第21話 夏休みの課題と衝撃
「あつい……」
椿ちゃんはリビングのソファーの上に寝転がって、苦しそうな声を出した。
「もう、また言ってるの?」
「だって、まだ九時なのにもうジメジメしてて……」
「まだ七月だよ。暑くなるのはこれから」
すると、椿ちゃんは低い唸り声を上げたので、わたしは思わずすこし笑ってしまった。
夏休みが始まって一週間。例年通り、今年の夏も暑い。そのために、椿ちゃんは早くもグロッキー状態だった。
わたしは近くに座って、その様子を眺めていた。
「なにか面白い?」
ムッとした口調の椿ちゃんがなんだかおかしくて、また笑いそうになる。それを堪えながら、
「ごめんごめん。冷房つける?」
椿ちゃんは明らかに心惹かれた顔になった。口を開きかけてたから、たぶん「つけて」って言おうとしたんだと思う。でも結局口を閉じて、それから改めて、
「いい。あんまり早くからつけててもアレだし。十時になってからでも」
椿ちゃんて、こういうところで変なこだわりみたいなのを持ってるなあ。
「じゃあ、お出かけする? どこかに涼みに行こうよ」
「うん……じゃあ、そうする」
椿ちゃんはまた苦しそうな声を出した。
「どこいく? せっかくだし、プールとか……」
ここで、寮の固定電話が鳴った。瞬間的に、わたしはイヤな予感が頭を過る。
「……いいよ、椿ちゃん。わたし出るから」
わたしが固まっていたからだろう、椿ちゃんが電話に出ようとした。それを止めて、余所行きの声で電話に出ると、
『ご無沙汰しております、
聞こえてきたのは、機械みたいに無機質な声。予感的中。思わず出そうになるため息を飲み込んで、
「ひさしぶり、綾瀬さん。なにかあったの?」
われながら変な質問だ。だって、綾瀬さんはなにかないと電話なんてかけてこないし。
曰く、今日はお父さんとお母さんが別宅に来るらしい。そこで、学校や普段の生活、夏休みの予定なんかを報告しに来い、とのことだった。
断ってもムダなのは分かっているので簡単な言葉で了承すると、綾瀬さんは「すぐにお車をお回しします」と言って通話は終了し、待つほどもなく、玄関のチャイムが鳴った。
二十分後――。
わたしたちは車に乗っていた。
黒塗りのリムジンカー。お父さん所有の高級車だけど、これはわたし専用であるらしい。
ほとんど振動を感じさせない、流れるような運転。冷房が効いており、冷蔵庫に冷たいジュースが入っていることもあってか、椿ちゃんは生き返った顔をしている。
「ジュースおいしい?」
オレンジジュースを飲んでいた椿ちゃんはゴクリと飲み込んで、
「うん……ホントに飲んでいいの?」
「もちろん。遠慮しないで」
車の冷蔵庫に入っているのは、銀座のお店から仕入れているジュースだ。
「……ていうかさ」
さっきから気になっていたことがあるので、訊いてみることにする。
「椿ちゃん、どうして一緒に来てるの?」
「えっ?」
すると、椿ちゃんはいわゆる〝鳩が豆鉄砲を食ったよう〟な顔になった。
「だってさ、わたし『一緒に来る?』って訊いてないし、椿ちゃんも行くなんて言ってないじゃない? なのに、どうして一緒に来てるのかなあって……」
「そ、れは……」
視線をあっちへそっちへさ迷わせている椿ちゃんがかわいらしくて、わたしはつい調子に乗る。
「もう、椿ちゃんってば。そんなにわたしと一緒にいたかったの?」
「はっ!? べ、べつにそんなんじゃないし!」
「またまたぁ、照れなくってもいいのにぃ」
「~~~~~~~~~~っ! も、もういいっ! 私帰る!」
しまった、からかいすぎた。
「ちょっと、もう、ここ車のなかだよ? 謝るから怒らないで。ね?」
本当に腰を浮かしかけた椿ちゃんの腕をわたしは慌てて掴む。
「一人じゃ退屈だし、椿ちゃんが一緒に来てくれるとうれしいな」
「まあ……そう言うなら……」
顔を覗き込むようにして言うと、椿ちゃんはフイと顔をそらして、いつもとおなじぶっきらぼうな口調で言う。
だからといって、わたしは笑顔のままだったと思う。だって、椿ちゃんの顔は耳まで真っ赤になっているし。
だからこそ、椿ちゃんはちょっと不貞腐れた態度なわけだけど。
「お帰りあそばしませ、姫さま」
わたしが屋敷に入ると、玄関で待ち構えていた綾瀬さんが恭しく一礼した。そして、
「えと、伊集院と申します。突然お邪魔して申し訳ありません」
「伺っております。お荷物をお預かりいたします」
「いえ、このままで」
「かしこまりました。ただいまお部屋までご案内いたします」
