第2話 もしかしてジェラシー?

「や~。君は本当にかわいいなあ」


 なんて言いながら、さくらは猫を撫でている。


「ね、見て椿ちゃん。この子、人懐っこいよ」


 たしかに、さくらに撫でられながらゴロゴロ喉を鳴らしたり、あくびをしたり、なんとなく媚びるような仕草をしたり……


「毛並みも整ってるし、飼い猫なんじゃない?」


「うーん、でも首輪はないし……地域猫ってやつかな?」


「かもね。もう行こうよ、遅刻しちゃう」



 登校中、猫を見かけたさくらがしゃがみ込んで呼ぼうとしたら、意外にも向こうからやって来た。


 人間慣れしていることといい、ひょっとしたら餌を貰えることを期待してたのかも。でも、残念ながらというか、いまの私たちは猫が食べられそうなものは持っていなかった。


 むこうもそれを察したのか、やがて鳴き声を上げてから行ってしまった。



「行っちゃった……」


「みたいだね。じゃあ、私たちも行こうよ」


 すると、どうしたわけか、さくらはほんのすこしだけ唇を尖らせた。


「ドライだなー。かわいいじゃん」


「かわいいとは思うけど。積極的に撫でたいほどじゃないし」


 野良猫って汚いらしいし、とまでは、さすがに口には出さない。


「もう……」


 さくらはため息をついたあとで、今度は反対に息を詰める。何事かと思えば、


「はっ!? もしかして椿ちゃん、あの子に嫉妬してるの!? もう、しょうがないなあ。椿ちゃんのことも撫でて……」


「違う」


「ちぇ。ケチ」


 ……うん、違う。べつに嫉妬じゃない。


 私は「はやく行こう」と言った。まるで、なにかを誤魔化すみたいに。




 寮から十数分歩くと、やがて身の丈の倍はある大きな門が見えてくる。そしてその奥には、大きな、白い校舎が見えた。



「おはようございます、天王洲てんのうすさん」


「はい。おはようございます」


「ごきげんよう、天王洲さん」

「ごきげんよう」


「はい、ごきげんよう。あなた様にも」



 学園に入った途端、さくらはいろいろな人からあいさつをされている。同級生だけじゃなくて、上級生や先生たちにも。さくらはあいさつしてくれる人みんなに、律義にあいさつを返していた。


 その理由は、学園の理事長を務めているのは天王洲家。つまりさくらのパパさんだから。


 理事長の娘のさくらは学園一の有名人だから、これはもう毎日の光景だ。


 ……ていうか、だれコレ。


 さっきまでヘラヘラして猫を撫でていたくせに。いまはキリっとした表情で、にこやかにあいさつをしてて。


 猫かぶり、という単語が頭に浮かんで、ちょっと笑いそうになったので、慌てて表情を引き締めた。



 あいさつをしてくれてる生徒たちは、みんなどこか育ちがよさそう。ごきげんよう、なんて言っちゃうくらいだしね。


 そこから分かるかもしれないけど、ここ、白鳥峰しらとりみね学園はお嬢様学校だ。


 私立の女子高。歴史は意外に浅く、まだ今年で十六年目。けど、倍率はかなり高いらしくて、官僚や大臣の娘も入りたがるらしい。


 私の家……伊集院いじゅういんは、自分で言うのもなんだけど〝お金持ち〟だ。詳しくは知らないけど、というか、パパが詳しく教えてくれないから。小学生のとき、「家の歴史を調べる」という課題が出されたことがあった。その時に訊いたら、パパはちょっと困ったような顔をして、「戦争中にたくさん軍人さんに協力したのが始まりだよ」と教えてくれた。でも、それ以上のことは教えてくれなかったんだよね。



