはさくら的にも歓迎らしく、すぐにのってきた。


「文化祭まえは忙しかったけれど、普段はそうでもないよ。先生のお手伝いとか、雑用ばっかり」



 そうなんだ。ほぼ毎日生徒会に行ってるから、忙しいんだと思ってたのに……けどそれなら、べつに毎回行かなくても……って、また変なことを考えちゃってるし。


 さくらが生徒会に入ってから、私たちの生活はちょっと変わった。


 昔のさくらは、私にとってはお姫様とか、あるいは妖精とか、そんな神秘的な存在だった。仲良くなるにつれて、なんというか……いろいろ分かったこともあるけど。高校に入って、私たちの距離は一気に近づいた。



 そういえば、寮の定員がいっぱいで、そこには入れないから、べつのところに入ることになった……さくらはそう言ってたっけ。


 でも、あんまり考えないようにしてたけど、これってちょっとおかしいよね。寮に空きがないなら、自宅から通えばいいんだから。全寮制ってわけでもないんだし……



「ねえ、さくら。どうして私と寮生活をしようって思ったの?」


 一度考えだしたら止まらなくなって、私は勢いもそのまま、考えを口にしていた。


 すると、さくらはサンドイッチを切る手を止めて私を見た。なぜか驚いた顔をしてたけど、やがて口を開く。



「高校に上がるまえにね、栞お姉ちゃんに言われたんだ。高校の三年間はすごく短いから、大切にしなさいって。だから、絶対に後悔はしたくなかったんだ」


「それで、私と寮生活がしたいって思ったの?」


 さくらはうんとうなづいて、それから紅茶を一口飲んだ。



「椿ちゃん、ゴールデンタイムって知ってる?」


「? えっと、テレビでの視聴率が取りやすい時間帯、だっけ……?」


「そうそう。でもね、もう一つ意味があるんだ。いろいろなことを行うのに最適な時間、ていう。

 だから、その時間を、椿ちゃんと一緒に過ごしたいって思ったの」


「ふ、ふーん……」


 そんなふうに言われたら、さすがに照れる。さくらのことだし、他意のない、純粋な言葉なんだろうとは分かってるけど……



 でも……私が大切に思っていたことを、さくらも大切に思ってくれてたんだ。それはちょっと……うぅん、結構うれしい、かも。



「ありがとう」



 無意識のうちに、私の口からポロリとこぼれ出る。ハッとした顔になって、見ればさくらもちょっと驚いてる。


「あの、アフタヌーンティーのことっ」


 思わずさくらから視線をそらしてしまいつつ、慌てて付け加える。


 口を塞ぐように紅茶を飲む。二杯目の紅茶はミルク入りで、とてもまろやかな味わいだった。



 いつもならすぐに言葉が返ってくるのに、なぜか今日は帰ってきてくれなかった。なぜか分からないけど、不安になってきた、そのとき……



「見て、椿ちゃん」


 呼ばれて、さくらを見る。けど、さくらは私を見ていなかった。彼女が見ていたのは……



 遠い遠い、水平線。


 そこでは太陽が半分ほど沈んでいて、海を、森を、街を、城を、カップやクロス、私たちが着ているドレスまで、世界を朱色に染め上げていた。


「この景色を、椿ちゃんと見たかったんだ」


 視線を動かさないままで、さくらがゆっくりと言った。



 自然と、私の視線も吸い寄せられるように、そこへと動く。


 沈みかけた太陽は、道しるべを作ってくれていた。水面に映った太陽光は、水平線と城を繋ぐ絨毯のように見える。一歩踏み出せば、水面を歩いて地平線の彼方まで歩いていけるんじゃないか、そんなふうにさえ思える。



「よかった」


 急にさくらがそんなことを言った。いや、もしかしたら、私が無意識のうちに感想を口にしてたのかもしれない。


「わたしね、昔からこの景色が大好きなの。だから、椿ちゃんも気に入ってくれて、よかった」



 その間にも、太陽は沈んでいく。それに吸い寄せられるように、光の絨毯は城から離れて太陽へと戻っていく。



 徐々に、徐々に、私の視線もそれを追っていって、そして――

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