「わたしのお部屋にお連れしてくれる? 用事がすんだらすぐに行くから」
綾瀬さんが「かしこまりました」と言うと、控えていたもう一人のメイドが椿ちゃんを案内していった。
わたしはその背中を見送ったあとで、無意識のうちにため息をついてしまった。
「姫さま」
それがいけなかったんだろう。綾瀬さんはいつもとおなじ、無表情で、無感情な声で言った。
「ご当主様と奥様には、くれぐれもそのような態度はなさいませんよう」
「はいはい、分かってますっ」
屋敷での部屋着に着替えて、お父さんとお母さんにあいさつをして……と思ったんだけれど、まだ来てないみたい。人を呼びつけておいて勝手な人たちだ。いや、忙しいのは分かっているけれど。
ともかく、あいさつは後回しになって、ようやくわたしは椿ちゃんと合流することができた。
わたしが部屋に入ったとき、椿ちゃんは退屈そうにスマートフォンをいじってた。けど、わたしに気づくと顔を上げてくれる。
わたしを見た表情には、驚きの色が浮かんでいた。まるでなにかに魅入られたみたいに、わたしを見ている。
「どうかしたの?」
すると、椿ちゃんは焦ったみたいにわたしから目をそらした。
「そのカッコ、あんまり見慣れないから……ごめん」
「べつに謝ってもらうことないんだけれど」
たしかに、いまのわたしは寮ではしないカッコをしてる。純白の、シンプルな形のロングドレス。
天王洲家では、別宅にいるとき本宅にいるときとで、男女それぞれに決められた服装があって、それに従わなくちゃいけない。たとえ当主であっても、その〝型〟から外れることはできない。
それだけじゃなくて、女子は季節ごとの髪の結い方まで決められている。どちらも、天王洲家が千年の歴史の中で築き上げてきた伝統だ。
ていうか、これ……あれあれ、もしかして。
「椿ちゃんも着てみたい?」
「いい、べつに。そういうんで見てたわけじゃないし……」
プイと顔をそらす。
あれ、これは本当に本当っぽい。着てほしいんだけどなあ、きっと似合うし。でも、それなら……
どうして、わたしを見てたんだろ?
はっ!? まさか!
「椿ちゃん、わたしに見惚れてたの!?」
「はあっ!? そんなわけないでしょ!?」
だよね。そうだよね。でも一人で盛り上がるだけならね。
「そういえばさ」
綾瀬さんに頼んで紅茶とケーキを用意してもらって、ティータイムを楽しんでいたとき、椿ちゃんがなにか誤魔化すみたいに言った。
「夏休みの宿題、どれくらい終わった?」
「ほとんど終わったよ。あとは自由研究だけ」
「え、ウソ。はやくない?」
「そうかな? こんなものじゃない?」
すると……あれ? 椿ちゃんが憮然とした表情になっちゃった。よし、話を変えよう。
「お茶、おいしい?」
「え? うん……」
「そっか。ならよかった」
椿ちゃん、こういうところでお茶をしてみたいって、イギリスのドラマを見てるときにたまに言ってるし。いつか二人でお茶をしたいとわたしも思ってたから。
今日ほど、というか、別宅がウィンザー城みたいな外装をしててよかったって思ったのは、今日が初めてだ。
それから、適当に雑談をして、タイミングを見計らって訊いてみる。
「夏休みの宿題、椿ちゃんはどんな感じなの?」
「私は、まあ……ボチボチ……」
あんまり進んでないっぽいな。真面目な子だし、溜めこんであとで苦労するってことにはならないだろうけれど。
白鳥学園の勉強は結構難しいみたいだし、一人でやってるときが滅入るのかも。
よし! こういうときこそ、わたしが一肌脱がなきゃ!
「ね、自由研究なんだけれど、完成したら、お互いに見せっこしない?」
「え、自由研究を?」
「うん。なにをするのかは秘密にして、完成したら見せ合うの。どう?」
たぶん、ただ一緒に勉強をしたりするよりも、こういう、ちょっと変わった趣向のほうがモチベーションも維持できるんじゃないかと思う。
宿題で分からないところがあったら椿ちゃんから訊いてくるだろうし、訊いてこなくてもわたしから教えてあげればいいし。椿ちゃんの苦手な箇所は分かっているから。
椿ちゃんは、
「まあ、いいけど……」
なんて、いつもどおりの答え。でもあんまりイヤそうじゃないし、内心ちょっとでも楽しみにしてくれているのかも。
「楽しみにしててね椿ちゃん! わたし、ビックリするような力作を作るからっ!」
でも、わたしの言葉を聞いた瞬間、なんか警戒するような顔つきになった。
……あれれ?