 クラスは全学年、A組からD組までで、私たちは一年のA組だ。


 ガラッと教室の扉を開ける。


「来ましたわね天王州桜!今日こそわたくしと――」


 そっとじ。


 幻覚かな? いま何か妙なものが見えた気がする……



「ちょっと伊集院さん!」


 扉が開け放たれた。そしてありがたくないことに、今度は私をご指名だ。


「勝手に扉を閉じないでくださいます!? まだわたくしが喋っている途中ですのよ!」


「あ、うん。ごめんね、御郭良みかくらさん」


 わたしはいつもみたいな生返事。正直、この人はちょっと苦手だ。テンションについていけないから。


 どうしたわけか、この人は、なぜか事あるごとにさくらに絡んでくる。だから私は、毎朝巻き添えになっている形だ。


 御郭良さんは生返事で満足したらしい。すぐにさくらに向きなおる。


「さあ、天王州桜! わたくしとしょうヴっ」


 と思ったら噛んだ。思いっきり噛んだ。痛そう。


「だ、大丈夫、ダリアちゃん!?」


 教室の奥から一人の生徒が出てくる。ショートカットの髪をした生徒だ。


 この子は早乙女さおとめあおいちゃん。御郭良さんとは幼馴染らしい。



「あ、葵ぃいい。ベロが……」

「う、うん。痛むの?」

「痛いですの。ベロ取れてません?」

「取れてたら死んじゃうよ」

「わたくし生きてますの。取れてませんのね」



 間の抜けた会話。これは頻繁に見る光景だ。


 御郭良さんはすらりとした身長で、髪は金色で瞳の色は青。マンガとかでよく見る典型的なお嬢様の容姿をしている生徒で、外見は文字通り日本人離れしてる。


 というのも、この人、父親がイギリス人らしく、フルネームは「御郭良ベイカー妥莉愛」といって、ベイカーはお父さんの苗字らしい。


 髪型は縦ロール。じつは見るたびに「チョココロネみたい」と思ってるんだけど、そう言ったら怒られるかな。


「失礼しましたわね! 気を取り直して、天王州桜! わたくしと勝負をっげほげほげほっ!」


 今度はむせた。なんかさっきから一人で盛り上がっててずるい。



「しっかりして、ダリアちゃぁん……」


 自分のカバンからとってきたらしいペットボトルを御郭良さんに渡しながら、葵ちゃんは泣きそうな声を出す。



「ぶほっ!? げほげほげほげほっ!」


 御郭良さんが一気飲みして盛大にむせていた。


「こ、これッホ……炭酸水じゃッハ……ありませんのッフ……」


 苦しい息の下で必死にツッコんでいる。芸人みたいな人だ。涙目だけど。


「ご、ごめんね? いまこれしかなくて……」

「だっだら最初がらぞう言いなざい」

「う、うん……」



「二人とも、今日も楽しそうだねぇ。愛いやつらよ」


 さくらが言う。こういうとき、彼女はなぜかいつもうれしそうだ。


「うっさいですわ!」


 噛みつかんばかりの御郭良さんのツッコミ。ここまでがテンプレだ。




 御郭良さんと葵ちゃんは、高校生になってからできた友人だ。


 葵ちゃんは、なんだか『葵ちゃん』ってかんじの子。


 この子はいちいち仕草がかわいらしい。走る時にちょっとドタバタしてる感じとか。


 だから、私は心の中で「葵ちゃん」と呼んでいる。実際には「早乙女さん」って呼んでるんだけど。



「どころで、ダリアちゃんはわたしとなにがしたいの?」

「なんでもありませんわ……」


 御郭良さんが疲れている。毎日こうなっているのに懲りない人だ。ある意味尊敬する。


「今日は見逃して差し上げますけど、つぎは絶対あなたを倒しますから覚悟なざっ!?」


 後ろをむきながら歩くものだから、椅子に足を引っかけていた。体を張ってボケるとは、どこまでも芸人気質な人だ。


「ダリアちゃんは今日もおもしろいね」

「ちっとも面白くないですわ!」




「ダリアちゃんはさくらちゃんに『勝負しよう』って言いたかったんだよ」


 幼馴染を見かねたのか、葵ちゃんが助け舟をだした。


 さくらが「勝負?」と首をかしげる。


「なんかダリアちゃんって、ときどきそれ言うよね」


 ときどき、というのは、御郭良さんが最後まで言い切れたときが少ないためだ。


 そのときの勝負内容は、さまざまだ。ちなみにさくらは全勝している。



「べつにいいよ。ダリアちゃんと遊ぶの楽しいし。今度はなにする?」


 さくらの口ぶりを見ればわかるように、勝負と思っているのは御郭良さんだけで、さくらは単なる遊びとしか思っていない。独り相撲である。


「ふふふふ」


 御郭良さんがあやしげに笑いだした。


「おーーっほっほっほっほっほっほっ! 言いましたわね天王州桜! 今日こそ年金の納め時ですわ!」

「年貢だよ、ダリアちゃん」


 御郭良さんの言い間違いを、葵ちゃんが訂正する。

 


