第31話 工場運搬

 この日、第一工場の歴史が動いた。


 K少年刑務所の英雄である立花さんが、ついに立役になったのだ。


 それも、横溝さんの後釜の衛生係ではなく、おやじが立花さんの為に新しく作った工場運搬こうじょううんぱんという立役に就任したのだ。


 まさか、新しい立役を作るとは。


 そんなのありなんですか?おやじ。


 作業中なので、もちろん声を出す事は許されない。それでも工場中の受刑者達が騒然としている空気を感じる。


 私は、受刑者になって半年程のペーペーであるから、刑務所のルールや文化を完璧に把握している訳ではない。


 だが、しかし、一受刑者の為に刑務官が新たな役職を作るという事の特別さは理解出来る。


 流石はK少年刑務所の英雄、立花さん。


 この時代錯誤の封建社会である刑務所のルールを変えてしまうとは、全く、あっぱれとしか言い様がない。


 第一工場が熱狂に包まれる中、ただ一人、他の受刑者とは違う雰囲気を漂わせる男がいた。


 「よしっ。これで、決まったな」


 その男、仲根さんは、何とも言い様の無い表情で、黙々とプラスチックに皿バネを入れる刑務作業に従事している。


 立役になる事に、異常な執着を持つ男。


 国立大学を卒業して官僚になった超エリート、どういう経緯で刑務所に入る事になったのかは知らないが、そんな人間にとって、刑務所で高い役職に就く事など、取るに足らない事の様に思える。


 しかし、仲根さんは立役になる事に、異常なまでの執念を燃やしているのである。


 そこには、少しでも高い報奨金ほうしょうきんが欲しいだとか、作業中に自由に動き回りたいだとか、他の受刑者から一目置かれる存在になりたいであるとか、その様なくだらない理由ではなくて、何か高尚な理由があるのではないかと思われるが、その答えは彼にしか分からない。


 何はともあれ、3類になったばかりで、立役になる予定など一向に無い座作業者の私は、今、無性にワクワクしている。


 娑婆しゃばで【嘘の人生】を生きていた頃には感じた事の無い、【本物の気持ち】。


 あぁ、私は今、青春しているのだ。


 歴史を作った立花さん。


 立役にこだわる超エリート仲根さん。


 ここにいる受刑者達は皆、本物の人生を生きている。


 嘘の人生を生きた結果として辿り着いたこの牢獄ろうごくで、皆必死に変わろうとしているのだ。


 罪を犯した人間が、夢中に生きるなんて不謹慎だと思われても仕方がないけれど、それでも、ワクワクするこの気持ちは、どうにも抑える事が出来ない。


 自分の人生などは捨てて、死んだ様に生きていくのが罪を償うという事なのだろうと思っていた。


 だけれど、今の私はそうは思わない。


 この命は、私だけの物ではないのだから。


 遥か遠い昔から、脈々と受け継がれて来た命。


 平和の為に命を賭した先人達。本当は生きていたかったのに、自分の命や愛する人と過ごす人生を諦めた幾つもの命の上に、今私は立っているのだ。


 だから私は、この人生を愛すると決めた。


 夢の様な人生の中でワクワク生きる。


 そんな人生の果てで、皆を笑顔にする。


 それが私の更生なのだ、と私の心が叫んで止まない。


 それは綺麗事かもしれない。


 自分の命を正当化する為に都合の良いエゴなのかもしれない。


 それでも、今の私は、綺麗な世界が創りたいのだ。


 K少年刑務所第一工場の歴史が動いた日、人生の秋を迎えた中年受刑者である所の私は、息をするのも忘れるくらいの燃え盛る青春のど真ん中に立っていた。

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