第9話 受刑者はパンが好き

 今日は待ちに待ったパンの日。


 工場で作業中の受刑者達の顔は、皆一様にホクホクしている。


 刑務所では週に2日程、昼食でにパンが出る。


 そして、受刑者達は総じてパンが大好きなのだ。


 しかも、今日のメニューは月に1度の小倉あずき。


 あんことマーガリンをコッペパンに挟んで食べる至福のひと時を想像するだけで、面白くない単純作業も不思議と苦では無くなるのである。


 受刑者には類というものがある。


 1類~5類まであって、最高位は1類、最下位は5類である。


 類が上がる毎に購入できる日用品が増えていき(1類はCDプレーヤーやCDを購入する事も出来る)、集会(お菓子を食べながら録画されたバラエティー番組等をみる集会)に参加出来る特典があるのだが、工場に来て1ヶ月と少しの私は未だ5類であるので、甘いものを食べられる機会というのは、とても貴重なのである。


 類進るいしん(半年毎に刑務官の査定で類が上がる事)まであと5ヶ月。


 何も無ければ3塁に上がれて(最初の類進では、5類からいきなり3類に上がる事が出来るのである)、晴れて集会に参加する事が出来る。(懲罰や指導等を受けてしまったら類は上がらず⦅上がっても4類⦆、チャレンジミーティングという以前懲罰を受けた事のある先輩受刑者の話を聞くという苦痛のイベントに半年間参加しなければならなくなる)


  とにかく、私が3類集会に参加出来る様になるまでには、あと5ヶ月ほどもある。


 それまで私は、月に1度出る小倉あずきと、たまに出るデザート及び祝日の特食(祝日に受刑者全員に配られるお菓子の事)で甘さへの欲求を満たさなければならない。


 何はともあれ、今日の昼食はパンで、しかも小倉あずきとマーガリンが付いてくるのだ。


 今日は、どんなに辛い事があったって耐えられる。


 受刑者にとっての甘いものとは、生きる楽しみと言っても過言ではない程に、ここでは皆が甘いものを愛してやまないのである。


 『おい、天月あまつき。今日、小倉あずきだな』


 生産作業の立役たちやくである仲村なかむらさんが、ホクホク顔で話しかけてくる。


 立役は座作業者との会話を許されている。


 基本的に雑談はNGなのであるが、おやじ(刑務官の事)や助勤の刑務官から見たら作業の話をしているのか雑談をしているのかの判別はつけられない。


 仮に雑談している事がバレた所で、おやじに気に入られている立役は、めったにあげられる(懲罰を受けさせられる事)事はないのだ。


 もちろん座作業者であれば、雑談や脇見(作業中に許可なく手元以外を見る事)をしたらあっという間にあげられる。


 あぁ、素晴らしき格差社会。


 最底辺であるはずの受刑者の中にだって、ちゃんと格差は存在するのである。


 『そうですね。自分はまだ集会に参加出来ないので、小倉あずき、本当に楽しみです』


 ちなみに、私(というよりもこのK少年刑務所の全受刑者)のここでの一人称は【自分】である。


 最初の部屋で、私に懲役ちょうえき(厳しい注意指導といった意味合いで受刑者達はこの言葉を使っている)という名目で、私に対してくだらないイジメを繰り返していた部屋の2番手が、私の【私】という一人称に対して、


 『私とかやってねぇからよぉ』


 と言ってきた。


 『えっ、それじゃあ僕ですか?』


 『僕とかやってねぇよ』


 『じゃあ、俺』

 

 『俺とかやってねぇからよぉ』


 『えっ、あ~、じゃあ、自分……ですかね?』


 深い溜息をついた後で、2番手は雑誌を読み始めた。

 

 その時、私はここでの一人称は【自分】なのだと学んだのだ。


 まったく、受刑者というものは本当に面倒くさい生き物である。


 『今日昼飯でシチュー出るだろう?シチューに小倉あずきパンを浸すと甘じょっぱくてマジで美味いからやってみろよ、じゃあ、作業頑張れよな』


 そう言うと、仲村さんは私の元を去った。


 シチューに小倉あずきパンを浸す。


 娑婆しゃばでは、私は絶対にそんな冒険はしないであろう。


 しかし、こと食(刑務所内での)に関して私は仲村さんに全幅の信頼を置いている。


 何を隠そう、コーヒーゼリーメシを教えてくれたのも、特食をバクシャリに混ぜるのを教えてくれたのも、仲村さんなのである。


 新しい情報を得て、益々昼食が楽しみで仕方がない。


 『よぉ~し、あと少し、作業頑張るか』


 いつも以上の熱量で、私は作業に全力を傾ける。


 だって、この変わり映えのしない単純作業が、昼食を美味しく食べる為の最高の隠し味になるのだから。


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