「皆さん、席についてください。HRを始めます」


 腰に手をやり、そして相手を指さすというマンガとかでよく見る決めポーズ。


 しかし、なんともナイスなタイミングで担任の先生が入ってきた。ここまでくると、一周回ってタイミングがいいんじゃないかと思う。ある意味すごい。



「御郭良さん、おかしなポーズをとっていないで席に着いてください」


 金魚のように口をぱくつかせる御郭良さんに無慈悲な声がかかって、御郭良さんは静々と席についた。




 御郭良さんは賑やかな人だけど、彼女の幼馴染である葵ちゃんは、その正反対と言える子だ。


 体格も小柄。黒髪のショートカット。クラスのマスコット的存在で、クラスメイトたちからは愛されている。具体的には、よく餌付けされている。


「葵ちゃん、これあげる。昨日クッキー焼いたんだー」

「あ、ありがとう……」

「じゃ、私はこれあげる。コンビニでお菓子買いすぎちゃったんだ。グミ好き?」

「う、うん」

「葵ちゃん野菜スティック食べる~?」

「た、食べる……」



 こんな感じに。これは毎日の光景だ。なんか、学校に猫とか犬が入ってきたみたいな、そんな感じである。



「葵! なにしてますの!? はやくこっちにいらっしゃい!」


「ま、待ってよダリアちゃんっ!」


 群がる女子たちに一言断って、葵ちゃんはパタパタとこっちに小走りで来る。


「よしっ! 葵ちゃんも来たし、そろそろ食べよっか」



 昼休み。


 私とさくら、御郭良さんと葵ちゃんは集まって、四つの机をくっつける。


 私たちは、いつもこの四人で昼食をとっていた。


 いちおう食堂も購買部もあるんだけど、私たちはみんなお弁当を持参している。ちなみに、私はさくらに作ってもらったものを食べてる。


 御郭良さんのは、毎日葵ちゃんが作っているらしい。前に葵ちゃん本人から聞いた。



 御郭良さんたちのお弁当には、玉ねぎのさつま揚げとナスの煮浸し、肉団子なんかが入っている。


 そうしたレシピの中で、私はあるものに目を惹かれた。


 お肉で野菜をぐるりと巻いたものだけど、巻かれているのは一つだけじゃない。人参に玉ねぎ、それと……ジャガイモも入ってるっぽい。


 なんだろ……? 見ていると、


「伊集院さん? どうしたの?」


 視線に気づいたらしい葵ちゃんは不思議そうに私を見ていた。


「あっ、ごめんね。大したことじゃないんだけど……それ、なに?」


 訊いてみると、


「あ、これはね……」


「これは一口肉じゃがですわっ!」


 葵ちゃんの言葉を遮るようにして、というか掻き消すようにして、御郭良さんが言った。


「その名の通り、一口で食べられる肉じゃがですのっ!」


 なんでこの人胸を張ってるんだろう。自分で作ったわけじゃなかろうに。


「おおっ! なんかかわいいね。どうやって作るの?」

「そっ、それは……」


 さくらが訊くと、御郭良さんは言葉に詰まった。作り方は知らないらしい。じゃあ尚更なんで胸を張ったんだろう。


「え、えっとね……」


 見かねたのか、葵ちゃんがフォローを入れてくる。


 葵ちゃんが教えてくれたのは、とても手の込んだメニューだった。


「すごいね」と言うと、


「そんなでもないよ。言葉にするとそう思えるだけ」


 そうかな? まあ、できる人にはそうなのかも。私は不器用だからなあ。


「……よかったら、一個食べてみる?」


「え、いいの?」


「うん。どうぞ」


 と言って、葵ちゃんは私のお弁当の蓋に一口肉じゃがを置いてくれた。


 一言お礼を言って、私はそれを食べる。


