第29話 混ぜメシの王様。

 「これが、高菜納豆牛乳メシ。美味い、美味すぎる‼」


 私の雑居房の4番手である石田裕二いしだゆうじが、混ぜメシのあまりの美味しさに感嘆の声をあげる。


 「おいおい、侮るんじゃねぇよ。高菜納豆牛乳メシはこれで終わりじゃねぇ、この混ぜメシには〝向こう側″があるんだ」


 部屋の2番手である坂田さんが、納豆のタレを手にし、


 「お前も、向こう側に行きたいか?裕二」


 と尋ねると、裕二は生唾を飲み込んだ後で、


 「はいっ。〝向こう側″行きたいっす‼もう随分と向こう側の世界に行ってないもんで」


 腕をさすり、遠い目で過ぎし日の快楽に憧憬どうけいの念を抱きながら答える。


 「よっしゃあ、裕二。準備はいいか?」


 「はいっ‼」


 「難しい事は何もねぇ。一度しか言わないからよく聞けよ‼」


 「はいっ‼」


 「まず、プレーンの高菜納豆牛乳メシを半分になるまでっ込め‼そしたら……」


 「そしたら?」


 「そこに、コイツをぶち込むんだよぉ‼」


 坂田さんが、自分のメシ椀に納豆のタレをぶち込む。


 体を小刻みに震わせながら、


 「でっ、でも。そんな事をしたら、あっ、味が濃くなり過ぎて、とんでもない食べ物が出来上がっちまいますよ」


 普段から薄味の刑務所メシに慣れている体を気遣う様な発言をする裕二に、


 「リスクを取らなきゃ成功はねぇよ。いいか、裕二。それが、〝向こう側″だ」


 普段は決して見せる事のない真剣な表情の坂田さんが、さとす様な声音で言った。


 見よう見まねで高菜納豆牛乳メシを食す私の隣では、部屋の3番手の関根さんが、ただ一人、黙々と提供されたままの形の朝食を食していた。


 

 ~昨日の余暇時間~


 「おい、ツッキー、裕二。明日の朝メシは当たりだぞ‼」


 メニュー表を持った坂田さんが、上機嫌で近づいてくる。


 「えっ、納豆と高菜って普通じゃないですか?」


 素っ頓狂な顔で答える裕二に、


 「お前は、まったく分かってねぇなぁ。ちょっと、浅野さん。こいつらに教えてやって下さいよ」


 簿記一級の勉強をしている、部屋の1番手にして工場の衛生係である浅野さんに、空気を読まずに坂田さんが話しかける。


 坂田さんは、いつだって、どこだって、決して空気を読む事の無い男なのである。


 「あぁ、裕二とつかさは高菜納豆牛乳メシを知らないのか?」


 勉強をさえぎられた事に対して、嫌な顔ひとつせずに答える浅野さんは、相変わらずの人格者(わたしより20歳程若いけれども)である。


 「えっ、何ですか高菜納豆牛乳メシって、想像しただけでも、物凄く不味まずそうなんですけど」


 「おいっ‼おまえ、高菜納豆牛乳メシをなめんじゃねぇよ‼」


 顔を真っ赤にして、珍しく声を荒げる坂田さんを、浅野さんが手で制する。


 「まぁ、騙されたと思って、明日の朝、やってみろよ。私は舎房配食でいないから、とおる、二人に教えてやってくれ。皇一こういち(関根さんの事)は相変わらず混ぜメシはやらないんだろう?」


 「はい、俺は普通に食べた方が美味しいので」


 読んでいた本から顔を上げて、関根さんが答える。


 「よっしゃー‼裕二、ツッキー。明日の朝、楽しみにしておけよ‼うっひゃー。楽しみ過ぎて、今日眠れないかも」


 一瞬前までの剣幕けんまくが嘘みたいに、上機嫌でそう言うと、坂田さんはテレビのニュース番組で紹介されている飲食店の情報を忙しそうにメモし始めた。



 ~現在~


 「裕二、ツッキー。納豆のタレはぶち込んだか?」


 「はいっ‼(二人)」


 「よっしゃー‼それじゃあ、全神経を目の前のメシ椀に集中させろ。この世界に在るのはおのれと高菜納豆牛乳メシのみ。その境地に達したら、目の前の高菜納豆牛乳メシを思いっきり掻っ込むんだ‼そしたら……」


 「そしたら?(二人)」


 「その時、お前達は向こう側に辿り着いている」


 食事を終えて、食器をまとめる関根さんを尻目に、恍惚こうこつ状態の坂田さんが、体を小刻みに震わせながら、天井を見上げる。


 朝食が、こんな一大エンターテイメントになるとは、坊主頭の大人達は、全身全霊ぜんしんぜんれいで混ぜメシを楽しんでいる。


 そう、これが少年刑務所なのだ。


 納豆のタレをぶち込んだ高菜納豆牛乳メシを掻っ込んだ坊主頭の男3人は、言わずもがな、もれなく〝向こう側″へと旅立ったのであった。


 さぁ、今日も。血沸ちわ肉躍にくおどる受刑生活が始まる。




 

 

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