翌日――
わたしはまた天王洲の別宅に来ていた。自由研究の課題を作るために。
「綾瀬さん、頼んでおいたもの、用意してくれた?」
自室に入るなり訊くと、綾瀬さんはいつも通り無感情に「はい」と答える。
「お机の上にご用意してございます」
そこには、たしかに頼んだものが整然と並べられていた。
わたしはありがとうと言って、さっそく課題作りを始めた。そう、まずは……
椿ちゃん人形作りから!
「ねえ、一体なに作ってるの?」
ある日の朝、朝食の後片づけをしているとき、椿ちゃんが訊いてきた。
「秘密。教えちゃったら意味ないでしょ?」
椿ちゃんは一度お皿を洗う手を止めてわたしを見てきた。
「そんなに気になる?」
「だって、ここのところ楽しそうに出かけていくし」
椿ちゃんには「別宅に課題を作りに帰っている」ってことは伝えてあるから、余計に不思議に思っているみたい。
「うーん……」
わたしはお皿を拭きながら、考えるみたいに目を閉じる。でも、それは恰好だけ。教えてあげない。いまはまだ。
秘密と答えると、椿ちゃんはわたしをジトっとした目で見たあとで「あっそ」とぶっきらぼうに答えた。
「完成したら教えるから、楽しみにしてて?」
ファローしたつもりだったんだけど、やっぱり椿ちゃんは警戒するような表情になった。……なぜ。
「できたっ!」
その日の夕方。わたしは完成した椿ちゃん人形を両手で持って高く掲げ、イスを蹴って立ち上がった。
ラストスパートをかけたらつい熱中してしまった。ちょっと疲れた。
「姫さま」
部屋にいた綾瀬さんにたしなめられる。わたしは簡単に「はーい」と謝って、改めて椿ちゃん人形を見る。
白鳥学園の制服を着た椿ちゃん人形(着せ替え可能)は、もちろんただの人形じゃない。
椿ちゃんのスリーサイズは完ぺきに再現してあるだけじゃない。そのくらいはあたり前。もともと、人形とかぬいぐるみとか抱きまくらとかフィギュアとか作ってたわけだし。今回作ったものは、それに加えてもう一つ、新機能を搭載している。
「私にはただの人形に見えます」
後ろで無言で立っていた綾瀬さんがやっぱり無感情な声で言った。
ふっ、綾瀬さんには、この人形のすごさが分からないらしい。
「見た目はそうだけどね。ここを押すと……」
言いながら、お腹を押すと、
『はっ!? べ、べつにそんなんじゃないし!』
椿ちゃん(人形)がしゃべった。椿ちゃんの声で。
どう? って感じに綾瀬さんを見ると……え、ウソ。綾瀬さんが驚いてる。この人が感情を表に出すなんて、めずらしい。
どうやら、ようやく綾瀬さんも、椿ちゃん(人形)のすごさに気づいたらしい。
「ほかにもパターンがあるんだ。えっとね……」
またお腹を押す。
『出てけばかっ!!』
押す。
『まあ、さくらがそう言うなら……好きにすれば?』
押す。
『んんーーーーーーっ! んーーーーーーーーーーっ!』
見ると、綾瀬さんはなんというか、形容しがたい表情をしてる。
……押してみたいのかな? あんまりわたし以外の人に触らせたくないんだけれど、仕方ない。
「綾瀬さんも押してみて?」
数秒逡巡して、綾瀬さんはゆっくりと腕を伸ばし、ひかえめな仕草でお腹を押す。と、
『…………』
「……壊れました」
うんともすんとも言わない椿ちゃん(人形)をちょっと遠い目で見つつ、綾瀬さんが言う。
ていうか失礼な。わたしが作った椿ちゃん(人形)がそう簡単に壊れるはずないのに。
「うぅん、それは無言で、わたしをジト目で睨んでるとき」
「はあ、なるほど」
綾瀬さんは見た感じいつもとおなじ無表情。でも、いまはほんの少しだけ困惑しているように見える。どうしたんだろう?
「さきほどからパソコンでなにかを入力されていましたが……」
「うん。録音した椿ちゃんの言葉をちいさな機械に移して、それを椿ちゃん(人形)に埋め込んだの。だからお腹を押すと……」
『…………まあ……いやでは、ないけど……』
「なるほど」
うーむ、われながらすごい完成度だ。
これ見せたら、椿ちゃんビックリするだろうなあ。課題としても、わたしが一番すごいに違いない。
椿ちゃんはなにを作ったんだろう? はっ!? まさかわたしの人形とか!? いやあ、照れるなあ。でもいくらなんでも、これは椿ちゃんには見せられないかも。
「……………………素朴な疑問なのですが」
「うん、なに?」
椿ちゃん(人形)のお腹を押したり頭を撫でたりしていると、綾瀬さんが絞り出すみたいに言う。
「そのお人形を伊集院様にお見せすること、覚えておいでですか?」
…………
……………………
………………………………
「あっ」
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