 汁も拭き取られてるから、口から漏れることもなくて食べやすい。それでいて味が染み込んでいた。


「おいしい」


「ほんと? ならよかった」


「ねえ葵ちゃん」


 そのとき、急にさくらが口を開いた。


「それ、私にも一つくれない? 唐揚げと交換してほしいな」


「え? うん……いいけど……」


 さくらが葵ちゃんにあげたのは、手羽先をチューリップ型にした唐揚げで、たまに夕食でも登場するおかずだ。


 さくらは一口肉じゃがを食べると、


「確かにおいしいね」


 と言った。それから、


「椿ちゃんはこういう味付けが好みなんだ」


 え、なに……? なんか、引っかかる言い方のような……


「いや、好みっていうか、単純においしいなって思っただけだけど……」


 なぜか言い訳みたいになってしまった。でも、さくらは「そっか」と言って笑った。……と、思う。多分。



「天王洲桜が作ったものより、葵が作った方がおいしいに決まっていますわっ!」


 唐突に、御郭良さんが言った。本当に脈絡がなかったのでちょっとビックリした。


「ほほう、そう思うかね?」


 さくらがいつもみたいな、ちょっとふざけた口調で言う。


「決まっていますわっ! だって葵は器用貧乏ですものっ!」


「器用って褒めてくれてるんだよねダリアちゃん?」


 葵ちゃんがちょっと首をひねりながら言った。


「? そう言ったじゃあむっ!?」 


 さくらがちょっと身を乗り出して、正面に座っている御郭良さんの口の中に何かを入れた。あれは……チューリップ唐揚げだ。


 御郭良さんはそれをモグモグと咀嚼そしゃくして、


「おいしいですわ……」


 と、どこか悔しそうに言った。でも素直だ。この点は、この人のいいところだと思う。


 そんな感じで、私たちの昼食はちょっと賑やかだ。




 その日の帰り道。


 私たちはいつも、夕食や明日の朝食の買い出しの為、スーパーに寄っている。


 ものすごいお嬢様のはずのさくらだけど、とても買い物上手だ。こうやって新しい一面を知ると、距離がちょっと近づいたみたいでうれしい……気がする。



 道すがら、さくらが言う。


「ねえ椿ちゃん。今日の夜ご飯、肉じゃがにしない?」


「えっ? いいけど……」


 急にどうしたんだろう? いつもは私に意見を訊いてくるのに……


「葵ちゃんの貰ったからかな。なんか食べたくなっちゃって」


 どうしたのと訊くと、さくらはそう答えた。


 私はいつも手伝うくらいで、作っているのはさくらだから、決定権はさくらが持っていると思う。


 でも、さくらは毎回私に意見を訊いてくれる。それが、どうして今日に限って……? そういえば、葵ちゃんの肉じゃがを褒めたとき、ちょっと、本当にちょっとだけ、声が不機嫌になっていたような……?



 いや、まさかね。いくらなんでも、それは発想が突飛すぎる。


 どうも最近、さくらを意識することが多い。どうしてだろう? 高校に入って、一緒に暮らすようになって、一気に距離が近づいたから? でも……


 どれだけ近くにいても、さくらの本音はいまいち分からない。知りたいとも思うけど……


 同時に、知ることを怖がっている私もいて……ときどき自分が自分で分からなくなる。


 私に名探偵みたいな洞察力があれば、さくらの気持ちも分かるんだろうか。


 ふと横を見る。そこにはウソみたいにきれいな顔をした幼馴染がいる。けれど……



 さくらが一体なにを考えているのか、私には見当すらつかなかった。

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